62.それはまるで恋のように
陽の届かない地下監獄に、コツコツと足音が響き渡る。
「レティーナ様、お久しぶりです」
ガシャリと解錠する音が牢内に響き、天井にランプを吊ると、椅子に括りつけられるように麻縄で縛られ、手足を拘束されたアサドラ王国のレティーナ王女が暗闇に浮かびあがった。
「少し遠いですが、歓声が聞こえますか?」
薄明りの中、据えた臭いのする独房で、初めて出会った時とは別人のように疲弊し薄汚れた彼女がゆっくりと顔をもたげる。
何か言いたそうにもごもごとするが、布を噛まされているため言葉にならず、悔しそうにミランダを睨み付けた。
「無事、諸々の戦いが終わりまして本日は凱旋パレード。水晶宮の者にも特別に許可が出た為、皆が王都へ赴き、晴れの日を祝っております」
レティーナの強い視線をものともせずミランダは微笑み、後ろにいた侍女達へと指示を出すと、テーブルに厚みのある布が敷かれ、液体が入った瓶と杯が二つ並べられる。
そして最後に置かれた水差しには、小さな魚が九匹泳いでいた。
「レティーナ様との再会を楽しみにしていたのですが」
そう嘯き空の杯を一つ手に取ると、ミランダ手ずから瓶を持ち、なみなみと注いでいく。
血走った目で睨み付けるレティーナの前でミランダが杯を持ち上げると、たぷりと音を立てて紫色の液体が揺れる。
「……このような事になり、残念です」
すうっと細く、絹糸のようになった液体が、杯から水差しに注がれていく。
杯が空になると水差しの中は薄紫に染まり、数秒も立たず一匹の魚が腹を上にして、ぷかりと浮かんだ。
「――――!?」
続けてぷかり、ぷかりと白い腹を上向けて、次々とその姿を露わにする。
突然何をするのだと食い入るように見つめていたレティーナは、その様子にゴクリと息を呑んだ。
「即効性の猛毒なので、魚であれば瞬くほど。人であっても個人差はありますがもって数十秒」
また瓶を手に取り、同じ杯になみなみと注ぐ。
犯した罪の重さ故、死刑になると分かっていてもなお受け入れ難く、レティーナは声も出せずに頬を引き攣らせた。
「先の政権を担ったアサドラの王侯貴族は一族郎党すべて処されました。国外、しかも独断で為され知り得なかった事とはいえ、罪は罪……レティーナ様で最後です」
ミランダの言葉を合図に護衛騎士のロンがレティーナに歩み寄り、口枷になっていた布を解く。
「ッ、偉そうに……ッ!!」
怒り狂い、ガタガタと椅子を揺らしながら叫ぶレティーナ。
ミランダは静かにと言うように自分の指を唇にそっと当てた後、なみなみと注いだ毒杯を手に取り、一息で飲み干した。
「なにを…………ッ!?」
驚きに目を瞠るレティーナに向かい腕を伸ばすと、ミランダは手にした空杯から指を離す。
汚れた独房の床へ吸い込まれるように落ちた杯は、カシャンと甲高い音を立てて粉々に割れた。
「えっ…ッ!? 毒だったのでは!?」
何が起きているのか、何故毒を飲んで平然としているのか理解が出来ず、レティーナは声も出せずに床に散らばった破片を見つめる。
毒ではなかったのだろうかと先程の水差しに慌てて目を戻すが、紫に染まった水の中にはレティーナの祖国、アサドラ王族の数と同じ九匹の魚が、腹を上向かせて浮かんでいた。
「――レティーナ様は何故、あんなことを?」
彼女が毒を飲んでも平然としている理由が分からず呆然としているところでミランダに問われ、レティーナはギリギリと歯噛みした。
すべてに於いて恵まれた彼女はきっと、その理由を聞いても到底理解出来ないだろう。
祖国アサドラでは王族であっても女だからという理由で自由を許されず、自分よりも能力の劣った王子達がすべてに於いて優遇される。
出来る事は沢山あるはずなのに、政略結婚の道具になるしか道は無い……だがどこの国も同様に違いないと諦めかけていた頃、ファゴル大公国第二大公女の噂が耳に届いた。
姉を差し置き、継承権第一位に躍り出た彼女は、実姉の輿入れ先であるアルディリア国王との醜聞を撒き散らす『傾城傾国の悪女』。
遠くアサドラまで届くミランダの事が気になり、ファゴル大公国に密偵を送り情報を集め、自分とは何が違うのか、環境が恵まれているだけではないのか……どんな大公女なのか絵姿を取り寄せ、繰り返し報告書を読んでは物思いにふける。
グランガルド進攻に一役買い、祖国を従属国に貶めたにも関わらず大公国内では認められ、政務にまで携わっていると聞いた時は、言いようもない嫉妬と焦燥感に襲われ、どうにもできない自分の状況に歯噛みする日々だった。
だがついに転機が訪れ、宗主国であるグランガルドの人質として祖国を追いやられると聞き、やっと自分と同じ立場まで堕ちてきたのだと喜んだのに。
王都手前で熱を出し、療養している間にヘイリー侯爵からの使者が訪れ、ミランダは国王に拝謁したその日の内に側妃に……しかも側妃を束ねる水晶宮の主に収まったと耳にした時は、これほどまでに違うのかと目の前が真っ暗になった。
そしてその様子をつぶさに観察していた使者は、レティーナに囁いたのだ。
『ガルージャと手を組めば、お前でも富と権力を得られる』、――――と。
失敗すれば一族郎党処刑される事は分かっていた。
だがミランダへの妄執に突き動かされ、気付いた時には引くに引けないところまで来てしまっていた。
ジャゴニ首長国の反旗に端を発し、北からはインヴェルノ帝国、南からはガルージャ……加えてグランガルド国内の離反貴族。
どう考えても、グランガルドに生き残る道は無かった。
ここまで来たら、大きな流れに乗り早々に逃げ出すのが得策。
ミランダが祖国に逃げ帰った時、ついに勝ったと腹の底から笑いが止まらなかったのに。
投獄され厳しい尋問を受ける中、ザハドに聞いたミランダの所業に、身体が震える。
絶対に、彼女を敵に回してはいけなかった。
どこに居ても、どんな状況でも、彼女はきっと成し遂げてしまう……自分などが見くびっていい相手ではなかったと、やっと気付いた時にはもう遅かった。
「――私が、見届け人です」
返ってこない答えに諦めたのか、とぽとぽ、と音を立てて新たな杯に液体が注がれ、レティーナは絶望のうちにその光景を食い入るように見つめた。
ロンにより腕の拘束が解かれ、目の前にコトリと音を立てて毒杯が置かれる。
「なぜ……?」
なぜ、毒杯を呷ったのか。
なぜ、無事だったのか。
その疑問に答えるようにミランダはスッと髪を束ねた。
仄かな灯りしかない牢内。
うなじに、うっすらと淡い薄紅の花を象るような加護印が見える。
「……そんな、まさか」
「水晶宮内の不祥事は私の責任です。ケジメとして飲み干しましたが、駄目ですね。これだけの猛毒でも、ひとたび口に含めば湧き出る清水のよう」
ミランダは、真っ直ぐにレティーナを見つめる。
それは抗う事を許さない、支配者の眼差し。
「死すらも、平等ではないのですね――――」
泣きそうにレティーナの顔が歪む。
自ら手を染めた、取り返しのつかない大きな過ち。
死を以てして償うしか方法がないことは分かっている。
だが、絶対的な勝者である彼女に、意地でも涙を見せたくはなかった。
「アサドラ王国は多民族国家……従属国の立ち位置はそのままに、他部族にて新政権を樹立する予定です」
これ以上惨めな姿をさらすまいと涙を堪えるレティーナに気付いたのだろうか、ミランダが静かに言を発する。
死にゆく自分にとって、祖国がどうなろうと知った事ではないのに。
どうせ誰が治めたところで変わりはしないのだ。
もう早く終わらせてしまおうと、ゴクリと喉を鳴らし震える手で毒杯に触れ、自分の口元へと引き寄せた。
「女性の高官も積極的に採用し、開かれた王国に出来るよう私も少なからず助力します。……きっと、変わりますよ」
ゆっくりと告げるその言葉に、堪えていた涙がじわりとにじむ。
人質となってなお、自分が欲しかったものをすべて持っているミランダへの妄執は、止むことなくレティーナを蝕んだ。
「私が、変えてみせます」
背筋をピンと伸ばし宣うその姿は、このような監獄にあってもなお女神のように美しい。
その姿を目に映していたいのに、潤む瞳で視界がぼやける。
ミランダのその言葉を最後に、レティーナは毒杯を勢いよく呷った。
最後まで、ひとつとして勝つことは出来なかった。
そして貴女が手ずから注いだ毒杯で、妄執に囚われた私の命は消えていく。
ああでも、消えゆく私を覚えていてくれるなら。
狂ったように囚われて、追いかけて――それはまるで、恋のようだった。
ピンと伸びた指先から力が抜け、ゆらゆらと揺れるランプの灯りが影を作り、牢内を静寂が包み込む。
ゴトリと音を立て、杯が、床に落ちた――――。
※なかなか更新できず、お待たせして申し訳ありませんでした。
第11回ネット小説大賞の最終選考は残念ながら駄目でしたが、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
これからも頑張りますので、よろしくお願いいたします!(*ᴗˬᴗ)⁾⁾







