51.最後のトリガー①
王宮に戻ってから、六日目の夜。
計画通りならば、洪水によるガルージャの被害状況について、明日には反乱軍へと報告が届くはず。
つまり、決行するなら今夜である。
幸い、ここ数日は雨も小振り……約束通り、合図の煙を上げられそうだ。
王都の薬草園から運ばれた五十にも及ぶ鉢植えは、貴賓室最奥の寝室内に移動させたため、今やちょっとした密林である。
精油が採れるほど、油分を含むこの植物。
この油分に含まれる引火性物質は常温で気化するほど揮発性が高く、葉から放出され、濃度が高まると自然発火する事もある。
数日間ソファーで寝ていたので腰が痛いが、それも、今日で終わり。
閉じられたままの寝室へと、ミランダは数日ぶりに足を運び、中の空気が出来るだけ漏れないよう僅かに扉を開けた。
貴賓室入口に立つ兵士から貰った、夜目用の小さな灯りを寝台の上に放り投げると、見る間に燃え広がっていく。
「雨が降っても燃えるよう、沢山取り寄せたけれど……」
広がる炎により、室温が一気に上昇する。
大気中に放出された引火性物質の濃度が更に高まり、大きな炎となって、ずらりと並んだ鉢植えに燃え移っていった。
「こ、こんなに燃えるとは思わなかったわ……」
燃えやすい樹皮からそれぞれに、火柱のような炎が立つ。
これはまずいと、ミランダは慌てて貴賓室の入口へと走った。
「誰か! 誰か扉をあけ、開けなさい!」
ミランダの声に大急ぎで扉を開ける兵士二人。
寝室から漏れ出た炎は、勢いよく広がり、貴賓室の応接室にまで達した。
「殿下? どうし……う、うわぁぁあああっ!?」
「ちょっと、いいから早くどきなさ、あ、熱ッ!」
背後から熱気が迫り、扉口で大騒ぎをする三人を余所に、炎は勢いを増していく。
内から迫る炎と外気の温度差に耐え切れず、寝室の窓ガラスが音を立てて割れ、灰がかった煙が雨空に負けじと、猛然と立ち上る。
ミランダが引いた最後のトリガーは、合図を確認するため城の外に控えていた騎士ヴィンセントにより、十番街の宿屋『エトロワ』まで届いた。
***
(SIDE:ヴィンセント)
王家直属の騎士であるヴィンセントとダリル、そして『エトロワ』にいたもう一人の騎士デュークと、戻ってきたミランダの護衛騎士ロン。
ロンに対しては多分に思うところがあるのだが、今は追及する時ではない。
ヴィンセントは素知らぬふりでロンを受け入れ、急遽集めた退役騎士や傭兵などを引き連れ、足早に地下通路を進んだ。
「アシム公爵は無駄な戦いをなさらないお方だ。恐らく早々に投降し、被害は最小限に抑えているだろう」
数年前、アシム公爵が総騎士長を務めていた時代に、共に最前線で戦った経験のあるデュークが口を開く。
「捕虜は、戦力と見做して良さそうだな。『指揮官の二人』が大部屋にいて、且つ『捕虜が拘束されていない』事が前提だが……」
ぽつりとヴィンセントが漏らすと、「まぁ何とかなるだろう」とダリルが笑った。
「俺とダリルが先に突入し、鍵を奪う。デュークとロンは牢の扉を開け、後ろの者達が牢内に剣を投げ入れてくれ」
デュークとロンがヴィンセントの言葉に頷き、後ろの者達は、山の様に積まれた剣へと目を向ける。
「どうだ? 破壊しないと開かなそうか?」
「しばらく使っていないからな……ロン、下に大きな鉄槌があるだろう? そう、それだ」
予想通り地下監獄への扉が閉まっていた為、ロンはヴィンセントに言われるがまま、積まれた剣の下から鉄槌を引っ張り出した。
「……俺がやろう」
四人の中で最も力の強いダリルが、鉄槌を受け取る。
そのまま入口周りに指を滑らし、打撃する場所を調べ始めた。
「どうだ? ダリル、いけるか?」
「……恐らくな。みんな、少し下がってくれ」
ダリルは肩を一回した後、大きく鉄槌を振りかぶる。
『ドガァァアンッ!!』
鼓膜が破れそうな打撃音と共に、ひしゃげた扉が上に向かって吹っ飛んだ。
鉄槌を放り投げ、剣に持ち替えたダリルが、そのまま地下監獄に突入する。
時を移さずヴィンセントが続き、後ろからデュークとロン、残りの者達が次々に飛び込んで行った。
「白髪の男だ! 腰の鍵を奪え!」
地下監獄の奥から聞こえた凄まじい打撃音に驚き、立ち尽くした見張りを斬り付けたところで、牢の中からアシム公爵の声が聞こえる。
もう一人の見張りをダリルが斬り伏すのを目の端に捉えながら、白髪の男から奪った鍵を後方へと投げると、デュークがすぐさま鍵を開け、後の者達が牢内に剣を放り込んだ。
呼笛を吹かせる時間を与えず一瞬で決着を付けたが、地下通路からの入口を破壊した音で、地上の兵士達が中に雪崩れ込んでくる。
ヴィンセントとダリルは交戦しながら突破し、地上へと上がると、騒ぎを聞きつけた反乱軍の兵士達が遠くから駆けて来るのが見えた。
「急げ、ここからは手分けして王宮を奪還する」
捕虜たちは後ろ手の縄を引き千切り、戦える者から剣を拾い上げ、地上へと駆け上がる。
「私とアシム公爵は、捕虜を半分借りて水晶宮へ行く。すまないがデュークはこちらに合流してくれ。……後の指揮はダリル、お前に一時任せられるか?」
ザハドの言葉に、ダリルがこくりと頷いたのを確認し、それぞれに走り出す。
霧雨の中。
夜の空が朱に染まるほど、火を噴き上げながら燃え盛る王宮が、嫌でも目に入って来る。
(あ~~、多分殿下の仕業だな……)
主要メンバーは呆気に取られながら、しばし視線を交差させ……だが言及すると何やら恐ろしい事になりそうで、皆一様に見えていないふりをした。
***
(SIDE:アシム公爵)
「足が治ったのですか!?」
現役騎士に遅れることなく並走するアシム公爵に、デュークが驚く。
それもその筈、総騎士長時代に右目を失い、足に怪我を負ったはずなのに、現役騎士に劣らぬ速さでひた走る。
「……故あってな」
「理由はともかく、こうやってまた共に戦えるとは、嬉しい限りです!」
息も乱さず走り、嬉しそうに告げるデュークに、アシム公爵は遠い日を思い出す。
「……そうか」
鮮明になった視界とともに、思い通りに動かなくなった筈の身体が、嘘のように軽快に動く。
襲い掛かる兵士達を難なく捌きながら水晶宮に至ると、厳命を守っているのか反乱軍の追尾が止んだ。
牢に入ったクルッセルの職人からミランダの伝言を聞き、どんな惨状かと覚悟をしていたが、優しく灯りをともすそこは別世界のように温かく、静かに佇んでいる。
鍵すらかけていない扉は、訪れる者全てを受け入れる寛容さで、軽く押すだけで中へと誘う。
「何ですか? 王宮の方が騒がしいと思ったら、随分と大所帯で」
訪問者に気付き、ミランダの専属侍女モニカが、水の入った盥を抱えながら声を掛けた。
続けてドナテラの護衛騎士、ギークリーが剣柄に手を当て警戒しながら玄関へと駆けつける。
「閣下、ご無事でしたか!」
「ギークリー、待たせたな。……中の様子はどうだ? 大変な事になっているのではと心配していたのだが」
「今のところ落ち着いています。あ、グリニージ侯爵もご無事で何よりです」
さすがに追いつけず、後から息を切らせて到着したザハドにも声を掛けると、ギークリーは水晶宮の広間へと案内した。
調度品は盗まれたのか全て無くなり閑散とする中、アシム公爵とザハドに気付き、負傷兵達が起き上がる。
「ああ、そのままでいい」
思った以上に元気そうな様子に、これはどういう状況だと首を傾げていると、奥からドナテラが顔を覗かせた。
「まぁ、お二人ともお元気そうでなによりです」
「殿下こそ、ご無事で……これはどういった状況ですか?」
「使用人達に全てを持ち出され、広くなりましたので、反乱軍から逃走する兵士や怪我人を受け入れ、治療に当たっていたのです」
ここは比較的軽傷の者が集まっています、との言葉を受け見廻すと、確かにすぐにでも戦えそうな者ばかりだ。
「反乱軍が近寄れない上、ミランダ殿下の薬草園が本館にございましたので」
真っ直ぐに視線を向けて、そう宣うドナテラに威厳すら感じ、アシム公爵は目を眇めた。
これほどに落ち着き払い、柔らかく微笑まれる方だっただろうか。
「王宮奪還のため、動ける者を借りたいのですが可能でしょうか」
アシム公爵が問うと、ドナテラは目を大きく見開き、堰を切ったように笑い出した。
「閣下ともあろう方が何を申しますか。手伝いを申し出る程元気な者も居りますので、全館から呼び寄せましょう。私の許可など要せず、お好きなだけお連れ下さい」
ドナテラがそう告げると、我こそはと動ける者から立ち上がる。
続々と集まり、広間は一転、物々しい空気に包まれた。
この短期間でこれ程の信頼関係を築かれたのかと驚き、興味深く眺めながらアシム公爵は言を放つ。
「動ける者は私に続け! このまま王宮奪還に向かう!」
先程駆けざまに切り伏せた反乱軍達を見る限り、戦い慣れていない者も数多く含まれている。
万が一に備え、非戦闘員のザハドと『エトロワ』の騎士デューク、他数名を水晶宮に残し、アシム公爵はミランダのいる王宮へと走り出した。
場面転換が多く申し訳ありません。
入れ込みたい場面が多すぎて1話6000字を軽く超えてしまったため、さすがに長すぎるのではと、2話に分割致しました。
次話は【本日の19時過ぎ】更新予定です。