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50.嘲笑うかのように


 高い水圧は川底の土を押し出し、時間をかけて静かに浸透しながら、地中に水の通り道を作っていく。


 ついに堤防と同じ高さにまで水位が上昇し、内部の圧力が高まった今、その通り道へと一気に水が流れ込んだ。


 底土を激しく巻き上げながら流れ込む水に、堤防から亀裂音が鳴り、ぶくぶくと水が漏れ出す。


 雨が止み夜の帳が下りる中、敵軍の戦意を削ぐ為、油を染み込ませた松明を明々と燃やすガルージャの兵士達。


 グランガルド国境の砦に向かい進軍していたが、轟轟と重く響く濁流音に不穏な気配を感じ、各々不安気にニルス大河川へと目を向けた。


 亀裂から泡のように漏れ出た水は次第に勢いを増し、その水圧で堤防の一部が瓦解し始め、最後には下端をえぐるように、土砂混じりの水が噴き出し始める。


 堤防を乗り越えた水は、外側の屈曲部をゴリゴリと削り取りながら、濁流となって溢れ出した。


『ドゴォォォ――ンッツ!!』


 爆発したかのような凄まじい音に続き、地鳴りを彷彿させる重低音。


 足元へと伝わる大地の震えは遠く『ジャムルの丘』まで届く。


 勢いを増した濁流は、陸側に向けて滝のように流れ込み、水が浸透し弱くなった堤防を、数百メートルにもわたり破堤させた。


 地響きと轟音が見渡す限りの空気を侵食し、濁流が木々をなぎ倒す。


 大規模な破堤による流量は、王国史上類を見ない程に膨れ上がり、その浸水域はガルージャ軍が位置する低地に向かって拡大する。


 轟轟と絶え間なく迫る濁流は、ガルージャ軍の背後を突く形で押し迫り、人の力が及ばぬ脅威は、愚かな戦いを嘲笑うかのように全てを呑み込んでいく。


 地平線と見紛う程の、灯の線は。


 瞬く間に色を失い、夜の闇に溶けて消えていった――。



 ***



(SIDE:第四騎士団長ジョセフ)



 ガルージャの大軍を背に、ジョセフは『ジャムルの丘』へと目を向ける。


 国境沿いの進軍を一転し、ニルス大河川とは反対側に位置する『ジャムルの丘』へと方向転換した時は、クラウスらしくない戦い方に驚いたが、絶望的な状況で高台に上れば何かが変わるとでも思ったのだろうか。


 あとはガルージャ軍の到着を待って緩々と進めば、第四騎士団は戦わずして勝利が手中に落ちてくる。


 ジョセフは進軍を止め、早々に野営の準備に入った。


 インヴェルノ帝国と手を組み、ガルージャと内通したヘイリー侯爵とも共謀し、四年を超える歳月をかけて準備したこの計画は、一点の曇りも無く完璧だったはずなのに。


(なんだ!? 何が起こっている!?)


 逃げ惑う時間すら無く、押し寄せる濁流に吞み込まれていくガルージャの兵士達。


 星空の下、夜目に見える()()は、まるで地獄絵図のように凄惨を極めた。


 砦の近くまで来ていた兵士達は難を逃れたが、それでも殆どが押し流された為、多く見積もって残兵は四分の一。


(どこだ……どこで計画が狂った!?)


 グランガルド本軍だけならまだしも、後ろから第三騎士団も迫ってきている。


 ガルージャと手を組んだところで、既に数の利はなく、これでは挟撃されるのは我らのほうではないか。


 この戦いが終わればインヴェルノ帝国で叙爵され、くだらない日々の雑務に追われる事も無く、莫大な富と権力を約束されていたのに。


 ――――そう、それは。


 突如紛れ込んだ、たった一つの異分子と共に、あっけなく崩れ落ちていった。


「……ッ」


 強く握りしめた手の平に、食い込む爪が皮膚を裂き、指先がジワリと赤く染まる。


「…………ミランダァァァアッ!!」


 獣のような咆哮をあげるなりジョセフが騎馬し踵を返すと、第四騎士団の精鋭騎士、百余名が後に続く。


 本隊から離脱したジョセフ達一行は、瞬く星空の下、重い足場を物ともせず王宮へと駆けて行った。


 こうなれば、クラウスはもう手が届かない。


 だが最後に()()()は。


 ……()()()()()は、俺の手で、殺してやる。



 ***



(SIDE:クラウス)



「…………」


 言葉も無いとは、この事だろうか。

 クラウスは小高い丘に佇み、眼下に広がる光景をただ茫然と眺めていた。


 地響きと共に決壊した堤防からは水が溢れ出し、ガルージャの大軍を押し流していく。


 息を吐く暇もなく、その光景は脳内へ焼き付くように流れ込み、湧き上がる未知への恐怖にゾクリと身体を震わせる。


 河川水位が落ち着くまで濁流音は続き、数時間ほど経った頃だろうか――濃褐色に濁る水面の上を、陽が赤々と昇って行く。


「……なんだ、これは」


 低地に向かって拡大した浸水域は扇状に拡がり、数キロにもわたって水没した辺り一帯を、巨大な沼地に変えていた。


「ガルージャの残兵は一万弱、と言ったところか」


 生き残ったガルージャ軍の数を目算していると、隣で同様に、愕然とした表情のワーグマン公爵が立ち尽くしている。


「陛下、これは……」

「何も言わなくていい……全てが終わったら、本人に直接聞くとしよう」


 深く溜息を吐きながら、ふと中央に位置する第四騎士団に目を向けると、昨日より数が少ないのが気になった。


「……騎兵が、減っていないか?」


 嫌な予感がしてワーグマン公爵に問いかけると、険しい顔で頷いた。


「遠目なのではっきりとは分かりませんが、昨日野営地に張られた、ジョセフの物と思わしき天幕……繋いでいた馬がいないようです」


 この状況で第四騎士団を離れ、ジョセフが向かう先は。


「……くそッ、王宮か!」


 昨夜の洪水後すぐに動いたとすれば、既に六、七時間は経っている。


 慎重な男の為、替え馬を連れているとしたら、間に合わないかもしれない。


「陛下、ここは私が。第三騎士団と合流次第、ヴァレンス公爵領に向かい後退しながら交戦します」


 そうすれば、ヴァレンス公爵が率いる軍とも、早々に合流が可能です。


 強い眼差しを向け、ワーグマン公爵がクラウスに告げる。


「あの男が単騎で向かうとは考えられないので、いつもの隊士達を連れて行ったのでしょう。ここにいる第一騎士団も精鋭揃い……お好きなだけお連れ下さい」


 クラウスは再度、ガルージャの残兵に目を向ける。


 確かヴァレンス公爵が自領までの街々に、可能な限りの替え馬を用意していると言っていたか。


 だがそれ程、数は多くないだろう。


「すまない……それでは五十騎程借りていく。必ず勝って戻って来い」

「陛下も、お気を付けて」


 クラウスは一つ頷き馬に跨ると、ワーグマン公爵はどこか嬉しそうに、柔らかく微笑んだ。







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