37.水晶宮にて②そんな日が来るといい
(SIDE:アナベル)
誰かが運んでくれたのだろうか。
アナベルは目を覚まし、簡素なベッドがいくつも並べられた見慣れない部屋を見廻した。
「夢では、無かったのね……」
先程の出来事を思い出すと、じわりと涙で目がにじむ。
虚勢を張って威張り散らした挙げ句、蓋を開けた途端にメッキが剥がれた。
惨めで滑稽な道化師そのもの。
自嘲するように忍び笑いを漏らすと、声が震える。
「誰もいなくなっちゃった……」
アナベル様アナベル様と、慕ってくれているように見えた貴族出身の侍女達も。
お前を守るために金を積み、特別にねじ込んだと父親に言われた専属の護衛騎士も。
腕によりをかけて食事を作ってくれた料理人も、庭師も、その他の使用人達も全部全部。
「誰も、いなくなっちゃったよぅ……」
寝台の上でしゃくりあげるように泣き、掴んでいた掛布団でゴシゴシと涙をこする。
『真の裏切り者はね、お前の父、ホレス・ヘイリーよ』
『大好きなお父様から伝言よ。もう貴女はいらないって』
『邪魔だから、殺すよう侯爵家の騎士に命じてたみたいだけど、あんまり哀れだから、特別に私が助けてあげたのよ?』
忘れようと何度頭を振っても、勝ち誇ったあの顔が、瞼の裏に焼き付いて離れない。
『グランガルドの兵士達には、さぞかし恨まれているでしょうね』
『もしかしたら水晶宮に復讐しに来るかもしれないわ……頑張って、逃げてくださいね?』
万が一局面がひっくり返り、グランガルドが勝利したとして、内乱罪で一族郎党処刑の上、家は取り潰しである。
一方、このままガルージャが勝利した場合も、水晶宮から出られないアナベルは、最悪残党兵に嬲り殺しだろう。
それならばいっそのこと服毒死……とも思うが、毒など持っているわけもなく、また死ぬ勇気もない。
八方塞がりで天を仰ぐと、廊下から足音が聞こえた。
もしや王宮から逃げてきたグランガルドの兵士がもう侵入したのかと、アナベルは隠れる場所を探すが、丁度品もすべて持っていかれ、隠れる場所もなさそうだ。
足音はすぐに部屋の前へと辿り着き、ガチャリと音を立てて扉が開いた。
慌てて布団の中にもぐり震えていると、何者かに無理矢理、布団を引っ張られる。
「いつまで寝てるんですかぁ~? さっさと起きてくださいよ」
この非常時にまったく、これだからお貴族様は! と、緊張感のない声で話しているのは、モニカだろうか。
「またそういうことを……口の利きかたに気を付けてください」
すかさずモニカに小言を言ったのは、シャロンのようだ。
耳馴染みのある声に安心し、アナベルは涙ぐみそうになるのを必死に堪えた。
布団を取られるまいと抗っていた力を抜いて、そろりと顔を出すと、案の定見覚えのある二人が立っている。
「……なんでいるのよ」
思わず憎まれ口を叩くと、モニカが呆れたように声を荒げた。
「はぁ? 別にアナベル様のためにいるわけじゃないですよ! ……というより、人望が無さすぎですね。みんなご主人様を置いて、蜘蛛の子を散らすように逃げていきましたよ?」
嘲笑され、カッと頭に血がのぼったアナベルが、「それなら貴女達も出て行きなさいよ!」と思わず怒鳴り散らすと、後ろからもう一人、ひょっこりと顔を覗かせた。
「アナベル様、お加減はいかがですか? お腹は空きませんか?」
心配そうに覗き込んだドナテラは、皿にぽんとひとつ乗せられた固そうなパンを、アナベルへと差し出した。
「ドナテラ殿下……! ッ、こ、こんなものいりません!」
馬鹿にされているのかと、アナベルは、差し出された皿ごとその手を払う。
皿はそのまま床に落ち、音を立てて割れた。
「あ、あんた、調子に乗るのもいい加減にしなさいよ! ミランダ殿下の命令がなければ、あんたなんかとっくに見捨てているところよ!?」
度々平民呼ばわりされ強く当たられたことのあるモニカは、アナベルを怒鳴りつけ、床に落ちたパンを拾った。
割れた皿の破片が付いていないか慎重に確認した後、埃を払い、ベッドサイドテーブルの上に直接どんと乗せる。
頭に来たのだろう。
そのまま乱暴に扉を閉め、どこかに行ってしまった。
「アナベル様。あの後、水晶宮全体で略奪が起き、今や宮内に残っているのは、ミランダ殿下の侍女三名と、王宮から戻ってきた私の護衛騎士。そして私たち……たった六名しかおりません」
何も悪くないはずのドナテラが、「ミランダ殿下に水晶宮を任されておきながら、このようなことになり、大変申し訳ありませんでした」と、謝罪の言葉を口にする。
「今後、レティーナ様の言いつけを守らない反乱軍や、不埒者が侵入する可能性もあります。怪我をして戻ってきた私の護衛騎士だけでは皆を守り切れません。……アナベル様、ここはもう王宮同様、危険な場所になってしまいました。せめてお互い無事の確認が取れるよう、私の館で皆過ごしましょう」
申し訳無さそうなドナテラに、八つ当たりしたい気持ちを押さえて、アナベルは無言で頷く。
言われた通りにするのは癪だが、一人はさすがに怖い。
乾いてしまいますからと、先程の硬そうなパンをシャロンが大事そうに布にくるんだ。
もし同室がお嫌なら隣のお部屋はいかがでしょうと提案され、アナベルは無言で右隣の部屋に移動する。
怪我をしたドナテラの護衛騎士と顔を合わせる機会はなかったが、反対側の隣室で療養中らしい。
アナベルは、ベッドだけが残された殺風景な部屋を施錠し、一人、閉じこもる。
布にくるまれ、ベッドサイドテーブルに置かれた硬いパンを床に叩きつけ布団に潜り込むと、疲れて眠くなるまで、惨めな気持ちで泣き続けた。
***
(SIDE:ルルエラ)
「なんなんですか、あいつ!」
先程までアナベルを寝かせていたベッドに腰掛け、行儀悪く憤るモニカを、ミランダの侍女長を務めていたルルエラが優しく窘めた。
「甘やかされて育てられたようだから、まだ子供なのでしょう」
貴族令嬢にありがちよね、とモニカを慰めるルルエラも、平民の母を持つ庶子ではあるが、一応伯爵令嬢である。
ミランダが水晶宮に来たあの夜。
狂王と名高いクラウス陛下に組み敷かれ、どんな手酷い事をされるのかと恐々としながら、ミランダの寝室斜め下にある使用人部屋で、侍女三人はそっと息を潜めていた。
静まり返った水晶宮内で、耳を凝らせば何とか聞き取れる程度の微かな声。
平民ではあるが、モニカは能力も高く、裕福な商人の娘。
何かあった際に、身分に関係なく動ける者がいたほうが良いだろうと、ザハドの肝入りで専属侍女として抜擢されたものの、聞いていた前評判があまりに酷く、正直断りたい気持ちでいっぱいだったと、当初愚痴っていた。
密やかに、だが澄んだ声で語るミランダのこれまでは、悪女とは程遠く、何故彼女が蔓延る悪評をそのままにしているのか、ルルエラは理解が出来なかった。
それでも初めは皆一様にミランダを警戒していたのだが、共に接し、人となりが分かってくるにつれ、貴賤問わず信頼を寄せてくれるミランダに、短い間ではあるが侍女達は次第に傾倒していく。
今回だって、モニカは商人である父親の伝手をつたって国外に逃げることも出来たのに、ミランダの言いつけを律儀に守り、大嫌いなはずのアナベルについて、残ることを決意してくれた。
ファゴル大公国へ発つ直前、「ドナテラ様は少し気持ちが弱いところがあるから、どうか支えてあげてください」と、ルルエラに頭を下げたミランダ。
モニカやシャロンにもそれぞれに、「下の者に頼ることを忌避される場面が多々見受けられるので、面倒をかけますが、積極的に声掛けをしてあげてください」と、ミランダを困らせるばかりだったアナベルについても、気遣いの言葉を残し、順に手を握り、小さな巾着袋を握らされる。
ミランダが去った後、三人でそれぞれの巾着袋を覗き込み、大層な額の宝石や指輪が入っていたのに驚き、息を呑んで顔を見合わせたのは記憶に新しい。
よく見ると、何かから剥がしたような跡もあり、おそらく自国から持ち込んだ装飾品を壊し、自ら宝石を剥がし、ひとつひとつ、大事に袋へ詰めていったのだろう。
――あの後、ミランダのいた本館に、他の館で働く使用人が金目の物を探すため、ひっきりなしに訪れては部屋を荒らしたが、探せど探せど何も出てこず、揃って舌打ちをしては帰って行く。
さすがに同じ水晶宮で働く侍女に手を出すのは気が引けたのだろうか。
略奪はするものの、暴行をはたらく不埒者がいなかったのは、唯一の救いだった。
「ミランダ殿下は、ご無事でしょうか……?」
皆ミランダを思い出したのだろうか。
ポツリとドナテラが呟くと、それまで文句を口にしていたモニカが、ミランダを案じるように窓の外へと目を向ける。
――自国に戻る前、持っていた彼女の荷物は片手に収まるほどに僅かなものだった。
ルルエラ達に別れを告げる少し前、本館で働く使用人達にも会っていたようだから、きっと全てを配ってしまったのだろう。
その証拠に、本館で働いていた者達の中で、略奪に参加した者は誰一人としていなかった。
別れる直前ミランダが、「不測の事態で身の危険を感じた時は、逃げることを躊躇わないでください」と、三人に言い残したのを思い出す。
私もそうなった時は、先頭に立って逃げるからよろしくね! と、微笑みながら告げる彼女の姿にシャロンとモニカは涙ぐみ、その姿が見えなくなるや否や、その場に伏して泣き出してしまった。
水晶宮を去り際、使用人達は皆、残る決意をした侍女三人へと、ミランダを案じる言葉を残していく。
「ミランダ殿下なら、きっと大丈夫です」
ルルエラはポツリと呟いた。
『大丈夫。絶対に、できます』
燃えるような瞳で、ドナテラに力強く声を掛けていた姿を思い出す。
ああ、彼女は、あの小さな身体で、どれだけの想いを背負って生きてきたのだろう。
国の存亡すら危うくなった今、この国で果たすべき役目など、なにひとつ無いはずなのに。
逃げる事を許されないその立場はきっと、昼夜を分かたず何時だって、彼女を押しつぶそうと責め立ててきたに違いない。
「……絶対に、大丈夫です」
大丈夫、大丈夫と、繰り返すその言葉は、本当は誰のためのものだったのか――。
その場にいた四人は一様に黙りこくり、モニカのほうから、ぐすっと鼻をすする音が聞こえた。
指揮官を失い、局面が変わる可能性は無いと告げたレティーナの言う通り、絶望的な状況なのに。
自国に送還されたはずのミランダが、この状況で出来ることなど、ただの一つもありはしないのに。
だが、どうしたって期待をしてしまうのだ。
真綿にくるまれるように、大切に護られるべき立場の彼女が、いつだって率先して闘おうとする姿に触発され、ついにはこの危険な水晶宮に残る決意をしてしまった。
彼女がいつか戻ってきたとき、今この選択を微笑み、きっと良く頑張ったと褒めてくれる。
――そんな日が、来るといい。







