34.私が選んだ騎士だもの
薄紅の花が浮かびあがり、幻想的な光の粒に包まれる。
「まさか……女神の、加護?」
仄かな光が蛍のように、ふわりふわりと宙を舞い、淡雪の如く触れては消え……その心地よさに微睡むような静寂の中、血塗れの身体が、くたりとロンに寄りかかる。
血の気を失った白い額に、汗が玉のように浮かび、しっとりとロンの頬を湿らせた。
ミランダは、目を固く瞑ったまま眉間に皺を寄せる。
光の粒がより輝きを増し、先程まで温度を失いつつあった身体が、少しずつ温もりを取り戻していく。
その見覚えのある表情に、自分が目覚めた日を思い出し、ロンはまたしても深く沈んだ嗚咽の声を漏らした。
「んぅ……」
上手く呼吸ができないのか、ミランダが苦し気に顔を背ける。
ロンは慌ててその身体を斜めに傾け、喉が詰まってはいけないと、血がこびりついた口の中に指を突っ込み、口内に残った血を掻き出した。
開き切らない口の端から泡の混じった血を吐き出すと、ミランダは勢いよく咳込み、ゆっくりと瞼を開く。
鼻の先が触れそうな距離で、心配そうに覗き込むロンに気付き、弱々しく睨みつけた。
「……殿下、だったのですね」
少し考えれば分かることだったのに。
それは最早、神の領域。
どんな怪我や病も、立ち所に治る秘薬など、人の手で作れるはずがないのだ。
ロンは再度、腕の中の少女へと視線を落とす。
すべてを知れば、欲に目がくらんだ愚かな権力者達が、濁った眼で奪い合うであろうファゴルの至宝。
光の粒がすべて消えると、ふぅと短く息をつき、ロンの腕を借りながら、ゆっくりと身体を起こした。
「騎士達が命懸けで忠誠を誓うように、私も、守りたいもののために命を懸けるの」
弱々しく微笑み、だが力強い口調で、ミランダは告げる。
「ひとつとして、疎かにする気はない。……お前も、そのうちのひとつよ」
だって、私が選んだ騎士だもの。
そう呟くと、ミランダを抱き締めるロンの膝から降り、そのまま地ベタへゴロリと横になる。
「疲れたからしばらく眠るわ。……私はお前に覚悟を示した。この先どうすべきかは、お前が自分で考え、自分で選びなさい」
言いたい事だけ言うとミランダは目を閉じ、すぅすぅと寝息を立て始めた。
ロンは、このままミランダを地に寝かせて良いものか逡巡し、だが連れて行くわけにもいかず、抱き上げ、地下通路の隅へと寄せる。
少しでも冷えないよう自分の上着を被せると、血に塗れた剣を引きずるように、案内役が向かった出口へと急いだ。
先程、ミランダには二十分と述べたが、男の足だと十五分程度。
案内役が戻ってきたら、鉢合わせするかもしれないと危惧しながら、慎重に歩みを進めていく。
地上に出ると、運び役の男が二人、先程の案内役と何やら談笑をしていた。
ジャリ、と石を踏む音に気付き、剣を抜いて振り返った彼らは、血塗れのロンに目を留め警戒を強める。
すかさず、殿下の護衛騎士ですと口を挟んだ案内役の言葉に、安堵の息を漏らした運び役の男達は、下卑た薄笑いを浮かべた。
「なんだ、一足先に殺っちまったのか」
男達の問いかけに、ロンは小さく、「ああ、間違いなく殺した」とだけ答えた。
「へぇ……そうか」
そう言うなり談笑していた片方の男が、突然剣の向きを変え、案内役の胸を一突きにする。
驚いて目を瞠りながら、赤い花を胸に咲かせた案内役の身体を足で蹴倒し、その身体から雑に剣を引き抜いた。
「ぎゃあぁぁぁああああッツ!!」
その場に転がり、もがき苦しむ案内役に向かい、もう一人の男が止めを刺す。
「ご苦労だったな。……お前の仕事もここで終わりだ」
破落戸ではなく、騎士崩れの傭兵なのかもしれない。
案内役に止めを刺すなり、基本に忠実な構えで以て、ロンの肩目掛けて剣を振り下ろした。
キィン、と硬質な金属がぶつかり合う音がする。
「どんな指示を受けているかは知らないが、たった二人じゃ力不足だな」
一人の剣先が軽く二の腕をかする。
薄皮が破れ、垂れてきた血をロンはベロリと舐めた。
先程案内役に止めを刺した男の剣を軽く受け流し、弾くなり横一線、喉を掻き切ると、鮮紅色の血が拍動に合わせて吹き出し、声にならない叫び声を上げる。
剣を落とし腕を宙に彷徨わせる男の背中を、もう一人の男に向かって勢いよく蹴り飛ばした。
剣を振り下ろそうと構えていた男は、突然突っ込んできた仲間に体勢を崩す。
ロンは無防備になったその腹に、ズブズブと剣を突き刺した。
そのまま一気に引き抜くと、男は苦し気に唸りながら最期の力を振り絞り、勝ち誇ったように叫んだ。
「王宮の伝令は、すべて始末した……どうせお前達はもうお終いだ! 雪崩れ込んだガルージャは、虐殺の限りを尽くすぞ!」
クラウスの元へ、王宮からの伝令は届いていない。
第四騎士団との交戦中に、何も知らないままガルージャから背後を急襲され、愚かな王は死んでいく。
……さぁ、地獄の始まりだ。
呪いのように言葉を吐く、男の腹を再度裂き、事切れたのを確認すると、ロンはジョセフから預かった短剣を男の胸に突き刺した。
短剣には帝国軍の国章。
「……ジョセフ騎士団長、さよならです」
小さく独り言ち、別れを告げるように一礼すると、そのまますぐに踵を返し、ミランダの元へと急いで引き返した。
***
死んだように眠るミランダの鼻先へと手を当て、ロンはほっと安堵の息をつく。
傷口が塞がっていることを布越しに確認し、背中に手を回すと、小さな身体をそっと抱き上げた。
浮遊感に目覚め、ミランダはむにゃむにゃと寝ぼけ眼をこする。
「殿下、先程三つに分岐していた道まで一旦戻ります。できれば当初の予定通り、『エトロワ』へ向かい馬を調達したいのですが、道順は分かりますか?」
先程、王都を歩いた事もないくせに、案内役が向かった地点を正確に当ててみせた。
張り巡らされた地下通路と、地上のマッピングが頭の中に出来ているのだろうと、ミランダに方向を尋ねると、「なんで私が」とボヤキながらも、真ん中の道を行けばよいと教えてくれた。
「少しだけ」
「……はい?」
「本当は、少しだけ、そのまま逃げてしまうんじゃないかと思っていたわ」
女神の加護を以てしても、あの傷を癒すのは並大抵のことではないのだろう。
ウトウトと、眠りの狭間から、ミランダは言葉を紡ぐ。
「だってほら、お前はいつもやらかすでしょう? 今日だって、私を裏切る気満々だったし」
腕の中で揺られながら、すねたように口先を尖らせる姿は、魔女どころか幼い子供のように見える。
ああ、そういえばまだ十代の少女だったなと思い出し、ロンは自身の愚かさに溜息をついた。
……与えられたものに、不満を重ねるだけの愚かな人生。
自分で努力し手に入れたものにさえ満足せず、癇癪を起す赤子のように周囲へ当たり散らし、何一つ感謝をしてこなかった薄っぺらい人生。
『騎士達が命懸けで忠誠を誓うように、私も、守りたいもののために命を懸けるの』
ミランダの言葉を、頭の中で何度も何度も反芻する。
『ひとつとして、疎かにする気はない。……お前も、そのうちのひとつよ』
少し心が弱っているのだろうか。
普段涙などでないのに。
弱くなった涙腺でにじむ道を慎重に進みながら、ロンはミランダを抱く腕に力を籠め、頬で固定するフリをしながら、そっと頭に口付ける。
「もう、二度と、裏切りません」
決意の籠った言葉に、ミランダが肩を震わせ、小さく笑う気配がした。
――そう。
もう、二度と、裏切らない。
『だって、私が選んだ騎士だもの』







