33.殺そうと、思っていたはずなのに
第四騎士団が発つ日、週次で行われる経過観察のため、ロンは王宮内の医務室を訪れていた。
「では両手を握り、開く。それを五回繰り返してください」
袈裟斬りにされた傷は、薄っすらと跡を残すだけになり、まともに歩くことすら儘ならないと診断された身体も、以前と遜色なく、動かすことが出来る。
ふむ、と呟いてロンの身体に隈なく触れると、王宮医モーガスは堪らずといった様子で、息を吐いた。
「予後は極めて良好。……ファゴルの秘薬とはこれ程か」
麻紐に結わえ付け、大事そうに首から下げた黒い小瓶を一撫でする。
「この秘薬を解明し、再現できれば、大陸の勢力図が入れ替わるぞ」
興奮に目をギラつかせ、嬉し気に呟くモーガスがなおも診察を続けていると、医務室の扉がノックされ、返事を待たずにジョセフが入ってきた。
「失礼する。……ロン、経過はどうだ?」
怪我を心配したのか、開口一番、予後についてロンに尋ねる。
帝国軍の第一陣を食い止めるため、王都を発つ前に、様子を見に来てくれたのだろうか。
「お陰様で良好です。以前と変わらず身体が動くばかりか、昔戦場で受けた古傷まで治りました」
「……なるほど。確かに、本物のようだ」
嬉しそうに腕を回すロンにチラリと目を遣ると、ジョセフは大きな身体を屈ませ、座するモーガスを労いながら、彼の背中に手を触れた。
次の瞬間、モーガスだろうか、腹の底から搾り出すような低い声が漏れ聞こえる。
ジョセフの大きな身体を間に挟み、ロンからは何が起きているのか分からなかった。
水の中で呼吸をするような、低く泡だった声が途切れた後、モーガスの身体が椅子から崩れ落ち、重力に従い地に吸い寄せられていく。
「……え?」
ジョセフが立ち上がり、机上の白色布でゆっくりと手を拭う。
つい先程まで嬉し気に話していたはずのモーガスは、胸を赤く染め、人形のように目を見開いたまま、ジョセフの足元にゴトリと音を立てて横たわった。
「…………え?」
ロンを見下ろしながら、ジョセフは続けて血の付いた剣身を拭う。
そのままモーガスの首元へ手を伸ばし、ぶら下がっていた麻紐を切ると、黒い小瓶を丁寧に胸ポケットへとしまった。
第四騎士団の懲罰房から医務室へと移動し、ロンが死の淵から生還した、あの日と同じく、獰猛な光を宿す冷たい眼差し。
「上手く取り入ったようだな」
そう言うと、ジョセフは短剣を鞘にしまい、ロンに差し出した。
「次は、ガルージャが動くぞ」
そう、あの日と同じ。
表情を落とし、一切の温度が感じられない口調で言い捨てる。
「グランガルドに、もはや打つ手はない。沈みゆく国と運命を共にするなど、馬鹿げているとは思わないか?」
ぎょろりと動いた目が、ロンを射抜く。
青褪めながら小さく頷くと、そろそろと手を伸ばし、ロンは短剣を受け取った。
「ガルージャが動けば最後、クラウスに逃げ場はない。……律義者のザハドは慌てて、ミランダを逃がそうとするだろうな」
大国の宰相ともあろう者が、些事に振り回され愚かな事だと、顔を歪める。
「すべてが落ち着いたら、帝国で、騎士として働けるよう取り計らってやる」
貴族と平民の両方が入り混じる第四騎士団。
はみ出し者ばかりを集めたこの騎士団は、ジョセフに拾って貰った者が大半で、彼のすべてを是とする信奉者も数多い。
「地下通路の案内役を抱き込んである。馬と一緒に男を二名、出口で待機させておこう。ミランダを引き渡したら、お前はそのまま、金を受け取り逃げろ」
何が起きているのか頭が付いていかないまま、ロンはひたすらコクリ、コクリと頷いた。
「……とはいえ、あれは野放しにすると厄介なことにもなりそうだ。高貴な血を持つ上に、あの美貌。いくら積んでも欲しがる金持ちは山程いるが、――――騒ぐようであれば殺せ。お前の判断でいい」
短剣を胸に抱き、虚ろな目で頷くロンの耳元で、ジョセフは同じセリフを、再度囁く。
為政者に騙されるな。
彼らはいつだって、自分達に都合がよいよう真実を捻じ曲げる。
――――すべてを疑え、と。
ジョセフが立ち去った後、思考を放棄したまま手渡された短剣を抱え、逃げるように医務室を後にした。
程なくして、第四騎士団離反の知らせが王宮中を駆け巡り、ついにガルージャまでもが動く。
そして今、薄暗い地下通路の中で、ミランダとロンは相対していた。
「お前達は、何をするつもりなの?」
震える手で、剣を抜いたロンに、ミランダは問いかける。
「……お前は、どうしたいの?」
ミランダはまた一歩、ロンに向かって足を踏み出した。
「あああああッ、……ッツ!!」
思わず伸ばした剣先が、ミランダの柔らかな白い胸に、音も立てずにめり込んでいく。
「おまえ、は……ッ、ど、どこま、で、愚か……な、の…………ッ」
力なく剣を落としそうになったロンの手を、ミランダは震える両手で、剣の柄ごと包み込むように握った。
「……ッ、やるな、ら、最後ま……で、やり遂げ、なさ、い…………」
剣を手放すことを許されないロンへと、さらに一歩踏み出すと、ずぷりと微かな音を立て、剣身の最奥がミランダの小さな身体にのみ込まれる。
剣柄を覆うように添えていた手を、震えるロンの背中に回し、そのままギュッと抱きしめた。
ロンは解放された手を剣柄から離し、自分を抱きしめるミランダの身体に目を遣る。
貫通した剣先まで血が伝い、足元に血溜りを作るのが見えた。
「あ……、あぁぁッ…………ッツ!」
ガクガクと震えながら後退ると、その重さで剣がずるりと身体から抜け、カランと音を立てて地に落ちる。
ヒュ、ヒュ、とミランダの口端から空気が漏れた。
肺を貫通し、漏れ出る血が、気管にまで達したのだろうか。
異物を吐き出すように咳込むと、ミランダの口から鮮やかな血が、ゴボリと噴き出た。
先程まで、ロンの背中に回されていたはずのその両腕が、力なくダラリと垂れ、ミランダの身体がその場に崩れ落ちる。
「……ッ、あぁぁあああああッ…………ッ!」
顔を涙でグシャグシャにしながら、小さな肩を抱きとめ、吹き出る血を抑えるように傷口へと手を遣った。
殺そうと、思っていたはずなのに。
奴隷のように売ってしまえばいいと、思っていたはずなのに。
【陳情により、赦免され、お前は処刑を免れた】
――今になって、ジョセフの言葉が頭に浮かぶ。
第四騎士団の懲罰房で、そのまま死んでもおかしくはなかった。
死にゆくものへ、手を差し伸べたのは誰だったか。
騎士として仕えることを赦し、受け入れてくれたのは。
【いつ如何なる時も、王国のため戦う準備はできております】
彼らはいつだって、自分達に都合がよいよう真実を捻じ曲げると吐き捨てた男は、軍事会議で、自信満々に嘯いてはいなかったか。
【敗れるのであっても一矢報いたく】
すべてを疑えと言い放った男は、誰よりも虚偽を述べ、欺き、裏切ったのではなかったか。
頭を垂れたまま動かなくなったミランダの血を全身で受け止めるように、ロンは嗚咽しながらその身体を抱きしめた。
髪がパサリと横に流れ、露わになったうなじから、淡く柔らかい光が漏れ、地下通路を薄明るく照らし始める。
ぼんやりとミランダのうなじに、薄紅の花が浮かびあがり、幻想的な光の粒がふわりと二人を包み込む。
血塗れのミランダを抱きしめたまま、ロンは息をするのも忘れ、その光景に目を奪われていた。
差し込みたい場面があまりに多く、軽く六千字を超えてしまったため、二話に分割をしました。
地下通路編は次話で決着、まだ書き切れていないため、明日の朝に投稿予定です。







