93. 『皇帝陛下』へのお目通り
「謁見式にわざと遅れてくるなど、前代未聞だ」
「そうですか? 良い見世物だったと思いますけれど」
しれっと言い返すミランダに、皇太子は苦々しい顔を隠そうともしない。
押し切る形で謁見式に単独入場したものの、思っていた以上に爪痕を残してしまったらしい。
ファゴル大公国の後ろ盾があれば、現皇太子の座は揺るがない。
コトを有利に推し進めてきた第三皇子は、形勢が逆転し、皇帝になることが難しくなってしまうのだ。
……ならばミランダに毒を盛り、命を奪い、すべてをなかったことにしてしまえばいいのでは?
第三皇子の目論見は外れ、死んだはずのミランダは、謁見式に現れた。
先日会ったミランダとはまるで別人……本物が死んだことに慌て、急きょ代役を立てたに違いない。
その場で証明できれば良かったのだが、偽物の顔を知っているのは、入城の際に対応した侍従と、第三皇子だけ。
ミランダを別人とするためには、偽物の状況について説明が必要になる。
「あの日は、夜目に顔を見分けられるほどの月明かりもなく、ましてや『偽物』が毒を盛られたことなど、当事者以外は知る由もありません」
それも、皇太子の側仕え用にあてがわれた屋敷内での出来事である。
なお偽物は現在、ドナテラの看病を受けており、回復次第、事情聴取をする予定だった。
「言及しようにもできないのです」
結局問い質すことはできず、謁見式は滞りなく終了した。
本来であれば、そこで解放されるはずだったのだが、皇后の指示により皇太子とミランダはその場に留め置かれ、気付けば半刻以上も城内で拘束されてしまう。
待機用の部屋に通され、退屈そうに欠伸をするミランダ。
それではと部屋の奥から皇太子が持ち出してきたのは、分厚い帝国法の法典だった。
「男性の不貞は軽い罰金刑なのに、女性は石打ちで死刑だなんて」
「鞭打ちで済む場合もあるが、そう決められているのだから仕方がない。例え皇女であっても女である以上、扱いはさほど変わらない」
「こんな法律がまかり通るとは……」
ミランダが帝国法を目にするのは、これが初めて。
よほど納得がいかないのだろう。周囲をはばかることなく、全身に不満を滲ませる。
「女性の地位が低いことは存じていましたが、まさかこれほど酷いとは」
並べられた条文は、男性の優位性を示すものが大半を占め、女性は原則、男性に従うことが義務付けられている。
男女間における懲罰の不平等まであり、先進国の法律だとは、とてもじゃないが思えない。
暇つぶしに読んではみたものの、にわかには信じがたい内容に、ミランダはパタンと腹立ち混じりに法典を閉じた。
「これまで、どなたも異を唱えなかったのですか?」
「為政者は男だからな。女達もそれが当たり前の環境で育ってきた」
「ですが夫の許可なく外出すらできないなど、もはや奴隷ではないですか……!」
男女平等を謳い、女性の大公位継承権が認められているファゴル大公国。
帝国が歩んできた歴史に軽々しく口を挟める立場ではないが、ミランダにとっては到底受け入れられるものではなかった。
「だが、皇后だけは別格だ」
――帝国内で唯一、富と権力を手にすることが許された女性。
それは文化の異なる他国から高貴な姫君を迎え入れ、『皇太子妃選定式』を経て皇后とすることを前提とした、ある種の外交的な緩和策にほかならない。
「今朝方、お前から預かった手紙は、ジャノバを通じてファゴル大公国へと送った。まだ時間は十分にある。もしこの国が気に入れば、このまま残ればいい」
皇后は別格だから残れと言われても、この国の制度そのものが受け入れがたく、まったく心惹かれない。
なおミランダが預けた手紙は勿論、皇太子により検閲済み。
元気にやっている旨の報告とアリーシェへの伝言なので、見られても特段困らないのだが……。
そうこうしているうちに、扉が控えめにノックされた。
病が重く、謁見式にすら出席できないと聞いていたのに――。
皇后陛下の立会いのもと、という制約付きで、特別に『皇帝陛下』へのお目通りが叶ったらしい。
長らく公式の場に姿を現さなかった皇帝の寝所は、帝国の威信を象徴するような、広く荘厳な空間だった。
高い天井からは天蓋が垂れ下がり、ミランダ達が身動くたびに、軽やかに揺れる。
「この後すぐ、皇后陛下がいらっしゃいます」
すれ違いざま、大仰に礼をした侍医が、声を潜めて皇太子へと告げた。
部屋には皇帝と皇太子、そしてミランダの三人だけが残される。
皇帝の病状によっては、人目を忍んで治すこともできるのではないかと、ミランダは考えていたのだが――。
「父上」
遠慮がちに寝台へと歩み寄り、皇太子がそっと呼びかけた。
返事はなく、皇帝の枕元……寝台の脇にある陶器の水差しから、微かな薬湯の匂いが漂ってくる。
「父上……?」
後ろに控えたミランダが訝しげに見遣る中、皇太子が歩み寄り、低い声で皇帝を呼ぶ。
白絹の滑らかな寝具に身を包み、布団に横たわるその身体は、――ぴくりとも動かない。
皇太子は一瞬ミランダを振り返るがすぐに気を取り直し、皇帝の手首に触れた。
その身体はすでに冷たく、脈を採る皇太子の顔が次第に青褪めていく。
掛け布の違和感に気付き、そっとめくり胸元に目を落とすと、そこには深紅の花が咲き広がっていた。
「ッ!?」
皇太子が息を呑んだ次の瞬間、部屋の扉が勢いよく開け放たれ、皇后が姿を現す。
「お前達……何をしているのかしら?」
ぞわり、と空気が凍りつく。
枕元に皇太子が立っており、皇帝の胸元に滲む赤黒い染みを見れば、その場の状況は瞭然である。
「陛下に何を……!?」
「違います!」
一歩踏み出すなり、皇帝の息が既にないことに気が付いたのだろう。
空気を裂くような叫び声をあげ、皇后は一歩後退った。
「部屋に来た時は、既にこの状態だったんだ!」
嵌められたと知り皇太子が即座に声を上げるが、皇后の悲鳴を聞きつけ、バラバラと衛兵達が駆け付ける。
だめだ、これは言い逃れができない。
迷う時間はなく、ミランダは咄嗟に陶器の水差しを掴むと、皇后の足元めがけて力任せに叩きつけた。
「何を呆けているのです! 緊急時の脱出口は!?」
怒鳴るように叫んだミランダは、反射的に皇太子の腕を掴む。
「早く!!」
王や皇帝の寝室には、いざという時のための脱出口が必ずあるはず。
部屋を見回すと、奥にある壁の装飾が不自然にずれている。
あれだ、と瞬時に悟ったミランダは皇太子の腕を引き、一直線に駆けだした。







