9.ミランダの自白①得たものと失ったもの
「……私が五歳の時、大公妃であるお母様が病に倒れ、そのまま身罷ったのです」
思い出すように、ぽつりぽつりとミランダが話し出す。
「胸が張り裂けそうなほど悲しくて悲しくて……でも私はお姉様がいてくれたから、寂しくはなかったのです。とても、仲の良い姉妹でした」
二歳年上の姉であるアリーシェが八歳になり、家庭教師がついてからも、ミランダは大好きなアリーシェの部屋に入り浸っていた。
アリーシェが歴史を学ぶ隣で、絵本を読みながら。
外国語を学ぶ横で、文字を練習しながら。
ミランダが八歳になり、アリーシェ同様に家庭教師がついたある日。
アリーシェが学んできたものがすべてミランダの頭に入っていると気付いた家庭教師は、ファゴル大公の執務室へと駆け込んだ。
「彼はお父様に何度も何度も言いました。ミランダ殿下は天才です、と」
興奮し、大きな声でミランダを称賛し続けた彼は、声を聞きつけたもう一人の生徒アリーシェが廊下にいることに気が付かなかった。
「この国を背負う逸材です、これで大公国も安泰です、と。お父様に繰り返し伝えたのです」
そしてアリーシェは、棒立ちで自分を見つめるミランダに気付いたのだろう。
青白く強張った顔で微笑むと、無言でその場を立ち去ったのだ。
「我が国は女性の継承権が認められており、お姉様の継承順位は第一位。ゆくゆくはお父様に代わって自分が大公国を継ぐのだと、誰よりも努力をされていました」
ミランダの心配をよそに、アリーシェは翌日からも変わらず今まで通り優しく接してくれた。
ただ、何かに追い立てられるように学び始めたこと以外は。
「その一件以降、お父様や使用人達の私を見る目が変わりました。誰からも愛される無垢な少女から、大公国を背負って立つ、後継者候補へと」
そしてミランダが十五歳になったある日、事件は起こる。
「ファゴル大公家の直系は、稀に女神の加護を受けます。それは十五歳の誕生日を機に現れ、どのような加護かは発動するまで誰にも分かりません」
ミランダの眉がへにゃりと下がり、つないだ手に力がこもる。
「加護が、現れたのです――」
そう言うとミランダは、謁見の間で斬られた喉元に残る浅い傷跡に指先で触れた。
何もなかったかのように傷跡が消える。
クラウスが驚きのあまり目を瞠り、どこか遠くで何かが軽くぶつかるような物音がした。
「お姉様と庭園を歩いていたら、翼を折って飛べない小鳥が落ちていたのです。私は両手でそっと持ち上げ、侍従に渡し治療をしてもらおうと……」
侍従の前でミランダが手を開き、アリーシェと二人で手の中を覗き込んだ次の瞬間。
折れた翼は元に戻り、小鳥は大空へと羽ばたいていった。
その時のアリーシェを、ミランダは一生忘れない。
やり場のない怒りと嫉妬、――深い海底に取り残されたような絶望、燃え滾る憎悪。
あらゆる負の感情が、ごちゃ混ぜになったような表情だった。
アリーシェは虚ろな目をミランダに向けるなり気を失い、その場に倒れたのである。
「その頃からお姉様は人が変わったように部屋に閉じこもり、私を避けるようになりました。加護持ちは継承権最上位。……お姉様は大公家を継ぐことが出来なくなったのです」
大陸にまだ精霊が溢れていた恵みの時代。
隣国アルディリアの初代女王、マルグリットの系譜にのみ現れる『女神の加護』。
元を辿ればアルディリア王族の流れを汲むファゴル大公家もまた、例にもれず数代に一人『加護持ち』が誕生する。
加護の内容は各々異なり、同じ時代に二つとして同じものはないがそれ故貴重であり、加護持ちをめぐり戦争になることもあった。
かくいうクラウスも加護持ちなど、噂に聞くだけでお目にかかるのは初めてである。
「……加護印はあるのか?」
クラウスが問うと、ミランダは髪を持ち上げる。
少し身体をひねって、白く細いうなじを露わにした。
クラウスは立ち上がり、ミランダへと歩み寄る。
淡い薄紅の花を象るような加護印が、彼女のうなじに浮かびあがる。
思わずミランダのうなじに指を這わせると、ミランダの身体がピクリと反応した。
「緘口令が敷かれ、加護持ちであることは秘匿されました。何も知らない侍女や使用人達は、泣き暮らす姉を見て思ったのです」
アリーシェが最後に会ったのはミランダだった。
ミランダが、彼女に何かをしたのだと。
「より弱いものを人は守ります。より憐れなものに、人は心を傾け、寄り添うのです。あの時の姉にはきっと、それが必要でした。そして――」
ミランダは何かを堪えるように、ぐっと唇を噛んだ。
「そしてそれは、私には必要のないものでした」
美しい唇から血がにじむ。
クラウスはミランダの隣に腰掛けると、血がにじむ唇をそっと指の腹で撫でた。
誰も、悪くない。
だが一度ねじれてしまった感情は、元には戻らないのだ。
「そんな時、アルディリア国王から婚姻の打診が来たのです」
薬のせいだろうか。
他人の前なのに感情の制御が効かず、ミランダの瞳が潤む。
「同盟を結ぶための政略結婚だから、相手は姉妹どちらでも良い、と」
思い出すだけで涙が膨れ上がり、最早どうしたらよいかミランダには分からなかった。
「お姉様は、大公国に自分はもう必要ないから自ら参ります、と」
目を瞬かせると、ボロリと大粒の涙が零れ落ちる。
クラウスはミランダの頬を包むようにして手をあてがうと、瞼にそっと口付けた。
驚き目を丸くしながら顔を赤らめたミランダを見て、クラウスは喉の奥で笑う。
「そういう顔をしている時は、年相応だな」
そのままミランダをひょいと持ち上げ、自分の膝の上に乗せる。
片手をミランダの腰に回し、腕の中にすっぽりと閉じ込めると、ミランダの顔を覗き込んだ。







