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翻弄 【奔走】 2

暗くなり始めた部屋に、母が帰ってくる。

「あらどうしたの、そんなに盛り上がって」

母が電気くらい付けなさい、と呟きながら蛍光灯に手を伸ばした。

途端、部屋中は明るく照らされ、僕の目はその衝撃で得体の知れないものを視野に浮かべる。

僕と連の会話は一時中断を余儀なくされ、当たり障りのない会話だけがその場に残っていた。

連は僕の行動だけでなく、心理まで読み取っていたのだろうか。

そう思わせるほど、彼に話すことで不安は拭えた。

いや、拭え切れてはいないかもしれない。

しかし、いつの間にか暢志が死んだ話から彼の思い出話へと話題が移っていたのだ。

そう、『思い出』話へと。僕が最も嫌だった『思い出』話。

連はそれを楽しいものに変える話術を持っていた。

彼自身が自覚をしていなくても、それは確かに彼の能力だった。

場を和ませながら僕の望む所を叶えてくれる。

僕は誰かと、暢志の話をしたかったのだ。

暢志を忘れたくないと思う一方で、彼を過去のものにしたくないという願望があった。

忘れないためには思い出すことをためらってはいけない。

しかし、過去のものにしてしまう訳にもいかない。

それを把握してかしないでか、連は僕にその話をさせることが出来た。


「母さんには・・・」

僕が連に小声で話しかける。

すると、彼は少しだけ茶目っぽい表情をして、分かってる、と答えるとすぐに母親の元へ駆け寄った。

買い物袋から食材やら生活用品を取り出す母の横に立って、その袋から何が出てくるのかを確かめているようだ。

そこにはまだ純粋無垢な弟の姿があり、なぜか心の底から安心する。

連が、弟として僕を理解しているのは確かなのだろう。

そして、他人を思いやり、和ませる能力を持っているのも紛れのない事実なのだ。

しかし連はそれに気付いていない。故意にしていることではないのだ。

その事実が僕を安堵させてくれる。

連はまだ、可能性に満ちている。



僕は仲の良い二人を尻目に自室に戻った。

僕の家は幸運にも一軒家で、自室はその二階にある。

夏は日差しが当たって暑く、冬は暖かさのかけらもない。

地冷えしないからいいものの、大抵の人間は一階にいるので温もりがなくなってしまうのが難点だ。

扉を開けると、自分だけの空間が広がる。

整っているとは言えない、もはや散らかっている部屋だが自分にとっては一番居心地の良い場所だった。

電気をつけるとベッドに寝転がり、天井にあるしみを見つめる。


僕は小学一年生の頃からこの家に住んでいる。

それは同時に、僕が小学一年生のときにこの家が建設されたとも言える。

当時からこの部屋を僕の部屋として与えられていた。

あの頃はよく連とゲームやら何やらをして遊んでいた。暇さえあれば、一緒になって遊んでいた。

あのしみは確か、ボールをぶつけてできたものだった。

粘着性のあるゴムボールで、壁などに投げつけるとゆっくりと落ちてくる、という遊び道具だった。

それを、連が天井に向って投げつけたのだ。

しかしボールはなかなか落ちてこず、ちょうどベッドの上だったために僕はどうして寝たらいいのだろうと危惧していたのを覚えている。

そう思ったのも束の間、ボールは鈍い音を立てて連の前に落下した。

一部を天井に忘れたボールが。

それ以来、僕は寝るたびにそれを見つめることになってしまった。

今はもう薄くなってしまったしみだが、思い出だけは色艶やかに蘇る。






「兄ちゃん」

いつの間にか眠ってしまっていたらしくドアの向こうから連が僕に呼びかけているのがまぶたの隙間から垣間見えた。

目を擦りながら上半身を置き上げると連は静かに部屋に入ってくる。

「寝てた?」

「うん・・・最近はよく寝ちゃうんだ」

「さっきの話なんだけど・・・その、暢志さんの」

連は僕と目を合わせようともせずにベッドの空いている空間に腰を下ろした。

きしむはずのベッドが、あまりきしまずに連の体の軽さを物語っている。

同じ年の子と比べればその差は一目瞭然に違いない。

「あんまり内にこもりすぎるのも、良くないと思うんだ」

寝ぼけ眼で連を見つめていると、ようやく視界が晴れてきた。

意識もしっかりと現実を認識し始め、連が何を言わんとしているのかが推測できた。

「少しくらい、思い出してあげても良いんじゃないかな。

 俺だったら・・・もし死んでも思い出していて欲しいと思うから」

なぜかその言葉が胸の奥を鋭く衝き抜いた。

衝撃なのか眠気なのか、得体の知れない物体が僕の頭を支配して口を開かせなかった。

何も、言えない。

何も声をかけることが出来ない。


『俺 ガ 死ンダラ ・・・』


リアルに浮かんでしまったその情景が僕を責め立てる。

僕は何と言うことを考えてしまったのだろう。

「兄ちゃん?」

「あ、ごめん、まだ寝ぼけてるんだ・・・。

 そうだな、でも連の言うとおりだと思うよ。しっかりしないとな」

僕は心にもない言葉を吐き出しながら、内心焦っていた。

思い出せるはずがない。僕は思い出す術を持っていないのだから。

今の僕は、連がいて初めて彼を思い出すことが出来るのだから。

しかし連の言うことは最もである。

僕だって抹消されるより、思い出としてずっと世界にとどまっていたいと思う。

「うん、そういうこと。俺のこともちゃんと思い出してくれい」

「何言ってんだよ」

真顔で連に向き合う。

しかし彼は、寂しさを内に秘めた笑顔で僕を見つめていた。

恥かしそうに、少しだけ淋しそうに頭を掻くとゆっくりと立ち上がって部屋を出て行った。

嫌な予感とそれを感じてしまう自分に嫌気がさす。

何を考えているのだろうか、僕は何ということを想像しているのだろうか。

ベッドの上に残された僕は一人、途方に暮れる。

ベッドの上にくぼんだ小さな跡が連の重さだった。

それをみつめながら、必死に思いを別の方向へ向ける。

死、という絶対的な運命から逃れるわけには行かない。

しかし、彼にその絶対を強制するというのなら僕が変わりになってもいいとさえ思う。


フとまた暢志を失った悲しみを思い出す。

連が癒してくれたはずの思い出をまた持ち返す。

いずれ誰もいなくなるのは事実なのだ。

遅かれ早かれみんな死を享受しなければならない。

その順番は、自分が一番初めであって欲しい。

自分が初めであれば、何も悲しみに暮れることはない。

連の重みが少しずつ直っていくのを見届けながら、僕はまた眠りについていた。






夢の中では何もかも真っ白だ。

綺麗な風景も美味しい料理も全てが満たされない物と化す。

夢が望んだ世界であっても、それが幻想だと気付いてしまっているから夢の中でも明日を思う。

僕は案外、クールな人間なのかもしれない。

だからこそ、暢志にも『一匹狼』だなんて言われたに違いない。

悲しいことだ、夢の中で自分を嘲笑する。


だだっ広い荒野の中で僕は、一人彷徨うようにして歩いていた。

誰もいない、それを知りながらも僕は誰かを探している。

右手に白黒の花束を掴み、左手にはゆらゆらと揺れる炎をぶら下げている。

視界の片隅に入るのは茶色い、皮製のブレスレットだった。

何よりも強い色を放ちながらそれは存在感を放出している。

僕はいつの間にか、大きな石の前に立ちすくんでいた。

刻まれた文字を読んではいけないような気がして顔を背ける。

しかし僕の目は確かにその文字を追って頭の中へと叩き込む。


刻まれた文字、それは僕を暗闇よりもひどい場所へ突き落とすものだった。





ビクンと体が反応してベッドがきしんだ。

驚いて起き上がり、辺りを見回す。

何も代わりはない。

何ひとつとして変哲のない自室が自分を囲んでいる。

何か変わっていれば満足だったのだろうか。

この現実へと引き返して来なければ、僕はそれで満足だったのかもしれない。

悪夢を、また思い出す。

石碑に刻まれた、思い出したくもない名前が頭を埋め尽くす。

嫌な予感というよりも、それは既に僕の病気みたいなものになっているようだった。


ベッドから下りると、腹が急に大きな声をあげる。

そういえば、夕食も食べていない。眠ってばかりだ。

そのせいで体の後ろ半分が関節痛のような痛みを放っている。

背中は長時間座り続けた後のような居心地の悪さが残り、頭は二日酔いの半分くらいの割合で痛みを含んでいる。

朝の八時。

両親は既に起きているはずである。

父親の方は、もう家を出ているかもしれない。

朝食が用意されていることを期待しながら階下に下りる。


うちの階段は幅が狭かった。

昇り慣れない階段だとよく違和感を覚えることがあるが、僕は毎日その違和感を覚えながら上り下りしている。

今日は更にその違和感が強かった。

いつもと何かが違うと疑心しながら、頭の中で食欲だけが想像に花を咲かせている。

リビングに着いた時点で、ようやく何がこんなに違和感を感じさせているのかが分かった。

異様なまでの静けさだった。


朝といえば、誰かしら食卓についてテレビやらご飯をかっ食らっているはずである。

しかし今朝に限って台所にも洗面所にも人のいる気配は全く感じられない。




悲しいまでの孤独感と緊張感に、追い風のごとく電話が鳴り響く。

出たくないと思うと同時に、早く出なければいけないという矛盾の気持ちが生まれていた。


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