失踪 【疾走】 3
頭がクラクラする。
後ろから灰皿で殴り殺された人は、きっとこんな最後だったのだろう。
目の前にあるものが不確かだ。
「これが、最後に暢志が身に付けていた物らしいの・・・」
並べられた遺品の中に、昨日買ったばかりの茶色いアクセサリーの姿もあった。
ところどころ赤黒く変色し、それが暢志の血なのだと思った。
思っただけでそれが真実だと受け止める勇気はまだ、ない。
「暢志君には会いましたか?」
僕は茶色の物を指で絡めながら言った。
母親は大粒の涙を床に落とすと、聞き取るのも困難なほど悲しみに打ちひしがれた声を出した。
「えぇ、亡くなった後だったけど・・・」
「・・・そうですか」
僕はいたって平静を保とうとしていた。
横で泣き崩れる母親を見たら、誰だって自分の感情を押し殺してしまうに違いない。
僕が泣いては、母親を困らせるだけだ。
暢志の父親は早くに蒸発し、暢志はこの母親と二人だけで暮らしていた。
僕もたまに家に上がることがあったから、意外と話し込んだりもしていた。
僕はまだ、暢志がもうこの世に居ないのだということを理解していない。
まだどこかにいるのではないだろうか。
洋服だけ残して、今頃素っ裸で潜伏しているんじゃないだろうか。
彼ならやりかねない。
「僕は、信じられません」
自分でも驚くほど、ツンと真っ直ぐな声が出た。
母親は不思議そうに僕を見上げ、赤い腫れた目を隠そうともしなかった。
スンと鼻をを鳴らすと、右目から一筋の涙が流れた。
「会ってきます、暢志君に」
母親の顔が強張り、それはやめなさいと止めが入る。
しかし、僕にもそれを突き通すべき理由があった。
「彼を見ないと、信じられません。
もし死んだと、青柳暢志が死んだというのなら、その事実を見なければいけません」
そう強く言って、僕はいつの間にか興奮してずれていた眼鏡をかけ直す。
額にはうっすらと汗がのぞいていた。
「・・・そうすることが巽君にとって一番だと言うのなら・・・」
母親は渋々病院を教えてくれ、相手にも連絡をとってくれた。
弱すぎる自分が迷惑をかけていることを、少し実感して申し訳なく思う。
「暢志に友達がいて良かった。あの子、そんなに友達多くないほうでしょう?
あの子に巽君みたいな良い友達がいて良かったわ」
「・・・暢志君に友達が少ない?逆ですよ。
暢志君はいつでも明るくて僕なんかよりは・・・」
母親は驚いたような表情をみせて、またしても涙を流した。
「暢志、小さい頃からそうなのよ・・・なかなか人を信じられないの。だから一般的に友達だといえる子も友達だと認めなかった。
あの子、実はすごく淋しがりやでね、きっと巽君のことを友達だと言っていたんだわ」
なんだかよく理解できなかったが、少しだけ心が温かくなる。
同時に、母親の中では既に暢志が過去になっていることに気付いた。
僕の中では・・・まだだと思っていたかった。
「それじゃあ、僕は行きますね」
僕が会釈をすると、母親はフラフラと力ない足で立ち上がって玄関まで送ると言い出した。
弱々しい足で、精気を失った面持ちの女性にそんなことをさせられるわけがない。
僕は断り、何かあったらいつでも連絡を下さいと言い加えた。
そうして若干の緊張が芽生える中、玄関まで歩いてふと思い出す。
「あ、茶色の・・・」
僕は悪いな、と想いながらも母親の所まで戻り、昨日買ったアクセサリーについて話をした。
黙って耳をかしてくれるその姿が、まるで自分の肉親かのように思えた。
「いいわよ・・・持っていって。きっと巽君に持ってもらった方が喜ぶわ」
「ありがとうございます」
僕の中で気持ちは固まっていた。
もし彼がこの世にいないというのなら、この腕輪のあるべき場所はただひとつである。
病院までの道のりがやけに長く、重く感じられた。
僕を待っているのかいないのか、どちらにしても暢志はそこにいる。
緊張と不安とを混ぜ合わせた胸で、彼のことを考えていた。