失踪 【疾走】 1
「これがいいんじゃねぇ?」
手に取ったブレスレットを元の場所に戻しながら暢志を見た。
僕は彼の手の内にあるものを見て、思わず苦笑を浮かべる。
何だよ、と言わんばかりに暢志は怪訝な顔をして僕を睨む。
「僕も同じの見てた」
さっきまで手に取っていた皮のブレスレットを暢志に示す。
暢志は茶色の物を、僕は黒のものを手に取っていた。
「お前と趣味が合うのもなぁ・・・嬉しいやら悲しいやらだ」
「失敬なやつだな」
僕はくるりと身を翻してレジに向った。
その後ろを暢志がついてくるのが分かる。
僕と暢志が出会ったのも、何か運命の歯車が壊れたせいなのだろう。
きっとそれが正常に作動していたなら、僕はこんな悪ガキみたいな男とは関係を持たなかった。
僕とは全く正反対の人間だ。
「ってぇな、あにすんだよ!」
後ろについてきているはずの暢志が怒鳴った。
僕は素知らぬ顔をしてレジに並び、前の客が終わるのを待つ。
彼は特に気が短いわけでもないのだが、若気の至りとでも言おうか、何にでも突っかかる。
後ろでは少しの取っ組み合いが起こりそうな気配だったが、相手が謝るか折れたかしたのだろう。
暢志は何もなかったかのように僕の後ろに並んだ。
「あんにゃろ・・・なぁ見たか?巽」
店員の女の子からおつりを受け取って、暢志へと順番を回す。
「聞いてたよ。暢志君はいつになったら成長するんだよ」
「いや、だってよぅ・・・」
暢志はモゴモゴと口を詰まらせながら会計を済ませた。
彼は誰の前でも強気でいる男だ。
言い換えれば、何に対しても自信を持っている。
この一年で悟った彼の性格としては、友好的で社交的、誰とでもすぐに意気投合するのがうまい。
僕なんかの数倍は携帯のメモリーが多いだろう。
そして僕よりもはるかに感情の起伏が激しかった。
こうして肩がぶつかっただけでも喧嘩腰になるし、ときには電信柱に喧嘩を売っていたこともあった。
いつでも負の表情を見せたことがない。
僕はそんな彼を見ているだけでも充分に面白かった。
前に一度、暢志に出会う前につるんでいた友達に言われたことがあった。
『どうしてあんな輩と付き合ってるんだ?』
僕の中での友達は、暢志だけというわけではないし、そう言った彼のことも友達としてみていた。
それでも彼は僕に会うたびに目を反らす。
廊下ですれ違うたびに僕を避ける。
僕もそれが彼のどんな理由から来ているのかは、分かっている。
暢志が僕達とは違う種類の人間だったからだ。
活発的でない僕にはそれなりに、同じような仲間ができる。
そして、暢志には彼に合った友達がいただろう。
そんなちょっとした派閥の中で生きているものには、他の派閥に対する敵対心が生まれやすい。
知らないうちに、周りの奴らには僕や暢志は抱いていない警戒心が生まれてしまったのだろう。
だから、僕も暢志も元の仲間からは特殊として扱われるようになってしまった。
僕はそれが、人間の奥に眠る闘争心・保守的な本能という物なのだと理解している。
「巽はやっぱり茶色よりも黒だな」
店を出た歩道のフェンスに腰掛けながら言った。
「髪も眼鏡も暢志君と違って黒いしね・・・黒ほど君に似合わない色はないだろうね」
僕は嫌味に微笑を浮かべた。
すかさず暢志も僕に口を開く。
「逆にお前は黒しか似合わないじゃないか」
聴こえていないフリをして、僕は今買ったばかりのものを腕に巻きつけた。
ぎこちない手を、また暢志に馬鹿にされるかもしれない。
そう不安に想いながらかも、彼がそんなことをしないのは分かりきっている。
「なんか巽がアクセサリを身につけていると変な感じだな」
「ダテ眼鏡はそのうちに入らない?」
「え、お前ダテだったのか?!」
僕は黒ブチの眼鏡を外して暢志に渡した。
レンズの部分がプラスチックの、正真正銘のダテ眼鏡である。
僕はいつか彼に言ったつもりだったが、どうも彼は忘れてしまっていたらしい。
「初めて知った。でもいいんじゃん?似合ってるし」
返された眼鏡を受け取り、少し照れくさくなりながらそれをかけ直した。
元はといえば、こんな女子じみたことをしようと言い出したのは暢志だった。
僕があまりにも洒落っ気がないことが、よほど気に食わなかったらしい。
僕だってそれなりに年頃なのであって、興味がないことはないのだが、どうにも契機がなかった。
そんな僕を見かねた暢志は、なかば強引に何か僕に合うものを探そうと放課後の時間を分捕ったのだ。
僕はそれが嬉しかったし、暢志もこんな他愛もない時間を楽しんでいたように見える。
前を行き交う人は絶え間なく続く。
それは通り過ぎるたびに、僕と暢志の関係を気にするのだろう。
インテリに見える僕と、一般的に男子高校生をしている暢志と、その二人が一緒にいたら世間ではどう見られるのだろう。
僕が暢志の下についているようにでも見えるのだろうか。
僕は暢志とは全く逆の性質を持っている。
いつでも自信がない。
今こうして暢志と話している時間でさえ、自信を喪失していく。
「去年の今頃だったよな」
僕が呆然と行き交う人の足元を眺めていると、横で暢志が空を仰ぎ見ながら言った。
ロマンチストのようなその体勢に、思わず吹き出しそうになる。
それを見抜いたのか、暢志は僕の頭を軽く小突くと恥かしそうに視線を落とした。
「何が、去年の今頃だって?」
暢志はポケットからシワシワになった煙草を取り出すと、そこから一本だけ口に咥えて火をつけた。
途端に煙が昇っていく。
「俺が巽に話しかけたのって、去年の今頃だよなって話」
あぁ、と頷くと、僕の頭の中にはその時の彼の様子が事細かに蘇る。
僕は決して一人で学校生活を営んでいたわけではないのだが、当時の彼には僕が『一匹狼』のように見えていたらしい。
昼食を屋上で食べていた僕に、彼が話しかけてきたのだ。
「何で俺はあんな勘違いをしていたんだろうな」
「僕が一匹狼だって?」
「まぁそれもあるけど・・・やっぱり今でも巽は一匹狼の素質があると思うし・・・」
どんな素質かは理解しかねるが、あえて彼の思うとおりに喋らせてやろうと口を挟むのを止めた。
しかし、暢志は少し戸惑ったように口をつぐんだ。
「何だよ。別に今更隠さなくたっていいのに」
彼の口から吐き出された煙が、夕焼けを含んだ空に舞い上がっていく。
その綺麗なコントラストに僕は少しだけ心を動かされた。
現実と非現実の交わる点が見えた気がした。
「まぁまぁ、お前とはこれからも長いだろうしな」
ニコニコと、暢志はいつもより無駄に笑っている気がした。
いつの間にか短くなった煙草を地面に叩きつけると、その火を薄汚れた革靴の裏で消す。
「俺が死ぬ時にでもなったら、教えてやるよ」
「なんだそれ!教えてもらう前に死んじゃったらどうすんだよ」
『死ぬ』という言葉があまりにも抽象的過ぎて、僕にはまだよく分からない。
冗談交じりに言った言葉にも大した意味なんかなかった。
ただ、僕は彼が死ぬ前にその答えを聞けるような気がしていたのだ。
それがどうしてなのか、自分にも良く分からない。
「さ、そろそろ帰るべ?」
「・・・もう?まだ夜にもなってないけど」
立ち上がって背伸びをする暢志の腕には、既に僕と同じ物が巻かれていた。
陽に透けて金色に光る髪と腕の茶色が同じように光る。
「だから、俺今日バイトなんだって。お前とは違ってバイトしないと金がないんです」
暢志はまるで子供のように顔をしわくちゃにして突き出した。
「そりゃどうも、羨ましがらせてしまってすみませんねぇ」
僕も負けじと精一杯の嫌味で返した。
確かに僕はバイトをしなくても暮らせるが、暢志と僕では行動の量が違う。
嬉しいような切ないような、妙な気持ちが僕の中を占領した。
いつものように、暢志は原付に乗ってバイト先まで走る。
いつでも彼と原付はセットとして考えられ、彼はそれに僕には到底覚えられないような長い名前をつけていた。
しかし彼はいるも略して『ルゼ』と呼んでいた。
「じゃあな眼鏡小僧」
原付にまたがった暢志が颯爽とヘルメットをかぶる。
僕はただ頷いて彼が走り去るのを見送った。
夕暮れが空を侵食し、暢志の吐いた煙のような雲がところどころに散らばっていた。