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勇気のおまじない

 勇気を出すおまじないは、朝日を待って実行すること。日の出の光が一番効果が強い。胸に手を当て、『勇気』の花言葉を持つタイムの香りを吸い込む。そして、叶えたいことを頭に思い描くの。


 花言葉がピッタリなら他の花でもいいけれど、タイムは常緑樹だから時期を選ばないし、身近で入手しやすい。もちろん、今、花は咲いていないのだけれど。


 わたしはおまじないの後、家族に当てて手紙を書いた。屋根裏部屋からの眺めは素晴らしく、ストリートと駅、時計塔が一望できる。朝日に染まる町を忙しそうに行く新聞配達人と牛乳配達人たち。パンを焼く匂いがいつも嗅いできたものと違うことに寂しい思いを抱きつつ、わたしは着替えをして下に降りていった。


「おはようございます、ラヴェンダー」

「おはようございます、トールさん」


 礼儀正しい挨拶と笑顔を心掛ける。たとえ淡い初恋が砕け散ったって、日常は続いていくのよ。丸まりそうになる背中をシャンと伸ばして台所の椅子に腰掛けると、目ざとくわたしを見つけたジョンが駆け寄ってきた。


「ジョン〜! おはよ〜。後でブラッシングしてあげるからね。ごはんは済んだの?」

「ジョンはもう食べました。ダメです、居間にいなさい。ここは禁止。ダメ、ジョン」


 立ち上がったトールさんがジョンを台所の外に連れて行った。わざわざここで食べているのは、ジョンに食べ物を取られないようにするためなんだって。


「あなたも、勝手におやつダメですよ。ジョンはすぐに、ひもじい振りをします」

「わかりました」


 ジョンの悲しそうな声が聞こえるけれど、トールさんが正しい。ごめんね、ジョン。


 朝食の後、トールさんはジョンを散歩させに行き、わたしはその間に家のことをした。そして午前中を使ってアンおばさんのお見舞いに行ったのだけれど、直後に手術を控えていて面会を許してもらえなかった。


「手術のこと、知らなかった。ドクターから説明受けてきます。あなたは先に戻る、いいですね」


 厳しい表情のトールさんは、頷くわたしをタクシーに押し込んだ。自動車なんて、そんな高価なものには乗れないって、来たときと同じように徒歩で帰ると主張したけれど聞いてもらえなかった。


 門と玄関の鍵を開けて家に入ると、ジョンがお出迎えしてくれた。


「ジョン……」


 よっぽど酷い顔をしていたのか、ジョンが心配そうに寄り添ってくれた。わたしはしばらくジョンを抱きしめていたけれど、気持ちが落ち着いたら動き始めた。まだ家事も終わっていないし、昼食の支度だってしないといけない。すべてを終わらせてからわたしは、まだ帰らないトールさんを待ちながら、怪我が良くなるおまじないや、悪いものを遠ざけるおまじないをした。


 今すぐに体の具合が良くなるなんて魔法はない。おまじないだってそう。魔女のわざは大地の恵み、天の恵みを受けて使うもの……自然の法則は覆せない。


「どうか、アンおばさんの手術が成功しますように」


 きっと、きっと大丈夫。そう信じているけれど、不安は蛇の鎌首のようにひょっこりと頭を持たげてくる。わたしは何度も太陽神の導きの言葉を唱えながら、ハンカチに厄除けの刺繍をしていった。やがて、午後のお茶に差し掛かる頃、ようやくトールさんが帰って来た。


「トールさん!」

「ただいま帰りました。ごめんなさい。遅くなった」

「おかえりなさい。とりあえず、お茶にしましょ」


 病院で見た厳しい表情は消えていたけれど、それでもやっぱり気分が塞いでいるようだった。お茶を飲んで温かくすれば、少しはそれも和らぐでしょう。わたしはカモミールに少しラヴェンダーを足してお茶を作った。元々リラックス効果の高いカモミールに、不安を和らげるラヴェンダーは相性がいい。


 居間にティーセットを広げて温かいお茶をいただきながら、トールさんが話してくれるのを待つ。その間にしっかり食べて、お昼に摂れなかった分を取り戻した。わたしの食欲に惹かれたのかトールさんもツヤツヤに輝く林檎のコンポートが載ったペイストリーに手を伸ばしていた。


「……これ、美味しいですね」

「本当に。どこで買ってきたんです、トールさん」

「わからない。覚えてないです。何か買わなくてはと、それしか考えていなかった」

「じゃあ、今度二人で探検しましょう。それとも、アンおばさんなら知っているかもしれないわ。こんなに美味しいペイストリーなんですもの」

「そう、かもしれない」


 トールさんはアンおばさんの容態についてぽつりぽつり話してくれた。折れた骨をピンで留める手術をするのだけれど、一回では終わらなくて、もう一度手術をすることになると。


「伯母、不安と思います。心残り、指輪、失くしてしまった。伯母を勇気づけたい。ラヴェンダー、力を貸してほしい」

「もちろんです。どうしたらいいの?」

「魔女のわざを使って、伯母の指輪、探してください。僕からの依頼。お願いします」


 トールさんは深く頭を下げた。わたしは慌ててソファから立ち上がって、トールさんの腕に手を重ねた。


「お引き受けします、だから、あ、頭を上げてください」

「ありがとう。優しいですね。そうだ、お代はいかほどですか」

「えっと、まだ決めてなくて」

「では、僕が思った金額、お渡しします。そこから考えましょう」

「はい!」


 トールさんの笑顔が戻ってきた。わたしにはそれが一番嬉しかった。

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