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大地の人

 ハッとなって跳ね起きると夕方だった。すっかり眠ってしまっていたみたい。バタバタと階下に降りると、トールさんは居間の明かりもつけないまま、じっと壁紙を見つめていた。


「トール、さん……?」


 恐る恐る声をかけると、トールさんはハッとこちらを振り向いた。


「ああ、ごめんなさい。あなたがいること、忘れていました」

「わたしこそ、ごめんなさい。すっかり寝てしまって」

「気にしないで。足りない物はある? 明日、買いに行きます」

「いいえ。お母さん…、母がほとんど用意してくれました。トランクに入れていたのは貴重品と、あってもなくても困らない細々した物ばかりです」

「よかった。書斎からレターセットを持ってきました。使ってください」

「はい。ちゃんと隠さずに書きます」


 わたしが笑顔で答えると、トールさんは不思議そうな顔をした。そうだよね、さっきはぜんぜん乗り気じゃなかったもの。でも、夢に出てきたおばあちゃんが約束を思い出させてくれたから。


「本当はわかってもらえるか不安です。実際に話すわけじゃなく、手紙だもの。でも、トールさんのことをよく知って納得してもらわなくちゃ。誤解させたくないもの。そのためには何度だって手紙を書きましょう」

「そう、ですか」

「ええ! たとえ連れ戻しに来たって、それは逆にトールさんとアンおばさんに会ってもらうチャンスだと思うのよね」

「いいですね。ぜひ、一緒にお茶にしましょう」

「はい、ぜひ!」


 わたしたちは笑い合った。そして夕食の支度にとりかかる。ディナータイムにはまだ早いけど、わたしたち二人とも午後のお茶を逃していたせいでお腹が空いていたのだ。しかも買い物もしていなかったから、バゲットと缶詰のパテ、オイルサーディン、オリーヴの塩漬けなどの寄せ集めで我慢するしかなかった。それもまた、美味しかったけれど。


「ところでトールさん。さっき、何をしていたんですか?」

「壁、見ていました」

「壁を」


 思わず復唱してしまう。正直、変な趣味があるんだなぁと思った。


「あの」

「ええと! 壁、スケッチ、今は、目だけで」


 わたしの怪訝な表情に、トールさんは慌てたように言葉を続ける。


「僕、あの、光と影見ている。季節、時間、移りゆくから。いつでも、一つとして同じ顔ない。一番良い画を探していた。今もほら、ランプの明かり、濃淡を作っている。……わかり、ますか?」


 わたしは頷いた。


「すごいわ。ありふれた光景なのに、トールさんの言葉を聞いた後だとこんなにも綺麗に見える。画家ってこんなに繊細な目で世界を見ているんですね」

「僕の道具、見てください。いいですか?」

「え?」


 トールさんは嬉しそうにそう言って、食堂(ダイニングルーム)を飛び出していった。それからしばらくして帰ってくると、やや古ぼけた傷だらけのトランクをテーブルに乗せた。それは大人の肩幅くらいの少し小さめのトランクで、トールさんがそれを開くと中には紐で綴じられたスケッチブックやパレット、絵筆、それに布に包まれた小さな額縁がいくつもあった。


「小さい。切手サイズのもあるのね」

「そう。僕の仕事」

「えっ、絵描きさんってもっと大きな絵を描くんだと思ってた」


 トールさんはふにゃっと笑った。


「はい。でも、これも仕事。僕、このミニチュアに絵、描きます。内容は様々。この前の仕事、お姫様のドールハウスだった。あれは1/12スケール、規定守らないとすべてジャンク、厳しい世界です。僕は描くだけ、でも、慎重にしなくてはいけなかった」

「すごい!」


 トールさんは、わたしに完成品のミニチュア絵画を手渡して言った。


「これが僕の仕事道具。趣味と別に、仕事します。選ばれた者の仕事。僕、筆あればどこに行く、大丈夫」

「すごく細かい仕事……。確かにトールさんならどこへ行っても成功できると思います」

「あなたもですよ」

「えっ!」


 驚きすぎて思わず声が上擦ってしまった。トールさんみたいにすごい仕事をする画家さんと、わたしが同じ? まったく実感がないし、信じられなかった。どういう意味でそう言ったのかもわからない。わたしが何も言えずにいる間に、トールさんは真剣な目をしていった。


「あなたは魔女になるため、一年で十の仕事する。ですね。それは見知らぬ土地でないとなりません」

「はい……」

「それはつまり、どこにでも行ける力を、養う。そういうこと。違いますか? 魔女としてお金を受け取る、その仕事あればどこにでも行ける。どこまででも行けます」

「どこにでも行ける、力」

「そう、あなたはきっと、翼、持っています」


 トールさんはわたしの手を取って、また優しい笑顔を見せてくれた。じんわりじんわり、心があったかくなる。


「どうして、そこまで信じてくれるんですか。わたしまだ、魔女じゃないのに。なれるかどうかもわからないのに」


 ぽろり、と涙がこぼれた。慌てて拭おうとする手を、トールさんがぎゅっと引き留める。


「大丈夫。信じて。今すぐには無理でも、あなたもきっとできます。僕も伯母に背中押してもらった。伯母はあなたのこと信じてる。もちろん、僕も信じます。あなたの、輝きを。だからラヴェンダー、あなたも信じて、自分のこと」

「トールさん……!」


 なんて、温かい人なんだろう。

 なんて素敵な人なんだろう。


 この人は大地に似ている。大きくて温かくて、優しくて。包み込んでくれるような。そんなオーラを感じる。今日初めて出会ったのに、もう家族になったみたいに、側にいるとホッとするの。でも、それだけじゃなくて、胸がとてもドキドキする。こんな気持ちは初めてだった。


「今日は疲れましたね。温かくして、寝てください。ラヴェンダー」

「はい……!」

「それは、差し上げます。友好の証」

「いいんですか!」


 わたしは手のひらサイズのミニチュア絵画を手に、喜びのあまり飛び上がりそうだった。


「はい。あなたは僕の妹のような女性。仲良くしてください」

「!」


 そして、飛び上がった心は地面に落っこちた。

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