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 トールさんとわたしはテーブルを挟んで向かい合わせに今のソファに座った。バスケットに入っていたクッキーとパンをお茶うけに、カモミールの温かいミルクティーをいただく。ジョンはまだ火の入っていない暖炉の前でくつろいでいる。もうすぐ正午、お茶をしながらゆっくりお昼ごはんを摂るのにはいい時間だった。


「このパン、おいしいです。入っているのは、クルミ、それからイチジク?」

「ええ。でもそれだけじゃないの。炒った松の実(パインナッツ)も入れてあるのよ」

「素晴らしいです、気に入りました」

「よかった!」


 お母さん特製の木の実ブレッドにはトールさんの言う通り、クルミとドライフィグ、松の実が入っている。塩にもこだわっていて、近隣の村で合同で行われる収穫祭では真っ先になくなる人気商品なのだ。来月のお祭りのためにわたしも一年前からおばあちゃんと蝋燭や小物を作って用意していたのを思い出し、ふっと笑顔が込み上げる。


「それにしても、アンおばさんのこと、本当にお気の毒ね」

「はい。まさか階段落っこちるなんて、本人が一番驚いていた。電報、受け取れて幸運です。遅れていたなら、僕もう帝都いなかった」


 トールさんは帝都で仕事をしている絵描きさんで、ちょうど大きな仕事を終えたばかりだったそう。スケッチ旅行に出かける直前、アンおばさんからの電報を受けてこのマルマの町まで汽車でやってきたの。アンおばさんは足の骨を繋げる手術のために入院しなくちゃいけなくて、その間、ジョンの世話をトールさんが引き受けたんですって。


「伯母はたった一人の家族。もう僕には彼女しかいない。怪我のこと知らなかったら、とてもとても、悔やんでいた思います。伯母は友達多い、ジョンもきっとそこに行けば幸せ。でも僕、ここにいる言いました。ラヴェンダー来るとも言っていた、よろしく言われて、僕、花束のこと思った」

「そうだったんですね。何も知らないまま名前だけ聞いたら、そう思うのも無理ないです」


 短い面会時間で、伝えられることは多くなかったんだと思う。トールさんも「あんまり話せなかった」と言っていたし。アンおばさんの入院はそんなに長引く予定じゃなくて、わたしのことも予定通り受け入れてくれるつもりみたいだけれど、逆にわたしの方がここにいられるかわからなくなってしまった。


 魔女の通過儀礼(イニシエーション)について語ると長くなってしまったけれど、トールさんは真剣に話を聞いてくれた。トールさんの質問に答えることで、わたし自身も問題がどこにあるのかを整理することができたし、とってもありがたかった。


「荷物のこと、不運ですね」

「ええ、そうなんです。大事な占い道具も、おばあちゃんにもらった薬草も、ぜんぶなくなっちゃった」

「それに、お金も。それが一番大事。ないと困る。でしょう?」

「はい。……お母さんに知られたら、絶対、帰って来いって言われちゃう。でも、村に戻ったらきっと、一年かかっても十の依頼なんてこなせないです!」


 知っている村ぜんぶ合わせても、魔女はもうおばあちゃんしか残っていなかった。それも時代の流れだと言ってしまえば、そうなのかもしれない。それでも、わたしは魔女という存在をなくしたくない。魔女になれるチャンスをもらったのに、ここで諦めて帰るなんてできない。


 どうにか、ここに置いてもらえたら。お家賃は最初の二か月分はお渡ししてあるからいいとして、食べ物は野原や川に行って何とかしよう。誰でもできるような仕事を見つけて、お金を稼いで、ある程度の道具を買い直したら……。そうしたら、誰か、わたしに魔女のわざを使ってほしいって言ってくれる人に出会えるかなぁ。


 わたしは膝の上でぎゅっと手を握りしめた。


「トールさん、お願いです。わたしを送り返さないでください。お家賃は、二か月分しかお支払いしてないですけど、きっとどうにかします。ここを追い出されたら、わたし、本当にダメになっちゃう。この町で一年間、何が何でも、しがみついてでも仕事を探してがんばらなくっちゃ! 魔女になれるチャンスは、もう二度と巡ってこないの……!」


 わたしの大声にジョンがクゥンと鳴きながらやってきて、わたしの足に頭をこすりつけた。心配してくれてるんだね。ありがとう、ジョン。わたしは彼の体を優しく叩いて、無言の感謝を伝えた。


 そして、黙ったままのトールさんの様子をこっそり窺う。彼は難しい顔をして腕を組んでいた。やっぱり、ダメ、なんだろうか。心がずんと重く沈んでいく。さっきからやたら湿っぽい目許から、涙の雨が今にも降り出しそうだった。


「これは、とても難しい問題。すべてを伝えること、今の僕にはできません」


 ようやく口を開いたトールさんが口にしたのは、わたしのお願いに対する答えじゃなかった。わたしは黙って続きを待つ。トールさんは、柔らかい微笑みを浮かべて言った。


「二ヶ月。伯母はあなたに約束しました。それは守られるのがいい。必要なものは、僕が用意します。ここにいてください」

「えっ、で、でも!」

「伯母なら、そう言う。僕は彼女を悲しませるの、したくない。お金のことは、また考えます。あなたは手紙を書くべき。ちゃんとここについたこと」

「それはもちろん!」


 わたしは大きく頷いた。ああ、でも、切手代をどうしよう。


「必要なものは、用意します。そうですね?」

「は、はい……」


 トールさんの真剣な目を見て、わたしは恥ずかしくなって体を小さくした。思っていたことをぜんぶ見破られてしまった。でも急に、彼に恥をかかせてしまったかもしれない可能性に思い至って、込み上げていた熱が一気に引いた。どうしよう、わたし、最低だ……!


「手紙を書く、それが条件です。荷物のことは、書かなくていいです。でも、僕のことは書くこと。正直に。あなたの家族を泣かせるのはダメです」

「それってつまり……、わたしに、お母さんを説得しろってことですか?」

「そうですね」


 わたしは、上手く返事ができなかった。

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