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はじめまして?

 マルマの駅に着くと、汽車の乗客たちが波のように移動を始めた。わたしもそれに乗りそびれないようについていく。荷物の受け取り所に寄って、トランクをもらうのを忘れちゃいけない。お父さんが貸してくれたトランクは、ゴツゴツしていて見かけは悪いけど、頑丈なの。


 無事にトランクを見つけて駅員さんに声をかけようとしたとき、わたしは後ろから突き飛ばされた。


「きゃあっ!」


 とっさのことで、まさに足を踏み出そうとしていたわたしはバランスを崩して倒れ込んでしまった。そのときには、バスケットを守らなきゃっていう気持ちが強くて、後先なんて考えられなかった。膝からガッツリ、そしてバスケットを抱きしめる腕もガッツリ、冷たい石床に削られてしまった。


「あたたた……」


 痛みでにじむ視界のまま顔を上げると、目の前には素敵なスーツの紳士が立っていた。銀色の髪に銀色の目、おヒゲのないつるんとした顔はおじさんの中では若い方だと思う。ステッキを小脇に挟んだから、手を貸してくれるのかと思ったら、冷たい目でわたしを見下ろしていた彼は向きを変えてさっさと行ってしまった。


 ショックだけれど仕方がない。気を取りなおして立ち上がって、荷物を受け取ろうとしたわたしを、さらなるショックが襲う。


「ない! そんな、さっきまであったのに、トランクがない!」


 そう、わたしの新生活に必要なお金や、今日明日の着替え、レターセットに占いの道具、何もかもが入ったトランクが消えていたのだ。駅員さんに掛け合ってみても、半券を持った男が来たから渡してしまったと言う。わたしは脇に挟んでいたコートのポケットを確かめてみたけれど、入れておいた荷物受け取りの半券はなくなっていた。


 つまり、わたしはトランクの正当な受取人だと主張することもできなくなってしまったのだ。駅員さんは同情半分、疑い半分の目でわたしを見ていた。あんまりにもショックすぎて涙も出ないまま、わたしは下宿先のボドレーさんの家に向けて歩き始めた。先週、挨拶に来たから道はわかる。体も心も痛いけれど、それだけが救いだった。


 九月の街路は風が冷たい。建物の陰に入ってしまうとなおさらだった。うねうねした住宅区画をトボトボ歩いて、ふっと顔を上げると見覚えのある大きく突き出たえんとつ屋根が目に入った。ああ、ここだ、ボドレーさんの家だ。


 ころころと笑うアンおばさんと、クリーム色をした毛並みの大きなジョンがいる温かい居間を思い出して涙があふれてきた。アンおばさんならきっと、わたしの不幸を一緒に悲しんでくれて、優しく抱きしめてくれるにちがいない。だって、初めて会ったときからあんなに親切で、よく笑って、どんなお話にも良いところを見つけてくれる人っていないもの。


「アンおばさ……ボドレーさん! ごめんください、いらっしゃいますかぁ!」


 門扉についたノッカーを叩いて声を張り上げる。最後の方は涙の名残で震えていて格好がつかなかったけれど、アンおばさんならきっと気にしない。


 不安になるほどの静寂が続いたあと、ジョンの吠える声が聞こえてきた。


「ジョン!」


 古い家の大きな扉が半分開いて、そこから滑り出てきたジョンは、門の外側にいるわたしに向かって笑顔で吠えながらちぎれそうなほど尻尾を振った。


 アプローチの両側にある花壇を蹴散らさないよう、器用に駆け抜けて、ジョンはわたしのところまで来てくれた。歓迎のしるしにピンク色の長い舌を出して、後ろ足で立ち上がって。でも、門が邪魔で撫でてあげられないの。


「ジョン〜、約束通り、来たよ〜」


 わたしがそう言うと、賢いジョンは「覚えてるよ」と言いたげに尻尾を振って笑った。つぶらな瞳がキラキラしている。


 そうしている間に、門を開けるために来てくれのは、アンおばさんじゃなかった。背の高い黒髪の、チョコレート色の肌をした男の人だった。


「えっ…………、誰、ですか……」


 思わずそう口に出してしまった。前に来たときにはいなかった。アンおばさんは一人暮らし、ううん、ジョンと一緒の一人と一匹暮らしだって言っていたのに。


 本当に背が高い。百八十は越えているんじゃないかしら。それなのにとても細くて、足なんて棒みたい。シャツとベストはどことなくくたびれていて、少しカールしてる髪の毛も、いつ切ったのかしらと思うくらい。


 お客様なのかしら。アンおばさんはおしゃべりが好きで、よく近所の人を招いているって聞いたもの。


 わたしは、彼が咳払いするまで、失礼なことに自分が彼をじろじろ見てしまっていることにも気づかなかった。


「お客、さん?」

「あ、いえ、あの。わたし、今日からここでお世話になる、ラヴェンダー・ハートフォートと申します。ボドレーさんはご在宅でしょうか」


 わたしの挨拶に、彼は困ったような笑みを浮かべた。


「ごめん、なさい。伯母、入院しました」

「えっ」


 冷たい風が吹き抜けていった。言葉の意味が、じんわりと頭の中に吸い込まれていくにつれ、わたしの目からは涙があふれていた。アンおばさんが、入院……! ついこの間まで、あんなに元気そうだったのに!


 あの笑顔に会えないなんて、信じていたものぜんぶに裏切られたような気がして、わたしは子どもみたいに泣き出してしまった。

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