屋根裏部屋の魔女見習い
お母さんが消えていた火を灯して、お湯を沸かしてティーセットを用意して、そうしているのを見ている内に心が落ち着いてきた。トールさんがジョンを撫でながら、おやつのジャーキーをあげている。
「偉かったです、ジョン。今夜は特別、ここにいてもいいです。でも、お行儀良く、ですよ」
ジョンは嬉しそうに尻尾を振って、言われたとおりおとなしくしている。そんな彼らを見ていると心がホッとする。
「いつまでも突っ立っていないで、座れる物を持って来て落ち着いたら?」
「お母さん。お母さんも魔女だったなんて聞いてないわ。それに、さっきの人は誰なの?」
馴れ馴れしくお母さんを呼び捨てにしたあの卑怯者。駅でトランクを盗んだのもきっと彼に違いない。
「彼はヒース。見込みのある見習いたちの前に現れては、邪魔をしたり手駒にしようとする悪の魔法使いよ」
なるほど、それでわたしを連れて行こうとしたんだわ。けど、聞きたいことはそれだけじゃない。わたしの視線にお母さんはため息をついた。
「私は元・魔法使い。それで彼とは同期で……元カレなの」
「あ〜あ」
「魔法使いの戦いに疲れた私は、ハニーと出会って本当の愛に気づいたのよ〜!」
「聞きたくなかった! それで、どうしてこんなタイミングでこっちに来たの?」
惚気ていたお母さんは表情を戻して肩をすくめた。
「村に電報が届いていたのよ。ボドレーさんと、それに彼、アッバスさんから。汽車でもよかったんだけど、他の用事のついでに、ちょっとね。邪魔するつもりはなかったわ。確認しに寄ろうとしていて、護符が壊れたのを知って駆けつけたの」
「わたしの出した手紙は?」
「まだ届いてるわけないじゃない」
「そんなぁ。じゃあどうしてトールさんの電報は届いてるのよ」
わたしがそう言うと、トールさんが代わりに答えた。
「僕、あなたが着いたその日に電報打ちました」
「いつの間に」
きっとわたしが昼寝してたときね。仕事が早いんだから。二人は立ち上がって握手する。
「はじめまして。お会いできて光栄、です」
「はじめまして。娘がお世話になります」
「いえ、短い間です。僕、すぐに出ていきますから」
「ええっ!」
思わず大きな声が出ていた。もちろん、ずっと一緒にいられるとは思っていなかったけれど、そんなに早く帝都に戻ってしまうつもりなの? アンおばさんを置いて?
ううん、違うわ。本当は、わたしが置いていかれるのが嫌なのよ。だって、こんなに好きなのに、好きになってしまったのに、手の届かない所へ行ってしまうなんて。
それが現実になるにしても、まだ先のことだとばかり思っていた。今は妹扱いしかされていないけれど、共に時間を過ごせば、少しくらいは近づけるんじゃないかって、そう、期待していたの。
「どうしました、ラヴェンダー。泣かないで」
泣き出したわたしを、トールさんが慰めようとあたふたしている。わたしはしゃくりあげてしまって言葉が出てこない。肩や背中にトールさんの大きな手が慰めるように触れてくるけど、わたしは「抱きしめてくれたら」だなんてワガママなことを思っていた。
「行かないで」
やっと絞り出した言葉にトールさんは困った笑顔を浮かべた。
「しかし、あなたに迷惑が」
「迷惑だなんて! わたしは思わない。トールさんにとって、わたしは迷惑ですか? こ、恋人がいるの……?」
また涙がこぼれてきて、乱暴に拭おうとするわたしの手をトールさんが止めた。
「いません。迷惑、ないですよ」
「……わたし、トールさんが好き。妹にしか見られてなくても、好きになってしまったの。まだ行かないで…わたしに、チャンスをください!」
わたしはトールさんのニットベストの端を掴んで、俯いたまま返事を待った。でも、トールさんの息遣いから困っているのがわかる。本当はもっといいタイミングがあったかもしれないのに、わたしのバカ……。
「親の目を気にしてくれるのはありがたいけれど、ラヴェンダーも成人しているんだし、いいんじゃないかしら? 五歳差なんて大したことないわよ」
「五歳差!? トールさん、今、二十一歳なの?」
「はい」
「そんなの、聞いてない」
正直、十歳差くらいあると思ってた!
「どうして知ってるの」
「ボドレーさんの手紙にあったのよ」
わたしはトールさんに向き直った。
「どうして言ってくれないの!」
「ん〜、機会なく?」
「もう……。もっと色々、教えてください、トールさんのこと」
「ラヴェンダー。はい、そうします。だから早く家見つけます」
トールさんはそう言ってふにゃっと笑った。家を、見つける?
「帝都に戻るんじゃ、ない、の?」
「はい。ここで暮らす。そうすれば、あなたをデートに誘えます」
「えっ」
「あなたは魅力的な人です。僕、最初から惹かれていた。でも怖がらせる、良くない。黙っているつもりでした」
わたしは息を呑んだ。トールさんの茶色い目が、いつもとは違う輝きを放っている気がする。握られた手を握り返して、わたしはトールさんの目を見つめた。
「お願い、言葉で教えて。わたしのことを、どう思っているのか」
「あなたの側にいたい。あなたに近づきたい。あなたに、愛の言葉を囁きたい。……僕の恋人になってもらえますか、ラヴェンダー」
「嬉しい……喜んで!」
トールさんの胸に飛び込んで、つま先立ちして彼の唇にキスをした。トールさんのこと、びっくりさせちゃった。
気がつくとお母さんはいつの間にかいなくなっていて、その夜はジョンをボディガード代わりにして寝た。
トールさんはそれからすぐにアトリエを兼ねた家を借りて出ていった。と言っても、そこには寝に帰るだけでアンおばさんの家にずっといるんだけどね。
ちなみにアンおばさんは前よりずっと元気に活動してるの。リハビリを兼ねた健康体操で素敵な男友達を見つけたみたい。
わたしはと言うと、あれからすぐに占いを始めたの。もちろん、見習いだと断った上でね。たくさんの女の子たちに恋愛のおまじないをかけてあげたりもしたけど、魔女協会が認めてくれた依頼はまだ少ないわ。
それとあの銀のおじさん、トランクを返してくれたのはいいんだけど、あれからしょっちゅう遊びに来て困っちゃう。いくら勧誘されても、仲間になんてならないんだから。
「ラヴェンダー、お茶が入りましたよ」
「は〜い、今行くわ、トールさん」
わたしは地元の新聞に寄せる手記を書く手を止めて返事をした。占い師として取り上げられたインタビュー記事が好評で、今はその続編としてわたし自身の言葉で文章を書くよう依頼されたところなの。色んなことを振り返って、何から書こうか迷っちゃうのよね。
ものすごく悩んで決めたタイトルは、編集長に気に入ってもらえてそのまま採用された。
『屋根裏部屋の魔女見習い』
どうかしら。




