一緒に寝よう
そんなふうにして、三か月ばかりがすぎた。
私はちょっとだけ、宮廷マナーや作法が身に着き、ドレスの裾をひきずって歩くのも慣れてきている。
見るもの聞くもの、なにもかもがキラキラしていて、やっぱり王宮って素敵、というのが率直な感想だ。
(でも、他の貴族や王族たちとすれ違う時、挨拶するとき、ほんの少しだけ。もやもやした感じがするときがあるのよね)
宮廷内を歩いているとき、庭を散歩しているときも、その感覚はつねにつきまとっていた。
(私やライムを見て、ヒソヒソ耳打ちしたり。指を差して、なにか言う人たちもいるし。私はまあ、盗賊出身の王女なんだから、物珍しいだろうけど。でも、言いたいことがあるなら、目の前ではっきり言えばいいのよ。そしたらその場で、決着をつけてやるのに)
ただ、少なくともバーミリオンに関しては、そんなことはなかった。
♦♦♦
「はっ!」
「おっと、危ない!」
カシン、カシッ! と火花を散らし、私はときたまこうして、剣の打ち合いをすることがある。
どうしたって私のほうが、力は弱いのだが。
キンッ! と打ち合わせた剣を、バーミリオンがぐいぐいと押してくる。
「ッ!」
わざと力を抜き、姿勢を低くして切っ先をするりと滑らせると、バーミリオンの体勢が崩れた。
「やっ!」
その瞬間、私はもう片方の手で足のベルトに装着していた短剣を抜き取り、しゅっと突き上げる。
「うっ……!」
「はい、私の勝ちー!」
「おい、隠し武器は反則だって言っただろう!」
顎の下に短剣をつきつけられたバーミリオンは、悔しそうに言う。
「ルールなんて守ってたら、命がいくつあっても足りないってば」
「盗賊団の感覚を、ここに持ち込むな」
「だったらお行儀のいい、騎士とでも打ち合ってなさいよ」
私は言いながら、短剣をしまう。
「どうしても私の腕が見たい、っていうから付き合ってるんだもん。そっちのルールに合わせてたら、見せられないでしょ」
「まあ、そうだが。……おっそろしい王女様だな」
「失礼ね。もう随分、マナーだって覚えたんだから」
ダンスの練習以外では、あまり運動する機会がない。
だから、バーミリオンと剣を合わせて訓練もどきのことをするのは、結構楽しかった。
ライムがいるとうるさいので、もちろん内緒だ。
ちなみに、午後の授業の家庭教師には、軽く手刀で眠ってもらっている。
「言っておくが、本当の本気で剣を使ったら、俺のほうが強いからな」
「ああそう。やれるものなら、やってみなさいよ」
「年下の王女相手に、手加減なしでやれるわけないだろう」
「なによ、負けず嫌いなんだから」
バーミリオンは、十六歳。
ライムと同じくらい、気に食わない相手ではあった。
長身で端正な顔立ちだが、どことなく盗賊団の連中と似た雰囲気を発しているので、一緒にいて気疲れすることはない。
「お前もライムも、黙っていれば、綺麗なお姫様なのにな」
「知らないわよ。綺麗なお姫様なんて、どっちみち宮廷の中にごろごろいるじゃない」
「まあそうだな。もう見慣れてなにも感じないが」
「ぜいたくねえ。それで私なんかと、こんなことしてるわけ?」
見上げて尋ねると、バーミリオンはにやりと笑った。
「なかなか楽しい暇つぶしだろう? ずっと宮廷の中ですました顔をしていたら、退屈でカビが生えそうだからな」
「確かにちょっと、面白かったわ」
私は認める。
「でもそろそろ、部屋に戻らなきゃ。バレたらライムに、お説教をくらっちゃう」
「ああ。あいつは怒らせると面倒だからな。また時間がつくれそうなとき、付き合ってくれないか」
「うん。退屈になったら、また窓に小石投げて。割らないようにね」
私は言って、自室に駆け戻った。
こんなことを、何回か繰り返している。
バーミリオンは、口は悪かったが、裏表のない人間のようだった。
♦♦♦
「ロビン様、お袖を」
「はーい」
夜になると毎晩毎晩、わざわざ侍女が、私に寝間着を着せてくれる。
ひとりで着られるのに、と思っていたが、これも王室でのルールなのだそうだ。
(レースやリボンがいっぱいついて、可愛い寝間着で嬉しいな。ふわふわで、ゆったりして、キラキラは少ないけど、いつものドレスより好きかもしれない)
頭からかぶせられた寝間着の前を、今度は侍女が丁寧にリボン結びでとめてくれる。
それが終わってベッドに横になると、別の侍女が、せっせと布団をかけてくれた。
「それでは、おやすみなさいませ」
ロウソク立ての灯りが、一番小さなひとつを残して消され、侍女たちが退室していくと、部屋はシンと静かになる。
と、急に窓の外が、カッと光った。
次いで、ピシャッ、ドーン! と雷鳴がとどろき渡る。
「雷だあ! いやだなあ」
盗賊団にいたときは、みんなでワイワイやっていたし、必ずクレイターが私のそばにいてくれた。
でも、この広くて豪華で、ひとりきりの部屋にいると、むしょうに怖くなってくる。
ピカッ、と稲妻が部屋を照らすたびに、家具の黒い影がくっきり見えて、ますます不気味に感じられた。
(こんなんじゃ、絶対に寝られないよ。どうしよう。でもあの子に頼むのはムカつく。弱味を見せるのも、なんか腹が立つ)
ピシャーン! ゴロゴロドドドド! とまたも大きな落雷の音が鳴り響き、私は耳を塞いだ。
(ううううう。こ、こうなったらもう、背に腹は代えられない!)
「んしょ」
私は大きな羽枕を抱え、そっと廊下に出る。
控えの間には、侍女たちがいるはずだったが、そちらには行かなかった。
私が向かったのは。
「……なんだ、眠れないのか」
ライムはベッドに座り、窓際に両肘をついて、外を見ていた。
「まあ、その、そういうこと。……お願い!ライム、一緒に寝よう」
「せまいだろうが」
ライムは思い切り、眉間にしわを寄せる。
「せまくないよ! こんなに大きいベッドで、むしろ広すぎるくらいじゃない」
「いびきをかいたら、蹴り出すぞ」
えっ、いいの、と私はライムの気が変わらないうちにと、急いでベッドに飛び乗った。
「了解! でもそっちだって、寝相が悪かったら、追い出しちゃうからね」
「僕のベッドだぞ。まあいい、弱虫の妹のために、我慢してやろう」
ライムは言って窓から離れ、枕の位置をずらしてくれた。
「弱虫じゃないよ、私!」
「でも雷が怖いんだろう?」
「うーん。誰もいないとね。見ていると、綺麗と思うこともあるんだけど」
ドドーン! と近くに落ちた音がして、私もライムもヒャッと首をすくめる。
「あっ、ライムも怖いと思ってるー」
「びっくりしただけだ!」
「お城は、崩れたりしないよね?」
「当たり前だ、これくらいなんの問題もない。寝るぞ」
ぼふっ、と枕に頭を乗せて横になったライムに続き、私もその隣で横になる。
「……ねえ、ライム」
「なんだ。寝ないのか」
「その前に、ちょっとお話しよう」
「ああ? なんの話だ」
私はもぞもぞと身体を動かして、横を向いた。
「ねえねえ。ライムって、好きな人っていないの?」
「はあ? なんだ、唐突に」
「だって、王宮の中を歩いていると、素敵な男の人がいっぱいいるじゃない! ライムも告白されることだって、あるんじゃないかなって」
盗賊団にも女性がいたが、恋人になったものたちはおおらかで、あけっぴろげで、人前でキスもしていた。
そして雷の怖いこんな夜には、誰が好きだの嫌いだの、楽しくわいわい話したものだ。
(私の場合は、このおチビとつきあいたいなら、俺を倒してからにしろ、ってクレイターが言いまくっていたせいか、告白されたことはなかったけど。私も、まだ好きな人とは、出会わなかったし)
私はキラキラしたドレスや宝石と同じくらいに、恋に憧れていた。
ライムは身体ごと、こちらに顔を向ける。
「ないな。僕の場合は、興味もない。ロビン、まさか心を動かされるような男がいたのか?」
「そこまではないけど。だって、まだほとんど知らない人たちだし。でも、そうね。カレントは、素敵だと思う」
うええ、という顔をライムがする。
「あいつは顔だけ、って言っただろうが。ひとめぼれか? お前、面食いなのか」
「メンクイってなに?」
「見た目のよさを、第一とすることだ」
うーん、と私は頭をひねる。
「もちろんキラキラしていたほうがいいけど、第一かと言われるとわかんない。だけど、中身がわかるまでには、時間がかかるわよね」
「つまり、簡単に恋におちるなど、浅はかということだ」
けれどまだ納得できずに、私は言う。
「でもカレントは、優しいよ。この前、通りすがりにドレスの裾を踏んづけてよろけたとき、助けてくれたの」
「ほう。まあ、それくらいはするだろう。というかお前、どんくさいな」
「ひっどい。ドレスは可愛いけど、動きにくいのよ」
ライムは、ふう、と溜め息をつく。
「それで、カレントに対して、その……ドキドキしたり、胸が苦しくなったりしてるのか?」
「はあ? 病気ってこと?」
「なるほど、わかった」
うんうんと、ライムは勝手に納得している。
「お前は恋に恋しているだけだ。幼児が家庭教師に、好意を持つのと変わらん。いずれにしても、カレントはやめておけ。それと、バーミリオンもだ」
「え? なんであの人が出てくるの」
「同類だからだ。僕らも、あのふたりも」
片方の肘を立て、ライムは小さな顔を、手のひらに乗せて話す。
「まだ詳しく説明していなかったが、そろそろ話すべきかもしれないな。『選別の儀』についてだ」
「ああ、うん。何度かその名前、聞いたけど。なにかの儀式?」
「そうだ。数十年に一度の、忌まわしき王家の……王国の儀式だ」
外では雷が、ゴロゴロととどろき、激しく雨が降っている。
ライムは静かに、ぽつりぽつりと話し出した。
♦♦♦
「王国の西側には、山岳地帯がある。その洞窟には巨大な怪物が住んでいて、長いこと王国民の命をおびやかしてきた」
「西側の山。私がいたのは東側の、森の奥だわ」
「ああ。その辺りからは、結構距離がある。人も村もない、岩山付近だ」
「怪物の洞窟なんて、盗賊団では聞いたこと、なかったけどな」
だろうな、とライムはうなずいた。
「怪物が目覚めるのは、王国歴の百年目から、五十年ごとに一度だけ。黒の月の、最初の満月の日と決まっている」
「王国歴の百年目……」
繰り返した私に、今年だ、とライムは言った。
「今年? 黒の月って、もうすぐじゃないの!」
「大丈夫だ。王国民を襲う前に、王家の儀式により、すぐにまた眠らせている」
「そ、そうなの。じゃあよかったけど。どんな怪物? 小さなモンスターだったら、クレイターたちと退治したことがあるよ」
私は怖いのと、好奇心とで、ドキドキしながら尋ねる。
「やつは、グレイト・バーミンと呼ばれている。姿を見て、戻って来たものはいない。ただ、森林などで遭遇するモンスターとは、まったく異なる容姿と大きさの、恐ろしい妖魔とだけ、伝えられている」
「それが目覚めちゃったら、どうなるの?」
「目が覚めるのは、腹が減ったからだ。みさかいなく人間を襲うが、いくら食っても空腹は満たされない。グレイト・バーミンが、満足する食料はただひとつ。……我々、魔力を持つ王族。それも年寄りでは駄目だ。十歳から三十歳が食べごろと言われている」
えっ、と私は絶句して、固まってしまった。
ライムはそんな私を、悲しそうに見る。
「だから『選別の儀』とは、王家から怪物へささげる、生贄を選ぶ場なんだ。やつが洞窟から出て来る前に、王家のはみだしものであり、役に立たない程度の魔力しかない、けれど一応は王族の血を引いている。そういうものが餌として選ばれる。つまりそれが、『高貴な無益』なんだよ」
「そんな……そんな、だって……」
「腹がいっぱいになれば、やつは再び眠りにつく。また五十年間、人々は安心して暮らせるわけだ」
それではライムも私も、生贄にされてしまうのだろうか。
『残念なことに宮廷は、見た目ほど美しくないですけれどね。……それに、タイミングも悪い。きみはもうしばらく、戻ってこないほうがよかったかもしれない』
『しかし可哀想に、運が悪いな。せめてあと一年、いや、半年戻るのが遅ければよかったのに』
カレントとバーミリオンが言っていたのは、このことだったのだ、と私は悟る。
と、ライムの白い顔に、ふっと笑みが浮かんだ。
「なんて顔をしている。心配するな」
ライムの白い手が伸びてきて、よしよしと私の頭を撫でた。
いつもなら、子供扱いしないでとはらいのけただろうが、私は呆然としたままだ。
「たとえ選ばれても、お前は絶対に、生きて返す。だから誰の前に出ても恥ずかしくない、レディになれ。そのために、マナーも教養も、帝王学も叩き込んできたのだから」
「え……?」
「ロビンはいつか、ボンファイア王国の王女として、相応しい相手に嫁ぐんだ。花嫁衣裳を着て、美しい妻となり母となって、子を残すんだ。わかったな」
「なにを言ってるの? 意味がわからない」
急に不安が込み上げてきた私だったが、ライムは平然としていた。
「そのためには、カレントやバーミリオンのような、生贄にされそうな男が相手では駄目なんだ。僕はね、ロビン。さらわれて、生きているか死んでいるかもわからないお前が戻ってきて、本当に嬉しかった。が、同時に悲しかった」
「ライム……」
「僕はとっくに、覚悟ができている。だから、恋をするなどということも、考えたことがない。せめて、母上が望まれるなら、その身をお守りできるようにしていたい、と男子のように生きてきたが」
ライムは小さく、溜め息をつく。
「母上は、心を病んでおられる。僕の存在は、認識できていないようだ。だが、今は代わりにお前がいる。ロビンだけは、絶対に守りぬいてみせる」
そうだったんだ、と私は衝撃を受けていた。
(盗賊団での暮らしは、命がけの日々だったわ。でも、楽しいこともたくさんあった。私が盗賊団で、焚火を囲んで大笑いをしているとき。クレイターの膝の上で、なにも難しいことを考えずに遊んでいたときも、あなたはひとりきりで、ずっとそんなことを考えていたのね?)
「ねえ、ライム。この前も言ったけど。私、あなたを守る」
「おい。それこそ、この前も言っただろう。僕はそんなこと、望んでいない」
「だからどっちも、そのつもりでいようよ」
私は明るい声で断言した。
「そんな怪物、やっつけちゃえばいいのよ! そして戻ったら、恋の話をいっぱいするの。だって絶対、楽しいもの」
「……元気だな、ロビンは」
苦笑したライムを、励ますように私は言う。
「だってせっかくこんな、キラキラした世界にいられるのよ。ゆっくりしないと勿体ないもん。だったら、私、もっと頑張ってレッスンをがんばる。ついでに剣も、ライムにもっと鍛えてもらわなきゃ」
「僕のレベルに達するには、ちょっとやそっとじゃ無理だろうけどな」
「わからないわよ」
私はにっと笑ってみせる。
「だって実戦は、私のほうが上だと思う」
「確かに僕は、訓練だけというハンデがあるな。だが、基礎が出来上がっている、というのは大きいぞ」
「私だって、まずは短剣の持ち方から学んだわよ」
「それは盗賊どもの、独学だろうが」
(そうだけど。でも、ライム。私は絶対に、あなたを死なせたりしない)
いつの間にか、雷鳴は遠くにいって、聞こえなくなっている。
その夜、隣で一緒に眠ったライムと私は、以前より、距離が近くなったように感じていた。
♦♦♦
そしてそれより、半月の後。
正式に、『選別の儀』が行われる日付が決定したのだった。