野蛮人
ゆっくりと立ち上がり、こちらへやってきた青年は、すらりと背が高い。
目つきは鋭く、頬が精悍に引きしまっている。
「昼から飲んでいるのか、バーミリオン。いくら十五歳から飲酒を許可されているとはいえ、程度というものがあるだろう」
青年の背後にいた侍女が、ささげ持つ盆の上の酒壺をちらりと見て、ライムは言う。
バーミリオンと呼ばれた青年は、にやりと笑った。
「ワインなんて、水と同じだ。そんなことより、剣の手合わせをして欲しい。どうせヒマなんだろう?」
「残念ながら、貴様ほどはヒマじゃない。今は僕の妹に、宮廷を案内しているのでね」
ライムは言って、ぽかんとしている私を見た。
バーミリオンも、その視線につられたように私を見る。
「ほう。妹。例の、盗賊にさらわれたのが戻ってきたという、ロビン王女か」
鋭い目に検分されて、私は緊張した。
(この人も、キラキラしてる! でもちょっと、怖い人なのかな。なんていうか、迫力があるもの)
「ええと。おはつにおめめにかかります、閣下」
軽くドレスの裾をつまんで言うと、おめめってなんだよ、とバーミリオンは苦笑した。
「これはこれは王女殿下、丁寧なごあいさつ、恐悦至極に存じます。俺はバーミリオン。一応は王家に連なるものだ。よろしく頼む。ライムとは双子だったな」
「そうだが、僕が姉だ」
「同じようなものだろ。しかし可哀想に、運が悪いな。せめてあと一年、いや、半年戻るのが遅ければよかったのに」
バーミリオンは、カレントと同じようなことを言った。
私が首を傾げていると、ライムは小さく舌打ちをする。
「どいつもこいつも、言っても仕方のないことを」
「どいつもこいつも? 俺以外に、誰が言ったんだ」
「カレントだ。さっき、図書館にいた」
「ろくに剣も使えない、顔だけの本の虫と一緒にするな。まあいい。そんなことより」
バーミリオンは、腰に下げた大剣を、鞘の上から軽くたたいた。
「抜けよ、ライム」
「だから、今はロビンを案内している最中だと言っただろう」
「あっという間にかたがつくさ」
バーミリオンは、すらりと大剣を抜く。
後ろで侍女が、びっくりして酒壺を落としそうになるのが見えた。
私とロビンの侍女たちも、口を押さえて固まっている。
私も驚いて、胸元に隠してある小さな細身の短剣に、そっとドレスの上から触れた。
広い庭園の、たくさんの木々にさえぎられたこの辺りでは、周囲に侍女と私たち以外の姿は見えない。
「……やはり飲み過ぎのようだな、バーミリオン」
ライムも自分の剣のつかに、手を触れる。
「そうこないとな。妹の前では手加減してやるから、安心しろ」
「それは、無用」
言ってライムも剣を抜き、互いに構えを取って向き合った、そのとき。
(駄目!)
咄嗟に私の身体が、反応していた。
たたっ、と地面を走り、しっかりと剣を構えているバーミリオンの両手首を蹴るようにして、トン! と弾みをつけて跳ね上がる。
「なんだと?」
高く飛んだ私の身体は一回転し、空中で膨らんだドレスを、バーミリオンの頭にズボッとかぶせた。
うわっ! とバーミリオンは背後にひっくりかえり、その頭すれすれの場所に、私はスタッと着地する。
「剣を捨てて!」
ほとんど無意識の行動と、言葉だった。
バーミリオンの、剣を持つ手の二の腕に膝で乗り上げ、喉元に短剣をつきつける。
「お前……」
驚愕したような顔で、バーミリオンはまじまじと私を見つめた。
「ロビン、やめろ!」
厳しい声で言ったのは、ライムだ。
「その男は、僕と剣の稽古をしようとしただけだ。敵意はない!」
「え? そうなの?」
私は慌ててパッと立ち上がり、短剣を鞘に仕舞って胸元に戻した。
「なめた真似を……」
むっくりとバーミリオンが起き上がる。
「なんなんだ、この王女は!」
「聞きたいのはこっちよ! あなたも一応は、王族なんでしょ? なんだってライムちゃんに、剣なんか向けたのよ!」
怒って言うと、バーミリオンはずいと私の真正面に立つ。
そうすると、圧倒的な身長差で、気圧されそうになった。
「俺は手合わせを頼んだだけだ。そんなことも知らないのか」
「あいにくと、わたくし盗賊団出身ですの」
負けじと言い返すと、バーミリオンの表情からスッと怒りが消え、納得した顔になった。
「ああ。なるほど、そうらしいな。なかなかに、いい動きだった」
もう気にした様子もなく、バーミリオンは衣類の汚れをはらう。
「今度改めて、手合わせを頼みたい。こちらが飲んでいないときに」
「別にいいけど。あんまり強くなさそうだったけれど、大丈夫?」
なんだと? とバーミリオンの目がぎらりと光った。
でも私は、ちっとも怖くない。
本当の殺気はこんなものではないと、よく知っているからだ。
「本当のことを言っただけですけどぉ」
「今は油断をしていたんだ! 酒も飲んでいたしな」
「ワインは水と同じじゃないんですかぁ?」
カレントとは違い、近寄りがたいような優雅さはないので、私は遠慮なく言う。
ち、とバーミリオンは舌打ちする。
「やっぱりライムの、双子の妹だけあるな。生意気な王女だ。だが、度胸は認めよう。なにがなんでも一度本気で、勝負をいどみたくなった」
「ふざけるな。ロビンはお前の道楽に付き合うヒマなどない。……行くぞ、ロビン」
言いながら、くるりときびすを返したライムの後を、私は追いかける。
「はい、ライムちゃ……姉上」
「いちいち言い直すな。面倒くさいから、もうライムと呼べ」
「ちゃんはつけなくていいの?」
「それはつけるな。なんだかこそばゆくてムズムズする」
ちらりと振り返ると、まだバーミリオンはこちらを見ていた。
「ねえ、あの人は、どういう関係の王族?」
「あいつは野蛮人だ。そしてやはり、『高貴な無益』と呼ばれている。興味を持つ価値はないが、僕たちとの関係性は……国王陛下の父親、先代の国王の弟と、異国の奴隷との間にもうけられた子供だ」
くっ、と私はその複雑さに頭を悩ませる。
「お父さんのお父さんの、弟の子供……? そ、それって私たちにとっては、どういう存在になるのかな?」
「従叔父だな。まあ、親戚くらいに思っておけ」
ふーん、と私は一応納得する。
「でも、奴隷なんて、王国にいたのね」
「僕たちの生まれる前に、大きな戦があったらしいからな。そのとき、異国の人間を、たくさん捕虜にしたと聞いている」
「そう。……奴隷がお母さんかあ……。今も後宮で、元気でいるのかな?」
「いや。十年ほど前、亡くなったらしい」
そうなんだ、となんとなく私は神妙な顔になって言った。
バーミリオンは傲慢で、乱暴そうに見えたけれど、いろいろと大変な思いをして育ったのかもしれない、と思ったからだ。
「それより、ちょっとここに座れ。話がある」
ライムにうながされ、私たちはベンチに腰掛ける。
「なあに、ライム」
「お前、あの身のこなしはどういうことだ。僕になにも、言わなかったじゃないか」
「聞かれたこと、なかったじゃない」
「考えたこともなかったからな。盗賊暮らしで身に着けたのか?」
「まあ、そうね」
私は認める。
「いつでも、誰でも、自分や仲間に剣を向けた相手は敵、って生活だったから」
私は宙を見つめて、少し前までの、クレイターたちとの暮らしを思い出す。
「ほんの一瞬、判断が遅れると、先に相手の剣の切っ先が、仲間や自分の身体に届いてしまう。その前に倒さなきゃならない。それが無理なら、逃げなきゃならない。本当に、そのときそのとき、パッと決めないと駄目なのよ。迷っていたら、取り返しがつかなくなるの」
「……そんなにすさんだ暮らしだったのか」
ううん、と私は考える。
「すさんだ暮らしかどうか、っていうのはよくわからないな。それが当たり前だったから」
「親代わりが、盗賊の首領だったのだろう?」
「そうよ。その人や、他のみんなに、戦い方を自然と教わって大きくなったの。でも、私のお守りはちゃんと、売らないで持っていてくれたし。いい人だったって、私は信じてる」
「別にお前のその気持ちを、否定する気はない。無事に帰ってこられたのだし、お前を育ててくれたのは事実だからな。それに」
ライムは言葉を切って、遠くを見る目をした。
「その運動能力は、お前の役に立つと思う。不幸中の、幸いだったかもしれない」
「どういうこと?」
「じきにわかる。……僕と、手合わせをしてみるか?」
いやよ、と私は即答した。
「気に食わないのはともかく、ライムは私の実の姉でしょ」
「気に食わないのか。そうか、剣を取れ」
「いちいちカッカしないでよ、話が続かないじゃない」
「お前が余計なことを言うからだ」
「わかったわよ。あのね、盗賊団は仲間同士で刃物を使うのは、禁止だったの。練習のときは、木の枝を使ったわ。私が剣で戦うとしたら、それは誰かが仲間を攻撃したときよ」
ライムは白く細い眉を寄せた。
「では、お前は先刻、バーミリオンから僕を守ろうとしたというのか?」
ああ、と私は今になって気が付いた。
「言われてみれば、そうなるわね」
「今後、あんなことはするな。僕には必要ない」
「どうして?」
「どうしてもだ!」
言って立ち上がったライムの白い耳たぶは、ほんのりピンク色になっている。
「僕は弱いものを守るため、剣技を身に着けたんだ。だから、自分の身くらい当然、自分で守れる」
「でも、ピンチのときだってあるかもしれないじゃない」
「それはロビンだって、そういうこともあるだろう」
「私のほうが強いと思うけどなあ」
なんだと、とまたライムが頭に血を上らせそうだったので、まあまあと私はなだめにかかる。
「じゃあ、どっちかが危ないときは、どっちかを助ける。それでいいじゃない」
「お前だけが助けられろ。僕は、守られるガラじゃない」
「ガラとか、そういう問題?」
「そういう問題だ!」
なぜか怒ったようにライムは言って、かかとを鳴らして歩き出す。
(短気でプライドが高いなあ。やたら厳しいし、頑固だし。やっぱり苦手だわ、この人)
やれやれと溜め息をついて、私はライムと一緒に歩き出したのだった。