脱いだら一緒
「ライム。寝る前に、お風呂に行こう。宿の人が、支度してくれたんですって」
宿に泊まった二日目の午後。
私は隣室のライムに、声をかける。
「風呂? この宿に、浴槽があるのか」
「ええ。広いお風呂場があるんですって。明日の朝まで、私たちだけのために貸し切りにしてくれるそうよ」
「それは使わせてもらわないと、逆に申し訳ないな。入らせてもらおう」
ライムも承知したので、私たちは一緒に、宿の裏側にあるお風呂場に向かった。
「裾が長いから、階段に気を付けろ、ロビン」
「また、人を子供扱いして」
借りている部屋着が大きいため、私たちはなんだか、小さな子供に戻ったような気がしてしまう。
と、昨晩給仕をしてくれた少女が、急いで飛んできた。
「あっ、あの! おふたりだけで、入られますか? どなたか、侍女の方々など、馬車に行ってお呼びしましょうか」
いいの、と私は笑った。
「お風呂くらい、ふたりで入れるわ。王族だからって別に、あなたたちと、どこも変わりはないのよ」
「いえっ、でっ、でも、尊い、魔力を使える、雲上人でございますから!」
「それでも、服を脱いだら一緒だわ」
私が言うと、なぜか少女は目を潤ませた。
「素晴らしい! そのお言葉、感動いたしました!」
「えっ。そう?」
私はライムと顔を見合わせ、苦笑する。
「さあ、それでは、お湯が冷めないうちに、どうぞ。薬湯になっておりますので、疲れが取れると思います。出てこられるまでに、部屋着も新しいものにしておきます。それと、御身体をふくには、こちらを使ってください」
ありがとう、とお礼を言って、私はライムと、宿のお風呂を使わせたもらうことにした。
♦♦♦
「へええ。こうなってるんだあ」
宮廷の浴槽は、陶器でできているのだが、こちらは木の樽のようなものだった。
小柄なものなら、ふたり一緒に入れる程度の大きさで、そうした浴槽が四つある。
「湯の色が、濃い緑だ」
ライムが言って、注意深く匂いを嗅いでいる。
「そうね。薬湯って言っていたから、ハーブが入っているんだと思うわ」
「なるほど」
私たちは泡の出る植物の実で、わしわしと身体と髪を洗った。
「ライム、もう少し身体にお肉をつけたほうがいいんじゃないの? 腕も足も細すぎよ」
「ほとんど僕と同じじゃないか。自分こそ、もっと栄養をとれ」
言いながら身体を流し、ふたりそろって、そろそろと湯に入った。
「少し熱いな」
「ふわああ……気持ちいい……」
お互いに向き合った状態で肩までつかり、私は満足の溜め息を漏らす。
お風呂場の中は、湯気がもうもうとたちこめていた。
そして、おそらく、私たちのためなのだろう。
柱にも壁にも天井にも、そこら中に花がどっさりと飾られて、甘い香りが漂っている。
「いい香りねえ」
「うん。疲れが取れていく」
「四つある浴槽、全部に薬湯が入ってるわね。他の浴槽も入らないと、もったいないかしら」
「いや、誰かまだ、入るんじゃないのか」
「あっ、そうか。私たちが出たら、バーミリオンたちも入るわよね」
「そこまであいつは、回復したのか」
「カレントが一緒なら、大丈夫じゃないかしら。さすがにお風呂は、私が補助するわけにはいかないもの」
「ところで、ロビン」
コホン、と咳払いしてライムが言う。
「お前、前に恋がどうのという話をして、カレントが素敵だなどと言っていたが。あれはどうなったんだ」
「え。私、そんなこと言ってたっけ」
本当に覚えていなくて、私は考える。
「ああ。うーん。なんか、そんなことを言った気もする」
「なるほど。つまり、少なくとも今はなんとも思っていない、ということだな」
「そうね。うん。もちろんカレントのことは、信頼できる仲間だと、思ってるわよ。でも……ライムが言ってたみたいに、ドキドキとかは全然しないなあ」
そんなことを話していると、お風呂場の扉が、少しだけ開いた。
「失礼いたします。もう一名、お入りになりますが、よろしいでしょうか」
「えっ? ええ、あの、男じゃないなら!」
思わず言うと、もちろんです! と答えが返る。
「入らせていただくわ」
間もなくして、再び扉が開いて入ってきたのは、なんとゴールディーだった。
(あら、意外。こんな下々のお風呂なんて、使えませんわ、とか言いそうなのに)
ゴールディーは見事な黒髪を高く結い上げ、豊かな胸をゆさゆさ揺らし、堂々と歩いてくる。
「ステファニーは?」
尋ねると、手桶で湯を身体にかけながら、ゴールディーは首を振った。
「あの子は、人前に出たくないそうですの。意気地なしで、困ったものですわ」
ふう、と溜め息をつき、ゴールディーは私たちとは別の浴槽に、どぼんと入る。
「薬湯ですわね。下々のお風呂でも、お湯はお湯だと思って参りましたけれど、悪くないですわ。ところで、少しお聞きしたいのだけれど」
話を振られて、ライムがちらりとそちらを見る。
「なにか」
「バーミリオンが一度、命を落とされたのですって? それから、フェンネルの蘇生魔法で生き返ったと、うかがいましたわ」
「うん。どうもそうらしい」
「その前には、殺せないはずのグレイト・バーミンを倒し、ウロコも無事持ち帰ったとか。あなた方、いったいどうなっていらっしゃいますの?」
「どう、とは」
ライムは困惑したように、眉を寄せた。
「ですから、なぜ役立たずの、無益であるはずのあなた方が、そのように活躍できたのか、と聞いておりますの。わたくし、どうしても納得できないのですわ!」
「助けない方がよかった?」
私が言うと、ゴールディーの目が、怖いくらいに鋭くなる。
「そんなことは、言っておりません!」
「僕たちも、想定外だったんだが」
落ち着いた声でライムが言って、右手の甲をゴールディーのほうに見せた。
「生体魔石というのが、発現したんだ。これがあると、けたちがいの魔力が生まれるそうだ」
「そっ、それは……! ずっ、ずるいですわ、そんなの反則よ! なぜあなたたち姉妹に?」
「バーミリオンとカレントにもだが」
えっ、とゴールディーは眼をむいた。
「カレント様にも? ということは、カレント様と四人でおそろい? そんな、なぜあなた方に! わたくしたちではなく!」
「知らないけど、性格が悪いと駄目なんじゃない」
くふふ、と笑いながら言うと、ゴールディーはキイッ、と眉をつり上げた。
「盗賊上がりの小娘が、よくおっしゃいますわね! ライム王女! あなたも妹を、しっかりと教育なさいな。でないとこれから、苦労されますわよ!」
「お気遣い、どうも。しかし、きみの妹のほうが、厄介なんじゃないのかな」
冷静なライムの言葉に、ゴールディーの顔は、ゆで上がったようにみるみる真っ赤になる。
「もう出たほうが、いいんじゃないの? のぼせるわよ」
からかうように言うと、ざばっ、とゴールディーは湯船から出た。
「言われなくとも、そうするつもりでしたわ! 下々のものは、肌がぶあついのでしょう。熱くて入っていられませんもの」
ぷりぷりしながら、ゴールディーは扉に向かって歩いていく。
が、扉を開いたところで、一度こちらを振り返った。
「一応は、礼儀として、伝えておきますわ。……わたくしたち姉妹の命を救ってくださって、感謝しております。ありがとう」
そう言うと、プイとゴールディーは顔をそむけ、扉を閉めて行ってしまった。
私とライムはきょとんとしてから、しばらくクスクスと笑ってしまう。
けれどひとしきり笑っておさまると、ライムがポツリと言った。
「もしかしたら、礼を言いに来たんじゃないのかな」
「えっ。まさか。そんな人じゃないでしょ」
いや、とライムは複雑な顔をして、髪をかき上げた。
「ゴールディーは、神経質だし、贅沢だし、風呂にも随分と凝った入り方をしていると聞いている」
「お風呂に凝る?」
「うん。侍女たちに身体をもませたり、あおがせたり。香油をぬったり、花びらを湯に浮かべたりな。浴槽も装飾に金を使った、特別製の物らしい」
へええ、と私は一生懸命その様子を想像してみたけれど、なかなかピンとこなかった。
「私はお風呂っていうか、川で泳ぐくらいだったからなあ」
「だろうな。しかし、あのゴールディーがこうした大衆向けの浴場にやってきたのには、理由があると僕は思った」
「その理由が、お礼を言いたい、ってこと?」
「多分な」
そっか、と私はなんとなく合点がいった。
「ここなら湯気がもわもわで、照れくさくても顔がよく見えないもんね」
「我々以外に、聞かれることもないからな」
「ほんっとに、負けず嫌いなのね」
でもそれは、私もライムも同じかもしれない。
そんなことを話しつつ、すっかりくつろいで身体が温まってから、私たちはお風呂を出た。
そして、給仕の少女が持ってきてくれた、爽やかな香りのする冷たい飲み物を、喉を鳴らして飲んだのだった。
♦♦♦
「お帰りなさい! ボンファイアの、伝説の四宝様!」
「生体魔石の英雄たち!」
「どれ、どの人たちが四宝だい?」
「生きている宝石だって。すごいねえ、父ちゃん」
「すさまじい魔力を持っておられるんだと。これなら我が王国は、これからもずっと安泰だよ」
わあっ、わあっ、という歓声と、浴びせられる花びらの中、私たちの乗った馬車は進んでいく。
「ねえ。なんだか、グレイト・バーミンのところに行ったときとは、大違いね」
窓の外のお祭り騒ぎを見ながら言うと、すっかり回復したバーミリオンが苦笑した。
「だろうな。もともと、ゴールディーたちの歓迎をするつもりだったんだろうが。いつの間にか、俺たちの噂が広まったようだな」
「まあ、悪い気はしませんが。こんなふうに手のひらを返されると、人間不信になりそうです」
「お前はもともと、そんなふうな性格だろ、カレント」
「否定はしません」
カレントは、涼しい顔で認める。
「顔だけ、なんてあだ名をつけられるくらいですからね。人の裏表は、いやっていうほど見てきましたよ。でも、きみたち三人は違います」
きっぱりと言い切って、カレントは、私たちをひとりひとり見る。
「命の境を共にした、大切な仲間ですから。僕は、三人のことはなにがあっても信じますし、困ったことがあれば助けます。あの、どろどろとした宮廷に戻っても、それは変わりません」
うん、と深くライムがうなずいた。
「僕たちはおそらくこれから、英雄だの、伝説の生体魔石だのと、もてはやされるだろう。しかし、調子にのらないことだ。人々を愛することと、甘えることは、同じではない」
「宮廷かあ。私、戻りたくなくなってきちゃったな」
ふう、と私は溜め息をつく。
「最初はね。美男美女ばかりで、色とりどりで鮮やかで、キラキラでぴかぴかで、つやつやでヒラヒラで、夢の国だと思った。でも、今は違うわ」
私は気を引き締めて、窓の外で手を振ってくれている、人々を見る。
「あの人たちは、私たち王族が自分を豊かに、幸せにしてくれると思っているから、あんなに歓迎してくれているのよね」
「ああ、そうだ」
「全部じゃなくっても、自分たちが働いて収穫したものを王家に差し出すのは、そのためよね」
「もちろんだ」
肯定したライムに、私はうなずく。
「期待を裏切ったら、逆の反応が返ってくる。よくわかった。……でも、怖くはないわ」
私は苦難を一緒に乗り越えてきた、馬車の中のそれぞれの顔を見た。
「カレントが言ってくれたように、どんなときにも、私には三人がいてくれるもの」
「ああ。同じ気持ちだ、ロビン」
「俺も」
「僕もですよ」
言って私たちは馬車の中で、それぞれの手を重ねた。
手の甲の不思議な魔石は、その思いに呼応するかのように、きらきらとまたたいていた。




