高貴な役立たず
(はーあ。毎日、勉強勉強、マナーに言葉づかいに、お辞儀にまで種類があるなんて、いやになっちゃう。それにずっと、こもりきり。お部屋がいくら素敵でも、さすがに見飽きてきちゃうわよ)
私のイライラがたまっていると、察したのかもしれない。
一週間ばかり経過したある日、ライムは私を、城の見学だと部屋から連れ出した。
「ずいぶんと、勉強を頑張っているとマリィから聞いている。思っていたより、見どころがあるみたいだからな。今日は、ご褒美だ」
私は習ったばかりのお辞儀をして、にっこり笑ってみせる。
「あら、見どころがあると思われまして? お褒めいただき、ありがとう存じますでございますですわ」
「なんだ、皮肉か。ほめてやっているのだから、素直に喜べ」
ほめて「やっている」という言い方がしゃくにさわる。
「あーはい、嬉しい嬉しい。でも、城内を見て回れるのは、本気で楽しみかも。舞踏会って、やってるんでしょ? 華やかで、めちゃくちゃキラキラしてそうだし。王様には挨拶したきりだけど、また会えるのかな」
先日、かつて想像もしたことのなかったような、豪華な宮廷の一室で、玉座から見下ろしてきた立派な男性。
『ロビンか。久しいな。無事で、なによりであった』
白髪に王冠をかぶったあの人が、自分の実の父親なのだと聞かされたときは、腰が抜けるかと思った。
でもなんだか冷たい目をしていて、初対面の偉い人、ということしか、私は感じなかった。
「あれって一応、私のお父さんなんだよね?」
ライムの隣に並んで城内を歩き回りながら、私は尋ねる。
少し離れて侍女たちも、それぞれひとりずつ付いて来ていた。
「国王陛下は、確かに僕たちの父親だが、あまり興味は持たれていないと思うぞ」
「え? どういうこと?」
「僕らの母親は、愛妾……つまり、簡単に言えば、僕らは愛人の娘だ。愛妾にも爵位による序列があってな。僕らの地位はとても低いと思っておけ。そして陛下には、正妻である王妃殿下との間に、第一王女、それに王太子殿下がおられる」
私は必死に頭を巡らせた。
「えーと、えーと、それってお母さんは違うけど、私のお姉さんとお兄さん?」
「そうだが気軽に言うな、王位継承権も立場も、我々がずっと下だ。愛人の子供は僕ら以外にも、数人いる。だから僕は」
長い廊下の、曲がり角で立ち止まったライムは、私をじっと見た。
「王妃殿下と異母兄、異母姉に邪魔な存在ではないと知らしめるため……少し変わった位置に、居場所を確保してきた」
「あのさあ」
私は首を傾げ、正直に言う。
「言ってる意味、よくわかんない」
「だろうな、バカめ」
「うわ、ひっどい! えーっと、要するに、自分は変わり者です、王位とかに興味ないし、ライバルでもありません、って思わせたいわけ?」
フン、とライムは鼻で笑う。
「なんだ、わかってるんじゃないか」
「言い方が回りくどいのよ」
「バカに合わせて話すことに慣れていない」
「ほんっと、頭にくるこの雪だるま」
「なんだと、自分だって霧雨みたいな頭をしているくせに」
「霧雨ですってえ? 盗賊団では、綺麗な銀色でまるで星の川だ、ってほめられてたのに!」
「盗賊団の星など、ここでは雨つぶということだ」
言い合いをしながら、私たちはまた歩き始めた。
「でも、じゃあ、お母さんはどこ?」
自然に出てきた言葉だった。
ライムはぴくっと肩を揺らす。
「──療養のため、保養地におられる」
「そうなんだ。いつか私も会える? 会ってみたいなあ。お母さん」
「いずれ、母上の体調がよいときに。そしてお前が、王女として相応しい立ち居振る舞いができるようになったらな」
「本当? やった、楽しみが増えた!」
お母さん。お母さん。繰り返すと、なぜか胸の中が、ほんわかと暖かくなる。
(国王陛下は、なんだか遠い存在に感じたけれど。お母さんはそんなことないと思う。よし、そういうはげみがあると、マナーとやらも覚えがいがあるわよね)
そんなことを考えて歩いていくと、だんだんと周囲に人の姿が増えてきた。
「これは、ライム王女殿下。そして、ロビン王女殿下。こちらでの生活は、慣れてこられたでしょうか?」
うやうやしく尋ねてきたのは、立派な軍服を着た男性だった。
「ロビン。こちらはライジェル将軍。我が王国軍の、勇猛な軍人だ」
「ええと、ロビンです。まだあまりにキラキラして、慣れないというか、うっとりして夢の中にいるようで」
「そうですか。しかし、ご無事でよかった。お小さいあなたがさらわれた事件は、ずっと王宮の大事件として語られていたのですよ。本当に、お元気そうでなによりです」
そうなんだあ、と私は目の前の大きな人を、背中を反らせるようにして見上げた。
さらに歩いていくと、あちらこちらに女官が固まって、こちらを見て何かささやいている。
「ライム様だわ。相変わらずきりりとされて、見目うるわしい」
「あっ! あのお隣にいらっしゃる方が、双子のロビン様? 白髪と銀髪の違いはあっても、よく似ていらっしゃること」
「せっかくお戻りになられたというのに、お気の毒ねえ。おそらく選別の儀で」
「お母様が、貴族ではありませんものね」
「シッ、はしたない。聞こえますわ」
なんだろう、と思っていると、ライムが小声で言った。
「さっきも言ったが、僕たちは王族の中では下級だ。『高貴な無益』とあだなをつけられている。それを心にとめておけ」
「高貴な……ムエキってなに?」
「ムダ、役立たずということだ」
「なにそれ、失礼じゃない?」
どういうことだろう、と思っているうちに、ライムはカツカツと、膝までのブーツのかかとを鳴らして先を急ぎ、次々と宮廷内を案内した。
「僕らがいるのは東の宮殿。本殿には、国王の間と王妃の間、謁見の間、それに大広間や舞踏会の会場がある」
「そこ! その部屋見たい! すっごくキラキラしてそうだもの」
「キラキラキラキラ、うるさいな。お前はカラスか」
「なにそれ。カラスってキラキラ鳴くの?」
「そんなわけがあるか。カラスは光るものが好きなんだ。とにかく今日は場所の説明だけだぞ。いずれ用事があれば、各部屋に入ることがある」
「えー。つまんない」
「それから外も説明しておく。あちらに厩舎。そっちが兵舎」
「遠くから眺めてるだけでも、確かに立派でございますわねー。緑も綺麗だし空も青いし、私はずっと、部屋にとじこもりっきりだけど」
周囲を眺められる出入り口に立ち、次々と指を差して説明するライムを、私はふてくされて横目で見る。
と、ライムはふっと笑った。
「……まあいい、ご褒美と言ったからな。庭くらいは散歩しよう。この時期の庭園は、花々が美しい。それに、別棟に図書の館もある」
やったあ! と私は、今度ばかりは素直に喜んで、ライムの後をついて行った。
♦♦♦
「うわあ。壁が、全部本! あんなに高い上のほうまで! 手が届かないんじゃないの?」
「王族たるもの、本くらいはどの位置にあろうとも、魔力で取れる」
「あっ、そういう手があったのね」
まるで教会のような、荘厳な雰囲気の図書館は、どこかカビのような、それでいて落ち着く匂いがしていた。
入ってすぐの場所には、入館を管理する人がいて、じろりとこちらを見る。
「ライムとロビンだ。通るぞ」
ライムが言うと、長い白髪と白いヒゲの管理人は、丁寧に頭を下げた。
「ここは、王族しか利用できない図書館だ。この王国の中の、あらゆる本がそろっている」
「へええー! すごいのねえ。でも王族しか利用できないなんて、ケチよね。誰でも読めるようにすればいいのに、勿体ない」
「そんなことをすれば、貴重な書物が傷む。それに、難解なものが多い。特に魔法書などは、平民が目にしても意味が解らない。魔法文字や、古代語で書かれているものもあるからな」
へええ、ほおお、と私は感嘆しながら、くるくると周囲を見回しつつ、奥へと進んだ。
すると、誰もいないと思っていた奥のテーブルに、人がいたことに気が付いてギクッとする。
おや、というように、その人物は分厚い書物から顔を上げた。
「ライム王女。こちらのレディは、もしかして、ロビン王女ですか?」
やわらかな声で言ったのは、金髪の、びっくりするほど綺麗な青年だった。
(うわあ。キラキラしてる!)
明り取りの日差しを受けて、金髪の青年は私の目に、本当にキラキラして見えた。
「うん。ロビン、紹介しよう。カレント侯爵。国王陛下の、腹違いの妹の息子だ」
「えっと。それって、いとこ?」
(お父さんの異母妹の子供って、どんな関係になるんだろう)
混乱する私に、カレントは優しく微笑んだ。
「細かいことは、気にしなくていいですよ。王族などというのは、みんなどこかで血が繋がっている、くらいに思っていれば問題ありません。……よろしく、ロビン王女殿下」
「あっ、はい! よろしくです!」
ぺこっと頭を下げた私の背中を、べしっとライムが叩いた。
「こういうときは、ドレスの裾をつまんで、お初にお目にかかります、侯爵閣下。と言うんだ。やり直し!」
「そんなこと、しなくていいですよ。相変わらず堅苦しいですね、ライムは」
カレントは、綺麗な歯を見せて笑う。
「ロビン王女は、まだ城に馴染めていないんでしょう?」
「そうなんです。それにこの人、意地悪だし、いばりんぼうだし、ムカついてムカついて」
ライムを指差すと、ぺしっとまたも叩かれた。
「ほら、こうやってすぐ暴力をふるうんですよ」
「いい加減にしろ、ロビン」
くすくすと、私たちを見てカレントは笑う。
「さらわれて以来、盗賊団にいたんだそうですね。環境が変わり過ぎて、びっくりしたんじゃないですか」
「あ、はい。でも、どこを見てもキラキラして綺麗だから、楽しいです」
そうですか、となぜかカレントは、どこか悲し気な声で言う。
「残念なことに宮廷は、見た目ほど美しくないですけれどね。……それに、タイミングも悪い。きみはもうしばらく、戻ってこないほうがよかったかもしれません」
「言っても仕方のないことは言うな、カレント」
厳しい声でライムが言うと、カレントは静かにうなずいた。
「まあ、確かにそうですね。……ロビン王女。今度ゆっくり、盗賊たちの話を聞かせてください」
「えっ! 本当ですか? ぜひぜひ、聞いて欲しいです。いろんなことがあったので」
カレントは、優しく微笑む。
「退屈な貴族の暮らしの中では、考えられないようなことを経験したんでしょうね」
「はいっ! それはもう。えっと、カレント侯爵閣下も、王宮にお住まいなんですか?」
「はい。王宮ではないですが、貴族たちは基本的に宮殿の一角に住居を持っていますから。直轄領にも別宅がありますけどね。それと、いちいち侯爵閣下はつけなくていいですよ」
「じゃあ、私のこともロビン、て呼んで下さい!」
にこにこしてカレントと会話する私を、ジロリとライムは横目で見た。
「言っておくが、ロビン。カレントは、顔だけの本の虫だぞ」
「え?」
「ライムは相変わらず、手厳しいですね」
カレントは困ったように苦笑して、金髪をさらりとかきあげる。
(うわー。やっぱりキラキラ)
私はカレントの仕草ひとつひとつが、貴族的で優雅に思えて仕方ない。
「カレントも僕たちと同じ、『高貴な無益』だ。魔力も弱いし、大して国の役には立たん」
「ええっ、ちょっと、そんな言い方って」
ひどすぎるのではないか、と思ったが、カレントは気にした様子もなく、笑みを浮かべたままだ。
お互いに呼び捨てにするくらいだから、距離は近いのかもしれない。
「本当のことだからいいんですよ、ロビン。近いうちに、嫌でも知ることになるでしょうから」
「余計なことは、言うなと言っている。さあロビン、行くぞ」
ライムが背中を向け、出口に向かって歩き出したので、私は慌てて後を追った。
途中で振り向いて、ぺこっと頭を下げると、カレントは笑って手を振ってくれる。
私もぶんぶんと手を振ると、気付いたライムに、べしっとまた頭をはたかれた。
♦♦♦
「あー、なんだか優しそうな人だったなあ。年はいくつか上なの?」
「カレントか? あいつは十七歳だったはずだ」
「そうなんだ。金髪がさらさらーってして、まつ毛が長くて」
「フン。だからあいつは顔だけだと言っている」
「足だって長かったよ?」
「顔と足だけだ」
「性格もよさそうだったし」
「とにかく、あいつなんかに興味を持つな」
むっつりとして、ライムは庭の中を歩いていく。
美しく手入れされた庭園は、様々な花が咲き乱れ、うっとりするくらい美しい。
「なんだか、風までいい香りがするね」
「ああ、花の香りだな」
ライムも言って足を止め、しばらく風景を楽しんだ。
「すごい、噴水もあるのね!」
「噴水くらいあるだろう、なにせ王宮だからな」
「そりゃあ。ライムちゃ……姉上は見慣れてるだろうけど。お城で育ったんでしょう?」
「まあな」
「いいなあ。ずっとおいしいものばかり食べて、綺麗なものに囲まれて」
「たいしていい生活じゃない」
「うわ。これでも満足しないなんて贅沢」
そんなことを話しながら再び歩き始めたのだが、あずま屋の近くで、ぴたりとライムは足を止めた。
「面倒くさいのがいる。戻ろう」
ライムは言ったのだが、遅かったようだ。
「おい! そこにいるのは、ライムだろう。ヒマつぶしに付き合ってくれないか」
あずま屋の椅子から声をかけてきたのは、赤い髪のりりしい、けれど、どこか物騒な印象の青年だった。