大丈夫
「馬車をとめて!」
まだ開いたままの扉から、私は必死に叫んだ。
「馬が、言うことをきかないのです!」
同じくらい必死な声で、御者が叫び返してくる。
バーミリオンは、と懸命に後方を見ると、停車した状態から落ちただけのため、無事に立ち上がったのがわかったのだが。
「おい。あれはなんだ!」
馬車から身を乗り出すようにして、様子を見たライムが、緊張した声で言った。
と、ようやく馬車が再びとまり、急いで降りた私たち三人が見たものは。
「顔だけの女の次は、胴体だけの女のようですね」
カレントのつぶやきのとおり、村の外から近づいて来るそれは、巨大な青い女の首から下だった。
「化け物だ! 逃げろ、はやく」
「だけど、家にはまだお爺さんが!」
村人たちは家々や店から飛び出して、大騒ぎになっていた。
「収穫前の畑が、みんなダメになっちまう」
「待て、まだあの怪物が、なにをしに来たのかわからんぞ」
村人たちが言うとおり、女はただ、ゆっくりと歩いてくるだけだった。
その大きさは、教会の屋根よりも高く、異様なのは両手とその鋭い爪だけが、地面につくほど長いということだ。
「あれって、島にいた女の顔の、胴体部分なのかしら」
私の言葉に、カレントは首を傾げた。
「どうでしょう。わかりようはないですが、人の世をうろつくべきものでないことは、確かだと思いますよ」
「ともかく、人に危害を加える前に行ってみよう」
ライムが言ったそのとき、あっ、と誰かが叫んだ。
「どっかで見たと思ったら、あの赤い髪の男は、流浪の旅にでたはずの王族じゃねえのか」
「ああ、そうだ、触れ書きにあった。俺は、城を出るとき見たぞ。真っ赤な髪が珍しくて、よく覚えてる」
「その大きな馬車から出てきたってことは」
「ねえもしかして。あの人たちが、女の化け物を連れて来たんじゃないの?」
周囲の村人たちの目が、いっせいに私たちに向けられた。
疑うような、敵意をにじませた、白い目だ。
「おっ、おい、あんたたち、早くあいつをなんとかしてくれ!」
「あの化け物は、あんたらを狙ってるんだろう?」
「これから収穫する穀物が、駄目になっちまうよ!」
「お前たちが、呼び寄せたんだろ。お前たちがどっかに行けば、あいつもついて行くんじゃねえのか」
「早く、追い出せ!」
「村から消えてくれ、この邪魔者が!」
「いたっ!」
コツッと額に石があたる。誰かが石を投げてきたのだ。
「無力な村の人たちがおびえるのは当然です。それに、島の怪物と関係あるのなら、確かに、僕たちを追って来たのかもしれませんよ」
私が怒る前にカレントが言い、ライムも同意した。
「ともかく、放ってはおけない。あいつのせいで被害が出る前に、こちらから叩こう」
言って走り出したふたりに続いて、もちろん私もその背を追う。
なによりも、ずっと後方にいるバーミリオンに怪物がせまっているため、それが心配だった。
「あの赤い髪も、化け物と一緒に早く追い出せ!」
「村から出ていけ!」
バーミリオンが馬車から落ちたあたりでも、村人たちが騒ぎ出していた。
バーミリオンは人々から逃れるようにして、剣を抜き、女の胴体と対峙しようとしているのが見える。
「バーミリオンったら、私が到着するまで待てばいいのに! あんなに近づいたら危ないわ!」
走りながら私が言うと、よく見ろ! とライムがバーミリオンのほうを指差した。
「バーミリオンの前に、子供がいる!」
「ほ、本当だわ。どうして」
よく見ると、子供は薪を背負っているようだった。
そしてその薪を、怪物とバーミリオン、両方に投げつけている。
「来たな。私の顔を、美しい顔を壊した、愚か者どもめ。薄汚い、王の血を引いた、無駄な生き物たち」
女には口がないが、声が聞こえた。
それは頭の中に直接響いてくるため、おそらく発声器官とは関係ないように思える。
「やっぱりだ、怪物は、馬車の連中を狙っているんだ」
「村は関係ねえんだ!」
「出ていけ、早く、どっかに消えてくれ!」
罵声をあびながら、私たちはバーミリオンのもとへと急ぐ。
と、女の長い手が、突然素早く動いた。
「バーミリオン!」
バーミリオンは一撃目は、ひらりと交わした。
ところが。
「危ない!」
女の手は、今度は薪を投げつけた子供に向かった。
長い爪の先が、なぎはらうように子供めがけて叩きつけられる、寸前。
「きゃあああ!」
「子供が!」
村人たちの悲鳴が上がる中、私の目にはバーミリオンが子供を抱き、投げるように放ったのが映った。
そして、その背に爪がぐさりと突き刺さり、服の背中が、みるみる赤く染まっていくところも。
「バーミリオンーッ!」
一度深く身体をつらぬいてから、もう一度腕が大きく振られ、その反動でバーミリオンは空中に飛ばされて、どさりと落ちた。
「急げ、ロビン!」
悲鳴を上げた私の手を、ライムがしっかりつかみ、なおも私たちは走る。
「僕はフェンネルを連れてきます!」
カレントは回れ右をして、反対方向へと走り出した。
(フェンネル。そ、そうよね。前にいる馬車に乗ってるはずだわ。彼がいれば治癒魔法を使えるから、大丈夫よ)
私はそう考えて、少しだけ安心する。
そして。
「ああ、くさい。ボンファイアの血だ。ヴィクター王朝の、汚い血の匂いだ。お前たちは、みんな、滅びなくてはならない。美しいわたくしの手にかかり、一族郎党、すべてが……ぎゃあああ!」
怪物がすべて言い終える前に、ライムが女に手のひらを向ける。
「──ッ!」
威力を増したライムの凍結攻撃の前に、消滅は一瞬だった。
あっという間に、バキバキと崩れていった怪物のざんがいには目もくれず、私は倒れているバーミリオンにかけよる。
「バーミリオン! バーミリオン、しっかりして!」
私はドレスを引き裂き、その布で血のあふれる胸の部分を、きつくおさえた。
背中から刺さった化け物の長い爪は、胸まで貫通していたのだ。
「……ロビン……」
バーミリオンの精悍な顔からは、血の気が失せていた。
口元と、上着を染める血が、目に突き刺さるくらい、赤く見える。
「大丈夫よ。すぐに、フェンネルが来るから」
私は励ますように言ったけれど、バーミリオンには、聞こえていないかのようだった。
「ロビン。ロビン、いるのか」
「いるわよ! なによ、そんな弱々しい声出して。バーミリオンらしくないわよ!」
と、背後で、うわあん、という泣き声が聞こえた。
バーミリオンがかばって助かった、薪を背負った子供だ。
「だって、母ちゃんが、この人も悪者だって。俺は、村を守らなきゃって思ったから。だから」
私は子供とバーミリオンを、交互に見ながら言った。
「へ、平気よ。泣いたりしなくていいの! バーミリオンはとっても強いのよ。治癒魔法を使える人もいるし、すぐに治るわ」
けれどおさえても、おさえても、バーミリオンの身体から流れる血は止まらない。
「──ロビン」
苦しそうな息で言うバーミリオンの目は、焦点が合っていない。
私は怖くなってきて、その口元に耳を近づけ、あえて明るい声で問う。
「なあに。聞いてるわ」
「俺は……ずっと、退屈だった」
急になにを言い出すのだろう、と私はますます不安になったが、バーミリオンは続けた。
「なんのために、生きているのか。怪物に食われるために、俺は生まれたのか。ガキのころから、ずっとそればかり、考えていた」
「も、もう違うわよ。グレイト・バーミンはいないんだもの。これからは、そんなこと、考えなくていいのよ」
「でも、ロビン」
バーミリオンの手が、私の手に触れてくる。
それはこきざみに震えていて、氷のように冷たかった。
「お前に会って、それが変わった。毎日が、新鮮で、お前がなにを話すのか。どんな顔を見せるのか。それが、楽しみになった」
「バーミリオン……わ、私だって、同じよ」
私の目から、我知らず涙かあふれる。
「だから、これからの私のことも、ずっと見ていて! 私、がんばる。もっとちゃんとしたレディになるわ」
私はほとんど、泣き出してしまっていたが、バーミリオンは落ち着いた、死を覚悟したような静かな顔をしていた。
「もう少し、早く、会いたかった。そうしたら……お前の作る飯だって、食えたのにな」
「なによ! ご飯くらい、いくらでも作ってあげるわよ!」
「……ありがとう」
びっくりするくらい綺麗な顔で、バーミリオンは微笑む。
「ロビン。俺の……大事な、可愛い……」
ふ、とバーミリオンの呼吸が途切れたのが、私にはわかった。
大切な人を失う恐ろしさに、ドキン、ドキン、と胸の鼓動が早くなり、私は必死にバーミリオンにとりすがる。
「だ、駄目よ、バーミリオン! 目を開けて! 嘘でしょ、こんなのイヤよ!」
ライムは、何も言わずに背後に立ち尽くしていた。が、ふいに大声で言う。
「カレント! こっちだ、早く!」
その声に振り向くと、おそらく馬車の中で精魂つきはて、熟睡していたであろうフェンネルを背負って、カレントが走って来た。
「バーミリオン? どうしたの」
フェンネルはカレントの背から降りると、ふらふらしつつも、こちらへと走って来てくれた。
なにしろ連日、治癒魔法を使い続けてきたのだ。
疲れはてていても無理はない。
「フェンネル! バーミリオンを助けて、お願い!」
私が泣きながら頼むと、バーミリオンの様子を一目見て、フェンネルは眠そうだった表情を、サッとひきしめた。
そして、バーミリオンの横に座って、手をとって脈をみる。
「大丈夫よね? 助かるわよね?」
何度も念を押す私に、フェンネルは唇を噛み、けわしい表情になった。
「脈が、ない」
その言葉の衝撃に私は息を飲み、両手で口を押さえる。
「そんな。そんなの、いや……」
「僕は、治癒しかできない。死者を蘇らせることはできないよ。でも、やるだけのことはやってみる」
(やめて。死者なんて、言わないで)
フェンネルの両手が、傷口に触れ、そこからパアッと白い光があがった。
(バーミリオン、目を開いて。息をして)
ざわざわと、村人たちが集まり出していた。
そして、崩れ落ちた怪物と、バーミリオンに助けられた子供を囲んで、あれこれと話している。
「あの人らが、あっという間に倒したんだと」
「こんなすげえ化け物をか。本当に、触れ書きにあった王族の中の、役に立たない邪魔者なのか?」
「あれだけの魔力があったら、違うに決まってるべよ」
「子供も助けてくれたし、きっと偉い人たちじゃないのかねえ」
「あっ! フェンネル様じゃないか」
「本当だ。あの人には、病気や怪我を治してもらった村人が、大勢いるだろう」
「いったい、どうなっとるんだ」
今の私は、もうなにを言われてもどうでもよかった。
ただ、バーミリオンを失いたくない。
それだけで頭がいっぱいだった。




