将来
顔だけの女の妖魔を撃退した私たちは、ひとまず教会へ戻った。
治癒魔法を使えるフェンネルのがんばりで、即死した兵士以外は、なんとか元気をとりもどすことができていたのだが。
「わたくし、このままでは、帰れませんわ」
髪の毛の大半を失ったステファニーは、ずっと泣いている。
それに顔の火傷も治りはしたが、痕は残ってしまっていた。
「森の馬車で待機させている侍女に、わたくしのマントで、簡単な帽子を作らせます。それまではスカーフを持ってこさせましょう。ともかくそれで、我慢なさい」
姉のゴールディーの言葉にも、ステファニーはいやいやと泣きじゃくる。
「そのような、急場しのぎのもので顔を隠して、城に戻れとおっしゃいますの? レディに対して、あまりにも残酷ですわ、お姉さま! せめて、町にまで使いを走らせて、一番上等のボンネットを買ってきてもらうわけには」
「このようなときに、甘えるのもいい加減になさい!」
ゴールディーは、叱りつけた。
「今回の件は、わたくしたちとって、大失態なのですわ。霊廟であのような騒ぎを起こし、しかも自分たちで解決できなかったのですから。少しでも早く戻って、国王陛下にご報告をせねば」
「お姉さまは、ご自分の髪がなくなっていないから、そのように言えるのですわ!」
「髪が燃えたのは、あなたがのろまだからでしょう!」
「違うわ、お姉さまの攻撃が下手くそだったのよ!」
きいい、と喧嘩を始めたふたりを横目に、私たちはフェンネルから話を聞く。
「ねえ、教えて。いったい、なんでこんなことになったの?」
「きみたち四人が霊廟に訪れたときに、すでにあの怪物はいたんですか?」
フェンネルは壁にもたれてぐったりと座り、私たち四人は、それを囲むようにして返事を待つ。
「いや。ええと、僕らを先導して歩いていた神官が、急に立ち止まったんだ。嫌な気配がすると言って。でも、聖域で剣を抜くのはいいこととはされていないから、注意しつつ、奥へと歩いて行ったら……こう、もわもわと黒い煙が出ていて」
フェンネルは両手を大きく広げて、その状況を説明する。
「その煙が形をとって、女の顔になった感じかな」
「その出現の仕方だと、誰かが魔力で作り出した怪物のようですね。おそらく、住みついていたり、どこかから移動してきた怪物ではないと思いますよ」
カレントが、難しい顔で言う。
「じゃあ、王族に恨みを持つものが、危険な怪物が出現するよう、魔道で罠を仕掛けたっていうのか?」
バーミリオンは、納得できない顔をした。
「この島は、今回みたいに特別な儀式で祈りをささげるか、王族が先祖の墓参りに来るだけだろ。神官たちが出入りするのも、その儀式の前後だけだ」
ライムもうなずいて、同意する。
「結界が張ってあるからな。下手な魔力の持ち主や妖魔ほど、うかうかと入って来られないはずだ」
そんなことを言われても、とフェンネルは困惑した。
「僕にも理由はわからないよ。とにかく、出現はそんなふうだった。あとはもう、夜通しゴールディー王女とステファニー王女が攻撃して、僕が治癒して、神官が対岸に戻って伝令を飛ばして……兵士たちが応援に来てくれたけれど、ただもう、肉の壁になるだけだったよ」
バーミリオンが、眉を寄せる。
「ブライアンは?」
その名を聞いて、フェンネルは口をへの字にした。
「あの王子殿下は、ちょっとは剣を振るっていたけど、そのうちにゴールディー王女が怒ってね。戦うふりをするのはおやめ下さる? むしろ邪魔ですわ、って」
彼女らしい、と私たちは思わず苦笑してしまった。
当のブライアンは、もう教会にいるのも怖いと言って、先に船着き場に行っている。
「でも僕は、気持ちわかるよ」
青白い顔で、フェンネルはブライアンをかばった。
「僕たちは、戦うという気持ちの準備すらできていなかった。一生に一度でも、実戦を経験するなんて、想像もしていなかったんだから。そりゃあ、おっかないよ。戦いに向いている人っていうのは、いると思うけど、僕は弱い。一刻も早く逃げ出したかったのは、僕もブライアンも同じだ」
「でも、逃げなかったじゃない」
私はしゃがんで、彼と同じ目線で言った。
「くたくたになって、みんなを助けたあなたはすごいわよ。あなたがいなかったら、死んでいた人だって、ひとりやふたりじゃないんじゃないの?」
フェンネルは、ポーッと顔を赤くした。
「そ、それはそうなのかな。でも、それしかできなかった」
「それしか、って。助けられた人の、家族だってきっとあなたに感謝するわ。だからあなたは、間接的に、すごくたくさんの人を救ったのよ。私ね、フェンネル」
私はフェンネルの、髪に隠れていないほうの目を見つめて言う。
「あなたのことを、よく知らなかったけれど。助けに来て本当によかった、って思ってる」
「そ、そう。それはどうも」
フェンネルは照れたように言ってから、あっ、と顔を上げた。
「それより、そっちの四人こそ、よく生き残れたねえ。グレイト・バーミンの洞窟に行ったんでしょ? それに女の怪物も、簡単に倒してしまったみたいだけれど。いったい、どうなってるの?」
「これなんだ。僕たちも驚いたんだが」
ライムが言って、自分の手の甲の生体魔石を見せた。
ひととおりの説明を聞くと、フェンネルは目を丸くして、ひとりひとりの魔石を眺める。
「でもこれさあ。上手く発動していなかったら、きみらは食べられてしまった可能性もあるわけだよね。そうしたら、王国にとって、はかりしれない損失になっていただろうな」
「うーん。どうなのかしら」
「僕らだって、助けてもらえなかっただろうし」
「まあ、そうかもしれないわね。……それに、この先はもう誰も、グレイト・バーミンの餌になんかならなくて済むんだから、その点は間違いなくよかったと思うわ」
私たちがそんな話をしていると、神官がやって来る。
「ようやっと、行方のわからなかったものの確認が終わりました。怪我人も全員回復しましましたゆえ、フェンネル様も、御船にお乗りになってくださいませ」
わかった、と言ってふらふら立ち上がったフェンネルを、カレントとバーミリオンが支える。
「手を貸そうか」
ライムがゴールディー姉妹に言ったが、ゴールディーは、フンッ、と思い切り横を向いた。
「哀れんでいただくいわれはございませんわ! ステファニー、自分でお立ちなさい! でないと置いていきますわよ!」
やれやれ、と私とライムは肩をすくめる。
けれど、どうやら彼女たちも元気そうなので安心した。
そして私たちは島を離れ、大きな馬車二台にそれぞれ乗り、ボンファイア王国への帰途についたのだった。
♦♦♦
馬車に乗ると、分厚いチーズとベリーのジャムはさんだ黒いパンに、蜂蜜がたっぷり塗られたものを渡された。
あむあむとそれにかぶりつき、私は上機嫌になる。
「思ってたより、お腹が空いてたみたい。生き返った感じがするわ」
「ロビン。口の回りにジャムがついているぞ」
ライムがせっせと、ハンカチーフで私の口元をぬぐってくれる。
「そろそろ村に入る。そんな顔を見られたらどうするんだ」
それなら、と私は窓にカーテンをひく。
「ライムったら、世話焼きねえ。食べ終わったら、自分で口くらい綺麗にするわよ。食べてる最中なんだから、今きれいにしたってどうせまた、ジャムがついちゃうじゃない」
「レディたるもの、ジャムくらいつかないように食べろ」
「ライムもレディを語れる立場じゃないだろ」
正面に座っているバーミリオンのツッコミに、でしょう? と私は同調する。
「いつもそうなのよ。ライムにレディらしくしろって言われるたびに、そっちこそ、って思っちゃう」
「僕のことはいい。放っておいてくれ」
ツンとするライムに、バーミリオンの隣に座っているカレントが、なだめるように言った。
「でも本当にライムはもう、生贄になる必要はなくなったんですから。本来の、王女としての将来を考えてみてもいいんじゃないですか?」
「うん? ……将来、か」
ライムはしばらく無言になり、宙を睨む。
「あまり……正直、考えていなかった」
「考えなくたって、決まってるじゃないの」
私はライムの顔を、のぞきこむ。
「ライムもレディになるんでしょ? だって、王女なんだもの。私に言うんだから、お手本を見せてくれなくちゃ」
「いや、今さら僕は」
「似合うと思いますよ、ドレスを着て髪を長くするのも。そもそも、ふたりはほとんど同じ顔なんですから」
カレントに言われて、えっ、と私はびっくりする。
「私とライムって、そんなに似てるの?」
「鏡見たことないのかよ。お前がライムを見るのと一緒だろ」
からかうバーミリオンに、私は言い返す。
「鏡を見るときは、顔じゃなくてドレスを見てたのよ。っていうか、私のことはどうでもいいの。私にレディレディ言うなら、ライムだってこれからは、レディっぽくしなさいよね」
ライムは、苦虫を噛みつぶしたような顔になる。
「いや、今となっては正直、ドレスは窮屈そうだしアクセサリーは邪魔くさいし、長い髪はうっとうしいし、話し方はまだるっこしいし、化粧も気持ちが悪い」
その言いぐさに、私はあきれてしまった。
「レディどころの話じゃないんですけど。ライム、女の子として生きていけるの?」
「さあ、わからん」
「あなたねえ、人に散々説教しておいて、自分はそれ?」
「人は人、自分は自分だ」
「ずるくない、それ!」
まあまあ、とカレントが仲裁に入る。
「時間はたっぷりあるわけですから」
「そういうカレントもバーミリオンも、今後、城でどうして過ごすかなど、まだ考えていないんじゃないのか」
ライムはホコ先を、ふたりに向けた。
まあな、とバーミリオンは腕組みをして天井を仰ぐ。
「もともと宮廷暮らしが、性に合ってないというのはある」
「バーミリオンも貴公子たるべく、マナーや楽器の練習でもされたらいかがかしら」
いたずらっぽく見つめて言うと、バーミリオンも皮肉そうに笑った。
「では共に精進いたしましょうか、ロビン王女殿下。こちらは古代言語に外国文学、弦楽器の演奏を得意としておりますが、王女殿下におかれましては、どのような学問に興味を持っておられますか」
「ええっ? え、えーっと」
私が慌てると、カレントがくすっと笑った。
「バーミリオンはこう見えて、学問所での成績は優秀なんですよ」
「そ、そうなの? そんなのずるい!」
ふふん、とバーミリオンは得意そうな顔をした。
「俺にかなうには、しばらく寝ないで勉強しないとな。でもまあ王室の勉学なんかより、うまい飯を作れる練習でもしたほうが、有意義だと俺は思うが」
「えっ。ちょっと待って。簡単に言うけど、宮廷料理人が作ったものを普段から食べてる人が、おいしいと思う料理を作れるようになる練習なんて、すごく難しいわよ」
焦って困惑する私に、バーミリオンは白い歯を見せた。
「なんだ、俺に作ってくれる気があるのか。可愛いとこあるな、王女様」
「べっ、別にそんなこと、言ってないじゃない。なによもう、そうやって、すぐ人をからかって!」
そんな他愛もないことを言い合っていたとき、ガタン、と馬車が止まった。
あれ? と私たち四人は顔を見合わせる。
「──なんだか、イヤな感じがしない?」
「する。もう、人家の多い村の中のはずだが」
背中にざわざわと走る、いいようのない悪寒。
この感覚を、私たちは知っていた。
──怪物。妖魔。なにかが近くに来てる。
カーテンをそっとめくってみたが、そこからだと怪しいものは視えない。
だが、村人たちが家から飛び出し、あるものは走り、あるものは後方を指差して、口々になにかさわいでいる。
「真後ろのようだな。様子を見てみる」
バーミリオンが言って馬車の扉を開き、地面に片足を下ろしかけた、そのとき。
ヒヒーン! と馬がいななき、突然馬車が走り出す。
「っ!」
いきなりの衝撃で、バン! と扉が一気に大きく開き、バーミリオンの身体が投げ出された。
「バーミリオン!」
とっさに私は手を伸ばしたが、むなしく宙をつかんだだけだった。




