星空
王国は、路銀だけはたっぷり私たちに渡してくれていた。
そのため、かなり大きな宿に泊まり、しっかりと量のある、おいしい夕飯にありつくことができた。
「ライム、もう寝るの? もうちょっと、お話しようよ」
「さっき食べながら、散々話しただろうが」
ライムは部屋に入るやいなや、せっせと服とブーツを脱いでいる。
「そうだけどお。まさかライム、具合でも悪いの?」
「……違う。お前が元気すぎるんだ」
ライムは言うと、下着だけの姿になって、ぼふっとベッドに倒れ込んだ。
「眠い。寝る」
「えっ、ちょっ、ちょっと待ってよ、そんなのつまんな……い」
私が言っている最中にも、ライムはすうすうと、寝息を立て始めてしまっていた。
さすがに、これを寝かせずにいるのは可哀想だ。
(よっぽど神経を張り詰めて、くたくたになってたのね)
私はそう思い、細い身体に、しっかりと毛布をかけてやった。
足音をあまりたてないよう、ゆっくりと窓に近づいて外を見る。
と、さえざえとした月の光が、宿の中庭を照らしていた。
(ちょっとだけ、散歩でもしようかな)
私はグレイト・バーミンを倒した興奮がまださめず、とても眠る気になれなかったのだ。
レディであれば、従者もつけずに夜の散歩など、考えられないことかもしれない。
(でも夜こそは、盗賊たちの時間よ)
ちっとも怖いなど感じずに、私はそっと部屋を出た。
♦♦♦
「うーん。星が綺麗!」
中庭に出てもよかったのだが、あまり広くもないし、各部屋から丸見えだ。
そこで私が選んだのは、宿の屋根の上だった。
ごろん、と横になって夜空を見上げると、ふってきそうなほどに大きく、星々がまたたいている。
(クレイターたちと見上げる夜空と、なにも変わっていない。私は王女になったり、追放されたり、怪物を倒したり、なんとかの四宝なんていうのになっちゃったみたいだけど。世界は、なにも変わらずにいるんだわ)
そんなことを考えていると、ぎしっ、とかすかに音がした。
そちらに目をやると、屋根の端に手がかかり、次いで、ひらりと人影が飛び乗った。
「こんなとこで寝るのか。さすが、盗賊出身の王女は違うな」
皮肉っぽく笑いながら言ったのは、バーミリオンだった。
「まあね。そういう育ち方をした私の特権よ」
こちらも笑って答えると、バーミリオン私の隣までやってくる。
「なんで私がここにいるってわかったの?」
「俺とカレントの部屋は、三階だったからな。天井の上を、誰かが歩いている音がした。で、ああ、ロビンだろうなと」
へえ、とちょっと私は感心をする。
「耳がいいのね。盗賊団仕込みの私の足音って、滅多に気がつかれないのに」
「少しだけ、右足を引きずっているのがわかった。洞窟で、あいつにやられたんじゃないのか」
壁に叩きつけられたときのことだ、と私は悟った。
「うん。でも怪我じゃないのよ。持ってた痺れ薬の小ビンが、あのとき割れちゃって、少し刺さったの」
「なんだと。大丈夫なのか?」
「弱いものだし、うんと少量だから」
「そのせいで、すぐに立てなかったんだな」
腑に落ちたように言うバーミリオンの横顔を、私はそっと見つめる。
「ねえ。あの。あ、あのとき。ありがとうね」
「ん? なんの話だ」
言いながらバーミリオンは、私のすぐ横に座った。
「私が立てなくて、ライムがグレイト・バーミンから私をかばってくれて、そのライムをバーミリオンが押しのけてくれたでしょ?」
「あー? そうだったっけな」
バーミリオンはとぼけたように言って、頭をかいた。
「あのときはずっと無我夢中で、あんまり覚えていない」
「そう。でも私は、覚えてるよ。すごく、すっごく嬉しかった」
「そ、そうか。じゃあ、まあ、ひとつ貸しだな」
「そうね」
私が言ってにっこり笑うと、心なしか月明りの下で、バーミリオンの目元が赤くなる。
「っていうかお前、こんなところでなにをしているんだ。眠れないのか?」
「うん。なんだか、胸のドキドキが収まらなくって」
「無理もない。俺もそうだ。またこうやって、外に出て空を眺められるとは、実は思っていなかった」
「そうね。絶対あきらめない、負けない、って口では言ってたけど。私も心のどこかで、もしかしたら死んでしまうのかも、って気持ちがあったわ」
「まさかこんな力が潜んでいたとは、考えたこともなかったからなあ」
バーミリオンは、手の甲をかざして見せた。
私もその隣に、自分の手を伸ばす。
「バーミリオンのは、赤くて綺麗ね。ザクロ石みたい」
「ロビンの魔石は、不思議な色合いだな。光の角度で、色が変わる」
「茶色とか、灰色じゃなくてよかった。それだと可愛くないもん。本当はもっと、リボンの形とかしてたらよかったのに」
お前なあ、とバーミリオンは呆れたように言う。
「これは、一生このままかもしれないんだぞ。年寄りになっても、手の甲におリボンなんてついてたら、恥ずかしいだろう」
「ええー。やっぱり可愛いよ」
「じゃあ、俺が爺さんになって、手におリボンがついていたらどうだ?」
ぷふーっ、と私は吹き出した。
「それは笑っちゃうかも」
「だろ? まあお前にだったら、鳥のフンでも似合うかもな」
はあ? と私はバーミリオンを睨む。
「手にそんなものくっつけてたら、一生誰からもレディと思ってもらえないじゃない!」
「ハエがとまってくれるぞ」
「嬉しくない!」
なによもう、と私はむくれる。
「せっかくちょっと、見直してたのに。あなたってやっぱり、野蛮人よ」
「うん? なんだよ見直したって。俺に惚れたか?」
にやりと笑うバーミリオンに、私はべーっと舌を出した。
「そんなわけないでしょ! 惚れないわよ、絶対に!」
「そうなのか? 俺はお前を、可愛いと思うけどな」
なにか今、とんでもないことを言われた。
そんな気がして、私は固まる。
(えっ。えっ、聞き間違い? 可愛い? 可愛いって言った? 私のこと)
聞き間違いなのか確認するべきか、冗談で返すべきなのか、聞き流すのが正解なのか。
あわあわしていると、あっ、とバーミリオンが上空を指差した。
「見たか? 流れ星!」
「えっ。あっ、ああ、ううん」
「なんだ、見損なったのか」
「うん」
「とろいな、お前」
笑いながら私を見たバーミリオンの顔が、なぜだかすごく男前に見えて、私はやっぱり、いつものように反応できない。
「──よかったな」
私が黙っていると、ぽつりとバーミリオンがつぶやいた。
「生きて、こうやって、お前と星空が見られて」
「うん。よかった。……本当によかった」
やっとすんなりと言葉がでてきて、私は同意する。
「これからも、見られるよね。お城に戻っても、そのあとも」
「そうだな。そうだといい」
それからしばらくは、ふたりともじっと黙って、夜空を見ていた。
冷たい風が吹き始めたけれど、なぜだか私はちっとも寒いと感じなかった。
むしろ、火照った頬に気持ちいい、と思っていたのだった。




