絶対についていく
街はずれの宿に一泊し、早朝から私たちは、再び歩き始めた。
森を抜け、草原の向こうに、緑の少ない灰色の岩肌が見えてくる。
「ん。なんか来るかも」
私が言うと同時に、三人は腰の剣を抜いた。
と、ガウウッという低いうなり声と共に、黒い物体がこちらへ向かって五体、飛ぶようにして突っ込んでくる。
「イーターだっ!」
森林付近に、よく出現するモンスターだ。
ライムが最初に、大きな一体を真っ二つに切り伏せた。
ざあっと血しぶきを上げたそれは、一見、大型の肉食獣に見えるけれど、人の顔を持っている。
だが、知能はほとんどなく、目に入ったものを捕食することしか考えていない。
「ロビン、横から来るぞ!」
高くジャンプし、頭上から襲ってきた別の一体を倒しながら、バーミリオンが叫ぶ。
「わかってる!」
私はトン、と地面を蹴って背面に回転して飛び、襲撃をかわした。
今着ているドレスは、裾を短くしてある。
それでもスカートの中とブーツ、それに太ももにつけたベルトには、たくさん武器が仕込んであった。
私は着地の瞬間、イーターの喉を短剣でかき切る。
あっと言う間に三体を倒し、残りの二体もバーミリオンが、ひとりで片付けてしまう。
「あー。びっくりした。一回だけ、森で見たことがあったけど、この辺にも生息してるのね」
それぞれが、使った剣の刃を布で丁寧にふくうちに、遺骸は炭のような黒い粉になり、風に散って消えてしまう。
「立派な毛皮だし、消えちゃうのって勿体ないなあ」
つい、盗賊団にいたときの感覚で私は言う。
「闇の生き物だからな。死ねば魂も、遺体も残らん」
ライムは剣を鞘に仕舞いながら、横目でカレントを見た。
「貴様も少しは働いたらどうだ。剣を抜きもしなかっただろう」
「僕の出る幕は、なさそうでしたから。それに正直、剣の扱いはきみたちほど上手くないですし」
「だから顔だけ、などと言われるんだ」
「別にそれで、なにも困りませんでしたから」
カレントはいつもこんな感じだ。
なにを言われても、さらりと受け流して、穏やかに微笑んでいる。
あまりにも盗賊団にはいないタイプだったので、私にはそれが貴族的に見えていた。
イーターはそれからも、唐突に何度か出現したが、ライムやバーミリオンの敵ではない。
「手応えがなさすぎるな」
「まったくだ。剣の練習にもならん」
魔力がものをいう王国でなく、剣技や戦闘力が認められる国だったら、ふたりとも絶対に、無益などとは言われないだろう。
やがて私たちは草原を越え、岩山へと近づいてきた。
「方角からして、あの辺りかな」
大きな羊皮紙の巻物になっている地図を取り出し、カレントが位置を確認する。
「あの、切り立った山の西側。ここからだと、もう少しだ」
「最初の満月の日までには、充分に間に合うわね」
せめて快晴ならば、少しは気持ちも爽やかになるのに、空にはどんよりと、鉛色の雲が垂れ込めている。
(なんだか空気まで、にごっているように感じるわ。呼吸が重苦しいし、それに……)
「なあ。盗賊王女。お前、しただろ」
「えっ。なんの話?」
振り向いたバーミリオンに言われ、私は顔を上げる。
「隠さなくてもいい。自然の摂理だからな。音は誤魔化せても、この玉子の腐ったみたいな匂いは無理だぞ」
すこーん! と私は短剣の柄で、バーミリオンの頭をこずいた。
「痛いな!」
「してないわよ、失礼ね!」
「嘘つけ、屁こき王女」
「変な呼び方しないでよ! ……でも、確かに匂うわね。あなたがしたんじゃないの?」
「ふざけるな、俺はするときは、正々堂々とする!」
「私のはこんなに臭くないわよ。お花みたいないい香りがするもん」
「するもんじゃないだろ、この嘘つき!」
ぎゃんぎゃんと言い合う私たちを、ライムがジロリと見た。
「うるさいぞ、バカども! これは、硫黄かなにか、地中から漂う匂いだろう」
「ああ。なるほど、地中か」
「ほらみなさいよ、私じゃないでしょ」
「そろそろグレイト・バーミンの居場所に近くなってきたから、そのせいかもしれないですね」
冷静にカレントが言い、遠くの一点を見つめる。
「あの辺り。見えますか。洞窟の端が見えています」
長い指を差した方向に、私とバーミリオンは首を伸ばす。
「ああ、本当だ。もう結構、近くまで来ていたんだな」
「謝りなさいよね」
私はむくれて、バーミリオンを睨む。
「女の子にひどいことを言ったんだから」
「悪い悪い」
「心がこもってないわよ」
「ごめんごめん」
ふん、と私は口をへの字にする。
「私の心は広いけど、まだ許さないでおくわ。みんなで生き延びて、洞窟から出たら。そしたら許す」
「……ああ」
バーミリオンはうなずいて、にやりと笑った。
いよいよ洞窟が目の前までせまってくると、自然と軽口も少なくなってくる。
それぞれが緊張した顔をして、歩みも遅くなっていった。
「ここで最後に、持ち物の整理や準備をしよう」
洞窟手前の、少し平らになっている岩場に私たちは座り、装備などを確認する。
「洞窟の中の状況について、少しだけわかっていることを説明しておきます」
一段高い石に腰を下ろし、長い脚を組んだカレントが言う。
「洞窟内のことも、図書の館で知ったのか?」
ライムが尋ねると、カレントはうなずく。
「おそらくあの国で、すべての蔵書に目を通し、なおかつすべての内容を頭に入れているのは、僕だけだと思いますよ」
「えっ。だ、だって、ものすごい数の本があったでしょ?」
「おい。いくらなんでも、話を盛りすぎじゃないのか」
バーミリオンが、呆れたような声を出す。
「あそこの蔵書は、千や二千冊ではきかないはずだ。五千冊はあるだろうが」
「本が七千十二冊と、巻物が百六十二巻」
カレントは、いつものように穏やかに笑みを浮かべていた。
「物心ついたころから、魔力の弱い僕は、なにかひとつくらい武器を持たなくては、と考えていたんです。剣技は嫌いではありませんでしたが、僕より優れたものは他にいますから」
言いながら、ライムとバーミリオンを見る。
「だから最低でも一日二冊。できれば三冊読んで、気になったことは記し、記憶してきました」
「すっごーい!」
私は思わず、感嘆の声をあげてしまった。
「あの壁の本、全部? 全部読んで、覚えてるの?」
「そうですね。ですから、本に記された知識だけなら、王国の誰よりもあるかもしれません。忘れられたような古文書や、一度読んだらボロボロと崩れてしまったような、古い古い伝記も頭に入っていますよ」
「その中に、洞窟やグレイト・バーミンの記述もあったわけか」
ライムの言葉を、カレントは肯定した。
「ええ。いつか必要になる知識だと思って、特に念入りに調べました。グレイト・バーミンについては、この前お話したでしょう。あとは洞窟についても少しだけ、書いてある書物がありました」
うんうん、と私たちは、熱心に耳を傾ける。
「あの洞窟には、入口出口が、一か所しか確認されていません。風穴みたいなものも、ないようです。だから暗闇だし、あまり広くもありません。松明が必要です」
「奥行きは?」
「それはよくわかっていないんです。なぜなら、グレイト・バーミンがいる場所から先へ、たどりついたものがいませんから。かなり深そう、ということくらいは言えるかもしれません」
「風穴がないなら、明かり取りになるような穴もないということか」
「空気が出入りする程度の、隙間くらいはあるようですけれどね。そして、これが一番肝心なことですが」
カレントは一度言葉を切り、続けた。
「魔力を持つものが入ると、出入り口がふさがれます」
えっ、と私は目を見開く。
「じゃあ、外におびき出して戦うことも、逃げることもできないってこと?」
「残念ながら、そうです。洞窟の中で、戦うしかありません」
「再び開くためには、どうすればいいんだ?」
ライムの問いに、簡潔な答えが返ってくる。
「グレイト・バーミンの空腹が満たされて、眠れば開きます」
「……ということは、全員一緒に洞窟に入るしかないのか。ひとりずつ相手をして、疲れさせるのを待つ、という作戦も無理なわけだ」
「誰かひとりでも入ると、グレイト・バーミンが眠るまで、出てこれなくなるわけですからね。そして眠らせるためには、我々が食われなければならない」
絶望的な状況に、一瞬沈黙した私たちだったけれど、ハッとしたようにライムが言った。
「別に、空腹と睡眠の、両方の条件が必要とは限らないんじゃないのか。やつが意識を失うということが、肝心なのかもしれない」
「ありえるな。だとしたら、しとめれば出てこられる」
明るくバーミリオンは言うが、それがどれほど困難なことなのか、四人はすでに知っている。
「でも、この前のカレントの話によると、弱点はないのよね」
「残念ながら」
「薬はどう? 毒で殺すのは無理でも、痺れ薬とか、眠り薬とか。私、盗賊団のときに使っていたのを何種類か持ってるわよ」
バーミリオンが、ぎょっとした顔で私を見る。
「お前、そんな物騒なものまで持ち歩いていたのか」
「役に立つことも、あるかもしれないじゃない。それに私はあつかい慣れてるの」
「薬も無理です」
申し訳なさそうに、カレントが説明する。
「やつは普通の生き物ではありません。食道も消化器もないのです。だから王族を食べるといっても、ただかみ砕き、その身体が持っている魔力を吸収しているだけのようですよ」
ふう、とライムが短い溜め息をつく。
「剣が刺さらない。刃で斬れない。柔らかな部分が、身体にないと言っていたな」
「はい。ウロコで全身がおおわれています。簡単には抜けも取れもしないウロコです。だから、あいつを倒せたあかつきには、証拠としてウロコを取ってくるよう言われたでしょう?」
「闇の生き物は、イーターのように、死ぬと炭と化して消えると思ったんだが。ウロコは残るんだな」
バーミリオンが、難しい顔をする。
「確かにそうですね。もしかしたらですが。王家でもグレイト・バーミンの実態を、詳しくはわかっていないのかもしれません」
そうよねえ、と私は同意する。
「だって、これまで洞窟に入った王族は、命からがら生き残って、結局は死んでしまったひとり以外、みんな食べられちゃったんでしょ」
「となると。我々は、どう考えても餌になってしまう可能性が高いな」
ライムは言って、私を見た。
「やはりお前は残れ、ロビン」
「はあ? 急になによ」
「バーミリオンとカレントは、子供というには大きい。僕を足して三人食えば、やつは満足して眠るかもしれん」
確かにな、とバーミリオンがうなずいた。
「結局は命を落としたとはいえ、四人目が食べ残された過去がある。可能性としては、三人で充分かもしれない」
「僕もそう思います。無駄に命を落とすことはありませんよ」
三人の言い分を聞いているうちに、私はだんだんと、腹が立ってきてしまった。
「ちょっと! 冗談じゃないわよ! 王国でもいらないって追放されて、今度はあんたたちまでが、私を追放するの?」
「そんなことを言ってるんじゃない。ロビン、僕は」
差し伸べられたライムの手を、さっとよける。
「私がいたら、グレイト・バーミンを倒せたかもしれない。みんなが死ななくてすんだかもしれない。誰かひとりでも、助けられたかもしれない。……ずっとそんなことを考えながら生きていくなんて、絶対にイヤ!」
私はすでに、その感情を経験済みなのだ。
大切な仲間たちの遺体を前に、何時間も泣き叫ぶ。
ふたたびあんな目にあったら、私の心は壊れてしまう。
そうならなかったとしても、ただ後悔と自己嫌悪と、罪悪感に苦しむだけの一生になってしまうだろう。
「一緒に行くわよ、私」
ほとんど涙目で、私はライムを見つめた。
「来るなって言われても、憎まれても呪われても嫌われても、絶対について行くんだから!」
宣言すると、声からこちらの覚悟が伝わったのだろう。
ライムは困ったように小さく笑って、バカだなあ、とつぶやいた。




