第一章 教学部へようこそ ~活動実態形成期~
入学して早二年、高校受験に失敗し、泣く泣く入学したこの学校ともあと少しでお別れだ。
受験に失敗したと言えども泣く泣く入学した本校、県立錦野高校は開校以来百有余年の歴史を誇る地方名門校だ。憧れた私立校での暮らしは得られずとも、良き師良き友に囲まれ、充実した毎日を送れていると思えば恵まれたものだろう。
さて、元々私が目指していた私立校は天下に名を轟かせる進学校だった。そこで私は部活に属せず、勉学に日々励む学生になるつもりであった。国語や社会が得意なものの、医の道を目指していた私にとって、理系教育に力を注ぐこの学校はまさしく理想的なもの。塾にも通わず部活にも入らず、勉強に勉強を重ね合格を目指した。しかし、その夢は潰えた。たった一枚の紙切れ、不合格通知書によって。
こうなっては仕方がない。この錦野高校で再起をかけてやろう。そして念願の医学部へ進み脳神経外科医になろう。そう決めた。そしてその夢も……脆くも崩れ去った。いや、これは文系科目の得意な私には必然的なことであろうか。
何故か。それは至って単純な原因に帰結する。この組織に属したからだ。
「教学部」
天下に高校多かれど、教学部たる名を冠した組織は他の高校にはないであろう。本校、錦野高校は自重自治の校訓の通り生徒の活動がかなり自由だ。毎年毎年新たな団体が誕生しては消えていく。泡沫組織という呼び方すら校内には存在している。そんな中の教学部、いかにも泡沫組織と呼ばれそうな名前だが、意外にもそうではない。寧ろ創部六十年目、校内最古の部活のひとつである。部室入口の鄙びた看板がその歴史を物語る。
しかし、この部活には私の入学時、部員がいなかった。最後の部員が引退してから三年間放置されていたらしい。通常教室と変わりない部屋に大きな丸型テーブル一脚と椅子六脚、古文書や辞書、文庫本に埋め尽くされた本棚五架、あとは何もない。自習室にするには最適な部屋だ。入試改革の叫ばれる昨今、名前ばかりでもここに所属すればポートフォリオの足しになるだろう。そんな不純な動機から入部届を出したあの日、全ての私の計画、いや、歯車が狂い出した。
語りだしていてもキリがないが、少しこの二年を振り返ってみたく思う。このような生き方もあるのだ、という程度に参考になれば嬉しいものだ。