捕まえてみた 上
アリアは裏路を走っていた。人通りの多い場所にいた筈だが、いつの間にかここまで追い込まれていた。後ろを振り返るが人の姿はない。しかし、間違いなく追われているのだけはわかった。
しかもこの追跡者は非常に質が悪い。 姿は見えないのに、気配だけが追ってくる。迫ったかと思えば遠ざかり、安心した途端に気配が間近に感じるのだ。
(明らかに遊ばれている……)
そう確信せざるをえなかった。こんな悪質な相手に目をつけられるような事に心当たりはあったろうか、とうまく動かない頭を働かせ、数日前の出来事が真っ先に思い浮かんだ。
一人の不遜な態度の少女の顔が思い浮かぶが、この状況とうまく結びつかない。彼女なら、こんなまどろっこしい真似はせずに問答無用で捕まえにくるだろう。
強く感じた気配に恐怖がせり上がり、慌てて思考を全部投げ捨ててアリアは走った。
何処まで逃げても追って来る。そんな果てしない恐怖に追われ、彼女は走り続けた。
角を曲がった瞬間、立ちふさがる壁を目の前絶望が広がる。咄嗟に後ろを確認するべく振り返ろうとした瞬間に大きな手に肩を掴まれた。身体が硬直し、耳元で楽し気な声にそっと囁かれた。
「つっかまえた」
「・・・・・・・!!!!!」
アリアは悲鳴をあげた。
★
気が付いたらアリアは飲食店の個室に座っていた。
路地裏で肩を掴まれて後の記憶が全くない。悲鳴を上げたのは覚えているが、それが声に出したものか、そうでないのかすらも定かではない。
目の前には、見覚えのある黒髪に緑の瞳の見た目美少女の癒術士と、金髪碧眼の穏やかな雰囲気を纏った糸目の僧侶戦士が並んで座っている。
ギルドで偶に見かけたのを憶えている。そして首にかけられた特殊な光沢のタグがアリアに確信を持たせた。後衛職の追放騒動の切っ掛けであり、今、色々な意味で話題の、Sランクパーティー【疾風迅雷】の僧侶戦士、アレックス。
その名前に行き当たった瞬間、一気に血の気が引いた。
噂に聞く彼はその見た目通りの穏やかな物腰と当たり障りのない態度、Sランクにあるにもかかわらず、奢った態度は一切ない。と、特に女性に人気の彼であるが、同門内で冒険を生業にする者にはまず、警告が発せられる。
【疾風迅雷】のアレックスには関わるな。
教会、神殿、そして、彼自身を輩出した寺院ですら《《そう》》なのだ。
何故、と問う者は次の言葉で理解する。彼が奉ずる神から授かった称号は『敬虔なる狂戦士』。
逃亡はまず無理だ。食堂の個室である事から話し合いである事は理解した。しかし、果たして、前衛職の男の頭を鷲掴みにしてテーブルに叩きつけた実績を持つ癒術士と【敬虔なる狂戦士】という物騒な称号を授かった僧侶戦士、どちらがより、安全な存在なのか。アリアは必死に思考を働かせた。
(あ、ダメだコレ。)
アリアはあっさり諦めた。
「さて、ここまで来てもらって悪いね」
にこにこと人の良い笑みを口元に湛えたアレックスが口火を切る。
「いえ……」
アリアは曖昧な返事を返した。正直、本当に自分の意志で彼らに着いてここまで来たのか確証がない。が、こうして彼らの前に座らせられた時点で《《そう》》なのだろうと納得するしかない。この場で往生際悪く抗議したところで無駄でしかない。
そんな様子を見て取ったアレックスは少しだけ笑みを深める。
「契約と交渉事はマークが一番上手いんだけど、アイツ、目立つだろ?」
「ね?」と同意を求められるが、アリアはそのマークという人物を外見の整った聖騎士以外の情報を持ち合わせていない。
「アレックス」
呼ばれた方に彼が目を向けるとリーリエがお茶を一口飲み、彼を見ずに茶碗を置いた。
「怯えてる」
アレックスが困ったように笑う。
「だって、俺でもいいって事は今回のは《《そういう事》》、でしょ?」
「ひっ……!!」と喉の奥から引きつった悲鳴がその場に漏れたが二人は一切気にした様子はない。
むしろアレックスはどこか楽しんでいるようにも見えた。
「まずは話し合いだって。マークが言ってた」
「全く、誰のために骨を折ってると思ってるのさ」
やれやれ、と肩を竦めたアレックスは正面の元・女僧侶に向かい合う。
終始怯える様はそれだけで彼にとっては取るに足らない退屈な存在だ。
リーリエが目をつけた相手だ、経験を積めば、それなりに育つだろうが、それだけだ。ならば多少彼が遊び心を出しても罰は当たらない。我が神だってお痛をやらかした子を更生もさせずに放置するのは良しとしないだろうから。
(挙げるとすれば、物分かりはよさそう、かな?)
ぶるり、とアリアという名の元・女僧侶が身震いする。
うん、と内心でアレックスはひとつ頷いた。
★
「だって、Sランクパーティから追い出されたって」
「あー…、そっちの方信じちゃったかぁ」
あちゃぁ、と呟きアレックスは天を仰ぎ、目元を片手で覆う。
あれから食事が運ばれてきて、緊張しつつも恐る恐る料理を口に運ぶ様子から、こちらが危害を加える気がない事に気が付き始めたのか、緊張はゆっくりと解けていった。
それから彼女らがリーリエのパーティーに入る経緯と思惑を聞き出していった。
何だかんだと言ってもアレックスも僧侶の端くれである。何より彼は神に認められる敬虔さを持っている。口の重い相手から話を引き出す事も彼にとってはそう難しい事ではない。
「そっちって…」
「あのね、Sランクで超難易度の迷宮の深層まで一緒に行けるヒーラーが無能だと思う?」
「でも、牽引されてるだけのお荷物だって、それに、ギルドでリーリエさんがみなさんと一緒にいるのを見たことありませんでしたし……」
一緒にギルドに顔を出さないのは、パーティーへの貢献度が低いせいで、それで、役立たずと周囲が勝手に判断し、その噂を信じた。と。
アレックスは表情にはおくびにも出さず内心でせせら笑った。
(思惑通りではあるけれど、うまく行き過ぎた感じかな)
アレックスはちらりと記憶の端に書き留める。
【疾風迅雷】というパーティーはその名に違わず怒涛の早さでランクを上げていったパーティーだ。それも偏に彼ら彼女らの実力とバランスが噛み合っての事である。言ってしまえば、リーリエが彼らとつり合いが取れる実力を有している証でもあるのだ。しかし、冒険者の中にはそんな彼らを面白く思わない者もいる。
だからリーリエがパーティーを一旦抜けるという話になったときにはそこそこ揉めた。リーリエが脱退したとなれば、他のパーティーがリーリエを確保しに動く事は分かり切った事だった。彼らからすれば、リーリエが引き抜かれるのは非常に困る。実力ある癒術士は貴重だ。リーリエからしても大手や実力派からの熱心な勧誘は避けたかった。
そこで彼らはゴシップ好きな冒険者やその関係者を利用することにした。
元々があまり悪い噂の少ないパーティーである。そんなパーティから最も非力とされる癒術士が脱退するとなれば、どんな噂が流れるのかは容易に想像できた。
心無い噂が広まれば、リーリエに余計な粉をかけるような輩は減るだろう。
リーリエからの勧誘に関してはギルドを通せば問題ない。こんな時に利用せずして何がギルドか。
【疾風迅雷】の面々はあえて多くは語らなかった。噂を助長する事も止めようともしなかった。《《それしかしていない。》》
唯一の誤算は、【疾風迅雷】の影響力がどれほどのものかを彼ら自身が把握しきれていなかった事だろう。
そうして後衛職は能力不足という風潮と追放騒動が始まってしまったのだが。