少年は語ってみた
こんにちは。僕は【燃える石炭】の荷運びです。
名前はエルと言いますが、リーリエさんからは少年と呼ばれています。
何度もリーリエさんに訴えかけていますが、覚えてもらえる気配が全くありません。
「もうちょっと影が濃くなったら覚えられそうなんだが……」なんて事を言われましたが、意味が全くわかりません。たった2文字なんですけどね。「少年」よりも字数は少ないんですけどね。
めげずに地道に名前を覚えていってもらおうと思います。
まあ、リーリエさんに名前を覚えてもらえるまで生きていられたらの話ですけどね。
あははっ。
すいません。変な笑いが出ちゃいました。
今日は僕の事をお話しさせてください。
僕は迷宮都市からとても遠い、迷宮都市の人が辺境と呼ぶ土地の小さな村の生まれです。何もない、けれどどこにでもあるようなその村で、僕は百姓の五男として生まれました。継ぐ土地もない僕には選択肢は限られていました。幼馴染に婿入りするか、村を出るか、そのまま家に残って兄にこき使われるかです。
その時の僕には村を出る勇気もなく、家で肩身の狭い思いをしながらこき使われるのは地獄でしかなく、結局は幼馴染に婿入りするのだろうなぁ、と漠然と考えていました。
そんな時に僕は旅の冒険者の人たちと出会いました。
旅の話、迷宮都市のこと、そこで一旗揚げる為に迷宮に潜る人たち、僕にとっては夢のような話でした。
そして僕は決心したのです。迷宮都市に行って冒険者になろうと。
家族への理解はあっさり得られました。食い扶持が減るのはありがたい事です。
引き止められるかもと危惧していた幼馴染への理解もあっさりと得られました。彼女の隣には僕のひとつ上の兄の姿がありました。
その晩、枕を涙で濡らしながら決心を更に固めたのです。立派な冒険者になって、かわいいお嫁さんをもらって見返してやるんだと。
そうして獣に追われ、盗賊に攫われかけ、魔物に襲われながら、やっとの思いで辿り着いた迷宮都市ですが、一歩足を踏み入れた瞬間、がらの悪い破落戸に絡まれたのです。
両側からがっちりと肩を組まれ、裏路地に連れ込まれ、そこで待ち受けていた仲間の破落戸たちに辛うじて残っていた路銀を巻き上げられ、あわや身ぐるみもという処で僕は運命の出会いを果たしたのです。
そのときは本気でそう思いました。
けれど今なら違うと思えるのです。あれは———
運命の分かれ道でした。
颯爽と現れたのは、都会での普段着のワンピースを着た、今まで見た事もないくらいきれいな女の子でした。
ただひとつの違和感は、腰に装備用のベルトを巻き、武骨なダガーを下げ、そして雑にベルトの隙間に短杖を挿していたことです。今まで見た女の子の中で見た事のない不思議な出で立ちでした。さりげなく垣間見える通りに目をやってみましたが、そんな女の子はいませんでした。
その女の子は凄んで見せる男達に怯む事もなく、鞘ごとダガーを引き抜くと、あっという間に全ての破落戸をぶちのめしたのです。
僕はあまりの光景に動けませんでした。今の僕なら全力で逃げ……、いえ、忘れて下さい。
そのくらい、当時の僕には信じられない光景でした。
その時のきれいな女の子はリーリエさんでした。
リーリエさんは僕の路銀を取り返してくれました。
そして男たちを無理やり路地裏で一列に立たせると、その場で垂直飛びを強要しました。
男たちがジャンプするたびにリーリエさんの目は鋭さを増し、どこにお金を隠しているかを的確に見抜きました。頭のてっぺんから靴底まで徹底的に調べ上げ。最後には男達が泣きながら「ごめんなさい、もうしません」と謝ってお金を差し出すのです。リーリエさんはそれだけでは飽き足らず、目につく金目の物や商売道具であろう武器も差し出させたのです。
僕はそのとき初めて真のカツアゲというものがどういうものかを理解しました。村で偶にあったあれはカツアゲではなかったのです。
そして、路地裏から出た上機嫌なリーリエさんはそのお金で僕におなかいっぱいごはんをごちそうしてくれました。何をごちそうになったのか、半分以上記憶がありません。
僕はリーリエさんにこれまでの身の上と、これから冒険者になる旨を話しました。リーリエさんはとても親切に。そう、とても親切に僕をこれから結成する予定のパーティに誘ってくれました。
僕はふたつ返事でその誘いを受けました。断るのが怖かったわけではありません。
それでも、その時の僕は輝く未来を信じていました。ここから夢と希望とそして、愛の物語の幕があがるのだと。
まさか、それが僕にとっての恐怖と地獄、そして狂気の幕開けだなど、夢にも思っていなかったのですから。
当時の僕はお上りさんという事を差し引いてもお花畑にも程がありました。
まず最初にギルドに連れて行かれました。冒険者登録です。
旅の間も逃げてばかりで録に戦う事もできない僕でも冒険者にはなれました。始めは薬草採取のお仕事からだと受付のゴツイお兄さんに説明されました。
リーリエさんがとパーティーを組む旨を伝えると、受付のお兄さんは納得したように頷き、リーリエさんは超優秀な癒術士である事を僕に説明し、「運が良かったな、坊主」と首がもげる勢いで頭を撫でまわされました。ギルドの人もリーリエさんには全幅の信頼を置いているようでした。
嘗て、僕の村に訪れた冒険者の人たちも言っていました。冒険者はギルドとの信頼関係が第一だと。それだけでリーリエさんが立場的にしっかりした人だという事は理解できました。ただひとつを除いては。
受付のお兄さんはリーリエさんを癒術士と紹介しました。僕はリーリエさんの癒術士らしいところを一度も見ていません。主装備は明らかにダガーで、リーリエさんの癒術士らしさを無理やり言及するならおまけのように雑に挿された短杖しかありませんし、僕のしっている癒術士は仲間を癒す人であって、破落戸どもを単身、ダガーでぶちのめしたりしません。
僕の納得いきかねる様子にお兄さんは苦笑いを浮かべ、「まあ、そこいらの冒険者よりかはよっぽど信頼のおける癒術士だから、と太鼓判を押してくれました。
そこで僕は安心してしまったのです。
ギルドの仕組みも依頼についてもよくわかっていなかった僕の代わりにリーリエさんが一緒になって「一番手近な場所での簡単な薬草採取の依頼」を選んでくれました。
連れて行かれたのは初級者向けの迷宮。
意味がわかりませんでした。
僕に戦闘力はありません。駆け出しと呼ばれる事すら烏滸がましい雑魚です。
なりふり構わず泣いて訴える僕をリーリエさんは「怖くないから」「大丈夫だから」という肝試しでの決まり文句を繰り返して迷宮の中へと引きずって行きました。
逃げては泣き叫ぶ僕を追いかける魔物をリーリエさんがさりげなく短杖で撲殺していきました。
特殊加工を施された杖から滴り落ちる魔物の血、普通なら確実に返り血を浴びている筈なのに汚れひとつ付かない普段着仕様のワンピースを着た治癒師。恐怖以外の何物でもありません。ドロップ品を回収するのは僕です。図らずも荷物持ちの初仕事でした。
そうして辿りついたのは最下層、フロアボスの部屋でした。
嘘じゃないんです。本当なんです。
リーリエさんは容赦なくフロアボスの前に僕を放り出したのです。僕はリーリエさんに泣いて縋ろうとしましたが、結界が邪魔をして縋るどころか近づく事もできませんでした。リーリエさんを中心とした結界は、僕をフロアボスの前に押し出すと消えました。
振り返るとリーリエさんの周辺に光の輪が出来上がり、その中から「がんばれ」と気のない応援をしてくるのです。
僕は腹を括ったのです。リーリエさんに僕の雑魚っぷりを思う存分見せつけてやろうと。リーリエさんが助けに入るまで。その間わずか一分。雑魚ならではのタイムです。
己の雑魚さ加減、情けなさ、人としての矜持すら捨てたなりふりの構わなさ。その全てを遺憾なく発揮した僕は、どこかやりきった満足感に満たされていました。
あのときの僕はおかしな方向に振り切れていたのだと思います。
そうしてリーリエさんと交代後、わずか10秒足らずで消滅したフロアボスのドロップした宝箱。
その中には受けた依頼に必要な薬草が一束だけ入っていました。報酬額にして半銅貨1枚分です。
リーリエさんが言うには、この迷宮のボスのドロップ品は高確率で薬草らしく、たまにレアな装備や武器を落としてくれるのだそうです。
ひとつ……、いえ、たくさん勉強になりました。
今だからこそ判る事ですが、依頼にあった薬草はそう珍しいものでもなく、ギルドの乗合馬車で15分ほど行った先にある森でちょっと探せばすぐに見つかる代物です。そこそこの繁殖力もあるので、駆け出しや危険を嫌う冒険者なんかは近場でこっそり栽培してたりもします。
因みにその時迷宮でドロップした薬草は通常のものに比べて良い物だったらしく、倍の銅貨1枚になりました。
後日改めて迷宮へ入った理由を尋ねると、「あそこが一番近かったから」という答えが返ってきました。全く意味がわかりません。
僕は今までたくさんの出来事に遭遇してきました。死を覚悟したのも一度や二度ではありません。村を出て、迷宮都市に辿り着くまではしょっちゅうです。
盗賊に襲われること、魔物や獣に襲われること、迷宮で死ぬこと、弱者に向けられるあらゆる理不尽に対しての死を覚悟してきました。そんな僕ですが、リーリエさんから受けたあらゆる理不尽は全て想定外のことで、逆にどんな最期を遂げるのか、まったく想像がつきません。
先日、新しくパーティに入った面々がどうもきな臭い今日この頃です。
リーリエさんを完全に舐めきっています。命が惜しくないのでしょうか。
願わくば、この拠点が彼らの血に染まりませんように。
お父さん、お母さん、兄さんたち、今の内に言っておきます。
ごめんなさい。僕が悪かったです。
家に残ってこき使われていた方が余程平穏でした。
僕に親切にしてくださった冒険者のみなさん、ごめんなさい。
僕には冒険者という職は荷が勝ち過ぎたようです。
僕は今日も生きています。
ただ生きているってだけでこんなに素晴らしい事だなんて思いませんでした。
願わくば、このまま、猛獣を刺激するような厄介事が起こる事がありませんように。