怒られてみた 上
迷宮都市、それは大陸を支配する国々の中で、最も多く迷宮が存在、どの国からも干渉を受けない独立した都市。
そこには多くの冒険者が集い、生活している。基本、腕っぷしが強い者の多い荒くれものらに『冒険者』という資格を与える事でまとめ上げ、支え、統括運営する冒険者ギルドがこの迷宮都市でもっとも強い権限持つ組織となったのは必然とも言えよう。
そんな冒険者ギルドの懐での追放騒動と拠点の乗っ取りを企み、やらかした駆け出しが姿を見せなくなって三日が経った。未だ、ギルド内では『やらかした馬鹿ども』の話で持ち切りだった。
リーリエはギルド併設のカフェで一人、紅茶を楽しんでいた。
騒動こそ面倒極まりないものであったが、終わってしまえばあっさりしたもので、リーリエは何事もなく、平穏で穏やかな時間を過ごしていた。
偶に通りがかりの冒険者に視線をお向けられ。「おい、あれ……」、「馬鹿!死にたいのか!?」などと聞こえ、内心で首を傾げ、思い直す。
きっと、似たような別の誰かと勘違いしているのだろう。
残念ながら、リーリエには視線を向けられただけで喧嘩を売るような野蛮は趣味を持ち合わせていない。しかし、あまりそういう事が続くようなら、適当に捕まえて誰と勘違いしているのかは確認を取っておいてもいいかもしれない。ついこの間も話を聞かない馬鹿どもを放置したばかりにギルドに多大な迷惑をかけたところだ。対策は必要だ。ギルド長には大変感謝されたけれども。
リーリエは紅茶を一口飲むと、みるともなしにギルド内へと目を向ける。将来有望そうな少年少女やパーティの輪から外れた位置にいる、恐らくは決まったパーティに所属していないであろう男女。
それらを不躾にならないよう観察していると、ぽん、と肩を叩かれた。
振り返ってみれば、まず視界に飛び込んで来たのは茶色の髪に青い瞳。そこそこ整った顔立ちに浮かべられた柔らかな笑顔。少々武骨にも見える聖騎士の鎧に身を包んだ姿は彼によく似合う。
彼を見た女性たちが途端に色めき立った反応を見せた。
聖騎士といえば花形だ。元・聖騎士やガワだけそれっぽく装う者の多い中、彼は正真正銘の聖騎士であり、冒険者でもある。
「よ、久しぶり」
「マーク?」
「調子はどうだ、リーリエ」
「知ってるくせに」
対面に座った彼から顔を背け、ふてくされて見せる。
顔をそむけた拍子によく手入れされた黒髪がさらりと流れる。
そんな彼女の様子にマークは小さく笑った。
緑の瞳に黒い髪、瞳は吸い込まれそうであり、まつげは長い。整った顔立ちに華奢であり、さりとて、痩せているかと言えばそうでもなく、出過ぎず引っ込み過ぎず程よく柔らかい。
彼女の態度は先日の騒動とは違った年相応のものだし可愛らしいと思う。
本人はそれほど意識はしていないが、10人中、9人は彼女を美少女のカテゴリーに入れる。こうしてカフェで紅茶を飲む姿は治癒師の装備と相まって、庇護欲をそそる。現に、彼女の気づかぬところで男連中がちらちらと視線を投げかけ、その向かいに座るマークへは殺気と嫉妬がビシビシと飛んできている。
ああ、しらねえんだろうなぁ、三日前の事。
マークはリーリエに対する愛想良い態度を崩さず遠い目になった。
この一見、華奢で儚そうに見える癒術士という「守られる側」に立つその外見に騙され、物理的に痛い目に合った男は少なくない。そして、痛い目というのは何も物理的なことだけではない。
世には羊の皮を被った狼、という例えがある。
油断させるために無害を装い、害を為す悪しき輩をそのように言う。
対して彼女は、羊の皮を被った猛獣である。
相手の油断を誘う姿で男の夢と常識とプライドをその尋常でない握力で握り潰していくのだ。
その最たる犠牲者がかつてパーティを同じくしたマークである。初めてリーリエが彼らと共に迷宮に潜った日の事は未だに忘れられない。見た目に強さの一切を見せない美少女が、直接戦闘に関して遥かに劣る後衛職が、まさか補助用の杖一本で身の丈倍以上あるサイクロプスに殴り掛かかるなどと一体誰が想像しただろうか。癒しに特化した才能ある少女をしっかり守らねば、と意気込んでいた自分が馬鹿馬鹿しく感じる程にリーリエはおかしかった。
パーティを同じくする女性にリーリエについて零したところ、「女に夢を見すぎるお前も悪い。もっと現実を見ろ」と返され途方に暮れたのはしょっぱい思い出である。
「マーク?」
「いや、何でもない。気にしないでくれ」
お前に夢を見た俺が悪かったんだから、と尚もおかしな事を言い出したその様子にリーリエは首を傾げた。
「いやぁ、しかし久々に見た。ブチ切れモードのリーリエ。」
「それは、ブチ切れもする。あいつら素質は十分あったんだ、だから受け入れたのに癒術士だからと嘗めてかかる上に折角大変な思いして手に入れた拠点を置いて出て行けなんて言われて怒らないやつはいないだろう」
「まあ、大変な思いしたの、主に俺だけどな」
拠点の手続きとギルドの審査に関する書類、大変だったなぁ。とマークは思い返す。
「それに、お前達のパーティを抜けて、最初に作ったパーティで死人なんて出てみろ。ほとんどの冒険者は敬遠するに決まってる」
「【燃える石炭】だっけ?相変わらずセンスねえな」
「うるさい。この名前を考えるだけでも一週間かかったんだぞ」
「一週間かけてソレかよ」
「カーバンクルは幸運を運ぶ獣の名でもある。験を担ぐ冒険者なら、興味を示すに違いない」
「そっちの意味を知ってるやつならな」
冒険者になろうという人種は様々だが、駆け出しの多くは食い扶持を求めてやってきた農村出身の人間が殆どだ。文字を読めるかどうかも怪しい人間がそんなどこに存在するとも知れない獣の存在を知るはずもない。
「しかし、よくアレだけ人目の多い中であんな事やらかしたな」
「人目が多いからやらかしたんだ。というか、遠慮なくやってくれと言われた。内々であの話まとめても良かったんだが、手間と時間がかかるし面倒だ。ギルドので済ますのが一番かなって」
「因みにそれを提案してきたのは?」
「ギルド長」
「だろうな」
あの狸め……
マークは内心で舌打ちした。
「あいつらもあっさり乗ってきたしな」
「まあ、上手く行けば実質公開処刑だからな」
「実際上手く行って公開処刑になったのはあちら側になったわけだが」
リーリエは冷めた紅茶で喉を潤す。
「それに、あれを拠点で済ませてたらどうなってたと思う?」
「どうって、お前の拠点が血の海に———」
「冗談なしで」
「本気だよ」
「後で場所を移して話し合おうか。ギルドの訓練所の裏手なんかどうだろう?」
「まあ、それは置いておくとして」
リーリエの目の本気度具合からマークは話題を強引に反らした。こんなところで血の海には沈みたくない。
「どちらにしろ、結果的にはアイツらがリーリエに追い出されてただろうし、表向きはお前があいつらを追放。裏を勘ぐればお前に愛想を尽かせて他所に移る。ないしはパーティを組む。つまりはお前がリーダーをやるパーティに問題があるって見ようとする奴は多いだろうな」
拠点持ちはやっかまれる。パーティーを組んでからならともかく、拠点を持ってからメンバーを集める、しかもそれが女の回復職なら尚更だ。馬鹿な連中が馬鹿な結末を迎え、後衛職に対する認識も見直されるようにはなってきたが、後衛職を下に見る目は未だ完全には払拭できていない。
「それもあってギルド長の提案に乗ったんだ。あいつらが他所に移るのは構わんが、一時とは言え、私のパーティに所属していたとなれば、顔馴染みに迷惑がかかる可能性がある」
なるほど、とマークは納得した。人の多い時間帯、あれだけ派手に諍いを起こせば注目の的になる。事実、噂はあっと言う間に広まった。実際に現場の一部始終目の当たりにしたまともな冒険者なら、リーダーの指示に従わない人間はまず入れない。それどころかパーティー内に不和を齎し混乱を起こすような人間など、地雷以外の何ものでもない。
「それでもワンチャン狙ってあいつらをパーティに入れた場合は自己責任ってやつか」
「当然だ」
リーリエは残った紅茶を飲みほした。
「この話はここまでにするとしてだ、リーリエ」
ティーカップをソーサーに戻すのを見計らってマークがリーリエを正面から見据えた。
その瞳がすっと眇められる。
「お前、《《あの時なにやった》》?」