第6話 昼夜の差
横浜異能学校には広い校庭、広いプール、広い体育館が用意されている。理由はもちろん、異能力を使った授業を行う場合に便利だからだ。
例えば、今日のように生徒の異能力がどれほどのものかを知るための試験がある日などは、この広い校庭などの設備はとても重宝される。
そんな広い校庭の一角には体操着を身に纏ったたくさんの生徒が、半分しかない輪のようになって集まっており、その中心部には校内で有名な人間が居た。つまり生徒達は注目の的を囲んでいるわけである。
……ちなみに、体操着は男女共に白の半袖に黒っぽい紺色の短パンだ。残念ながらブルマーはとっくの昔に撤廃されてしまっている。
輪の中心にいるのは、学内で頂点に位置すると言われるほど異能力の扱いに長けている生徒会長、各部活動の部長を務める者、優良な血筋から成る者、久遠家の人間などだ。
ピーッ、と言う笛の音が校庭に響き、教師の凛々しい声が「次っ!」と叫べば、それを聞いた少女は校庭に引かれた白線の内側へと移動し、姿勢を正して立つ。
清楚で整った顔立ちで、黒い瞳に太陽の輝きを映しながら真っ直ぐ前方を見据えており、定規のように真っ直ぐ伸びた背中ながらも、その体は女性的な丸みを帯びていて、後頭部で高く結んだ黒いポニーテールが白いうなじを露にしている。
そんな少女に観衆の一部からは歓声が上がるが、これまた観衆の一部から発せられる冷ややかな空気がそれをやませる。だが、やんだのは歓声だけで、ざわめきまで完全に消されることはなく、「相変わらず西蓮寺会長は綺麗だよなぁ」「何、お前西蓮寺会長って呼んじゃう派なの? 時代は志乃会長だろ」「俺達如きが下の名前で呼ぶとか馴れ馴れしいんだよ、分を弁えろ」などとくだらない言い争いなどがあちこちで発生していた。
ポニーテールを風に揺らしながら凛々しく立つ少女の名は西蓮寺志乃。横浜異能学校の生徒会長だ。家柄と面倒見の良い性格と優れた容姿、強力な異能力などの要因があって生徒からの信頼は厚く、男女問わず校内での人気は高い。
ピーッ、と笛が吹かれて西蓮寺志乃の試験の開始が告げられる。
西蓮寺志乃は堂々とした態度で前方へ手を翳し、その手の平から火の球を射出する。大きさは子供一人を覆い隠せるほどで、火球が地面に衝突すると小さな振動を伴って爆発した。「うわー!」「きゃー!」と悲鳴が上がると同時に校庭の砂が舞い上がって生徒達は目を塞ぐが、教師は全員が理科の授業で使うようなゴーグルをしているので採点し損ねることはない。
中々晴れない砂塵は、西蓮寺志乃が手を振れば簡単に掻き消えて、西蓮寺志乃は次々と魔法やスキルを披露し始めた。
この試験では生徒が使える魔法やスキルを全て使用させる。火魔法が何点、水魔法が何点……剣術、歌唱スキルが何点など、一つ一つ丁寧に見極められる。
当然そんなことをしていたら一日あっても足りないので、爆発による砂塵を風魔法で払ったりと、魔法やスキルを組み合わせて時間を短縮する工夫がされている。
なので、教師はそれらを見逃さないように集中する必要があるのだが、魔法ならばゴーグルに魔力の流れを可視化する効果が付与されているので比較的楽ではあるが、スキルの場合は魔力を使用しないものがあるので厄介だと試験官の教師は愚痴る。
西蓮寺志乃が異能力を使用する手をとめて上下に肩を揺らし始めたところで笛が吹かれて、教師は「次っ!」と叫び、白線の内側から離れた西蓮寺志乃には数人の女子生徒が駆け寄って、瞬時に魔力を回復させるポーションを手渡していた。
「次は……ああ! ロリスかわさんか!」
「セーラ様ぁ! 今日も愛らしいですぅ!」
男子の歓声の中を、無い胸を張って進む小動物は有栖川セーラ。ツインテールにした金髪は太陽の光を受けて神々しく輝いており、空色の瞳は自信の炎を灯していた。多くの注目を受けているのが気持ちいいのか、エルフ特有の長い耳は上機嫌にピクピクと揺れている。……ちなみに『ロリスかわ』とは『ロリ有栖川可愛い』を縮めたものなのだが、有栖川セーラ本人はその由来を知らない。
「ふふんっ、西蓮寺も大したことないわね。見てなさい、この有栖川セーラ様が本物ってヤツを見せてあげるわ」
ピーッ、と笛が吹かれて有栖川セーラの試験の開始が告げられる。
そこで有栖川セーラは驚きの行動に出た。入学したばかりで、今回が初めての試験だったから知らなかったのだろう。有栖川セーラは固有能力を披露する。自分の切り札とも言うべき固有能力を、こんな大勢の人間が見ている前で。……しかも、あろうことか固有能力の名称を叫んでしまった。
「幻の国の迷子!」
すると周囲の空気が変わった。生徒達が周囲を見回すが、特に何かが変わったようには見えない。けれど、目を閉じた有栖川セーラが脳内に周囲の光景をイメージすれば、変化は明白すぎるほどにやってきた。
幻の国の迷子の影響下にある空間は全て有栖川セーラの箱庭の中。
空から洋菓子の雨が降ってくると脳内でイメージすれば現実世界でも同様の現象が起こり、建造物が縫いぐるみになったと脳内でイメージすれば現実世界でも同様の現象が起こる。
つまり脳内のイメージを現実に引き摺り出すのが、幻の国の迷子の効果だった。色々と条件があるものの、影響下にある空間と効果時間が続く間は最強でいられるわけである。
有栖川セーラが息切れを起こしながら目を開ければ、思い描いた世界は消えてなくなり、いつもの世界が広がっていた。有栖川セーラを囲む生徒達はあんぐりと口を開けて固まっており、教師は首を傾げながら採点をする。
……教師は魔力の流れを可視化するゴーグルを付けているのだから、魔力が充満する空間では淡い紫色の魔力しか見えないのは言うまでもない。
ふふんと鼻を鳴らす有栖川セーラが拍手を受けながら戻っていくと、笛が吹かれて教師が「次っ!」と叫ぶ。それに長髪を掻き上げながら白線の内側までやってきたのは、自分の容姿が好きそうな少年──犬飼翔だ。
犬の耳から生えている毛が黒色なことから、染めたと思われる長い金髪をおしゃれに纏め上げ、左目が青で右目が緑のオッドアイを意識したカラーコンタクトをしている。容姿への自惚れがあるように、犬飼翔の容姿は男性アイドルグループにいてもおかしくないほど整っていた。
「男子諸君、前二人に鼻の下を伸ばしているところで僕みたいなのが出てきてしまって済まないね。けど、ガッカリはさせないよ? なぜなら僕は美しいから! 前の女子にも負けないほどにね」
普通にしてたら格好いいのに、とは校内の男女両方からの評価である。
ピーッ、と笛が吹かれて犬飼翔の試験の開始が告げられる。
犬飼翔は西蓮寺志乃と同様に幾つかの魔法とスキルを繰り出して堅実に実力を披露する。有栖川セーラが固有能力を披露したせいで霞んでしまっているように見えるが、犬飼翔はいつもこうなのでそれを不思議に思うことはない。
犬飼翔が肩を上下に揺らして異能力の使用やめると、笛の音が響いて「次っ!」と教師が叫んだ。
その後も横浜異能学校で注目を集める者達の試験が続いていき、昼飯時になった。
今日は昨日のように午前だけではなく、午後もある。
いくら生徒が魔法とスキルを組み合わせて試験の時間短縮に努めようとも、全校生徒の試験となれば相当な時間がかかる。それに、今日のこれは体力テストの一部でもあるため、異能力のテストが終われば普通の体力テストが待っている。……試験を受ける順番が全て名前順ではないことから、一々何年何組何番の何々ですと名乗らなければならないのが手間だ。
昼休憩になると一度体力テストは中断され、学生食堂で食事を済ませる者や、弁当を持ってきている者、コンビニへおにぎりを買いに行く者など、様々な方法で各自で食事を始める。
西蓮寺志乃は空き教室で一人寂しく弁当を開けていた。学生食堂で食事をすれば人だかりを作ってしまい、コンビニに行けば金魚のフンのせいでたちまちコンビニの人手が足りなくなってしまう。だから不本意ながらも一人寂しく隠れて食事するしかなかったのだ。
西蓮寺志乃が、はぁ、と小さく溜め息を吐いたところで廊下の方から「会長どこ行ったんだろう」「いつもいなくなっちゃうよね」などと話し合う女子生徒の声が聞こえてくる。
口を押さえて息を殺し、物音を立てないように石像を化す。
「あ、セーラちゃん。うわ、近くで見るとめっちゃ可愛いねー!? ……ところで西蓮寺会長みなかった?」
「は? 西蓮寺? 見てないわよ。って言うかなんであたしに聞くのよ?」
「えぇ? だって「西蓮寺も大したことないわね」ってライバル視してそうな感じだったから知り合いなのかなって……うーん、でもそっか、知らないかぁ……呼び止めてごめんねセーラちゃん。またね」
遠ざかっていく足音に耳を澄ませ、西蓮寺志乃はホッと息を吐き、箸でウインナーを掴んで口に運ぼうとしたところでガラガラと音を立てて扉が開かれた。
「……」
「……」
黒い瞳と青い瞳が交差してお互いが誰なのかを認識する。
先に口を開いたのは有栖川セーラだった。
「……て、天下の西蓮寺志乃がこんなところでぼっち飯?」
「あら奇遇ね、有栖川セーラさん。いや、流石と言わざるを得ないわね。入学したばかりで校内を把握しきれていないでしょうに、校内一の景勝地に辿り着くだなんて。ほら、見てごらんなさい。あの『アリティージ山』が見上げられるわよ」
箸を置いて窓の外を指差す西蓮寺志乃。ほら、ほら、と指を揺らせば釣られて有栖川セーラは窓へと近付き、西蓮寺志乃が『アリティージ山』と呼ぶ山を見上げる。
アリティージ山は二つの世界が重なりあったことによって出現した異世界の山で、未だに誰も山頂からの景色を見たことがない山だ。
単純に高いのもあるが、何より中腹に差し掛かった辺りから非常に強力なモンスターが現れ始め、体力を消耗した登山家達の命を悉く奪うのだとか。そのモンスターが何らかの理由で山を降りてこないのは幸いだった。
「あんなのどこからでも見れるじゃ──」
窓から吹き込む風に髪を押さえながら有栖川セーラが振り返ろうとするが、その頭を後ろから強く押さえ付けられる。
「あらあら、タイミングが悪かったわねぇ、有栖川セーラ! 私の秘密を知ったあなたにはここで死んでもらうわっ! この私が寂しくぼっち飯を嗜んでいたなんて知られたらもう生きていけないもの! そうよこれは必要な犠牲なのよ、尊い犠牲なのよ!」
「ちょ、ちょ! あんた何やってんのよ!? ぼっち飯ぐらいでそんな大袈裟な……っ! あ、あ、そうよそうよ、あたしもそうなの! あたしも一人でご飯食べられるところを探してたの! だから今回のはお互い無かったことに、引き分け、痛み分けってことにしましょう!?」
半狂乱で有栖川セーラを窓から突き落とそうとする西蓮寺志乃は、必死の説得を耳にいれるとその力を弱めた。その隙を見逃さず有栖川セーラは叫んだ。
「幻の国の迷子!」
目を閉じてイメージするのは、西蓮寺志乃を教室内へ引っ張り込む二足歩行の兎と、自分が落ちないように支える二足歩行の兎。自分を支える兎のおかげで自分を支えなくてもよくなった有栖川セーラは両手を使って後ろの西蓮寺志乃を突き飛ばす。大勢の力に耐えられなくなった西蓮寺志乃は簡単に尻餅を突いて有栖川セーラから手を離してしまう。
「はぁ……はぁ……っあ、あんたって昔っからちょくちょく頭おかしくなるけど、流石に今回のはゾッとしたわよ……」
目を開けて息切れしながら有栖川セーラは言う。
「……約束は守るのよ?」
「は?」
「お互いに無かったことにするんでしょう?」
腰を擦って見上げながら言ってくる西蓮寺志乃に、「あー……」と有栖川セーラは声を上げる。
「まぁ……あたしもあんたと同じことしようとしてたから、あんまりあんたをバカにできないし、今回は無かったことにしてあげるわ。……それと、あたしのライバルがこんなとこでぼっち飯してるなんて許さないわ。だ、だから……こ、これからはあたしと一緒に……」
チラチラと視線を送り、もじもじする有栖川セーラに、いつもの調子を取り戻した西蓮寺志乃はバッサリ言う。
「一緒にご飯しましょうって? そんなのお断りよ。あなたみたいなのが一匹でもいたら、さらに逃げるのが難しくなるじゃない」
「は? え? 逃げ……?」
「あら、そうよ。私は鬱陶しい取り巻きから逃げて一人で食事していただけよ。大勢で猿みたいにぎゃはぎゃはしてると周りにも迷惑でしょう? あなたと違って、私には一応一緒に食事をする人はいるのよ」
「なっ……!?」
「さぁ、分かったらとっとと出ていきなさい。先にここを見つけて食事していたのは私。私のぼっち飯の邪魔よ」
立ち上がって椅子に座った西蓮寺志乃は箸を手にとって、その手でシッシと有栖川セーラを追い払おうとする。呆然と立ち尽くす有栖川セーラだったが、ハッとしたような表情になって空き教室内を見回す。
「……キョロキョロして何してるのかしら。私はとっとと出ていきなさいと言ったはずよ? ここは私の──」
「ない……ない……ない……! あたしのお弁当がないわ!? なくなったわ!?」
「はぁ……? ……あっ……」
西蓮寺志乃は思い出した。有栖川セーラは弁当を持って教室に入り、まんまと窓へと向かい、本気ではなかったとは言え自分に突き落とされそうになった。その時有栖川セーラはどうしていた? 落ちないように両手で自分を支えていなかったか?
気付いた西蓮寺志乃は再び立ち上がり、窓から下にある花壇へと視線を彷徨わせる。そこにはピンク色の風呂敷に包まれていたであろう弁当箱が風呂敷から解き放たれ、中身を散乱させて肥料になっていた。
「……あんた……やってくれたわね……? 今日のはお気に入りのお弁当箱だったのに……唐揚げも入ってたのにっ!」
隣で花壇を覗き込む有栖川セーラは、ギロリと西蓮寺志乃を睨むと、西蓮寺志乃の頭部に手を伸ばして押さえ付け、突き落とそうとし始めた。
「あー、お腹空いたわぁ、おにぎり一つじゃ物足りないわぁ。こんな時、お弁当があればなぁ。……あー、誰かさんのせいでお腹と背中がくっついちゃいそう。この後の体力テストに支障が出たらどうしましょう」
「……ごめんなさい」
西蓮寺志乃はおにぎりを買いに近くのコンビニへと駆けていった。有栖川セーラがおにぎりを一つ口にしているように、これが一度目ではない。これで二度目である。ちなみに、有栖川セーラは西蓮寺志乃の弁当も平らげているのだが、立場が弱い西蓮寺志乃は黙って従うしかなかった。花壇の後片付けも西蓮寺志乃がやった。
午後の体力テストは午前と変わりなく行われ、体力テストの最後にはシャトルランもあったが、最後まで残ったのはアッシュだった。
机に突っ伏しているイメージしかなかったアッシュはそのギャップから注目を集めてしまっていたのだが、体力が尽きるなり眠ってしまったアッシュはそれを知らなかった。
「……あ、起きましたかお兄様?」
「……クレア……ここは……?」
「保健室です。お兄様はシャトルランで限界に達するなり死んでしまったかのように眠ってしまったんですよ?」
キョロキョロと辺りを見回しているアッシュは側にいたクレアに尋ねて、答えを聞くなり天井を見上げた。証明が室内を照らしているせいで今が日没前か日没後かすら分からない。
「今何時?」
「ここの時計は壊れてるみたいですから分かりませんけど、大体18時ぐらいでしょうか……」
「僕、2時間ぐらい寝てたのか……早く帰らないと……」
「制服はそこに置いてあります。あっち向いてますから遠慮なく着替えて良いですよ」
背を向けるクレアに、ありがとう、と礼を言ってからアッシュは体操着から制服へと着替え始めた。
「ん、もう良いよ」
「環奈お姉様達ももう帰ってますし、私達も帰りましょうかお兄様。お体の方は問題ないですか?」
「平気だよ。いつも通り眠い」
二人は保健室の戸締まりをして、職員室へ鍵を返してから学校を出る。春だからか、まだ18時だと言うのに随分と暗い。
最近この近辺で行方不明の子供が多発しているのもそのせいだろうか。
何にせよ、夜になれば雑木林や下水道などの人目に付かない場所に潜んでいる魔物などのモンスターも活発に行動を始めるから、早歩きで帰っておいて損はない。
点々とある街灯が辛うじて明るさを保ってくれているが、夜遅くに出歩くことのない二人はそれだけで心細さを覚える。
「ごめんクレア。僕を待ってたせいで……」
「いえ、大丈夫ですお兄様」
口ではそう言いつつもどこか不安げなクレアを見て、アッシュはさらに申し訳ない気持ちになってしまうが、その時、アッシュの耳に微かにだが悲鳴のようなものが届いた。クレアが何も反応していないことから、不安からくる幻聴だと頭を振って誤魔化そうとするが、微かにしか聞こえなかった悲鳴が妙に耳にこびり付いている。……まだ幼い子供の、生命力に満ちた悲鳴だったからだろうか。
「お兄様?」
「……急ごうクレア」
「え、は、はい……」
アッシュの雰囲気の変化に声をかけるが、アッシュは答えずにクレアの手を引いて駆け出したので、クレアはよく分からないまま走った。
アリティージ山を背にしている屋敷へと息を切らしながら帰宅したアッシュとクレア。アッシュの目は久し振りに覚めていた。
「……あ、しまった。忘れ物した」
「えぇ?」
帰宅して早々に、忘れ物をしたと駆けていくアッシュに、間の抜けた声を上げたクレアは、暗闇に溶けていくアッシュの背を見送った。
クレアにとって不思議だったのは、学校がある方向とは反対へとアッシュが向かっていたことだった。




