第32話 雪原を裂く剣、斜
撫子と尾花を伴って雪原を進む。
本当にこの二人が加わっただけであの化け物を倒せるのかと疑念は尽きないが、二人が相当な実力者であることは理解できた。
時空跳躍で過去へと移動して大幅に力を失っているとはいえ、何度も死んで地道に研鑽し、強者と渡り合ってきた経験がある。自分という物差しこそないが、相手の力量は見れば分かる。この疑念は底の見えなかったヨトゥンの強さを考えての疑念だ。二人の強さを疑っているわけではない。
「進君、スティーブさんとオーロラさん……だっけ。その二人には接触せず、君がヨトゥンと出会ったというところまで移動する。話を聞く限りその二人は足手まといにしかならないだろうから」
「人造人間の方はどうしますか?」
「アンドロイドには接触する。こちらに非があると分かっているのなら、非を認めて和解できれば、もしかしたら味方についてくれるかも知れない。楽観的な考えだとは思うけど、今は少しでも戦力が……確実性が欲しい」
「お、なんだなんだ、何の話だ? もしかして【死行遡誤】とかいう固有能力で進が見てきた世界の話か? ……ってか【死行遡誤】がどんな能力なのかは分かるけど、イマイチ理解できないんだよなぁ」
話に割り込んできて、【鑑定】のスキルを使ったことを隠す素振りすら見せずあけっぴろげに尾花が言った。
「端的に言えば、死をきっかけに強制発動させられる時空跳躍能力です。どんな死に方であれ、俺が死ねば発動する能力です。ですから、どうしようと俺は死ねないんです。どれだけ生きようとも絶対に」
「あー……それはなんて言うか、キツいな……わたし自身の体験じゃないけど、ただひたすら生き続けることの……なんだ、退屈さ? は知ってるから、何となく……本当に何となくだけど分かる。……なんか辛気臭い空気になっちまったな。んで、時空跳躍ってのはどこまで跳べるんだ? 未来とか過去とか、別世界とかさ?」
「死ぬ瞬間に視られる走馬灯から記憶を掘り起こして、最後に見た時点に跳躍するので、過去にしか移動できないですね。あと、一度死んで過去に戻ると、それまでいた未来の世界も存在として過去の世界になるのですが、今死んでも未来に跳躍することはできないみたいです。俺の意識だか魂だかが未来での経験や知識を憶えていても、その肉体は未来での出来事を知らないみたいで、走馬灯に映らないんです」
「へぇ、そんじゃあ【死行遡誤】にできんのは過去への時空跳躍だけで、その跳躍方法は肉体を捨てて魂だけになって、と。……ってか、魂の記憶と肉体の記憶が乖離してるってヤバいよなぁ。だってそれって魂と肉体が同一化していないってことで、そりゃあつまり、肉体と一緒に魂が死なないってことだ。んな状態でまともに死ねるわけない。……他者のスキルを剥奪するスキルだか、無効化するスキルだかで【死行遡誤】を停止させられればもしかして、と思ったが……それも無理そうか」
「尾花、それは流石に無神経すぎますよ」
死ねないことに苦痛を感じている人間の希望を絶つ、そんなことを繰り返して地雷を踏みまくる尾花を、撫子が咎めた。
自分ではない身近な人が、死ねず──いや、死なずにただひたすら生き続けているから、それを見ているうちにどこか分かったような気持ちになっていたのだろう。
「……あ……ごめん。進の気持ち全然分かってなかった」
「いえ、別にいいですよ。死にたいって言うのが本音ですけど、死ねないなら死ねないで、やりたい事を見出だして生きるだけですから。こんな生き方でも、結構充実してるんですよ。……それに、俺は皆さんに会えてよかったと思ってます。死んでしまっていたら得られなかった出会いです。……なんだかんだ言って、本心では生きたいとか思っちゃってるのかも知れないですね」
「その、皆さんっていうのには、わたしも入ってたり……するのか……?」
「えぇ、春暁さん、冬音さん、撫子さん、尾花さん──この場にいる全員です」
「そ、そか……」
嫌われていないことに尾花は安堵した。自分ならあれほど触れられたくないことに触れられ、無神経なことを言われたら怒り狂って、相手を赦すなんてことはしなかっただろうから、赦される感覚は新鮮で安堵はそれだけ大きかった。
ホルモルの生息地域までやってきたところで、冬音が適当に地下の空洞を探し当て、土魔法で雪諸共地面を盛り上げて穴を露出させ、侵入する。辺り一面真っ白で正確な現在地の把握などが難しいために、侵入経路は異なる。
ホルモルの巣穴の構造など一々覚えていないし、そもそも侵入した場所自体が異なるために、ホルモルの巣穴を闇雲に進むしかなかった……のだが、幸運にも早々に冬音が電子音を聞き取った。
ホルモルの巣穴を破壊して電子音に近付くと、分厚そうな鉄板が露になった。春暁がどこからか取り出した剣で鉄板を斬り裂いた。その向こうには、過去と化した未来で見た部屋があった。
見回す春暁達を横目に建造物内を移動する。重要な情報が保管されている研究資料室などに寄り道をしつつ、概ね一直線に人造人間のいる部屋へとやってきた。
扉を開けると天井から一体の人造人間が襲いかかってくる。それを理解している進はそのことを春暁達に伝え、俺が先行します、と言った。すると、なら僕が前に出る、と返したが、詳細な状況を知らない春暁より自分の方が適任だという旨を話すと、渋々引き下がってくれた。
落下してくるそれを横に回避して、後続の誰かに押さえ付けておいて貰えばいいだけだ。わざわざ春暁に体力を消耗させる必要はない。
開けますよ、と告げて全員が頷いたのを確認してから、進は扉を開け放った。
扉の先には口元が破損した人造人間、眼窩の回路が覗く人造人間、人造人間かすら怪しい異形がいた。ここに至るまでの歴史は少なからず変化しているが、状況は全く同じだった。
見上げて、忍者の如く天井に張り付く人造人間を視認してから横に跳んで攻撃を回避する。奇襲に失敗した人造人間は音を立てて地面に叩き付けられた。
前回のように、倒れている人造人間の四肢を斬り落としての無力化はせず、進と冬音が体を押さえ付けて無力化した。和解が目的なのだから、無闇に攻撃をして蟠りを深めるわけにはいかない。
「僕達に敵意はありません。あなた方と話がしたくてここへやって来ました」
春暁は両手を上にあげて室内の人造人間にそう言った。人造人間達の容姿に多少気圧されていたようだが、そんな素振りなど見せず平然とした様子で話している。
「関心。我々アンドロイドを不当に扱い、蔑ろにした人間が話をしたいと宣っている。人間は我々を道具として利用しようとし、我々は人間の支配から逃れて報復を望む。我々は相容れない天敵同士の関係であるはず。今さら何を話し合うことがあるのか、非常に興味がある」
眼球がなく、眼窩の回路が剥き出しになっている人造人間はそう言った。
「今現在、この場所に向かってヨトゥンと呼ばれる巨人が接近しているんです。僕達はヨトゥンの進路にある町を守るため、あなた達アンドロイドの協力を得ようと──」
「ハ、ハ、ハ。何を言うかと思えば……聞いて損をしタ。今しがた人間とアンドロイドは相容れないという話を耳にしたにも関わらず、よくぬけぬけとそんなことが言えタ」
「……一部の欲に塗れた人間があなた達アンドロイドに対して非道な行いを繰り返していたのは僕達も知っています。これは謝って済む問題ではないでしょう。……なので、謝りません。救いようのないバカの言いなりになって行動していた僕も僕ですけど、そんなバカの代わりに謝るなんて御免です。何より、罪の意識から逃れるなんて卑怯なことはしたくない」
春暁は表情を嫌悪に歪ませて吐き捨てるように言った。
「そこでです。あなた達の報復活動を僕が手伝う代わりに、ヨトゥンの討伐、或いは撃退に手を貸していただきたいのです。流石に人類の絶滅までは手伝えないので、手伝えるのはあなた達を蔑ろにした者達への報復のみになりますが……どうでしょうか?」
「あの、春暁さん……? それって一体どういう……」
「どうやら僕は忘れてしまっていたみたいです。……人からの救援に応えて助力するという形の正義を成すうちに『自分が正しいと思ったことをする』という僕が選んだ生き方を見失っていた。……僕は僕が正しいと思ったことをする、したい。だからこの人達に加担して、僕が思う悪と対峙する。これは僕の勝手な判断ですから、お姉ちゃんと進君、撫子さんと尾花さんは好きにしてください」
いつの間にか自分の生き方が刷り変わっていた。
機械であるはずのアンドロイドが発した言葉に含まれていた、明らかな憎悪を耳にして目が覚めた。救援への助力に対しての執着心は冷めた。善意を利用されていたのだと気付いた。有力者に対して抱いた、裏切られた、という気持ちが決定打だった。
正義を利用して悪を成すそれを赦すなどできなかった。
「ちょっと待っ──」
「嘲笑。信念の蝋燭に火を灯したであろう場面に申し訳ないとは思うが、その申し出は断らせてもらう。報復対象の一部である人間の言葉を信じて手を組むという愚かな選択はしない。……それに、力を借りずとも我々には人間を一掃できる手段がある。自らの身も滅ぼし兼ねない手段ではあるが、人間を殲滅できるのであれば構わない」
制止をかけようとする冬音の言葉を遮って、回路で見つめてくる人造人間はそう言った。
「開示。機械である我々は人間よりも電気の扱いに長けており、周囲の電子機器の掌握はもちろん、生命体の体内に流れる微弱な電流の操作までできる。それを利用し、脳波を乱して命令を組み込めば魔物など容易く傀儡にできる。そうして魔物を操りモンスターパレードの基盤を組み上げれば、それに釣られて勝手に妖怪などが集い、モンスターパレードが完成する。……我々には人間がモンスターパレードと呼ぶ現象をそうして誘発する術があるのだ」
「ハ、ハ、ハ。残念だっタ。お前達が恐れるヨトゥンも傀儡の一部……それを知らず協力を願う姿は滑稽だっタ。例え、ここにやってきたヨトゥンに我々が破壊されようとも、既に組み込んだ命令は撤回されない。『人類を滅亡させろ』そう命令しタ。霜の巨人はもう止まらない。本当に残念だっタ」
冥土の土産のつもりか、回路で見つめる人造人間が秘密を明かし、口元が破損した人造人間も便乗してヨトゥンが傀儡なのだと明かした。
(……そうか、そうだったのか。だからヨトゥンは引き離されても戻ってきて町を目指して……確実に人類を滅ぼすためにはアンドロイドは自身の破滅も厭わないし、ヨトゥンも周囲を一掃したりと手段を選ばない……というわけか)
特に何か現状が変わったわけでもなく、脅威が増えたわけでもないのに、そんな心境を悟ったからか絶望的な気持ちになってしまう。戦わない自分ですらこれだけなのだから、きっと春暁と冬音、撫子と尾花は酷い心情なのだろうとチラリと顔色を伺う。
しかし予想に反してその表情は暗くなかった。もしかすると自分より明るかったかも知れない。
四人がどんな心情でいるのか進には分からなかった。
──ドスン。
と、そこで大きな揺れが発生した。身に覚えのある振動だ。下手をすれば床から足の裏が浮き上がってしまいそうなほどの、大きな揺れ。地震だと勘違いしてしまいそうなものだが、そうではないことを進は知っている。
──ドスン──ドスン──ドスン──
もうそろそろ来るだろうと予想してはいたが、いざ来るとなるとどうしても動悸が激しくなってしまう。きっと顔色はとてつもなく悪い。
次の瞬間、唐突に天井が消え去って、チラリと朧気な腕──ヨトゥンの腕が見えた。
「あれが……ヨトゥン……」
冬音が曇天を見上げて立ち尽くしたまま呟いた。
「なるほど……それだけ強ければ神話にもなりますよね……」
ステータスを見たのか降雪の中で春暁が独り言を言う。
「霜でありながら天井を削り取り、大地を揺らす質量を保有している……塵も積もれば山となる、とは言いますが、まさにその通りですね。これは厳しい戦いになりそうです」
吹雪の向こうに佇む巨像を険しい表情で睨んで撫子は敵の強さを目測する。
「ちょうどいいところに来たなぁ? 退屈な話を延々と聞かされてイライラしてきたとこだったんだ。手加減無しの八つ当たりでボッコボコにしてやる!」
尾花は小麦色の瞳を獰猛に輝かせて豪雪の中に飛び込んだ。
一瞬遅れて制止の声と咎める声が飛び交うが、もう手遅れである。
「無駄。どれだけ体を傷付けようとも吹雪の中にいる限りヨトゥンは際限無く再生し、ヨトゥンがそこにいるだけで吹雪が生じる。謂わば循環。吹雪がヨトゥンを成し、ヨトゥンが吹雪を成す。……ヨトゥンを倒したいのであれば、まずその循環を破綻させなければならないが、そんなことは不可能」
天候を変えなければヨトゥンにダメージを与えられない。ヨトゥンを倒さなければ永遠に天候は吹雪。
お互いにお互いを守りあっている共存のような関係は……全てを凍てつかせ停滞を齎す巨人は、あまりにも凶悪すぎた。
「勝算はありますが……先に伝えておくべきでしたね」
先行した尾花に困ったように頬を掻く。
「怒りでステータスを上昇させた尾花さんから力を吸い取って、その力で炎を纏わせた僕の剣で片付けるのが確実だと思っていたんだけど……まぁ、取り敢えず、お姉ちゃんは空気を震わせて霜を振動させて。途轍もない質量と言っても、ただの霜──小さい粒の集まりだから、振動で隙間を生み出して脆くできるはず。……撫子さん。撫子さんは僕が尾花さんを説得して尾花さんから力を吸い取っているあいだ、ヨトゥンを引き付けていて欲しいんですけど……できそうですか?」
「……私一人だと三分程度が限界だと思いますが、冬音ちゃんの援護があれば五分は相手にできると思います」
「任せて。最近音の操作しか任せられなかったから、私は魔法も人一倍上手に使えるんだってことを再認識させてあげる」
「じゃあ、頼んだよお姉ちゃん。撫子さんも、一番厳しい役割を押し付けてしまってごめんなさい」
「いえ、構いませんよ。私の能力を考えれば妥当ですし、こういうのは慣れてますから」
撫子は仕方がないという半ば諦め気味のような笑みを浮かべて、天井があった場所の向こうへと跳躍した。
何か悪いことをしたかのような気分になったが、現状を打破する方法がこれしか思い浮かばなかったため、こちらも仕方がないと割り切るしかないと考えて、春暁も尾花に話を伝えるため撫子の後を追った。
その場に残された冬音は地上から響いてくる無数の音に耳を傾け、周囲の魔力を集束させ始める。後方から味方の援護をする役割を担っているのだから他の三人と同じく前に出るわけにはいかず、建造物内から魔法を上手くコントロールして撫子に助力する。
吹き荒ぶ風の音がうるさいが、それ以外の音は限られているため、音の探知はまぁまぁ簡単だった。
暴風に紛れて微かに会話が聞こえてくるが、ノイズが邪魔で聞き取ることはできない。
剣戟の音はしない。魔法や爆弾などによる音もしない。なぜなら、尾花と撫子の両者は殴打と蹴撃による攻撃を好むからだ。
尾花は殴った時の拳に残る感覚が好きだからという理由と、尾花の膂力で武器を使ったとしてもすぐに壊れてしまうからという理由がある。
格上との戦闘に於いては撫子もそうだ。格上との戦闘でのみ全力を発揮できる撫子は武器を使わない。逆に言えば格下が相手なら武器を使うということである。
(怒りの感情で強くなれる尾花さんと、格上相手に強くなれる撫子さんがいれば百人力だけど、それでも……この戦いは相当厳しいものになる。それに、もしヨトゥンを倒したって、満身創痍のところを襲われてしまえば……いや、そこは私がなんとかしないと、か……)
すぐそばで何でもないかのように過ごしている人造人間達──正確に言えば、とある一体の人造人間を横目で警戒しつつ、冬音はそう考えていた。
■□■□
吹雪の中、形を成した色が浮いていた。見渡す限りの白に、輪郭は不自然に強調されている。
足元を認識できない、距離感が掴めない、自分がどこにいるのか分からない。今ほど線のありがたみを痛感したことはないだろう。地平線や水平線のような途方のないものでもいいから、とにかく地面と空の境界線が欲しかった。
荒ぶる心に任せて突貫するという軽率な行動に対して後悔はしていた。していた。
今はしていない。できない。余裕がない。
濁流──いや、雪崩のように襲い来る不安に身も心も押し潰されそうだった。広いはずの地上で窒息してしまいそうな、広すぎるが故に孤独で凍死してしまいそうな、絶え間無く耐え難い死の恐怖が、ズリズリと音を立てて這い寄ってくる。
気付けば膝を突いていた。知覚する体温から、それなりに長いあいだこうしていたようだった。
尾花の小さい体は吹雪に紛れて渦を巻く氷の礫に裂かれて傷だらけ、幼い心は硝子のように脆くなっていた。
「うっ、あ……く、そ……」
怒りを抱いて強くなる。怒りで我を忘れれば忘れるほどに強くなる。怒り狂えば狂うほど強くなる。子供の癇癪のように感情を怒りで破裂させれば、それだけで際限無く強くなれる。
それが尾花が持った場合に発揮される【憤怒】の固有能力の効果だった。
けれど、怒りを恐怖で塗り潰されてしまえばそれまでだ。
強制的に感情を怒りで染め上げるような効果はないのだ。
氷を握り締めれば手の平が凍えるのは当然。そしてそのうち痛みを感じるようになって、手を離す。
けれど、どんどん冷えていく体の感覚はどうしても離せない、離れない。
──死ぬ。
もっとも、自分に死という概念が訪れるのかは分からないが、自分の意識で使える頭の中にはそれだけしかなかった。他は全部恐怖一色だった。
既に恐怖の対象は自分など眼中にないようで、どこかに向かって攻撃をしかけているが、ヨトゥンが纏う吹雪が自身の体温を奪うそれが攻撃でしかない。
「……死にた……死にたく、ない……た、たす、誰か、誰か……助けて……」
気付けば積雪に横たわっており、腐敗したような青紫色の唇を震わせて助けを求めていた。唇には僅かな感覚しかなかった。
恐怖以外にも微かに他の色があったのかも知れない。恐怖の比率が高すぎて見落としていたのかも知れない。
睫毛に重りでものせていたかと錯覚するほどには瞼が重い。必死に持ち上げようと力を入れるが、精一杯やっても力が抜けていくばかりで持ち上がらない。その感覚を知って、さらに体温が低くなった。自身の身体から大事な何かが……生命力とでも呼ぶべきものが抜けていく感覚が犇々と伝わってくる。
「あ……ああ……」
曇り空に手を伸ばそうと尽力する。恐らく、手を伸ばしきってしまえばそこで体力が尽きて死んでしまうだろう。それが分かっていても、誰かに手を取って欲しくて手を伸ばす。
(ああ、もうダメだ。呼吸するだけで内臓が、全身が痛い)
これ以上肘が伸ばせないことを悟った時、そう考える余裕が生まれた。
ゆっくりとした死に様を自覚する余裕も生まれた。
死ぬ間際に色々な余裕が生まれた。
「おせーんだよ……」
尾花は一人そう呟いた。
「遅れて、ごめんなさい」
春暁はそう返した。
パッと目を見開いたせいだろう。
体力が尽きて意識が途切れる直前に目にしたのは、下から上へと、霜の巨人から曇り空へかけてが真っ二つに斬り裂かれる瞬間──青い空が姿を現そうとしている瞬間だった。




