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第29話 泥沼

 アリティージ山を背にした屋敷。その居間には、死人のような肌色にくすんだ白髪と蜂蜜色の瞳を張り付けた幼い容姿の妖怪が佇んでいた。


 クリクリとしたその瞳に映るのはとある映画だ。


 何百年もの間封印されており、身動きが取れず意識だけは覚醒しているという孤独と退屈の生き地獄を味わっていた身としてみれば、人がいる屋敷で暇を潰しながら楽しめる極上の娯楽にのめり込んでしまうのは仕方のないことだと言えた。


『──運命に抗えってな』


「ふおぉぉ……!」


 素行が悪く臆病ながらもどこか厚みのある主人公のそんなセリフに目を輝かせるみずくめは、思わず恍惚とした声を漏らす。ちなみにこのシーンが流れるのは6回目。つまり何度も何度も巻き戻して見ているわけである。

 展開の読めない……と言うか進まないそのシーンから目が離せなくなっていると背後に気配がした。


 出会った当初こそ恐ろしくて堪らなかったその気配だが、一日中家でぐーたらと自堕落な生活を送っている者同士という共通点があるからだろうか。話題がないので会話こそしないが、抱いていた警戒心はかなり薄れ、不意に後ろに立たれて味わう心臓を握られるような悪寒とは無縁になっていた。


 ふと、そう言えば漢字こそ違うがこの映画の主人公とこの屋敷の大黒柱は同じ読みの名字だったなと頭に過った。

 それを思い出して何となくチラリと振り返れってみれば、その者の様子がいつもと違った。

 服装はいつもと変わらない、胸ポケットに装飾が施されたワイシャツ姿ではあったが、どこか雰囲気が整っているように感じた。


「……ふむん。出掛けるのか?」


「ああ。お前も来るか?」


 お前も来るか、と誘われて迷う。

 映画は今めちゃくちゃいいところだ。だがしかし、ここ最近外に出ていないのだ。いい加減に体を動かしておかなくては、封印されていた時よりも体が鈍ってしまうかも知れない。もしそうなってしまえば、元の調子を取り戻すどころか力を失って消滅してしまう。


 青褪めた。迷っている場合などではなかった。


 立ち上がって、タタタッと自分に与えられた部屋に駆け込み、服を着替えて居間に戻ると、止め忘れていた映画は少し巻き戻した時点で停止されていた。「ありがとう」と礼を言うと「ああ」と返ってきた。

 冷めたやり取りばかりだ、と苦笑いが浮かび上がってきた。


「よし行くか」


「おう」





■□■□





 最上階から轟音が響き渡った。地上で特異個体との対話が成功するようにとサンソールビル見上げていた者達は、煙が立ち昇り、飛び散るコンクリートで交渉の決裂を察した。


「あぁー……こりゃあ、失敗くせーな……」


「特異個体と言えど、所詮は理性のないモンスターから成り上がっただけの紛れもないモンスター。周辺のモンスターを纏め上げるだけの知性があるからと言って、話が通じる道理なんてないもんね」


 面倒そうにアグナが呟いて、信幸が分かっていましたとばかりに言う。


「不知火ミスラさんと矢沢渡琉さんだったかしら? 交渉が決裂した以上、この辺り一帯のモンスターと戦わなくてはならなくなったわけだけど、大丈夫そうかしら?」


 西蓮寺志乃がそう声をかけたのは、チームメンバーの二人だ。


 不知火(しらぬい) ミスラと呼ばれた少女は明るい緑の長髪に金色の瞳をしていて尖った長い耳を持つ、所謂エルフだ。流石はエルフと言ったところか、その容姿は異常なまでに整っていた。そんな不知火ミスラが醸し出す雰囲気は、森の精霊のような曖昧なものだ。追いかけて追いかけて、触れたと思えば消えてしまう幻のような稀薄さを感じさせた。


 矢沢(やざわ) 渡琉(わたる)と呼ばれたもう一方の少年は橙色と青色のメッシュが入った髪色に茶色の瞳をした背が低くて筋肉質の、所謂ドワーフという奴だろう。エルフのように耳を見て一目瞭然とはいかず、背が低いのも筋肉質なのも身体的特徴で片付けられてしまうため、本人の口から聞かない限り断定はできない。……だが、矢沢渡琉が武器として所持している金槌と、頭に巻いている鉢巻などの品々から、ドワーフではないにしろ、ドワーフを意識していることは間違いないものと思われる。


「えぇ、私は比較的危険の少ない後衛ですから大丈夫ですけれど……渡琉はどうでしょう?」


「おん? だぁいじょうぶ、だぁいじょうぶ! 余裕、余裕! カスがどれだけ群れようがカスはカス。オラの金槌でドタマかち割っておしまいよォ!」


 静かな声で不知火ミスラが訊ねると、不知火ミスラの印象を掻き消すほどの勢いで矢沢渡琉が胸を叩いた。


 それを聞いた西蓮寺志乃が「そう。なら行くわよ」と言って走り出そうとしたところで、手を振って走ってくる人影が視界の端にチラついた。


「アグナお姉ちゃーん! のっぶー! せーとかいちょーさーん!」


 駆けてくるのは桃色と黒色……イチゴとチョコレートのお菓子を彷彿とさせる髪色のアルカと、赤みがかった黒髪に着物と番傘とぽっくり下駄の美月と、灰色のような銀髪と金色の瞳をしたクレア。その後ろに続く二人の内、一人は西蓮寺志乃にとって見覚えのある人物だった。


増田(ますだ) (ぜん)……さん……」


 西蓮寺志乃が一心に見つめてそう呼ぶのは、白紙のように白い髪に白金の瞳をした、人間離れした美貌を持つ少年だった。歳は自分と同じ16だったと記憶しているが、西蓮寺志乃は『さん』を付けて呼ぶ。


「お久し振りです西蓮寺さん、今日はよろしくお願いします。他の皆さんもよろしくお願いします」


 増田善は息を整えるより先にそう挨拶した。なんと礼儀正しいことかとアグナ、信幸、不知火ミスラ、矢沢渡琉は思ったが、そもそも息は切れていなかったのでそうする必要はなかったというだけの話だ。


 ……その後の自己紹介で、アルカ、美月、クレア、増田善のチームにいるもう一人の少女が剛力(ごうりき) 里子(りこ)と言う名前であることが判明した。

 剛力里子は地毛らしい茶色がかった黒髪に黒い瞳を持つ、至って普通の少女だった。アルカ達や増田善とも交流はないようで、肩身の狭い思いをしているのかと思いきやそうでもなく、普通に仲良さそうに混じっていた。

 人と仲良くなる天才のアルカがいるのだから、アグナと信幸は特に驚いたりはしないが、アルカのその性格を見越してのチーム分けだったとすれば、異生物対策組織の偉い人に少しばかりの敬意を払いたいほどだった。


「一通り自己紹介も終えたところで……さて、こうしてせっかく合流したのだから一緒に行動するのは決まりとして、それなら各々の戦いかたを把握する必要があるわね」


「たしか、生徒会長サマは使役してるモンスターを呼び出して戦わせるんだったか」


「えぇそうよ。忠誠を誓わせたモンスター──主に妖怪を特殊な札の中に封印して、使いたい時だけ封印を解除して呼び出して使役するの。一応護身術は嗜んでるけど前衛ほどの戦闘技術はないし、後衛ほどの支援力もないから、私にできるのは中衛だけね」


「そうだろうな。ちなみにオレは前衛も後衛もできるけど、どっちかと言えば前衛がやりてぇな。後ろからチマチマなんてつまんねーし、前に出てモンスターを蹴散らしてぇ」


「……! その感じオラも分かる、分かる! オラはそんなに強くないから金槌を使わないとだけど、やっぱ殴った時の爽快感は病みつきになるよなァ!」


「いや、オレはそこまで打撃に陶酔してねぇよ……んまぁ、つーことは渡琉も前衛ってことだよな。んでミスラはさっき後衛っつってたから後衛で……アルカと美月とクレアと信幸は何でもいいって言うだろうからオレが決めるとして……善と里子は?」


「僕は剣と槍を使い分けて戦うので前衛と中衛を」


「前衛もできるけど私は魔法のが得意だから後衛かなー」


「おっけ。……じゃあ前衛はオレ、アルカ、渡琉。中衛はクレアと信幸と生徒会長サマ。前衛と中衛の間に善で、後衛に美月とミスラと里子だな。……お、結構いいバランスなんじゃね? もしかしてオレって采配の天才だったり……」


「寝言は寝て言いなさい。そんなことより、はやく前線に向かうわよ。私達がこうしてお喋りしている間にも他のチームが戦ってるんだから。……これ以上組織が人手不足になったら仕事が増えて困るもの」


 辛辣な言葉でアグナを黙らせた西蓮寺志乃には余裕がなく、どこか焦っているようだった。

 そんないつもと違う西蓮寺志乃に気が付いたアグナはちょうどいい、と考えて思考する。


 西蓮寺志乃が言ったように、組織のメンバーに死なれては困るというだけかも知れないが、モンスターとの和解に期待していなかった身である西蓮寺志乃が今さら焦り出すのは不自然に映る。

 何か他に原因があるのは確かだ。そして西蓮寺志乃の態度から考えて、恐らくそれはサンソールビルの最上階が壊れた後に生まれたもの。最上階倒壊後の出来事なんて限られている。


 アルカ、美月、クレア──違う。


 あの時、西蓮寺志乃が見ていたのはその後ろだ。

 剛力里子ほどの後ろではなく、その前だ。

 限定して限定して限定しきった結果、残ったのは──

 


 ──増田善。


 臭いと思った。

 体臭がではなく、胡散臭いという意味で臭いと思った。


 見た目も完璧、中身も完璧。疑う必要などないほどに清廉で潔白だった。


 自分の性分だ。徹底的に完璧が視えるものは何もかもが気に食わない。

 この猜疑心に論理などなく1パーセントもなく、100パーセント感情だ。



 増田善(あれ)は──そうだ、久遠秋(あれ)に似ていた。



 中途半端な癖に完璧を装って……出来損ないの癖に完璧を装って……──嘘を吐くのが下手くそな癖に。

 見苦しかった。必死に虚飾で自分を装飾していることが。



 ──なるほど、こいつはあいつと同じような奴だから気に食わねぇのか。





■□■□





「マーガレット!」


 すぐ側で聞こえたはずのそんな声が空の上に聞こえる。自分が落下していて、ライリーやジャンク達チームメンバーは落下していないのだから当然だ。


 眼前の妖怪が悪意を露に叫んだと思ったらこうなっていた。

 気付けば肉薄していた妖怪に首根っこを捕まれ、そのままの勢いで壁に叩き付けられ、衝撃で壁が破れ、妖怪と共に落下している最中。


 なんとかしなければ地面に叩き付けられ破裂して肉片になってしまうが、首を掴まれるだけで相当に動きが限定されてしまう。踏ん張りの利かない空中なら尚更だ。


 無理に抜け出す必要はない。地面に叩き付けられる直前に地面へ風魔法を放って衝撃を緩和すればいい。不安であれば水魔法も重ねればいい。


 マーガレットはそれほど焦っていなかった。


 首を掴まれていて振り返ることはできないために、勘でやるしかないが、サンソールビルは30階建て。窓が何列あるか数えれば、自分の大体の位置は理解できる。人間離れした動体視力に感謝する。


 過ぎ去った窓の列が20を越えたところで地面へ風と水の魔法を放つと、風の大砲がマーガレットの体を吹き上げて、落下速度を遅くして、へこんだ地面に水が溜まって池となり、完全に衝撃を吸収する。


 突然の水中に驚いたのだろう。首を掴む力に綻びが生まれた。水中で妖怪を蹴って距離を取ってそのまま陸へ上がると、間髪入れず池に雷魔法をお見舞いした。水中から浮かび上がった気泡が水面で弾ける。


「みんなが来るまで時間を稼がなければ……」


 これで倒せるだなんて思っていない。妖怪が呼吸を必要とするのかは分からないが、感電していてくれれば池の中に閉じ込めることができるため、もし息をしているのならこれで窒息してくれれば儲けものだとは考えているが、それほど甘くはない。

 自分達の棟梁が害されているのを地上のモンスターが黙って見ているわけがない。


 先ほどは何もしてこなかったモンスター達が、一斉に自分だけを狙って襲い掛かってくる。組織の人間は安全のためにと、サンソールビルを包囲するように大きめの円になって待機しているので支援はまだない。


「思っていたよりも厳しい状況だな……これは……死んでしまうかも知れない……」


 電撃をやめて鞘から剣を抜き放つと、焦げて炭になったかのように真っ黒な刀身が姿を現した。柄を握るとじんわりと温かく、手によく馴染む。


 マーガレットが一度剣を振るえば粉が舞った。これは火の粉などではなく、言うなれば火種だ。

 粉が舞う中で炭のように黒い剣の先端が地面を擦った。


 それは遅効の攻撃。

 綺麗な線を描いた一太刀目の軌道に残った粉が、二太刀目の攻撃によって発生した火花によって爆発した。


 肋骨が浮き上がりながらもボールのように腹が出ていた赤肌の鬼の、奇妙な腹が消し飛んだ。それによって命を失った小赤鬼は腹だけでなく全身を消失させた。


 自分で曳いた線。自分で炸裂させる粉。自分の攻撃で自爆するほど間抜けじゃないマーガレットは火花を発生させた時点で後ろに跳んで爆発を回避していた。


 突然の爆発にマーガレットを取り囲んでいたモンスター達は後退りするように踏鞴を踏んだ。


 剣を振り回すだけで牽制になり、適度に火花を発生させて爆発させるだけで敵を倒せる剣。回転斬りなどで周囲に粉を曳かれてしまえばもう近寄れないだろう。

 ……だが、それは相手に知性がある場合のみ有効だ。そう、知性のない通常のモンスターには牽制になりえない。それに、相手に知性があってもそれはそれで問題だ。

 マーガレットの剣が発生させているのは、爆発するとはいえ、所詮は粉。風に吹かれてしまえば終わりだ。


(強力な魔剣ではあるが、欠点もある……あまり過信はできない。それにしても、ギリギリ殺戮兵器にならないちょうどいい塩梅の性能だ。だが、今はそれが少し恨めしい……)


 もっと性能がよければ状況はもっと単純だったのに、と心の中で舌打ちをした。


 胸中での舌打ちに反応したわけではないだろうが、マーガレットを取り囲んでいたモンスター達が離れていった。

 振り返れば、池から這い上がる妖怪の姿があった。


「あのまま潰れていれば苦しまずに逝けたものを……だがまぁ、分かるぞその気持ち。逃走するのは悔いがあるから……つまりお前には自分と同じく死ねない理由があるわけか。同じ志を持つ者同士、ワカイとやらをしてみたいところだが、悲しいかな。自分は既にお前達を殺すと決めた身。それに攻撃だってされた。残念だが戦わねばならない」


「私達を殺すと勝手に決めたのはお前、先に手を出したのもお前だ。何が『悲しいかな』だ。悲しみという感情はそんな軽い感情ではない。……それに、私の志をお前のような外道と一緒にするなッ!」


 柄を握り締め、マーガレットは怒声を上げた。


 父のような騎士になりたいから、立派な騎士になって父に誇りたいから。

 そんな夢が発展して、今では手の届く範囲の全てを守りたいと考えるようになっていた。もちろん自分一人ではそんな大層なことは成し遂げられないだろうが、それでもそうしたかった。


 志とは目標に至るという自分自身への誓い。

 最良と考えて数多ある道の中から選んだその道を、下衆の道と同じにされるなど到底赦せるわけがなかった。


「何が違うのか理解できないが……構わないか。罪科以外の余計なものは何一ついらない。自分の志と他者の志の相違など不要物の最たる物。他者を取り入れて曇らせてしまうなど、あってはならないのだから」


「私の志を貴様の志を曇らせる不純物だと言うのか。……貴様と和解などしなくてよかった、心からそう思う。会話ができるほどの知性があるのだろうと知った時、漠然と悪い存在じゃないと思っていた。──だが、やはり貴様は外道だった」


 善性を持つ特異個体をたくさん見て触れて知ってきたマーガレットは、自分が置かれていた環境が相当に貴重なものだったのだと理解した。


「あいつらのような善人はほんの一握りだけ。こんな当たり前のことすら見えなくなって忘れてしまっていたとは、相当に視野が狭まっていたようだ。……ともかく、貴様のような正真正銘のモンスターを生かしておくことはできない」


 焦げて炭になったかのように真っ黒な剣の切っ先を、妖怪へと突き付けてマーガレットそう啖呵を切った。


 マーガレットの視線の向こうには、援軍の姿が映っていた。

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