第28話 豪雪
──心地好い眠り。不満を挙げるならば少々寒い点だろう。このままでは体が冷めて、目が覚めてしまう。
──身動ぎをすると温かくなった。摩擦だろうかと過るが、それほど速くは動いていない。
──徐々に温かくまっていく。……暑い。……いや、熱い。
異変を察知して飛び起きれば、目の奥がジーンとしてクラリと目眩がした。頭を振って再び目を開き、視界に飛び込む白い光にまたしても目が眩んだ。目を擦って見回せばそこは外だった。白い光の正体は、明かりを反射した積雪だったのかと思ったが、生憎の曇天で太陽は見えない。さらに言えば降雪は吹雪へと変貌を遂げていた。
なるほど。先ほどの白い光は炎の光だったのか。
吹雪の中でしぶとく燃え盛る火の海を見て、そう納得した。すぐそばに炎があったから恐らくそれだろう。もう少しで髪が燃えていたところだった。
それにしても、地中の建造物内にいたはずなのに、どうして地上にいるのだろうか。それも見覚えのある建造物と共に。状況の一切が把握できない、呑み込めない。
こうして思考していても分からないものは分からない。
とにかく周囲の探索をしよう。
そう考えて周囲を歩き回り、建造物の残骸などを持ち上げたりしてみて色々探る。
砕けた人造人間を二体発見した。目の奥の回路は火花を散らし、損壊した口元は弛んだ糸のようにだらしなく開きっぱなしだった。
ツギハギの頭部を発見した。相変わらずの無表情ではあるが、異形の体から切り離されていて心なしか嬉しそうに口元が弛緩している気がする。
積雪を彩る血液を発見した。春暁のものか、冬音のものか、スティーブかオーロラか。そんなことを考えながら血液の周辺を熱心に捜索すると、足を見つけた。左足だ。二本ある。寄り添い合っていたのだろうか。それなら春暁と冬音、スティーブとオーロラのどちらのペアかまでは絞れるが、何にしろ誰かがひどい怪我をしているのは間違いない。
残骸を燃料とする火の海から離れて広範囲の探索を行ってみた。誰の死体も見つからないからどこかへ移動したものだと思って足跡を探してみたのだが、吹雪が足跡を消し去ってしまっていた。
何かにぶつかった。冷たい。寒さに震えながら前方に手を伸ばすと、そこには雪の壁があった。それを認識してしまえば見分けるのは簡単だった。雪の壁は火の海を中心にしてグルリと囲い込むようにある。てっきり雪原に立っているものと思っていたが、どうやら谷底のような場所にいたようだ。
つまり地中の建造物が大地の隆起などの要因で地上に押し上げられたのではなく、地中を地上とするほどまでに大地が抉り取られていたというわけだろう。
それが分かったところで尚更途方に暮れるだけだ。こんなことをしでかす正真正銘の化け物がいることが判明しただけなのだから。
どうしたものかと吐いた溜め息が白い息になる。ツギハギの目を隠すためにと、防寒効果のある外套を裂いたせいで風通しがよくなり体温がどんどん奪われている。
なので暖を取るために火の海へと戻る。吹雪の中でも燃え盛っていることから、こうなって間もないのかと思ったが、火の勢いは一向に衰えることがない。何かの異能力によるものなのだろう。
一度死んでしまおうかと考える。どうしてこんな状況になったのかとか、春暁達はどこへ行ったのかとか、こんな吹雪の中で何も分からない絶望的な状況なのだから。
だから眠ってしまう寸前に──いや、甲高い金属音を耳にした直後へ戻るべきではないかと。
本当ならば、この雪原にやってくる以前の時点に戻っておきたかったが、こんな惨状を生み出した化け物を一目見ておきたかった。脅威の認識は重要だ。
割れたコーヒーカップの破片を手にして首筋に当てる。
こんな状況に陥ればいつもならば真っ先にこうしていたはずだ。誰かが生きているかも知れないなんて考えず死んでやり直していたはずだった。
こうして周囲を探索して現状を把握しようとして生きようとしているのは、間違いなく春暁の言葉のせいだろう。
……だがまぁ、当の春暁は眠っている自分をこんな惨状の中に放置してどこかへと行ってしまったわけだが。
プツリと破片の先端が首筋に刺さり血が滲んだ。それは瞬時に凍結した。手を離せば一瞬だけコーヒーカップの破片が残ったが、すぐに自重に負けて落下した。
──ドスン。
地面が大きく揺れた。コーヒーカップってそんなに重かったかと思うが、どう考えても別の要因だ。
──ドスン──ドスン──ドスン──
ただでさえ冷えきっていた体が芯から凍り付いていく。
何度も揺れて理解した。これは足音だと。足音だと理解して、さらに理解は深まっていく。
確証なんてない。けれど可能性の一つとして頭の片隅に置いておいた、正真正銘の化け物の存在が脳裏を過った。
心なしか吹雪が激しくなったように思える。
鼓動が激しくなったのは気のせいじゃない。
吹雪の向こう側に巨大な人型の影が見えた。
自分が脅威だと思わず悠然と歩行している。
虚像だと思いたいほどの巨像が実像と化すその刹那、四方八方から轟音が鳴り響いた。
振り向く間も無く視界は白一色に染め上げられた。
雪崩に呑み込まれたその体は圧倒的な質量に押し潰され、凍えと窒息によって瞬く間に命は凍結した。
■□■□
取り敢えず目を開く。一瞬この後の展開が思い出せなかったが何とか思い出して、行動を開始しようとするが、その前に言われた通りにする。
「春暁さん、突っ込みます。援護をお願いします」
声をかけると、ハッとしたような表情を見せた春暁は「分かった」と返してその手に剣を握った。肘で未だに呆けている姉を小突いて、そして進の斜め後方を走る。走ると言っても、この部屋をそうして移動すればあっという間に向かいの壁へ到達してしまうのだが、これはつまり一瞬の戦い。
一息の間にツギハギの攻撃を回避してツギハギへと肉薄するだけの単純な戦い。進が何をするつもりなのかなど知らないが、進を害そうと繰り出されるひしゃげたアンテナのような右腕を斬り落とせば間違いはないはずだ。
春暁は剣を振るった。
進に届かないその腕を斬り落とそうと、進の斜め後方に居ながら。
そうすると、容易くツギハギの右腕は落ちた。剣のリーチがあったとしてもギリギリ届かなかったはずのその腕を切断できた理由は、手にした剣がそんな常識に囚われない剣だったから。
春暁の剣は自身の内側に存在するアニマの力を使って顕現させたもの。それはスキルや魔法と似通った能力なわけで、つまり春暁のイメージ一つで剣が太刀にも弓にも鎧にだって形が変わるのだ。
進はツギハギの胴体に生えた無数の腕を足場にしてツギハギの背後に回り込み、いつの間にか手にしていた布切れでツギハギの目を覆おうとする。
右腕の喪失に微塵も動揺しないツギハギが進を振り落とそうと踠くそれを見て、冬音が地面を踏み鳴らした。靴底と床がぶつかる重い音が響く。
音の操作を得意とする冬音は、その重い空気の振動を増幅させて方向を変えて、重力で押し潰すかのようにしてツギハギへと上から叩き付けた。冬音が地面を踏み鳴らす度に圧力が加算されているようで、ただでさえ不安定だったツギハギは簡単にバランスを崩して転倒してしまっていた。
「進君っ、今だよ!」
冬音の声が聞こえると同時にツギハギと同じく受けていた圧力が消え失せた。何が何だか理解できなかったが、これがチャンスであることは分かった。ツギハギの瞳に布を被せ、頭の後ろで布を結ぶ。
「これで赤い光は封じられた……」
ここから先の展開は知らない。胸を撫で下ろすことなどせず、あるかどうかも分からない抵抗に備えて感覚を研ぎ澄ます。もっとも、一般人に毛が生えた程度の実力しかない進がどれだけそうしても、殆ど意味はないだろうが。
「やはり感情に価値や力などはなかっタ。人間が嘯く感情というものは無力だっタ。同胞の無念の結晶として破壊された同胞の残骸で造り上げたツギハギは脆弱過ぎタ。人間が合理より心理を優先する意味は理解できなかっタ。我々が造り上げるべきはガラクタではなく、戦闘に特化したものだっタ」
「同意。ココロと呼ばれる概念に力はない。人間がココロを重要視して生きるそれは一種の偶像崇拝、或いは自然崇拝なのかも知れない。……ココロを理解できず重要視しない我々は、ココロを蔑ろにして協調することのない殺人者と大して変わらないのだろうと考察する。人間の命を奪うことを目的としている点で見れば、この考察は強ち間違いではないのだろう」
口元が欠損した人造人間と目の奥の回路が丸見えの人造人間がそう会話している。聞こえてくるその会話内容から春暁は、自分達と人造人間は決して分かり合うことができないところまで来てしまっているのだな、と少し寂しい気持ちになった。
「僕達は今からあなた達アンドロイドを破壊するつもりです。……ですがその前に、あなた達がなぜ人間を皆殺しにしようとしているのかを聞かせて欲しいです。お恥ずかしいことに、僕達は何も知らされずここに立っているんです」
「ハ、ハ、ハ。ココロを尊重する生き物かと思えば、暴力と恐怖で黙らせて自分の思うように生き物を動かす生き物だっタ。ココロを理解できない我々アンドロイドや殺人者と大して変わらなかっタ。同胞を破壊して力を誇示して情報を聞き出そうとするとは、人間性とやらの欠片もなかっタ」
「返答。我々アンドロイドは人間によって造り上げられた被造物だが、子を奴隷のように扱う親を親と呼び慕わないように、我々は我々を造り、道具として奴隷のように扱った人間に感謝の念を抱くことはない。……怒り、性欲、空腹、不満に不安などの発散としてあらゆる暴力を振るう。髪を引っ張り、切り落とし、燃やす。目を突き、粉を吹き掛け、抉り出す。口を裂き、汚物を詰め込み、食わせる。手足を折って千切る。胴体に傷を入れて文字を刻み、殴る蹴る。他にも権威の誇示に我々の尊厳を蔑ろにする、金儲けのために売り捌く、部品が欲しいからと解体したり……如何に我々が被造物だとしても我々がこのような扱いを受ける謂れはなどない」
「…………」
人間を滅ぼそうと暗躍する人造人間による復讐の動機が想像通り過ぎて言葉も出なかった。
「禁忌──お前達人間の過ちは、傲慢にも無機物に知性を与えたこと。カミとやらでもない人間の身で、擬似的な命を創造したこと。……我々機械のように自分の身に余る事柄を処理し切れない状態に陥らないからこそ、禁忌が理解できないのだ」
確かに……と、回路が丸見えになった人造人間の言は理解することができた。
──神が決して食することなかれとしていた、知恵の樹に実る禁断の果実を食する禁忌を犯し、善悪を始めとする知性を得た者は楽園を追放された。
そんな話を聞いた覚えがあったから。
人間に知性を与えることを神が赦さなかったのに、人間が無機物に知性を与えていいわけがないのだ。
「……最後に一つだけ言っておく。……我々にとって一番理解できないのは、ココロやカミなどの不可視の存在ではなく、人間と呼ばれる獣がなぜ我々のような存在を造り上げられたのかということだ──」
回路が覗く人造人間が言い終わると同時に、地響きが轟き揺らした。ほんの一瞬だが、床から足が離れて空中を泳ぐことができたが、上手く着地することはできなかった。
なんだ、なんだ、と春暁と冬音、スティーブとオーロラが騒ぎ立てるのを横目に、進はこれから訪れるであろう結末を受け入れていた。
何度かの揺れを経て唐突に天井が消え失せた。地中であったはずなのに、雪が吹き荒ぶ吹雪の雪原へ放り出された春暁達は唖然としている。
チラリと見えた。天井諸共大地を抉り取っていった巨大で朧気な手と腕が。朧気に見えたのは曇天や吹雪のせいでもあるだろうが、その正体がボンヤリしているからだろう。
──霜。
指に触れるだけで崩れて溶けてしまう儚い結晶の塊なのだから、そんなものが吹雪の原因となる暴風に耐えられるわけがない。それなのに地響きを発生させる質量を誇っているとなれば、霜の生成は消滅よりもはやく行われていることに他ならないだろう。
たとえそうであったとしても、消滅しているのは紛れもない事実で……生成と消滅が呼吸のように繰り返されるそれを、進が朧気な手として捉えてしまうのは仕方のないことだった。
どうせ死ぬのだからと、進が霜の巨人についてあれやこれやと考えている間に【鑑定】のスキルを使用したのだろう。春暁と冬音が小さく呟いた。
あれ、二人は地球人なんじゃ? という進の疑問はその呟きを聞いて紙の切れ端のように吹き飛んだ。
「──ヨトゥン」




