第27話 黒泥
先行したチームの報告通り、モンスターの手に落ちたと言う割には陽波市はそれほど荒れ果ててはいなかった。
さらに、モンスターに襲われることもなかったとのことなので、平和的に解決することができる可能性が見えてきていた。
だからだろう。端末にメッセージが届いた。
『不要な人員の損耗を抑えるため掃討作戦を一時中断し、陽波市を占拠している特異個体へ対話を試みます。シルヴェール中佐はチームメンバーと共に特異個体がいると思われる『サンソールビル』へ向かい、極力戦闘を避けて特異個体に接触してください。天城彼汰』
人手不足をこれ以上悪化させてはいけないと考えたのか、現状を知ると天城彼汰は現地に赴いた全員にそうメッセージを送った。
「ねぇセーラ。シルヴェール中佐って、マーガレットさんのことよね?」
「そうよ。この陽波市掃討作戦において一番階級が高く、前線に立っているのはシルヴェール中佐だけだから、こういう危ない仕事は全部押し付けられてるの。中佐自身もそれを分かってるから文句を言ったりしないのよね。早く強くなって少しでも肩代わりできるようになりたいわ」
有栖川セーラがそう言うと、歩いていく五人組の姿が遠目から窺えた。五人組の一人は後ろ姿と金髪のポニーテールから察するにマーガレットだと思われ、その他の四人は誰か分からないが、男と女が二人ずつで、交友関係から組み上げられたチーム編成であることを見るに、マーガレットとはそれなりに親しい人物なのだろうことだけは分かった。
その進行方向には他の建造物とは一線を画す規模のビルがあった。
陽波市はそれほど荒れ果てていなかったとはいえ、それなりには荒れているわけで、サンソールビルの窓は割れて地面に散乱し、入り口は風通しがいい。屋上付近は崩れ落ちて斜めの屋根のようになっている。周囲には無数のモンスターが蔓延っている。
正直、こんなところへ歩いていくなど正気の沙汰とは思えないが、その穏やかな足取りからは自ら望んで向かっているようにも思えた。
「僕達は待機でいいんですよね」
「そうね。……じゃあ待っている間暇だし改めて自己紹介でもしておきましょ」
アッシュに頷いた有栖川セーラはそう言って、自分の名前と年齢、固有能力を含む異能力などを明かした。それに続いて環奈が固有能力を除いた最低限の異能力を伝えて自己紹介し、アッシュも環奈と同様に自己紹介を済ませた。
……固有能力とは自分しか持たない切り札のような能力のため、普通は他人に明かしたりなどしない。スキルや魔法などの能力だって、自分の戦法に関わる生命線なのだから明かしたりなどしないのが基本だ。
「有馬 真由。前衛も後衛もできる。魔法も一通り使える。武器も特に拘りはない。……けど、一番得意なのは闇魔法を絡めた殴打蹴撃などでの近接戦闘」
黒い髪は肩に届くぐらいと適度な長さ。赤い瞳は赤色の宝石をさらに圧縮したかのように澄んで見え、肌は冷たさを感じるほどに白い。そしてその背丈は環奈と同じぐらいで、有馬真由は黒色が好きなのか上下共に黒を基調とした服を着ている。
「闇魔法の……って言うと暗黒拳闘術でしたっけ?」
「まぁそんな感じ」
有馬真由はアッシュにそう返した。
「では最後に私ですね。私は芦田 遥日といいます。真由様の側近……いえ、側仕えをしています。私も真由様と同様に戦いにおいての型はありませんが、強いて言うのなら、真由様が戦い易いように立ち回ることです。例えば真由様が前衛なら中衛か後衛を、真由様が後衛なら前衛か中衛を……といった具合ですね」
紫が滲んだような長い黒髪を流しているかと思いきや毛先の方で小さく結んでおり、深海のような深い藍色の瞳と、若干日に焼けたような色合いの褐色の肌。芦田遥日の背丈は環奈と有馬真由より少し大きいアッシュと同程度で、メイド服を彷彿とさせる女中のような服を着ており、その色合いは殆どが黒だ。
「側仕えって……有馬さんって、社長令嬢とかそんな人なの? 国内で有馬だなんて有力者の名前聞いたことないから……外国か異世界のってことよね?」
芦田遥日の話を聞いた有栖川セーラが驚きを露に、興味津々で詰め寄る。
「外国の零細企業ですよ。野心はあるんですけど、如何せん周囲の環境が悪くて、倒産寸前……みたいな感じですから、みなさん別に気を遣わなくてもいいですよ」
「あの、いいんですか? そんなめちゃくちゃに言ってしまって……」
「真由様はこのことに無関心ですし、社長もこの場にはいませんから」
「まぁ、何にせよよろしくね、有馬さん芦田さん」
■□■□
この場にいるのはマーガレットと、金髪に紫色の瞳をした騎士然とした風貌の女、栗色の髪に緑色の瞳をした魔女のような格好の女、茶髪に黒い瞳をした人畜無害そうな男、緑色の髪に青い瞳をした窶れたサラリーマンのような男の五人だけ。
サンソールビルの内部は酷い有り様だった。外を歩いていた限りは異様なほどに人間の亡骸が見当たらなかったが、ビルの内部はその反動のように人間の亡骸で溢れ返っていた。
鼻を刺すような血のにおいに、ティアネーは思わず鼻を摘まんでしまう。
「ティアネー、それは些か死者に失礼じゃないか?」
「うぅ……でもライリーさん、こうしていないと鼻が痛くなっちゃうです……」
「死者がどうとかどうでもいいだろ。大事なのはどうやってモンスターと和解するかだ。知性があるからって、必ずしも俺達と同じ言語を話すとも限らないんだからな」
「先生の言う通りだ。話が通じなかったら戦うしかないんだから、戦いながら天城の野郎にグチグチ言われる覚悟しねぇといけねぇんだ、今のうちにのんびりしとくぞ」
ライリーがティアネーに苦言を呈するが、どうでもいいとジャンクが切り捨て、グリンがジャンクを全肯定する。そんなやり取りに微笑みを浮かべたマーガレットは溜め息を吐いて、気持ちを入れ換えた。
「今でもなぜ私がこのチームを仕切ってるのか分からない」
「俺達がこんなんだからに決まってんだろ」
「お前とグリンは分かるが、私とティアネーは至ってまともだ。同類にされる覚えはないぞ」
「ライリーかティアネーではダメだったのか?」
「ライリーは堅物過ぎて息が詰まるから無し。ティアネーは統率力が皆無だから論外。俺は誰かの上になんて立ちたくないし、グリンはどうせ拒否するから、お前しかいない」
「先生の上に立つなんてあり得ませんから!」
「統率力が皆無って……酷いです……」
「堅物の何が悪いんだ。あの頃は多少仕切っていても文句言わなかっただろう」
「あの頃はあの頃はって、堅物の癖に老人気質かよ。やっぱマーガレットしかあり得なかったみたいだ」
和気藹々とは言い難いが、それでも陰気な空気感でいるよりはマシだ。
それに、こんな死体だらけの場所で騒いでいなければ狂ってしまうのは自分達である。士気の低下を防ぐためにも、会話は必須だった。
当然だがビルのエレベーターは停止していた。そのため階段を使って上の階へ上がる。なぜ上の階に進むのかと言われれば、そこに強い気配があるからだ。長年生き続けたと言われても不思議ではないほどに強力な気配。竜や龍に匹敵するほどに濃密な力の波が押し寄せて来ているのだ。確証はないが、恐らくこれが特異個体だと考えたわけである。
一階、二階、三階、四階……空間が歪んでしまったかのようにひたすら続く階段が体力を奪い、会話する気力すらも奪っていく。階段を上りきると同時に廊下に見える死体の川がさらに気力を奪う。
鉛のように重い足が足を引っ張っている。後ろを進むティアネーが前衛を務める四人より遅れてしまうのは当然だった。
途中、階段が崩れ落ちている箇所などもあったのでティアネーの風魔法で浮かび上がって移動したりして、やがて最上階である30階に辿り着いた頃には前衛の四人は小さく息切れを起こしており、ティアネーに至っては這う這うの体だった。
最上階は一部屋のみで、そこが宴会場のような広さの部屋であることは明白で、感覚を研ぎ澄まして部屋の中の気配を探ってみると一ヶ所に複数の生物が密集しているようで、一先ず包囲されていないことが確かめられた。
「ティアネー、呼吸が整ったら言ってくれ」
「だ、大丈夫です……這いつくばりながらでも魔法は使えるですから、お構い無くです……」
「そ、そうか?」
「……はぁ……グリン、ティアネーの護衛を頼む」
「分かりました先生。お任せください!」
なんだかんだ知り合いを放っておけない性格のジャンクにフッと笑って、マーガレットは両開きの大きな扉を開け放った。
眼前に広がったのは一面の畳。だだっ広い和室だ。
宴会場を彷彿とさせる室内では、そのイメージ通り宴会が開かれていた。ただし、かなり趣味の悪い宴会だ。
強い者が笑っている、嗤っている、嘲笑っている。
それなのに、
弱い者が鳴いている、啼いている、慟哭いている。
歓喜と悲嘆が同時に発声されているこの和室が、マーガレット達に嫌悪感を抱かせるには十分だった。
モンスターが人間を食らって人間の血を啜っているのであればまだ、比較的すんなり納得できた。モンスターとはそういう生き物なのだからと。
だけど、共食いだけは簡単に受け入れることができなかった。魔物が魔物を、妖怪が妖怪を。階段を一つ下りるだけですぐに人間の死体が転がっているのだからそれを食らえばいいのに、なぜわざわざ同族を……それも生きたま喰らうのか、甚だ疑問でしかなかった。
そして魔物ならばまだ分かるが、生殖行為を経て繁殖するわけではない妖怪がそういった行為に及んでいるのも理解できなかった。いや、理解はできる。子孫を残すのが目的ではない生殖行為など人間ですらするのだから、これはそれと同様のものであろうことは分かった。ただ、死体を犯して何になるというのだろうか。そもそも死体に欲情するなどマーガレットにとっては意味不明な感覚で、それら何もかもが理解できなかった。
「う……ぅっぷ……うえぇぇぇぇ……」
頭痛を覚えるほどの激しい疲労に襲われていたティアネーは、だだっ広い和室で行われている非道な行為の数々が描く地獄のような光景に耐えられず、びしゃびしゃと嘔吐した。立ち上がれず地面に伏している状態での嘔吐のため、地面に面している頬が吐瀉物で汚れてしまった。
「同族喰らいに、同族の亡骸を犯しての屍姦……か。同族を喰らう禁忌を犯せば、真っ当な生物としての螺子やら箍やらが外れてそれだけ簡単に強くなることができると聞いたことがあるが……どうやら禁忌を重ねた連中の神経はそれ以上にぶっ飛んでしまっているようだ。……正直、和解できる気など一切しないが──」
ティアネーを気遣う余裕などないマーガレットは、取り敢えず試すだけ試してみようと呟いてから、共食いと姦婬を謳歌する正真正銘その文字通りのモンスター達へと声をかけようとした。……が、それよりも早くモンスターから声をかけられた。
「自分を殺しに来たというわけではなさそうだ……が、それならば何用か?」
心底不思議そうに、生きた同族を喰らい死んだ同族で屍姦を同時に行うという冒涜的な状態で、人型の妖怪が言う。
屈強な体躯で、目を凝らせば煤けたような色の体には溝のような窪みが刺青のように駆け巡っているのが分かる。瞳の色は黄色で、肌の色のせいで鮮烈に浮かび上がっている。
これを妖怪だと断定できる理由はこんな魔物が存在しないからで、人間の見た目を大きく逸脱した容姿で幽霊でもないと分かり、ならば残った妖怪しかないからだ。
「……私達はあなた方と和解がしたいと思い、対話をしに参りました」
「対話という言葉の意味は辛うじて分かるが、ワカイ……とはなんだ?」
「争い合っていた者同士が互いに納得できるよう譲歩し合って、争うのを止めるように約束することです」
「ジョウホ……? ヤクソク……? その言葉の意味は分からないが、自分が自我を得た際に詰め込まれなかった知識であるのなら、自分には不要なものなのだろう」
「詰め込まれなかった知識……?」
マーガレットは疑問を呈するように一人で呟く。妖怪の耳に届いたか届かなかったかは、反応も返答もなかったため分からない。
「だからジョウホもヤクソクもしない……自分にとって、ワカイは不必要だ。自分が必要とするのは、闘争と逃走、そして罪を摘み取り積み重ね、罪を糧とし禁忌の業を得る……それのみ」
「……なぁ、取り敢えず交渉は決裂ってことでいいんだよな? この反吐が出そうなほどのクズを殺してもいいんだよな?」
「あぁ……もし交渉が上手くいっていたとしても、どの道いつかは討たなければならない外道だ。こいつが力を付けて手を付けられなくなる前に、今ここで殺るしかないだろう。構う必要などない」
同族喰らいと屍姦の光景がよほど嫌悪感を抱かせたのだろう。グリンは殺気立ちながら確認を取り、ライリーは睨み付けるような苦々しい表情でそれを肯定した。
「自分が望むは何者にも干渉されぬ、圧倒的咎人の境地に至ること。如何なる正義にも敗北することのない、罪人となること。……もう二度と幾度も情けをかけられ見逃される辛酸を嘗め、憐憫の苦渋を味わうものか……ッ!」
妖怪の口の位置がズレて左頬へと移動する。そして右頬には新たに口が生まれた。
痛々しく際立つ黄色い瞳は狂ったようにギョロギョロと泳ぎ、それに合わせて全身を刺青が如く駆け巡る窪みから、紫色のヘドロのような液体が溢れだした。液体に触れたものは全て融解され、液体の発生源である妖怪へと回帰している。妖怪や魔物を含めたモンスターによって殺害されたために、死骸が消滅せず残っていた妖怪の死骸ですら例外なく吸収されていく。
周囲にいた自分以外のモンスターを全て吸収した紫色のヘドロは役目は果たしたとばかりに窪みの中へと逆行していった。
「あのクソ餓鬼を……」
「生意気な灰頭を……」
口の位置がズレたことにより口内の構造も変わったのか、右頬の口と左頬の口が同時にそう発し、
「徹底的に甚振り嬲り、禁忌を犯して得た罪科を以て、生かさず殺さず、権利から尊厳まで何もかもを奈落の底まで堕としてやるッ!! ──まずは手始めにお前達だッ!」
禁忌の妖怪──悪業のカルマは純粋な悪意を込めてそう叫んだ。




