第20話 可能性の海
春暁と冬音の二人と出会い、自ら願い出た結果二人と行動を共にすることになった進は、自分が二人の役に立てるのかと考えていた。
死が迫らなければ勝利することができないほどに無力な自分が、強者である二人と一緒に居て、実力を存分に発揮できる窮地に陥ることがあるのだろうか。二人についていくだけの荷物になってしまうのではないだろうか。
美しさも醜さも見出だせそうな現状ではあるが、そんな不安が枷となっており、このままでは世界の美醜を知って成長することができなくなってしまう。
これは、暴走する人造人間の処分以前に早急に対処しなければならない問題だ。
春暁と冬音に相談でもしてみるかと悩むが、人に頼りきりな状態で強さを得られるわけがない。
ただでさえ自分は常人よりも弱いのだから、その分、苦しみを背負って苦しみを越えて、そうして苦境を何度も打破して強さを得ないといけない。……けれど、強さを得るための強さが足りないという現状では、とても自分が乗り越えられる苦境ではないとも思う。
本当にどうしたものかと悩み、考えても考えても結論が出ない思考に、進のストレスは蓄積されていくばかりだった。
そんな折に絡んでくるチンピラ。
爆発したかのように悲惨に飛散する土色の髪に、虫の体液のような黄緑色の瞳が特徴的だ。
ここなら人目を気にすることなく話し合えると連れて来られた暖房のきいた飲食店で、如何にも小悪党といった風貌の男が怒鳴るように喚き立ててくる。
特に何かをしたわけではない。ならなぜ絡まれているのか……男の話を聞くに、人違いである可能性が高かった。
「てめぇ、俺を舐めんのも大概にしておけよ? ウチから借金しておきながら平気で賭場に入り浸ってなぁ? 返せって催促しても言い訳ばっかで? 挙げ句の果てにはウチらから借りた金で俺の女に貢いで手ぇ出しやがったなぁ!?」
……と、身に覚えのないロクでなしエピソードを延々と聞かされた。春暁も冬音も呆れたような顔をしており、もちろん進も同じ顔をしていた。
しかし、地球ではともかく、異世界で人違いされるなんて思いもしなかった。黒髪黒目の異世界人はいないわけではないが、それなりに珍しい容姿のためにまず誰かと間違われることはないのだ。そんな容姿で更に顔立ちも似ているとなれば、もはや、この男が言っているロクでなしに会ってみたくなってしまう。
そんなやや愉快な状況ではあるが、当の本人は至って真面目に怒りを露に、身に覚えのない悪行を課してきて、罵声を浴びせてくるのだ。
最初は面白かったそれだったが、一向に人違いに気付く気配がなく延々と続けられるので、流石にうんざりしてきた。解決しない悩みも手伝って、進はもう限界だった。
「聞いてんのかよてめぇ。正直な、お前がウチの組織に金を返そうが返さまいが俺にとっちゃどうでも良いことなんだわ。組織とは別に働き口があるからな。……ただな、ウチの組織の金を使って俺の女に手を出したのだけは見過ごせねぇんだよ」
相手が害意を持って近付いてきたわけじゃないのは分かっている。正当な理由を持って正当な理由で怒っているのも分かっている。……けれど、身に覚えのない出来事で、グチグチ文句を言われ続ける理由が自分にはない。
ただの人違いだとしても、恨むべき相手の顔ぐらいはちゃんと覚えておくべきだと思う。こんなことで一々怒っていたら世界の美醜を知る以前に、成長できない存在に成り下がるのだと思う。
「聞けよゴミクソ野郎。無視してんじゃねぇよ。殺すぞ」
一先ず、熱で冷まそう。
「殺すぞ……? え? 殺す? 俺を?」
「おう、そう言ってんだろうが」
男が訝しげな視線を向けてくるが、気にすることなく進は立ち上がる。
「ふっ……はは……俺を殺す、かぁ……できるのか? 殺してくれるのか? お前が? 今まで一度もきちんと死んだことがない俺を、お前みたいなのが殺すだって? そうか、いったいどんな方法で殺してくれるんだ?」
「いきなりなんだよてめぇ、気色わりぃな。なんだ、死にたいのか? ……あぁなるほど。借金返せねぇし下手に出れねぇ組織の女に手ぇ出しちまって面倒臭いことになったから、失うものも何もないんだし死んで楽になっちまおうってか? ……ふざけんじゃねぇ、って言ってやりたいところだが……いいぜ、殺ってやろうじゃねぇか。誰を敵に回したか教えてやるよ」
嘲るように言う進に、男はそう返す。余程強い恨みを抱いているのだろう。まだ借金を残したままの相手を殺すことにしたようだ。
「グダグダ、グダグダ、うるせぇんだよ! んなこたぁ、どうでもいいから、とっとと俺を殺して、俺を殺してみろよォッ!」
進が机を蹴り飛ばして怒号を上げると同時に、その胸には男が取り出していた短剣が突き刺された。
ドスッともドチャッとも聞こえる、堅いものを無理矢理貫いたような鈍い音と、水気を含んだ気色の悪い音が混ざった複雑な音。それが一瞬しか耳に残らなかったのは、店内に響き渡る絶叫に掻き消されたからだ。絶叫は一連のやり取りを傍観していた他の客達のものだ。
その絶叫よりも数瞬早く……短剣が突き刺さった瞬間、春暁と冬音が立ち上がり血塗れの短剣を手にした男を地面に押さえ付けた。手元が狂って幾らかの骨を折ってしまうが誰の知ったことでもない。
薄れ行く意識の中で、進はただそれを眺めていた。何か特別な感情を抱いているわけじゃない。
いつもと変わらない『死ねないのか』という失望だけだ。……自分が死ねないのは十分に理解しているつもりだが、失望できるということは心のどこかで縋っているからなのだろう。
……死ぬ以前から死ねないと理解できる理由として、見たくもないのに見慣れた光景が甦る。
阿鼻叫喚の地獄を目にして、意識が薄れるのを感じながら、しかし確かに今まで生きてきた履歴の全てが呼び起こされる。同じ時間だったはずなのに幾つもの異なる出来事が記録されていることだってある、見飽きてもはや感慨も何もない走馬灯。……死の間際に見る走馬灯に死の瞬間が幾つも記録されているなど意味が分からないが、それも生きた履歴に含まれる立派な経験なのだからおかしいことではないのだろう。
さて、意識が途絶える前に選択しなければならない。
選択しなければ最悪な末路を辿った世界に飛ばされてしまうかも知れないから、自分で選んで最良の世界に移動しなければいけない。
甦る走馬灯を眺めて自分の履歴を辿って、そして見つける直近の記憶。
進はそれを選択して意識を手放した。
意識が覚醒していくのを感じながら目を開けば、自分の胸を刺した男が立っていた。手にしていたはずの短剣は見当たらない。蹴り飛ばしたはずの机がちゃんと机の役割を果たしている。絶叫していた客も相も変わらず傍観し、春暁と冬音もどこか不安そうに眺めている。
春暁と冬音の二人は地球人として産まれたそうだが、一度の死を経て異世界で暮らしていたからか、ステータスの閲覧ができるようだった。なので恐らく自分の固有能力を知って成り行きを見届けようとしているのだろうが、残念ながら見届けることはできないし認識もできない。
【死行遡誤】
死に行き遡り誤りを正す……或いは、誤りを繰り返す。
久遠■■が持つ死行遡誤とはそんな異能力だ。
発動条件は使用者が死ぬことで、その効果は完全な死の間際に見た時点まで遡ること。つまり死んだことによって見ることになる走馬灯で、遡りたい時点までを思い出せば、時空跳躍の異能力と同じ効果を発揮できる……というか発動条件が『死』の時空跳躍能力そのものだ。
そして、時間跳躍ではなく時空跳躍とある通り、この異能力は時空を移動するものだ。
そもそも、時間の移動そのものが時空の移動と同義と言っても過言ではない。もし過去の時間に移動してその過去の時間に影響を与えたりすれば、その時点で本来あるはずのない未来の世界が分岐し、自分はその分岐した世界で生きることになるのだから、実質的に時空を移動しているようなものだ。
しかも、走馬灯による時空跳躍を使えば何度も同じ時間に跳躍することができるので、そこで今までと全く違う行動を取ればそれだけ自分が生きられる世界が増殖し、移動可能な世界が無数と化す。
死ぬ寸前に時空跳躍して、本来訪れるはずだった死を回避するだけでも世界は分岐して増殖するのだから、可能性の世界である平行世界の数は途轍もないことになっていることだろう。……きっと、これらの時空跳躍によって本来存在しない偉人や大罪人も出現したはずだ。
この異能力の脅威とも言える欠点を知らず、死んでも何度でもやり直せるなんて素敵な異能力だ! と憧れを抱く者を進はたくさん見てきたが、これは死ななければ発動することのない異能力で、死への慣れがなければ容易に使えない無能な力だ。
それに、どんな死に方をしようとも、生きた思い出……生きた履歴が存在する限り走馬灯からは逃れられないため、時空跳躍の着地地点を選択しなくても、走馬灯で無理矢理見させられた最後の時点まで強制的に飛ばされてしまうわけで……つまりは天命を全うしようとも、病死しようとも、八つ裂きにされようとも、死んでも死ねない不死の円環に囚われてしまっているわけだ。……発動条件が厳しい分、その見返りは大きいが、繰り返す見返りの果てはその見返りすらも無意味に変えてしまう、本当に役に立たない力だ。
そんなことを繰り返していれば死への慣れは自然に手に入るため、無理して慣れる必要はない。……幸か不幸か時間は無限にあるのだから。
……あと、進がどれだけ死に慣れようとも、死んでしまえば強制的に時空跳躍させられてしまうため、残された世界で進は普通に死んでいる。それか、時空跳躍に合わせて死体が消滅するかしていることだろう。……つまり、その世界の人間にとって進は異能力を一切持たない無能でしかないわけである。
死行遡誤による時空跳躍の着地地点は自分が立ち上がった直後。つまり男が「おう、そう言ってんだろうが」と言い、進が立ち上がった瞬間だ。
意識を宿した肉体に、知るはずのない熱が籠っている。実際に熱が籠っているわけではなく、ただ、この世界で経験したことのない血液が沸騰する感覚が残留しているだけ。
そんな熱とは反対に、一度死んで刹那の無に至ったからだろう。先ほどまでの怒りは消え失せており、進の思考は冷えきっていた。
刹那の無を齎す死を経れば、どんな激情であっても消失する。そう、急激に昂った感情が一瞬にして抑制されるのだ。
そんなことを何度も何度も繰り返してなお、廃人と化していない強靭な精神力は評価されるべきだが、残念ながらこの苦しみを共有できる人間は……理解できる人間は情緒不安定な者しかいない。
「……ありがとう、助かった。おかげで落ち着きを取り戻すことができた。それに、くだらない悩みも消し飛んだ。あんたのおかげだ、ありがとう」
春暁と冬音の足を引っ張りたくないのなら、自分が前に出ればいい。二人の足並みについていけず足を引っ張られ、足取りが滅茶苦茶になってしまうのなら、逆に自分が乱してやればいいのだ。
自分が前に出ても、真っ先に死んで学習してやり直せるのだから、時空跳躍の着地地点にいる二人からすれば、自分は一切攻撃を受けず突き進んでいるように見えることだろう。これなら二人の荷物にはなるまい。
やはり悩みとは泥沼だ。正解なんてすぐそこにあるのに、不安になって滅茶苦茶になった思考に沈んでしまって、正解が遠ざかってしまう。
「もう行きましょう、春暁さん冬音さん」
別人のように雰囲気が一変した進に疑問を抱きながらも、二人は立ち上がり、会計を済ませた進に続いて店を出た。……見るからに異様な進のステータスに表記されている【死行遡誤】の効果を確認しておきたかったが故に事を見届けようとしていた二人だったが、結局その効果を知ることはできなかった。
誰もいなくなったそこに残されたのは、雰囲気の変化と突然の礼に思考停止する男と、平らげられた皿だけだった。




