第12話 滅びの後に生き続け
ここは地球の大地ではなく、異世界の大地。
一度滅び、再構築された世界の大地だ。滅んだことを感じさせないほどにはこの世界は強靭で堅牢で、命の流れを感じさせた。
滅びの前と全く同じように組み上げられたせいもあるが、何より、誰一人として自分が死んだことや世界が滅びたことを記憶していないからだ。
だから誰もが生き生きと日々を過ごし、命の流れを感じさせているのだ。
誰も知らない滅びを経て何らかの要因で他の世界と融合し、文明と欲望によって世界規模の大戦は起きたものの、そんな大きな出来事があったとしても、誰も世界の滅びを思い出したり、滅んだ事実に気付いたりはしない。
それほどまでに完全な状態で世界は再構築されていた。
けれど、そこには致命的な異常が発生していた。
この世界を再構築した者は、問答無用で蘇生させた生命体から寿命の概念を奪う。
つまり、世界の滅びで一度は死に、世界間戦争を生き延びたその生命体は、何十年、何百年も同じ姿のままなのである。
そうなれば本人も自分の異常に気付いて自分の不変に不安と恐れを抱くし、周囲の人間からは異端の目で見られる。
そう、人間も亜人も魔人も、一度死んで生き返り、なおかつ戦争を生き延びた者は容姿の不変に、肉体の不老に周囲からの異端の目を抱えていた。
殺せば死ぬが殺さなければ死なない存在。
魔物のようにヒト種を害する存在ではないにしても、自分達と同じ姿なのにも関わらず、自分達と違って老いず永遠にその見た目のままなど恐怖の対象でしかない。
最初こそ不老不死への足掛かりとして研究者に捕らわれて最悪な意味でチヤホヤされたものの、その身を不老としている要素が何一つ分からないとなれば、ただひたすらに薄気味悪いだけで、もう用は済んだとばかりに捨てられて飽きられた。
それだけならまだ良かった。
けれど、人間とは理解の及ばないものを遠ざけようとする生物だ。
老いない者達は、不可解故に排斥された、異端故に淘汰された。……老いない者達は殆どが元々一般人と同程度の力しか持たなかったために、駆除するのがとても簡単だった。つまり、弱者が弱者の集団によって駆除されたわけだ。
街を追われ、町を追われ、村を追われ……端へ端へと追いやられて追いやられて、果てまで追いやられて、漸くそこでの存在を許された。
不老人間狩りが始まる以前に起こった世界間戦争のせいでかなり数を減らしていた不老人間達は、今回の一件によって、さらに大きく数を減らしていた。……紛れもない、自分達の子孫の手によって。
夜空のように黒い髪色はしかし角度によっては星空のような暗紫色に見え、若葉のような色付きの瞳を眼窩に携えている。その男の名はスティーブ。死を経て寿命の概念を忘却した不老人間、世界の端へと追いやられた哀れな生物の一つだ。
スティーブが進むのは雪景色が遠くまで伸びている極寒地帯。当然スティーブはモコモコの防寒着を身に纏っている。けれどそれでも寒さを凌ぎきることはできず、小刻みに体が震えている。
いくら迫害されても生きたかったから……だからスティーブは自分を受け入れてくれる者達を求めて幾つもの場所で過ごした。
けれど、そこで暮らして時間が経つ内に、いつまでも若さを保てるなんて羨ましいわ、と言う羨望の目が異質を見る目に変わり、ここでは生きられないのだと悟って別の場所に移ってそこで暮らし始める。
何度も何度も同じことを繰り返して旅をして、そうする内に国内での顔見知りが増えて早々に不老を暴かれて、旅を再開する頻度は増していく。ついには国を出て別の国へ移動して暮らす。……が、やはり天敵は会う度に老いていく行商人だった。
以前と容姿が変わっているからと気付かず初対面のように話しかけると、相手は自分の事を知っている知り合いだった、或いは幼い頃に会った行商人の子供だった、なんて事が何度もあると、もうこの大陸では無理だと別の大陸に移る。
そこでスティーブは自分の生き方を把握した。こうして逃亡中の犯罪者のように生きて、様々な大陸を移ったりして転々としていればいつか出会った知り合いは死んで再びそこに帰れるようになる。
嘗ての尊い出会いに喜んでいた自分はそこにはなく、出会った人間に対して早く死んでくれと思い続ける自分がここにいた。
なぜこうなったのか。なぜこうも醜く生きなければならないのか。
何を憎めばいいのか、何を憎むべきなのかが分からない。ひたすた生きても足掻いて生きてもただの人間には何もできず、分からないことを分からないままに、日々と心を磨り減らす。
スティーブがこの雪原を進むのは何度目だったか。相変わらずの寒さのはずだったが、雪原を進む度に身に纏う防寒着は気付けばボロボロでそれほど意味を持っておらず、震えながら進む。
「……あれは……」
白い景色の中に自分以外の色を見つけた。深々と降り積もる雪に、それは埋められそうになっている。
雪解け水を吸って咲く春の草花のような緑色をした長髪に近付いて、生きているかどうかを確かめる。手袋をしているために脈は上手く測れないが、心臓部に耳を当てたり、そのついでに息を確かめたりする。近付けた肌に僅かに息がかかるが、念のため優しく瞼を開いておく。曇天を見下ろす空のような青い瞳に見惚れそうになるが、頭を振って思考を掻き消した。
取り敢えず生きているようなので、適当にかまくらを作ってそこに倒れている女を運び込む。これで一先ず風は凌げる。暖に関しては、木の枝や着火材がなくとも、火魔法で生み出した火の玉を浮かべ続けるだけでなんとかなる。
なぜ自分を迫害する他者を助けたのかと言われれば、なけなしの良心としか言えないだろう。出会った人全てに早く死んでくれだなんて思ってはいるが、目の前で死にかけている人間を放っておくほど腐ってはいないのだ。
暫くして女が目を覚ました。横たわったまま視線を左右に動かすが、思ったより視野が狭かったのか、今度は頭を左右に動かしてかまくらの内部を観察する。意識はまだ朧気なはずなので見た景色を一目で理解することができず何度も頭を振っている。
「……っ! ここは……っ?」
だんだんと意識が覚醒してきたのだろう。大きく目を見開いたと思えば、ガバッと体を起こした。その際に毛布のようにかけられていたスティーブの上着がずり落ちる。露になった上半身が──なんて事はなかったが、火の消えたかまくら内部に漂う微かな寒さに、思わず落ちた上着を持ち上げてくるまるようにした。
「……かまくら……? いつ……なんで……あれ? 確か吹雪に見舞われて……寒さに意識を失って、死ん……だとしたらなんで生きて……」
隣を見れば黒っぽい髪の男がすやすやと寝息を立てている。狭いかまくらであるため、何度も視界に映っていたはずだが、女はそこで初めて男の存在を知った。
暢気で悪意など感じさせない寝顔を見れば、寝込みを襲われたかも知れないなんて疑念は湧いてこず、この男が行き倒れていた自分を助けてくれたのだと正しく認識することができた。
「運良く死にかけてたところを助けられたっぽい。……あ、吹雪おさまってる。あれからどのぐらい経ったんだろ」
かまくらの外を見れば、自分が進んでいた頃の吹雪はとっくにやんでおり、今ではヒラヒラと雪が降っているだけ。
特にアテがあるわけでもないのだが、女の胸中にはなぜだか早く移動しなくてはと言う焦燥があった。
立ち上がって、男が拾ってくれたらしい自分の荷物へ手を伸ばすが、礼も言わずに去るわけにはいかないと考え直して動きをとめた。
今まで人間扱いされてこなかったが、人間として生きていた頃の心まで失ってしまった覚えはなかった。
自分はエルフやドワーフ、獣人などと同じ亜人などでもないし、魔物に近しい存在の魔人でもない。けれど、どんなヒト種にも寿命がある。だから魔物に近い存在の魔人ですら辛うじて人間扱いされているのだろうが、自分の場合は完全な人間の姿をしていても違うようだ。
「まぁ、十年も二十年もずっと一緒に居るわけもないんだし、ちょっとぐらいなら大丈夫か。それに、ここを通るってことは行き先は一緒なはずだし、もしまた倒れてしまって、また助けられたりしたら合わせる顔がない」
一人で居る時間が長かったせいか、女は独り言の量が多い。人と距離を取って生きはしているが、自分から進んでそうしたいと思ったわけじゃない。寧ろ普通に近所の人や友達……さらには親友や恋人なんて存在を得て平和に平穏に暮らしたいほどだ。
「この人が目覚めるまでどうしよう。……あそうだ会話の練習が必要か。もう長い間誰とも喋ってない。私の唯一の会話相手は『アロ』ちゃんだけだから、自分に都合の良い会話の流れしか作れない。こんな時、精霊と会話できるエルフが羨ましい。……エルフだって長命で殆ど不老みたいなものだけど、私とは違って、ちゃんと人間扱いされてる。……一体何が違うんだろう。私だってエルフみたいなもののはずなのに」
ぶつぶつ、ぶつぶつ、かまくらの中で外の景色を見ながら。時に何もいない自分の隣へと話しかけながら。女は暇を潰す。後ろで寝ている男を起こしてしまっても良かったが、服装や荷物の量を見るに、自分と同じ旅人のようで、きっと疲れているのだろうと考え、女はスティーブを起こさなかった。
そうして数時間ほど経ったところで、女は背後で蠢くものを感じた。首を動かして後ろを見れば、黒っぽい髪色の男が起き上がる様子を見ることができた。
「……あぁ目が覚めたのか。……いや、それは俺の方か。……なんだっけ。こんな時は、おはよう、だったか?」
「え、あ、おはよう……ございます……?」
ぎこちない挨拶を交わす二人。長らく人との関わりを希薄にして生きてきた二人は目覚めの挨拶すらままならなかった。
「体、なんともないか?」
「あぁ、はい、大丈夫みたい、です」
「そうか。……そうだ、俺はスティーブって言う名前なんだが、あんたはなんて名前なんだ? ほら、分からないと色々不便……なはずだ」
「私は……なんだったっけ」
女は自分の名前を忘れていた。他人に呼ばれることもなければ、自分で名乗ることもなかったせいだ。『アロ』とやらの名前は覚えていたのは、自分が呼ぶ立場だったからで『アロ』とやらが人を名前で呼ばない存在だったからだ。
女は荷物の中から身分証を取り出して、名前を確かめる。
「えっと、オーロラ、って言うみたい……じゃなくて、オーロラ……です」
「オーロラ……良い名前だな。なんて言うか、親近感? あぁいや、美しさを感じる名前だ」
「ありがとう、ございます。スティーブさんの名前も……その、響きが格好良くて素敵、です」
「ありがとう。…………ん、いや、すまない。人と関わらないように生きてきたから人と接するのが苦手なんだ。許してくれ」
「あ、あの、私もです。その、人を……避けて、生きてきたので」
「そうなのか。なら、少し安心した」
会話がままならない。親同士が決めたのに親が同席しない、他人とのお見合いのような雰囲気だ。
それから暫くかまくらの中には気まずい雰囲気が流れ続けていた。




