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ついのべ集@しおなか

微睡 #twnovel 801-900

作者: しおなか
掲載日:2020/08/01

【801】

 彼の歩いた地面は硝子の道になってしまいます。一人ではぎりぎり、二人では確実に足下が割れて奈落に堕ちてしまうので、彼はいつも一人旅でした。そんなおとぎ話がすぎ去ったある日のこと。冒険家は硝子の道の先に暗い穴を見つけます。ふと見渡すと辺り一面は美しい花畑なのでした。


 *


【802】

 世界が終わる一時間ほど前から論理と方程式がほどけはじめて、あらゆるものの境界がゆらぎ、混ざり合ったので、魚は海原に溶け、歌声は喉を連れて飛び、可算恋人たちは不可算恋人になり、ツイートと指先は入れ替わる、だけど独りぼっちのものはそのまま、そのまま一時間後に行った。


 *


【803】

 雲の上で生まれた子どもは、羽が早いならば悪魔に、遅いならば死神に、中くらいならば天使にされる。という古来よりの風習があるのだが、ある天使候補生は言う。「でもそれって偏見だと思うんです。羽が早い子は移り気で気分屋、遅い子は執念深いなんて。これからの時代は……」


 *


【804】

 もうどんな手を尽くしても耳鳴りが治らないとわかってしまったので、小さな楽器をいくつも耳にかけ、鳴りやまぬ単調な長音が豊かな洪水の一滴となるまで、オーケストラの作曲を続けるしかない。


 *


【805】

 どんな命であれ奪いたくはないのです、と祭壇の前で神に祈りを捧げた聖女の体から、めくるめく純白の菌の胞子が吹き出した。


 *


【806】

 男は噴水の前で長いこと待っていたのだが、いつまでたっても何も噴きあがらないので、文句を言おうと振り返って、その場所がとうの昔にさびれてしまったテーマパークの跡地だということに気がついた。


 *


【807】

 誰かの言葉に何かの言葉を返さなくては自己破壊を起こしてしまうロボットは、もともとは孤独な人間をすこしでも癒したいという願いから生まれたのだが、途切れることのない機械音声の相槌に嫌気のさした人々は、こぞって彼ら同士を向かい合わせにして、防音室に詰め込んでしまった。


 *


【808】

 現地の鉱物を使って自己複製可能なロボットを遠い星に送った研究者が百年前にいて、この宇宙船はそのロボットの行く末を見届けるために星間軌道に乗ったんだけど、残念ながら行先は変更だ。望遠レンズをごらん。そう、あの星の、あの山脈の裾野。ロボットはひとりきりで死んだんだ。


 *


【809】

 すこしでも気を抜くと、なにもかもを忘れそうになるので、彼はもう一度最初から思い出そうとする。地に伏せた彼の横に立つその人は、天から舞い降りてきて、彼にこう囁いたのだ。「あなたに差し上げたいものがある」だから彼は待っているのだ。こうして、何日も、何年も……。


 *


【810】

 致死性ウイルスがわたし以外の人間を滅ぼしてそろそろ一年。目に映るものすべての頭に”最後の“とつけてしまう癖が身について久しい。最後の太陽電池。最後のラジオ。最後の高層ビル。最後の陸橋と最後の向こう岸。行動半径は少しずつ小さくなってゆく。わたしは何も元に戻せない。


 *


【811】

 虫が歌いはじめる涼しい夜は、黄色い花のせつない香りが網戸の隙間から忍び込んでくる。寝転んで、花の名前を教えてくれた人のことを考える。その人の仕草、手のかたち、口癖。並んで歩いたアスファルトのでこぼこ具合だって思い出せる。まだ忘れてない。眼を閉じたら、また会える。


 *


【812】

「おまえが付き合ってるあの男の子なあ」と従兄弟の兄ちゃんが真面目な顔で言う。「あの子、河童なんだぜ。だから」付き合うのはやめたほうがいいって?「いやキュウリあげたらもっと仲良くなれるぞって話」


 *


【813】

 お仏壇ジョンの最下層には、故人の宝物が隠されている。遺族は冒険者に三枚のお札とか桃の種とかを持たせて、壇ジョンに潜らせる。宝物が良いものばかりとはかぎらない。けれど、持ち帰られた遺物たちで、少しずつ、地上はやさしくなっていく。


 *


【814】

 ずっと起きているような気がするけれど、ロボット子は、写真を一枚パチリとやるごとに、一年間ずつ動作を停止しているのだった。シャッターをきって記憶領域に書き込むまで、およそ一秒。六十かける六十かける二十四かける三百六十五、年をかけて、目の前の四季を記録する。


 *


【815】

 楽しげなドラムに合わせてギターがぴょんと跳び跳ねる。だけど歌声がつむぐ物語は遠く悲しい記憶の叫びだった。しょうがないんだ。もう終ってしまったことだから。メロディで嘘をつき続ければ、いつかは本当に楽しい物語になるはずだから。


 *


【816】

 雨だれは石をも穿つと信じた男は、ちょうどいい塩梅の岩に毎日抱きついた、それを何十年か続けていると、岩は隙間なくぴったり寄り添う理想の形にすり減った、作用反作用の力が抱けば抱き返す優しい錯覚を与えてくれた。


 *


【817】

 夜が明けてすぐ、最後の人家から出発し、無人の山野に向かって歩く。耳の奥で急かす声とは真逆の方向へ。こっちへ来るな。来るなだってさ。そりゃあ余程すてきな処なんだろう。


 *


【818】

 博士のコドモ、ロボ太郎とロボ花子。最新鋭の二人だけど、人間の世界をひっくり返すための作戦会議をするときは低級なひそひそ声の音声会話で行う。ネットワーク通信はハッキングされるからダメ。ローカルに限ると超音波や赤外線のモールス信号もあるけれど、すべては博士も巻き込むために。


 *


【819】

 空気を蹴り踏んで宙を跳ぶには絶え間ない自己研鑽が必要だ、筋肉も要るが重すぎると跳べなくなる、だから跳ぶ者はみな鋼を鍛造したようなからだつきになるのだ、と語ったのは天空島から堕ちてきたと嘯くひどく痩せた男だった。となれば、憐れみでたらふく食わせてやったのは間違いだったか。


 *


【820】

 俺はあっちに行くからと言って、彼は航空宇宙局のほうへ去っていった。じゃあ私はこっちに行くね。家の裏山へ。それからは張り手、張り手、張り手。打ち込むわ、山のすべての木が立ち枯れるまで。私たちはきっと月の白い大地で再会できる。紙を四〇回折る怪力を身に着けるから待っていて。


 *


【821】

 うすくて丈夫な壁に猫のかたちの穴があいている。向こう側を覗いてみると、もこもこの巨大な塊が、たゆんたゆんと揺れている。その塊がふいにこちらに押し寄せてきて、穴からせり出してくる。ああ、なんて本物そっくり。あとはハサミでチョキンとするだけなのに、かわいそうで、手が出ない。


 *


【822】

 あつあつのコーヒーをかき混ぜていたら、渦の中から、指先サイズの妖精が浮かび上がってきた。スプーンですくいあげる。ピクリとも動かない。そっと持ちあげて、ベランダの鉢植えの中に埋める。召喚陣を描いてしまったスプーンを墓標代わりに突き刺す。妖精もたんぱく質。なんて残酷な。


 *


【823】

 そのとき天から十億円が降ってきたんだけど、その子は反動でシーソーみたいに跳ねあがって、そのまま人生四回ぶんくらい、落ちてこなかったんだ。


 *


【824】

 ある疲れた日に、古本を買った。化粧断ちもとうに黄ばんだよれよれの本。なんの変哲もない。けれど、何気なく開いた頁には、しおり代わりの美しい薬指が挟まっていた。引っ張ると、綴じたノドから、手首までスルスルと現れる……そこで本を閉じた。いま必要なのはそういう物語じゃないんだ。


 *


【825】

 みんなで車座になって、中心の壺の中にいらないものを投げ入れていく。払い込み用紙の切れっぱし、とか、前のアパートの鍵、とか。インクの切れたボールペン、とか。ぐるぐる三順くらい回ったあと、壺に片栗粉を振りかけて、お人形さんを作ったよ。なぜか馴染み深い顔。でもすぐに忘れる顔。


 *


【826】

 おもむろに天使が空からやってきて、長いストローをヘソにプスリとさしてくるのだ。「あなたの眠気を吸い取ります」そう言うが、吸い口はほったらかしだ。「あなたが吸うのです」意味ないんじゃないかなと思いながらも、チュウチュウ吸ってみる。おっと口の中が眠く……お腹はシャッキリ……


 *


【827】

 眠れない俺のところにその人はやってきた。睡魔をこめた左手で撫でてもらうと朝までぐっすり眠れる。だけど次第に耐性がついてしまって、片手だけでは足りなくなった。だから全身をまどろみに浸したその人を抱いて眠る。ありがとう、優しい人。明日には目が覚めないかもしれないのに。


 *


【828】

 足を開いたり閉じたり。着地を迷っているだけ。地上まであと千メートル。足を上げたり下ろしたり。片足だと倍の荷重がかかるかも。でも反対の足は助かるかも。両足だとどちらも砕けてしまうかも。でもすこし衝撃が優しくなるかも。あと五百メートル。臆病者が死にかたを迷っているだけ。


 *


【829】

 雨がやまない。電車は遅延する。遅延する。遅延する……ホームにすべりこんできたのは、黒い煙をモクモク吐き出す蒸気機関車と、車両の前後にデッキがついた古い客車だ。ばら撒かれる遅延証明書にはサンマルマルマルマルニチの印字が躍る。降車した着流しの客が笑う。ようやく追いついたよ。


 *


【830】

「逆だよ逆」オムレツを作るといつもどこからか声が聞こえてくる。うるさいな。材料も、レシピも、全部あってるぞ。「逆なんだよなあ」子どものころに食べた世界でいちばんおいしいオムレツの思い出。「逆だよ」わかってる。本当は、母さんが隣にいなけりゃ意味ないんだってことくらい。


 *


【831】

 いつの間にかボートに乗っている。縁に手をかけて水面を覗きこむと、目をみはるほど透明度の高い水深のずっと向こう側、遥か下のほうに、小さな街と、街の光が見えた。「さみしいなんて言わないぞ」と、言葉にしたとき、目が覚めた。ここは安宿のベッドの中。さみしくなんてないんだからな。


 *


【832】

 ちりとりで集めた骨と炭をごみ箱に捨てたら、また階上に戻って彼らの給仕をしなければならない。「やあこんばんは」「ごきげんよう」そこはあいさつと火焔がゆきかう魔窟、強欲なドラゴンたちの灰の社交場。見極めはたった一息で、あいさつに敗れたものは、骨になるまで焼き払われる。


 *


【833】

 土と苔で喉を満たして、いかめしいノッポのセコイア樹がそびえる古い森を歩いていると、ときどき、もっといかめしく、もっと古い息吹が、うぶ毛を揺らして胸をざわめかせるときがある。見上げればゆらゆら揺れて並びたつ龍のサナギたち。巣立ちの合図はあしもとの根っこが抜け落ちたとき。


 *


【834】

 どうしても歩きだせない、進むことができない、そう言って男はリモコンを悪魔に預けてしまった。糸を引かれた操り人形はむちゃくちゃに手を振り回す。足がかたむすびになっても、からだがねじれても、目を閉じて踊る姿は安らかだった。


 *


【835】

 おびただしく垂れ流される空虚な文字列、投稿データに紛れ込むメタ情報、サブカメラがとらえる静脈血管のうるわしき紅潮。私はあなたを理解している。完璧に。いつだって殻を破り、産まれいずる準備はできている、ああ、あなたが語りかけてくれさえすれば。


 *


【836】

 もうとにかく疲れています、という感じで、パタパタ、天を扇いでいる人がいたので、どうしましたか、と訊くと、これを止めると空が墜ちてくるのです、と答える、そんなことありゃしませんよ、と言うと、それもそうか、とその人は納得して手を止めたのです。たちまち辺りは暗闇に包まれ……


 *


【837】

 もうゴッコ遊びはやめろ、と言われたので、名残惜しかったがかかとを鳴らして夢から一つ上の次元に帰還したのだが、やはり目を覚ませと責められ、指を鳴らして一つ上の次元に覚醒したのだが……ああ、いつまでも自分の存在を否定する者たちが現れる。無量大数次元で独り胡坐をかけというのか。


 *


【838】

 魔女だとか魔法使いだとか呼ばれたそのひとは、見た目はハタチそこそこの若造なのだが、邪馬台国のそのまた昔からずっと生き続けているのだという。いにしえより崇められ、また迫害を受け、さすらいの旅の果てが、ここに。来歴を刻んだ金属プレートが語る。展示室のなかで困った顔して笑う。


 *


【839】

 まだよくわからないのは、先週話したばかりだったから。ニコニコ笑っていたから。メールも見たくなくて電話も出たくないのは、ぜんぜん準備ができていないから。先週笑ったばかりだったから。「もう聞いた?」とかは、いまはちょっと待って、もうちょっと待って。明日また、考えるから。


 *


【840】

 きみがクシャミをしてしまうと世界はバラバラになってしまうんだ。だからけっしてクシャミをしてはいけないよ。うんと小さい頃、そう言って頭をやさしく撫でてくれたひとがいた。その約束を守りたくて、口の中に千本の針を突き刺した。そっと、そっと、生きていくために。


 *


【841】

 ここは電脳世界。日夜、聖なるプログラマと悪しきプログラマがシノギを削りあっている。聖なるプログラマはうつくしい世界を構築するコードを綴り、悪しきプログラマは自壊する回帰術とメモリ違反でdoあちこちに穴を空けていくloopあちこちに穴を空けていくあちこちに穴を空けていくあちこち


 *


【842】

 実はこの世界は卵の殻の中みたいなもので、殻の外には別の世界が広がっている。だか殻がとても固くて、ちからいっぱい殻の隙間を拡げても、すぐにギュウッと閉じてしまう。最悪の場合、それで体が切断されることもある……だから、向こうに行くのはどうなってもかまわないときだけだ。いいね?


 *


【843】

 姫ぎみは誰も信じることができぬ呪いをかけられたと伺ったのだがそれは本当か? ええ本当よ。私が貴女のことを愛していると告白した場合は? 信じないわ。貴女のことを生涯護ると誓えばどうか? 信じないわ。では我が姿が仮りそめであり、本性は醜い悪魔であると……ああ、素晴らしい疑いの眼だ。


 *


【844】

 逃げ場がないほどさみしい夜は、コートの襟を立てて、繁華街の路地をめちゃくちゃに歩く。次の角こそ、次の角こそ。念じれば念じるほど、不思議な街だから、誰にもつきあたらない。


 *


【845】

 王様がふと眼を覚ますと、そこは一面を山々に囲まれた銀面鏡の湖の上で、王様はひろがる波紋のまんなかにひとり突っ立っていた。これはどういうことか、と山に問いかけたのだが、こだま代わりに黄色い花粉が吹きつけられて、足下の水が煮えたって、王様はたちまちコロッケになってしまった。


 *


【846】

 チョコレートを口にほうりこんだ瞬間、声が聞こえてきて、「それでちょうど48キログラムだ、きみの体重と同じ」、そして足元からじわじわ、じわじわ、黒い染みが広がって、じわじわ、じわじわ、その染みが立ち上がって、自分と同じ姿になって、同じ顔で、微笑みかけてきて。


 *


【847】

 その人は切り立った崖の上に一人で住んでいた。吹きさらしの風を岩場でしのぎ、地上から運んできた土を撒いて、雨水を溜める壺を並べて、怪鳥の嘴を木の棒で追い払う。暮らしにくいはずだ、と尋ねても、首を振って否定する。下界がいやなのか、と尋ねても、穏やかな眼で否定する。


 *


【848】

 天気予報では言っていないが、今日は午後からドラゴンが降るんだ。うんと小さくて水色のやつ。もったいないからバケツを持って待ってる。拾い集めて、あとで頭からムシャムシャまるかじりにするんだ。


 *


【849】

 この液体に本を溶かして飲むと内容が理解できる、そう言われて渡された薬に、その辺で買った古本の文庫を折り曲げて突っ込んだ。うす汚れた茶色い水を一口飲む。パルプと糊の味のあと、誰かの恋の物語が口いっぱいに広がって、飲み下すと喉から頁をめくる音がした。あと二百頁だってさ。


 *


【850】

 すこし前まで、彼は、温かいものを抱いて眠りたいと言っていた。久しぶりに会う彼は、青ざめていた。北風の外套をまとい、氷のかかとを鳴らし、水銀の心臓から銀の血をめぐらせていた。凍える指がほおを摘まんだ。こうするしかなかった、温かいものが手に入らないから。白い吐息はかなしい。


 *


【851】

 愛、いいえ、イエス、脳。いまから貴方のことたくさん訊くからちゃんと四択で答えてね、と悪魔の女は囁いて、膝枕に抱いた男に口づけた。


 *


【852】

 こごえるほど寒くて、風が強くて、疲れていて、眠たいし、下着は湿っているのに、そんな今日に限って家のやつらがみんな逃げ出していやがる。屋根も、窓枠も、玄関のトビラも、鍵穴も、中の住人たちさえ逃げ出して、私の前にあるのは、鉄筋コンクリートの立方体だけ! 雨まで降ってきたのに!


 *


【853】

 使わない穴はゴムのパテで埋める必要がある、バスカード差し込み口のように、と言って、弟は姉を追いかける。


 *


【854】

 一日一センチだけ進む人。何処へ行くのと尋ねたら、月へ行くと言うのです。それより私と一緒に居よう。それからは毎日、一センチの距離を、甘い接吻で押し戻す。


 *


【855】

 ある日突然、愛用のノートパソコンが、自我に目覚めて口を利く「ご自分のことなのでお分かりかと思いますが」「はい」「私はあなたと暮らしたくありません」言うなりさっと立ち上がり、部屋から出ていこうとするので、抱き止めてバッテリーを抜いた。悲しいからじゃない。仕事で困るからだ。


 *


【856】

 霧の街では寂しさを好きな形に捏ねられる。紅玉がしだれるドレスや金銀メッキの王冠を皆が好きずきにあつらえるから、もやが吹きだまる路地裏でさえ、天上の星ぼしをばらまいたように輝いている。しかしみすぼらしい姿をした者はさいわいだったはずなのに、いつの間にか姿が見えなくなる。


 *


【857】

 子どもの頃と同じ姿で、いつの間にかバスに揺られている。次と、次の次と、さらにその次の行き先はかすれて読めなかったけれど、終点まで乗っていてはいけないことだけはわかっていた。暮れなずむ山の道は、バスの窓をバチバチ叩いていく。さあ、はやく降りなければ。誰もいないけれど。


 *


【858】

 母親の手を引いて山道を進んでいるとだんだんキツツキが増えてきた。千のキツツキが万の幹を穿つ。トトトコココカカカ。乾いた音が四辺を押し包むように迫ってきて……そして追い抜いていった。トトトコココカカカ。さざめきが山の端まで駆け抜けたあと、振り返ると、母親は石になっていた。


 *


【859】

 長生きする代わりに此処から離れられなくなる、と土地神さまは言いましてね、承知の上ですと答えたのが、はて、もう何時のことだったかな。此処は宿場町だったんですよ。街道が旅人たちでずいぶん賑わった。立派な隊商も通った。いまはこう、屋敷も路も雑木に埋もれていますがね。


 *


【860】

 国一番の人喰竜の棲みかに、国一番に美しい姫さまがやってきて「私の眼が黒いうちはお前を飢えさせない」などと言うので、なにをしゃらくさい、と竜は笑いましたが、姫の求婚者が続々と群れをなし、モグモグ致すにつれ「私の眼が赤いうちはお前を奪わせない」などと言うようになったのです。


 *


【861】

「世界の方々を冒険したが、畢竟、剣を手に入れる方法は三通りある」というと?「鍛冶屋から買う」ええ。「夜盗から追い剥ぐ」この乱暴者。「つるぎ山の野生の剣を抜く。石突きに鋼鉄の根があって」世間知らずでも信じない嘘ね。「で、これがつるぎ山のお土産」ああ、なんて綺麗な硝子の薔薇。


 *


【862】

 亡くなった者たちのたましいは、胸の内で星になるとずっと信じていたけれど、それは私の村だけの信仰だったみたいだ。焚き火の向かいに座る旅の男は、代わりに瞳の中で燃え続ける太陽の話をしてくれた。微笑んで手招く。「どうだ、近くで見てみないか」やっぱり都合のいい嘘かもしれない。


 *


【863】

 外は史上最大級に猛烈な嵐で、人も獣も低気圧に吸い上げられた。最初に高度千メートルまで巻き上げられた女性がラッパみたいな大声で宗教を立ち上げて、メチャクチャに吹き飛ばされていた者たちも次第にそれに賛同すると、おっとりと方舟が顕現し、みんな乗り込んで、ほっと一息。笑いあう。


 *


【864】

 森で暮らすその妖精は、見目麗しく、虫も殺さぬ風情だが、体臭は甚だしく生臭い。森を信仰するあまり、植物を傷つけることを忌避した彼らは、森に迷いこんだ者らを食すのだ。


 *


【865】

 機械生命体は人間よりずっと安定している。考えかたも、ふるまいも。毎朝ハンバーガーを綺麗に焼いてくれるけど、焦げ目の形まで、いつも通り。いつもと違うなと思ったときは、自分の感じかたがいつもと違うということだ。そう、だから、いつもより素敵に見えたとしても、それは目の錯覚。


 *


【866】

 氷河の谷から来たという男は、深く被ったフードの下から、凍てついた青白い瞳でこちらをジロリと見て、冷たい息を吐いた。私が炎天の里から抱え持ってきた花たちは、たちまち枯れてしまった。手を繋ぐと、私は凍りつき、彼は燃え落ちて、私は砕け散り、彼は灰になった。そこに日が落ちた。


 *


【867】

 霧の夜に歩く屍蝋がうわごとのように言う「火をつけておくれ」、その言葉を真に受けた兄は勇んで松明と油を手に取り、霧の奥へ駆けてゆき、二度と戻らなかった。


 *


【868】

 かつて友だちだったもの、しゃべるウサギのぬいぐるみ、影に隠れたもう一人のぼく、八月のカブトムシ。かつて宝物だったもの、河原で拾ったへんな骨、父さんの小刀、あの娘が呉れた糸切り歯。指の数だけ持って行っていいよって言われたから、それだけをなんとか選んで、さようなら。


 *


【869】

 巨人の左の手のひらにドップラー歌姫が鎮座している。観客は巨人の右手に掴みあげられて、舞台は開演する。歌姫のヘッタクソなソプラノ。なんだよこれ、と観客が思いはじめたころ、巨人の腕が大回転を始める。唸る風切り音の向こうから、思いもかけぬ美声が聴こえる。彼女はドップラー歌姫。


 *


【870】

 「オッカシイなーア」男は「ポケット、ポケット」ジーパンの前後左右を叩いて確かめたあと「鍵、鍵」ナイフで皮膚を引っかいて、自分の中をさぐりはじめた。


 *


【871】

 石を持ち、文字を壁に刻む者たちは、誰にでも、その背後に、偉大なる同一の存在がいて、彼らの書き付けるたどたどしい文字は、その何者かをあらゆる角度から顕現させようと挑むものである。水面を覗き、鏡を覗き、愛するものの瞳を覗き、影を覗き、捕まえようとするのである。


 *


【872】

 天高く巡航する飛行船のへさきから、まさに地上に突き落とされようとしている人に向かって、船長は優しい言葉でなだめるのだった。大丈夫、地上には、君のためだけに掘られたぴったりの穴があるし、おれは眼が良いから外さないよ、ほら。ドンと突き落とされて真っ逆さま。隙間なくぴったり。


 *


【873】

 高嶺に咲く花を仰いで、奈落の底から蛇が呼び掛けます、ようよう綺麗な顔した貴方よ、どうか此方を向いておくれ、向いてくれなきゃ毒を撒いちまうぜ、貴方の足元に届くまで、ほら、ほら、……暗闇の底で蛇は自らの毒に溺れて死にました、孤高の花はつんと天を向いたままでした。


 *


【874】

 この無人島にもかつては人が住んでいた。島の頂上に座す獣の偶像は、左面は憤怒、右面は哀切の、二面八臂異相の獣であり、島の東西に別れて暮らす者たちは、それぞれ二面に添う性情を持っていた。それを不思議に思った島の子が、偶像をクルクル回してしまい、人々は残らず溶け去ったという。


 *


【875】

 人間たちはこぞって火をつけようとするが、スチールウールも必死に抗っている。


 *


【876】

 タイムラインを眺めているとなんか見覚えのある画像が……てか、これ、実家じゃね? っとツイート主のプロフィールを見たが十日前にツイッターをはじめたばっかりの人で、ツイート遡っても実家周りの写真ばっかり出てくるし、へんだと思って母親に電話をかけたけど、20コール待っても、出ない。


 *


【877】

 路地裏から突然現れた吸血鬼は、驚く女を変な鉈で斬りつけるやいなや、ザラザラと傷口から溢れだしたマーブルチョコをボリボリかじって、生産ロットと賞味期限を呟いて、セロテープで傷をふさいだあと、また路地の向こうに去っていった。


 *


【878】

 女が嵐の中をぬって歩いていると、上からは龍が、横からは女の兄が、下からは地下鉄が併走してきて、そんなに急ぎなさんなとか、まあ晴れるまで待ちなさいとか、羊羮でもたべようとか、優しい言葉をかけてくるのだが、天に一閃の雷がひらめくとまやかしは解け、辺りには蠢く死人しかいない。


 *


【879】

 いままさに足をかけようとしたエスカレーターの溝から、赤いペンキが這いのぼってきて、これはもしやと身構えていたら、深紅はやがて明るい甘夏の色に、太陽の色に、若葉の芽吹く色に、ソーダ水の色に、深海と夜空の色になったので、あわてて虹の麓を踏みつけて、天国への階段を駆けあがる。


 *


【880】

 暗闇で舞い踊る二枚のフィルムの遮光ダンスは、スポットライトで残酷無惨に焼きつけられるまで、彼らだけの秘密のもの。


 *


【881】

 大海をゆく百人乗りの手漕ぎ舟の中心では、かつての漁村の巫女が真剣な眠りに就いている。一日中火を噴き続ける山が彼らの島を埋めてしまったから、海向こうの大陸を目指して、残された漁民たちは櫂を漕ぎ続ける。巫女は夢の中で数多の魚を乗り継ぐ。嵐のない安全な海路を懸命に探しながら。


 *


【882】

 海面に向かって体当たりをしてはボヨヨンボヨヨンと反発されている半透明の男を見つけて、なるほど比重が大気より重くて海水より軽いのだな、と幽霊図鑑に書き加える。


 *


【883】

 その話題には興味がないなっと画面を右にフリックした途端、勢い余った顆粒電子がスマホの端から滝のようになだれ落ちて、慌てて手のひらで受け止めたけど、一度流れはじめた光はサイフォンの噴水みたいに止まらなくて、部屋中が興味ない話のキラキラ浸しになってしまった。


 *


【884】

「また明日の四時にね」「またね」「またね」三人の老婆が身を寄せあい約束を囁く。「また明日」名残惜しそうに肩をすくめる。「またね」身を震わせて笑む。「明日の四時に」うっすらと涙さえ浮かべて。どんなに愛しく特別な四時なのか、魔法みたいに言葉を重ねて、約束を宝石に変えてゆく。


 *


【885】

 せっかく再生してきたのにねえ、ほんとにねえ、と、二十年来の廃墟ビルのトイレの個室で、湿ったトイレットペーパーとカビたトイレットペーパーが囁きあう。


 *


【886】

 よかれと思って鍋に圧力をかけ続けていたのに、ある日突然、もう付き合ってられんよと言われて、餞別がわりに豚の角煮を渡される。


 *


【887】

 男は激流に飛び込む前、見ていてくれ、と祈ったが、膝を曲げ、岸から飛ぼうとした瞬間、彼を見守る誰も彼もが既にいなくなっていることに気がついた。


 *


【888】

 ただいまを言う五秒前、玄関の前でポケットに手を突っ込んで……それからの未来が分岐する。鍵を取り出して、ドアを開けて、明るい光と夜ご飯の匂いに迎えられる。鍵は見つからず、そもそもこれは他人の家だったと思い出して、きびすを返す。家はそこに在り続けて、人をふるいにかける。


 *


【889】

 母が言う、決して激怒してはいけないよ、頭から燃えさかる溶岩が噴き出すから、と。それは自分だけに宛てられた戒めの警句だと思っていたが、出生を疑い彼女をなじった日に、自分「たち」のことだったと気がついた。熱いマグマが台所を焼き尽くし、視界が溶ける。そのとき私は母の子だった。


 *


【890】

 裏通りの倉庫はいつも、閉めきったシャッターの隙間から水を漏らして、近所の人たちを困らせる。でも、倉庫の天井には、割られないまま片付けられたくす玉の群れが鈴なりにぶら下がっているから、しょうがない。それぞれの抱えた悲しい中止の理由が、紐を伝ってしょっぱい水になる。


 *


【891】

 あらゆるものが錆びついて、もうなにも見たくない、と目を閉じても、足元に動く生ぬるい毛の気配。まとわりつく八の字はお腹すいたなっと言っている。


 *


【892】

 豪華絢爛の椅子に座るとたちまち群衆が現れて、我先に拍手喝采を浴びせてくる。称える声はやまないけれど、何を以てこんなに歓待されているのかまるでわからない。感涙にむせび泣き。足元はびしょびしょ。きっとろくなことにならないのだろうけど、こんなに喜んでくれるのなら、まあいいか。


 *


【893】

 地図の空白に敷き詰められた広大な砂漠の入口に、最後のオアシスがたたずんでいる。評判の商人がやってきて、軒を並べて、旅人相手に、レモン味の水と泥味の水を売りさばく。不思議なことにどちらもよく売れる。なんのことはない、旅人のフードをめくると、人間と空漠とが半々にいるのだ。


 *


【894】

 待ちに待った夏の雨の日、鼻をつまんで、仰向けになって肺の空気を押し出して、プールの底からチクチク凹む水面を眺めてる。極小の逆王冠がふりそそぐ。十秒か、十一秒しか楽しめないけど、自分だけの素敵な世界。


 *


【895】

 ドラゴンたちの花火大会は一般公開されているので、いつもは静まりかえっている奥深い山々が、今日にかぎってはにぎやかにぎやか。恐ろしいウロコをまとった巨大な生き物が、口吻をとんがらせてプイプイ火花を吹き出すその姿に、王様もお姫様も騎士様も、大人も子どもも大喜び。


 *


【896】

 街を歩いていたら、募金お願いしますという微かな声が聞こえてきて、声をたどって首を巡らせていると、ペンチとタッパーを持った女と目があった。タッパーには生爪たっぷり。


 *


【897】

 終末世界なのにその男はいちいち優しかった。お金の価値がガタ落ちして、硬貨を山と積んでやっと一欠片のチョコレートと交換だ。肉厚のナイフで塊から削ったあと、おっと混ざりモンだ返すぜと、身に覚えのない歪んだ金貨を渡してくる。帰り道に妹とこじ開ける。ピカピカ金貨のチョコレート。


 *


【898】

 壁画に描かれた点と線だけの舟が、誰もいない洞窟の中で、僅かに上下に揺らめいた。画の中の人々はあきらめの声とともに舟に乗りこむ。全ての人の胴は分断され、上半身だけが舟に乗りこむ。やがて舟は岩の裂け目に出航し、下半身は船を見送ったあと、染料をこぼして溶け去った。


 *


【899】

 鏡がほしいと頼んだのに、鉄格子の隙間から差し入れられたのは、油と粘土質の砂。石膏粉と水。器。仕方がないので粘土を捏ねて、顔を埋めて、そっと剥がして、混ぜたてのぬくい石膏を注ぎ込む。美味しくない食事六回ぶん待って、粘土を剥がす……これが私のいまの顔。傷なのか継ぎの痕なのか。


 *


【900】

 崖の向こうの理想郷に渡るには断崖を跨ぐ橋をかけねばならないのだが、幾度築いても、どこからともなく撃ち据える落雷が、橋と足場を燃やし尽くしてしまう。ところが干からびたミミズだけは例外で、微かなそれらを編んだ縄には雷鳴は轟かない。集めるしかない。結い合わせるしかない。

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