4,黒馬の王子様
私はあれから部屋に引きこもった。それを見た両親は「やはり、アセビに社交界デビューさせるのは辞めとこう」と話していた。
(それが、よろしいと思います)
[逢いたいです]とイベリス様に手紙を送った。
(イベリス様に会うまでは、部屋から出たくありません)
寝室のベッドの毛布に包まりじっとしていた。引きこもってから3日経った。時折、姉が「サツキー! 出てこーい! 姉ちゃん寂しくて死ぬー!」と扉をドンドン叩くが無視した。流石にずっとそうしていると健康に悪いと思い庭を徘徊……もとい散歩した。
(昼間なら姉様はスカビオサ様の元にいる筈です。ううっ何故姉様を避けているのでしょう? 自分の事なのに分かりません)
本来なら姉に暗殺者の事を話さねばならない。しかし、何故か話したく無い。目の前にはピンクの鈴蘭が可愛く咲いてるのに、ちっとも可愛く思えない。
その場に蹲ると、馬の蹄が地面を蹴る音と鳴き声、自分の名を呼ぶ低い声が聞こえた。
(この低い声は一体誰でしょう? 聞いた事ありません)
「サツキ! 何処だ!? イベリスだ!」
(イベリス様!? そっか! 声変わりしたのですね!)
「イベリス様! 此処にいます!」
馬の蹄の音が近づく。黒馬に跨るのは背の高い黒髪の青少年だった。精悍な顔立ちに胸が高鳴る。じっと私を見る瞳はイベリス様だ。
「とっ。しまった。馬をしまってくる」
「は、はい」
馬から降りて、馬小屋にイベリス様が向かうので私も後を追った。馬が随分と息が荒い。それにイベリス様はびっしょり汗をかいてる。
「あ、あのっ! 急がせてしまいましたか?」
(それだと、非常に申し訳ないです)
手紙を読んだ後直ぐにパザン国からケスマン国に向かうと5日はかかる。かかる筈なのにまだ3日しか経っていない。
(目の前イベリス様は別人だったりして)
イベリス様は馬に水を飲ませていた。
「ああ。かなり無理した」
(私の馬鹿! 阿保! ボケ! もう少し、気を遣った手紙を書くべきでした!)
「申し訳ありませんでした!」
「……それよりもどうした? あんな手紙を送るなんてらしくない」
(あっ。そうでした。あの事について相談しなければなりません)
思い出すとまた気分が憂鬱になった。
「いや、無理に話さなくても良い」
「ですがっ」
「分かっている」
(何がですか?)
イベリス様は私の肩に手を置いた。可哀想な人を見る様な目で私を見ます。
「アセビの面倒を見るのが嫌になったから、俺と駆け落ちしたいんだろ」
カーー カーー
烏が鳴いた。
(……………………はぁ?)
「逃走経路については、いくつか候補がある。一時避難先についても心配しなくて良い。それから先の事はゆっくり2人で考えよう」
(至って真剣な表情でとんでもない事を言われました。イベリス様って天然ですか?)
「どうした? 何か問題か?」
「……大問題です」
「そうか。大丈夫だ。何も心配しなくていい」
これ以上、イベリス様に恥をかかせる訳にはいかない。うじうじと何も話さない私が原因だ。
「違うんです。姉様が殺されるかもしれないんです。だから、イベリス様にはその事を相談したかったのです」
イベリス様は目を僅かに見開くが、興味を失った様で腕を組んで馬小屋にもたれた。
「なんだ。そんな事か」
(さっきは駆け落ちまで考えてくれたのに、姉様が殺されるかもしれないのにこの反応とは、イベリス様の価値観がおかしいです)
「そんな事じゃありません! 命ですよ!?」
「……サツキ。生きていれば、死ぬのは当たり前だ」
「何を言ってるのですか? 当たり前じゃないです! 助けれるかもしれません! いえ、助けてみせます!」
(例えイベリス様の助けがなくても私が姉様を助けます!)
「アセビが死ぬとしたら、それは弱いからだ。弱い奴は死ぬ。それが現状だ。サツキはアセビが弱い奴だと思っているのか?」
「……姉様は強いです。でも、力が弱いんです。殺されるかもしれないです」
「何も力だけが全てじゃない。アセビは大丈夫だ。だから、サツキは自分の身の心配だけをしろ。下手に首を突っ込むな」
「……イベリス様は何もしてくれないのですね。婚約者でしたら守ってあげて下さい!」
「悪いが俺は自分の身を守る事で精一杯だ。アセビの面倒を見てやる余裕は無い」
「……それはどういう事ですか?」
「サツキとアセビは仲が良いな。羨ましい限りだ。俺達は違う。隙があれば殺し合っている」
(えっ? イベリス様には2人のお兄様がいらっしゃるのですが、お兄様と殺し合っていたのですか!?)
「俺にはそんなつもりはないが……忌々しい。アセビが有名になる度に俺は命を狙われる。アセビを助けてやる義理は無い」
怒りがこもった目をしていた。
「すいませんでした。そんな目に合ってるとは知らずに……」
(もしかすると、駆け落ちがしたかったのはイベリス様の方だったのかもしれません。私の考えが浅はかでした)
「アセビの事はどうでも良いが、問題はサツキだ。大方、貴族の阿保が目障りだからとアセビを消すつもりだろ? その情報を誰かに喋って無いだろうな?」
「いえ、喋ってません」
「その貴族に気付かれてないか?」
「不思議な程に全くです」
「……よしっ。偉い」
頭を撫でられた。
(褒められました)
「サツキは何も知らないフリをしていろ」
「それは嫌です」
「……だろうな」
「私が姉様を守ります!」
「……どうやって?」
「剣を鍛えます!」
「…………」
「無理だと思いますか?」
「……無理というより、やめた方が良い。サツキはか弱いお姫様のままでいて欲しい」
「……馬鹿にしてます?」
「……そんな存在が居ると安心するんだ。俺は守られる立場なんて選べなかった。剣を取るしか生きる道は開けなかった。あえて、その道を選ぶのか?」
「……イベリス様。私は自分の為には剣を持つ事が出来ません。でも、誰かの為ならば、喜んで剣を持ちましょう。イベリス様の為にも剣を持ちます。私が貴方を守ります」
不思議と視界が開けた気がした。今までの弱い自分が嘘の様だった。
「……分かった。もう止めない。代わりに剣を教えよう」
「良いのですかっ!?」
「ああ。弱音を吐いても止めてやらんぞ?」
「ありがとうございます!」
その後、庭で剣の稽古が始まった。イベリス様は暫くの間はこちらに滞在出来るそうだ。ならば姉様を守って欲しかったのだが、断固として譲らなかった。