たっちゃんの眉毛
たっちゃんはどこにでもいるごく普通の男性だ。
ハンサムでもない、その逆でもない。
とりたてもてるわけではない、だけど女の子の友達も多い。
人あたりがよくて性別年齢関係なく誰にでも好かれる。
ごく普通の人だ。
たっちゃんはあまり見た目を気にしない。
流行のファッションとかそういうものに興味を示さない。
かといって世間的にダサいと言われるような格好をしているわけでもない。
夏はTシャツにジーンズ、冬はパーカーにジーンズ。
髪の毛は染めておらず、しっかりセットをするわけではない。
かといって朝起きたままの寝癖で学校に来るわけでもない。
少しくせのある髪の毛に少しワックスをつける程度だ。
ちゃんと毎朝ひげも剃ってくる。
だけど、たっちゃんは眉の手入れをしなかった。
放っておいても別に仙人のように長く伸びるわけでもないし、世間の人の持つ西郷隆盛のイメージのように太くなるわけでもない。
だけどわたしはどうにも気になってしまう。
わたしもこれといってファッションにうるさいわけではないのだが、女の子の血なのだろうか、なぜだか気になってしまう。
たっちゃんがうちに遊びに来る度、わたしはたっちゃんの眉毛をチェックする。
少し長めの前髪をめくって、たっちゃんの眉毛の周りのぽつぽつを注意深く見つけては、毛抜きを持ってたっちゃんに襲い掛かる。
たっちゃんはいつも大声で抵抗するのだが、そのうち観念しておとなしくなる。
たっちゃんは座椅子にもたれて足を投げ出して座り、わたしはたっちゃんの太ももの上にまたがって眉毛の手入れをする。
たっちゃんは、痛い痛いと言って目に涙を溜めてこらえている。
わたしは鼻歌を歌いながら、男の子でしょ、我慢しなさい、と言って手入れを続ける。
ほんの5分くらいだろうか。手入れが終わると、たっちゃんは痛みをごまかすようにごしごしと両目をこする。
別に眉毛くらい何もしなくていいのに、痛いんだし。と言ってたっちゃんはすねてしまう。
そんなたっちゃんをたしなめるように、わたしは手入れが終わるといつも決まってたっちゃんの眉間にキスをする。
きりりと整った眉毛をそっとなぞって、うん、男前が上がった、と言ってキスをすると、たっちゃんは涙ぐんだ目で照れたような困ったような笑いをする。
結局、たっちゃんがわたしの眉の手入れを最後まで拒否したことは一度もなかった。
そのうちたっちゃんは社会人になり、仕事を始めた。
いつもラフな格好をしていたたっちゃんは、いつの間にかびしっとしたスーツなんか着て、髪の毛のくせが目立たないようにきっちりセットして、都会的で洗練されたビジネスパーソンになっている。
眉毛の手入れも自分でするようになっていた。
抜くのは痛いからと、剃っているらしいが。
忙しいたっちゃんはわたしの家に来る機会は減ったが、それでも時間を見つけて会うと、仕事が楽しい、と言って生き生きと笑っていた。
たっちゃんが元気でやってるならわたしはそれで充分だけど、眉の手入れをできなくなってしまったことが少し寂しかった。
自分のことは自分でできるようにしなきゃね、身だしなみも。と言って、たっちゃんは笑った。
当たり前のことだけど、たっちゃんも大人になっていくんだよね。いつまでもわたしに頼ってるわけじゃないんだよね。とわたしは答えた。
数年が経ち、わたしも社会人になって働き始めた。
たっちゃんとは結婚を考え始めていた。
だけど、たっちゃんはいつも浮かない顔をしていた。
たっちゃんに仕事はどう?と聞くと、いつも口をつぐんだ。
元来素直な性格のたっちゃんは、嘘がつけなくてそのときの気分がそのまま表情に表れてしまうのだ。
それなのに愚痴をこぼそうとは決してしなかった。
わたしに相談もしてくれなかった。
何でも言ってくれていいのに、とわたしは内心やきもきしていたが、周囲に心配をかけてしまうことを嫌うたっちゃんの性格は誰よりも知っていた。
だからわたしはなるべくたっちゃんの傍にいることにした。
ことばにして表そうとしない分、たっちゃんは表情や態度で必死で訴えているのだ。
だからわたしはそれをすくいとって、そっと近くにいるべきだと考えた。
お互い仕事があって忙しい身ではあったが、時間を見つけてなるべくたっちゃんの家に言った。
わたしは毎日のようにたっちゃんの家に通った。ほとんど同棲のようなものだった。
たっちゃんは日に日にやつれていった。
自分のことは自分で、とか言っていたくせに、髪の毛はぼさぼさで、ひげも剃り残しがあり、眉毛も生え放題だった。
夜、わたしよりも遅くたっちゃんが帰ってくる。わたしはたっちゃんの家で食事の支度をして待っていた。
おかえり、というわたしの言葉には答えず、たっちゃんはいきなりわたしを抱きしめて、ベッドに押し倒した。
どうしたの、何かあったの、と聞くが、たっちゃんは何も答えない。
わたしはもぞもぞと起き上がって、自分のひざにたっちゃんの頭を乗せた。
額をなでて、そっと前髪をめくった。
たっちゃん、眉の手入れしたげるよ。久しぶりだから痛いぞー。
わたしはそう言っておどかして、ポーチから毛抜きを取り出した。
昔なら、絶対やだ!痛いからやだ!と言って部屋中を逃げ回っていたたっちゃんが、何も言わず目を閉じて、わたしのひざに横たわっている。
久しぶりだったので、10分くらいかかってしまった。
たっちゃんの目には涙が浮かんでいた。
痛かった?と聞くと、うん、痛い、すごく痛いよ。と言って、たっちゃんは泣いた。
数ヵ月後、たっちゃんは会社を辞めた。
詳しいことは話そうとしないが、どうやら職場いじめに遭っていたらしい。
たっちゃんは再就職し、わたしとたっちゃんは籍を入れ、一緒に暮らし始めた。
たっちゃんはまた自分で眉の手入れをするようになった。
だけど時々、わたしに頼んでくるときがある。
そういうときはたいてい、前の会社であったことをぽつりぽつりと少しずつ話してくれるのだった。
自分のことは自分でやらなきゃいけないのはわかるけど、ほんとに自分ひとりじゃどうにもできないときは、頼っていいんだからね。
そう言ってわたしは、きれいに整えた眉にキスをする。
たっちゃんは、ありがとう、と言って目を閉じた。
その後もたっちゃんは元気に仕事を続けている。
行ってきますと仕事に向かうときの、きりっとしたたっちゃんの眉毛はやっぱりかっこいい。
たっちゃんが自分で整えたり、わたしがやったり。
これからもこうやってふたりで一緒にやっていくんだなとしみじみ思って、わたしはいってらっしゃいとたっちゃんを見送った。




