5-2 告白
そう、私たちは変わったから。
そこで私はある事に気づいた。多分これはイナンナ様が話したかったもう一つの話だと思うのだけれど。
(私達がこんな関係になったから、昨日の夜にイナンナ様の夢を見たんですか?)
改めて目を閉じてから、それを聞く。
”ええ、そうよ。
いずれそうなる可能性はあると思っていたのだけれどね。
昨日は、その時が来たんだわって思ったわ”
彼女から、覚悟を決めた、そんな気配が私に伝わる。
(あれって、本当の世界なんですか?)
夢の中だと否定してほしい。なんて事は考えてもいなかったけれど、返答は早かった。
”信じられないのもわかるけれど、見せた時に言った通りよ。イキギの間、神の住む世界の光景よ”
(じゃあ、見えた物も、神様も?)
”実存するわ”
その回答を頭の中で咀嚼する。と言うよりも、受け入れるだけしか出来ない話だった。
”本当のところ、神としては、あの世界を人間に見せるのは正しい行いかどうかはわからないわ。違う世界なのだし、見せても本来は何の得にもなりはしない。むしろ、損をするような話なのだから”
私が事実を受け入れようとする間にイナンナ様は続けた。
”でもね、あなたが私である以上、いずれは知っておかないといけない事なの。
そして……私の事もね”
(イナンナ様の?)
口に出したくない、でも出さなければいけない。そういった思いの片鱗だけが私に伝わる。
初めての感覚が私に戸惑いを与えようとしたけれど、心のどこかでは待ち望んでいた……? 待ち構えていた? そんな不思議な気分があって、結果、私の心には冷静と均衡が保たれる。
こんなに冷静になっているのって、多分、イナンナ様の仕業だと思うけれど。
そんな事も心の片隅にしまって置きながら、私は彼女の言葉を待った。
”ええ。私の事。
これはね、いつか誰かに言わないといけないと思っていたのだけれど、言う機会は今までなかったのよ。
マルドゥクお父様にまで隠していた事を、まさかただの人間に言う事になるとは思ってもみなかったのだけれどね”
と、いつも通り酷い前置きをした上で、イナンナ様は爆弾を落とした。
”私はね、多分、記憶が無いわ”
えっ……と、おっと……あの……それはどういう……?
直撃した爆弾は、私の言語能力を奪ったのは間違いない。
”その言葉が正しい表現かどうかは私にもわからないのだけれど……
私はね、ちゃんと神としての自覚もあるし、名前もわかる。自分が行うべき使命も、その能力も使い方もわかる。
でもね、私には、何かが抜け落ちているのよ。知っていたはずの何かを忘れているような、欠落したような感覚にずっと苛まれているの”
その言葉からにじみ出る辛さが、私の心を握りつぶそうとしていた。
”いつからか、それに気が付いた時から私はこの思いに取りつかれていたわ。
最初はその気持ちがどこから来たものなのか、どうしてなのか全く理解できなかった。
周りにはひた隠しにしていたけれど、私の中で違和感は膨れ上がるだけだったわ”
話し始めてタガが外れたのか、彼女はどんどんと語り続ける。
”何とかそれを理解しようとして色々なことをやってみたわ。
神としての責務を積極的に果たしてみたり、逆にちょっと勿体なかったけれど、気まぐれで信者を一握りぐらい潰したり、他にも色々とね。
でも、全然ダメだった”
明らかに神様として問題のある言動も、私との会話では気にかけない。
そして、終わりはいつも通りの衝撃的なそれだった。
"でもね、ある時気が付いたの。
ギルガメッシュ。
あいつを見ると、私の気持ちが揺らぐことに”
ギルガメッシュ。それは、私たちの世界に降りていた神。人の神。
疑問が一つ。……どうして、彼の名前が?
(イナンナ様の旦那様って、豊穣神のドゥムジ様じゃなかったんですか?)
そう、聖典では豊穣神のドゥムジ様がイナンナ様の伴侶のはず。ギルガメッシュ様の名前が出てくるのはおかしかった。
”ドゥムジはドゥムジよ。だからこそ、尚更気になっているの!”
思い起こす神様の世界での光景。
確かに、イナンナ様は、ギルガメッシュ様の事を陰ながら見ていた。
執拗とも言えるような勢いでマルドゥク様に詰め寄って、その後を追おうとしていたのだけれど、
(よく考えたら、あの時のイナンナ様の言葉、あんまり理由が定かでなかったですよね?)
と、気づいた事をイナンナ様に投げる。
”ええ、だって、お父様に記憶が定かではないから追いたいです、なんて言えるわけないじゃない!
でも、嘘も言っていないわよ。人の世界に来ないといけないって思っているのは事実なんだから”
その返答はおおよそ彼女らしくない、取り繕ったような言葉。
でも、イナンナ様はわかっているのかな?
言っていることが、そう、神様らしくない事に。まるでそれは……感情で動く私達のような。
(イナンナ様、ここにどうして来たんですか?)
確認するために私はそれを聞く。
”ギルガメッシュを追うためよ”
(追って、どうするつもりだったんですか?)
そう、だからイナンナ様はここで返事に詰まった。
”わからないわ……”
恥と一緒にひねり出したその言葉の後には、彼女の感情の羅列が続いていく。
”とりあえず会えばわかると思ったのよ!
この世界に来た時にだって、ここには何か手掛かりがある、それだけは感じたわ。
でも……ね。
ええ、ナナエに言われなくてもわかってるわよ! 今の私は理性的ではないし、酷く感情的だわ!
でも、それが今までの私もそうだったのか、この気持ちがそうさせているのかすら曖昧なのよ! わからないの!”
決壊したように出てくる彼女の独白を聞きながら、私は少しだけ別の事を考えていた。
ほんと、私はイナンナ様に毒されたなぁって。
こんな時に限って冷静になれる自分がちょっとおかしいとさえ感じてしまう。
(イナンナ様がここに来た時に言った、ちょっとした用事って、それですよね?)
”ええ、そうよ”
話を遮った私の質問にも、イナンナ様は気分を荒げたまま答える。
ああ、うん。私はなんとなくだけどそれを理解した。
イナンナ様は心細かったんだなって。自分が分からなくて、それを知っている人も居なくて一人ぼっちで寂しかったんじゃないかなって。
そして、この先私が何をしたいかもすぐに脳裏に浮かぶ。
そこには、彼女は神様だから、私が人間だから、そんな立場の事なんて関係なかった。
正しいとか間違ってるとかそういうこともなくて、私は、私の気持ちに素直になって、心から湧き出る言葉をそのままに彼女に言った。
(私がその用事を手伝います。
イナンナ様の忘れた記憶が何か、そもそもあるのかないのかはっきりさせる事、一緒に手伝いますよ。
まぁでも、ただの人間なんだし、やり方なんて全然わからないですけどね)
私がそれを言い切った直後、イナンナ様の荒い気配がピタリと止んだ。
歓喜も蔑みも戸惑いも全くない平坦な時間が流れる。
私はゆっくりと待った。彼女がその答えを自分で見つけるまで。
関係が少し変わった今でも、私からイナンナ様への思考の一方通行ってのは未だに健在で、大体すべて垂れ流しになっているのもわかっているけれど、それでも私はゆっくり待つ。
どのくらい時間が経ったか、目を閉じたままの姿勢でいると時間の経過がわからなくなってくるけれど、どんなに時間が長くてもその時間は苦ではなかった。
時間が経って、ようやく意を決して開いた彼女の言葉は、否定でも照れ隠しもなんでもなくて、
”お願いするわ。ナナエ”
とてもシンプルで素直な言葉だった。




