4-28 彼女の夢・イナンナの
”マルドゥクお父様とギルガメッシュよ”
はぇ?
もう三度目の正直だった。ショックが続きすぎて私の頭の中は真っ白になる。
……イナンナ様、逃げていいですか?
言えもしない泣き言を言いたい気分に襲われる私。
マルドゥクお父様なんてイナンナ様はあっさり言うけれど、それは、私達人間の中ではベール教の大神、神を統べる神であるマルドゥク様に他ならなかった。
今まで人の世に降臨したことは無いけれど頻繁にお告げはする為、親しみが強い神ではある。
そして、降臨したことが無いが故にその姿は想像でしか語られていなかった。
イナンナ様の夢を通してだけれど、そのお姿を見ることが出来るなんて……!
感動を覚える間もなく、その隣に居るのはこれまたレアな人神ギルガメッシュ様とか、男子が見たら絶倒絶叫するような状況だった。
ギルガメッシュ様だけでも倒れてもいいのに、大神マルドゥク様がいるなんて、もう敬虔なベール教の教徒である私には刺激が強すぎる。
”馬鹿な事言ってないで戻って来なさい、見逃しても次はないのよ!”
流石の状況のせいで、イナンナ様の檄でも効果は薄く、私が正気に戻るまでに少しの時が費やされる。
その間にも、マルドゥク様とギルガメッシュ様のよくわからない話は続いていた。
「四合は無理だ。危険が多すぎる。
かわりにと言っては何だが、試作品だが新しい道具を用意した。詳しくは降りてから調整してくれ」
「試作品って、信頼はおけるんでしょうね?」
「ああ、条件付けはしてあるから、微調整ぐらいで事は足りるとの事だ。
何、これに関しては失敗したところで非難はせんよ」
「クソが……。非難も何も、失敗したら俺は戻ってこないでしょうが」
ギルガメッシュ様が悪態をつき、大神マルドゥク様がクックッと意地悪そうに対応する。
神々がそんな事をするのは、人間の私からするとショックの何物でもない。
「ふむ、そろそろ時間だな」
と、マルドゥク様が時間を気にした。
ほどなくして、ウルクの大杯の中身が鳴動し、その中身が流動を始める。
黒い水槽にチカチカキラキラときらめきが灯る。
「行って来い。無事で戻ってくることを期待するよ」
とマルドゥク様が言う。
「責務は果たすさ、オヤジ」
それに対し、ギルガメッシュ様の返答は、ちょっと汚い言葉だったが芯が通っていた。
そして、彼は、いや、ギルガメッシュ様はウルクの大杯の中に飛び込んでいったのだった。
始終を、部屋の外からずっとこの世界のイナンナ様は覗き込んでいた。
(イナンナ様、どうしてこの時、中に入らなかったんですか?)
と、私が質問するのと同時に声がする。
「さて、そこで隠れているのは誰かな? 出てくるといい、ギルガメッシュはもう行ったよ」
(あれ、マルドゥク様に隠れてたのバレてたんじゃないですか!)
”……”
私といるイナンナ様は私に対して無言の圧力を加えてきたけれど、かわりにこっちのイナンナ様はちょっと艶の効いた声で返答をし、その所在を明かす。
「わかっていましたか、流石はお父様」
いたずらっぽく部屋の中に顔を出したイナンナ様。
「ああ、お前だと思ったよ、イナンナ」
「ええ、私です」
入り口から声を交わしてから、彼女は、マルドゥク様の所にしゃなりしゃなりと歩み寄る。
これはただそれだけの事なのだけれど、
……ええと、なんでしょうか。
イナンナ様の歩き方ならず、仕草全ては色艶に溢れていた。
ただ一言二言応えて歩くだけなのに、私はそれを後ろから見るだけなのに、溢れんばかりの魅力と色気が漂っている。
これが、本来のイナンナ様……?
”ええ、これが本来の神である私よ。今の私ではなくて”
なんだかちょっと意味合いが違ったのだけれど、私はその言葉を流す。
……私、なんだか随分イナンナ様には図太くなった気がする。
”それは最初からでしょ”
(そうでしたっけ?)
”ええ、でも、無駄口叩かないで。これからが見せたい所なんだから”
と諭されて私は状況にもう一度集中し直した。
「ギルガメッシュは行ったのですね?」
「ああ」
「それではあれば、私にも許可を頂けませんか?」
マルドゥク様に近づいたイナンナ様は、そう言っていた。
「この度、ギルガメッシュはお前を連れて行くまいとした。お前もそれを知っているだろう?」
「ええ。ですが、それは彼の勝手な判断ですわ。
私には行かないといけない。そんな気がしているのです」
行く行かないは、私たち人間の世界に行く話なのかな?
その疑問には答えが返されぬまま、神様の話は続く。
「行ってどうするつもりだ」
「当然、手伝いますわ」
「……今回は戻ってこれる保証はないのだぞ?」
「ええ、たとえそうだとしても。いえ、そうならばなおさらの事、私は彼の手助けをしたいと思いますわ」
どんな理由があるのか、イナンナ様はマルドゥク様に食い下がる。
「奴の気持ちは無視して、己が欲求を通そうとすると?」
「ええ、私は美を司らせて頂いております。故に、この思いに沿わないのは、私の美に反する、そう思いますわ」
イナンナ様は、やはりイナンナ様だった。
そして、マルドゥク様がこの言葉を聞いた後、少しの間思案してから口を開く。
「……今あちらに依り代はいないのだろう? それはどうするつもりだ?」
「あら、智略縦横、何事にも卒なく準備されているお父様なら、既に当てはあるのではないのですか?」
それは、神様同士の負けず劣らない探り合い。
「あったとして、本当に行くのか?」
「さすがお父様、即答ですのね。ええ、行きますとも。
今回は苦戦が予想されるのでしょう? 手は一本よりも二本の方が確実に叩けますわ」
この一言が決め手になったのか、マルドゥク様はウルクの大杯の方を向いた後、そこに手を寄せ、何かをし始めた。
「ちょうど、予定地点の近くに一つ良い候補がある。大きな魔力を持つ人間の女。年は17、十分な若さだろう? 詳しく見るか?」
マルドゥク様の言ったそれは、もしかして。
「この際、容姿や性質に文句は言いませんわ。魔力容量が大きくて生きているのでしたら何でも、流石に死んでいるのは嫌ですから」
一瞬だけ動きを止めるマルドゥク様。
その後、「ああ、それは大丈夫だ」と判を押す。
「それでしたら、お願いいたしますわ。私をそこに送って下さい。
然るべき結果を持って帰参致しますわ」
と、夢の中のイナンナ様が言った。
(こうやって、イナンナ様は私の所に来たのですね)
”ええ、まずこれが私が来た理由の一つよ”
と、ここで夢の世界が崩れ落ち、イナンナ様の後ろ姿も崩壊に巻き込まれて砂塵と消え、真っ暗な闇が私達二人を包み込む。
(理由の一つ?)
私は気になったことを問い直す。
”ええ、あとはナナエが起きてからゆっくり話をするわ
さぁ、時間よ。目覚めなさい”
いつも通り私には何の選択肢も無かった。冬の弱弱しい朝日はまどろみの闇をゆっくりと明るく変えていき、私は目覚める。
いつも通りのホテルの寝室。今まで一緒に寝ていたりるちゃんは隣のベットには居ない。一人の部屋。
(おはようございます)
”ええ、おはよう、ナナエ”
今日の一日は、大変なんだろうな……と私は当然の様に感じていた。
次話より、五章に入ります。




