4-27 彼女の夢・イギギの間
(イナンナ様)
”聞こえているわ、ナナエ”
ベッドの上で私は力を抜き、目を閉じる。
”ナナエも、わかっているのよね?”
(ええ、なんとなくは)
と、直感しているままに私は返答をした。
”私からも話したい事は沢山あるわ。でも、それは明日の朝にしましょう。
大丈夫、ちゃんとあなたは明日目を覚ますから”
私とイナンナ様だけにわかる暗黙の了解。
(はい)
とだけ返して、たっぷりと魔力を使った私は、迎え待つまどろみの中へと身を落とす。
* * * * * * * * * *
そして、目を開くと、そこは全く知らない場所だった。
何もない空間。
いや、何もないように見えるけれど、見ようとするとそれはあると感じられる。
体が浮かんでいる。
そう表現したほうがいいような感覚に襲われるが、何もない空間には人が歩いていて普通に生活の様子を成している。
実感がことごとく矛盾しているのは、これが夢だから?
体が浮かんでいるのは浮遊感と言えばいいのだけれど、どうも別の気分にも感じられる。
そう。言い表してみるならば、
(私はここに居ない)
と言う感覚。
そして、その感覚を基に私は考えを回す。
(これは、イナンナ様の記憶の中ですね)
”早いわね、正解よ”
と、イナンナ様である私が言った。
その瞬間、急に視界がはっきりする。
知らない空間、知らない場所、それでも人が行き来し、話し、生活する空間。
私はある女性の後ろに立っていた。その女性とはイナンナ様に他ならない。
普段とは逆の光景で、私がその後ろにくっついて居る状態。
真後ろから見ているせいでどうしても彼女の……あ、いや、イナンナ様の顔が見えなかったのだけれど。
”私の顔なんて見る必要なんてないわ”
(あ、はい)
”やっぱりここまで来たのねって褒めようかと思ったのだけれど、やっぱりナナエはナナエね……”
と、私に背を向けながら目に見える様にため息をつくイナンナ様。
私からしても、イナンナ様はイナンナ様だった。
”まぁいいわ。今更ね”
一言置いてから、イナンナ様は大切な事を私に伝えた。
”ここは私の記憶の中。そして、今見えているのはイギギの間と呼ばれる世界。一言で言えば、あなた方の言う神々の住む世界よ”
イギギの間。
世界最大の宗教であり、私の信仰するベール教の聖典であるエヌマエリシュの物語でしか語られなかった世界。
それは神々が生活する世界。
人間には遠く及ばず、誰も見たことが無かった世界。
(存在……してたんですか?)
”存在も何も。神が存在するのはあなた方人間は知っているでしょう? 恩恵も与えているわけだし。だから当然私達が生活する世界だってあるわよ”
疑問への返答は当然とばかりの内容だった。
”私はね、ここの世界から来たのよ。そして、あなた方の住む世界に行ったの”
(ちょっとした用をする予定だったんですよね……?)
私は記憶していた事を尋ねる。
”ええ、そのちょっとした用事が何かをこれから見せてあげるわ。
これを見たらもう引き返せるものではないけれど、それは別に良いわよね”
良いも悪いも、そこには引き返す道なんて残されていなかったのだけれど。
”大したものでもないけれど、私の記憶の中を楽しんで、ナナエ”
そうイナンナ様が言った瞬間に、場面が飛んだ。
* * * * * * * * * *
私は、いや、イナンナ様は、部屋の外から隠れて中を窺っていた。
(これは……?)
”あなたの記憶を見た時と同じことよ”
そう、テレビのチャンネルを切り替える様に夢のシーンは切り替えられた。
(いや、そっちじゃなくて、この光景は? の方です)
”大事な所よ。一度しか見せないからちゃんと見ておくことね”
覗き込む先には、広々とした空間。そして、真ん中に鎮座するのは巨大な球体の水槽のような物だった。上下に円形の台座があって、床と天井で水槽は固定されているようだった。
水槽の中身は吸い込まれそうな黒い液体で満たされている。
……私は似たような物を知っているが、ここは神の世界、多分それは違うものだろう。
(あれ、なんですか?)
と素直に聞く。
”ウルクの大杯よ”
あ……? え……?
軽々と返されたその返答に、今度こそ私は言葉を失った。
”あなた方の住む世界。人間の世界、ううん、今私達がいるココね”
神々は己に似せて人を作り、その世界を作った。ウルクの大杯の中に。
これもまた当然の様に聖典に記載されている事だった。
本当ですか? なんて確認するつもりはなかった。イナンナ様が言うことなんだからそれは本当なんだろう。ただ、それは一言では信じられなかっただけで。
その、目に見える大きさの、どうみても大きな水槽にしか見えないそれが、その中の球体が私達の住む世界だなんて、信じたくは無かった。
”事実よ。もっと言えばその中心にある小さな点があなたの住む星よ”
眩暈や吐き気を覚えて現実から逃避する。なんて事はこの世界では許されなかった。
(この後、何をするんですか?)
私に許されるのは、目に見える物を現実として処理して理解することだけ。
”あの二人”
と、促されるままに、私は部屋の中の出来事に集中する。
二人の男の人がウルクの大杯の前で話をしていた。
顔は見えない。姿しか見えないのに、不思議と何故だか男の人だと認識できる。
「今度は、しくじるなよ」
と初老……なのか、年上の方の男の人の方が言う。
「雪辱は当然雪ぎますよ。ただ、助攻を頂けない事にはなんとも。
相当肥大しているのは間違いないので」
こちらは若い方だった。
そして、なんだろう? 何かが気になる。
「ふむ。尤もだな。風を三合まで貸し与える。それでやれるか?」
「二より三の方がマシですがね、それでもアレには勝てませんよ」
若い方の喋り方はどうにも慇懃無礼な口調だった。
(彼らは……?)
と、話が分からない私はイナンナ様に問う。
”マルドゥクお父様とギルガメッシュよ”




