6-11 ふくしゅう
私が目を向ける前に、彼は無言のまま、錫杖を構えて人型になったティアマトに突進していた。
その突進は目ではついていけないぐらいの速度で、私が気付いた時にはティアマトをその錫杖の射程に収めている。
けれど、私の頭の中でようやく『奇襲』と言う言葉が出た瞬間に、彼は手を出さずに後ろに大きく飛び退いていた。
「どうですか? 勝機は見出せましたか?」
自然な口調で語りかけるように話すティアマトは、いつの間にか右腕を突き出した姿勢を取っている。
ただ腕を突き出されただけだというのに、その相手であるギルガメッシュ様は大きく飛び退いただけではなく、二本の足だけで着地出来ずに片手を地面に突いて止まっていた。
”ただ退いたのではないわね”
イナンナ様のその一言は何に対してだったのか。私には吹き飛ばされて姿勢を崩したように見えたのだけれど、そこからクラウチングスタートをするようにギルガメッシュ様は再度突進をかけていく。
「気の済むまで足掻きなさい」
澄んで聞こえるティアマトの声。
彼我の距離は近いはずなのに、高速で動き回るギルガメッシュ様はその差を詰められないでいた。
ティアマトの右手と軸が合わないようにして彼は回避を続ける。明らかにその動きは不自然だった。
私は理解できてしまう。彼がティアマトの攻撃を見えていない事に。
私には思考加速状態でも目を追いつかせるのが精いっぱいだったけれど、ティアマトの攻撃自体は見えていた。
攻撃自体は咆哮を口の代わりに右手から出しているだけの簡単なものだった。
けれど、やはり見えない方からするとそれは脅威以外の何物でもなくて、何も攻撃の無い隙だらけの場所を避け続け、逆に罠として仕込んだゆっくりとした咆哮の弾に当たりそうになっている。
それでも経験のなせる業か、ギルガメッシュ様は見えない攻撃であっても完全に受け切ってはいた。
ただ、距離自体は縮まらない。
一人だけで一進一退を繰り返し踊らせられる彼の様は、本当に足掻いているようにも見えてくる。
私が言うのもなんだけれど、ギルガメッシュ様の足掻く姿と対照的にティアマトの姿は優雅に輝いていた。
「奇襲の手も折った事ですし、今回は私の方から話をするとしましょうか」
その素早い動きと全く切り離された優雅な口調で美しい母神は話を始める。
「まずは私の弱点です。人間の心臓に当たる位置に、本来の私のものである肉があります。そこを貫けば、貴神方の勝ちです」
”……弱点?”
イナンナ様がその言葉を復唱する合間に、私はその意味に気付く。
のんびりとも言える口調で、明らかに自分の不利を相手に告げる意味を。
「ええ、先ほどの手は見事でした。良くも私にあれだけの事をやってのけたものです。おかげで私も勉強させて頂きましたよ。よって、これからはそれの復習と行きましょうか」
『ふくしゅう』という単語に反応したのか、ギルガメッシュ様の攻撃は一層速さを増していた。
でも、私にはその意味が理解できてしまう。それが『復讐』ではなく、『復習』であると言う事に。
(ティアマトはギルガメッシュ様の真似をしようとしているんです!)
”どういうこと?”
私は頭の中で彼女にだけその事をすぐに伝える。
(ギルガメッシュ様の行った戦法をそのままです!
きっとそれが有効だと思ったんでしょう、自分を追い込みながら奇襲に持ち込むか、同じ状況を作ってこちらの手を暴いていくんだと思います)
私にはイナンナ様やギルガメッシュ様のように戦い方には詳しくない。それに経験も無いから、ずっと彼のやり方を見続けて来た。
だからわかる。それはティアマトが言った言葉通り、学んだ事を実践しようとしているんだって。
「そうそう、人間はその身が脆弱なのを守る為に、他のものを纏うのでしたね」
そう言うなや、ティアマトはゆっくりと左手を右手に被せる。
警戒して距離を取り直したギルガメッシュ様をおいて、ティアマトの体には白い一枚布で出来たような服が浮き出るように纏われた。
「不便、ですね。こんなもので身を守らないといけないとは」
ティアマトは自分の体を見回しながらそう言った。
「ああ、攻めてくるのであればご自由に。そうでないならば、今度は私が色々と話をしましょう」
仕切り直し、と言えればいいのだけれど、その実は奇襲の手が止められただけだとその場にいる全員が感じていた。
「先ほどの一撃ですが、子と孫の反乱にしては上出来でしたよ。ええ、これが15年前だったら私は倒されていたでしょう」
私達が言葉を返せないまま、女神と変貌したティアマトはさらに続ける。
「きっかけは経験です。15年の間に人間の姿を見続けていた。それと、我が孫、確か名前はナナエでしたね? 大半はあなたのお陰です」
名指しされた私は固まり、一瞬だけ視線が集中した。
「あなたには孫の、いえ、人間の強さを見させて貰いました。意志の力の素晴らしさ、弱きを認めて足掻くその強さ。それと、小さな体であっても力を集中させる事で大を凌ぐことが出来ると言う事です。
そのおかげで、私はこの世界において、人という器に身をやつす事を厭いませんでした。
とは言え、それを決めたのも先ほどの一撃で私の大部分が失われたからですが。それも含めて、全てあなたのお陰ですよ、ナナエ」
言葉なんて出なかった。名指しで褒められているはずなのに、そんな事で私は褒めて欲しくなかった。
警戒はすれども、やっている事は単に立ち尽くしているだけの私を置いて、ティアマトは再度ギルガメッシュ様と向き合う。
「さて、人の神。貴神からも私は学びました。主に戦い方に関してですがね。真贋をうやむにした上で、持てる全ての手段を一つに集中させて私を追い詰める、素晴らしい策でした。今度は同じ事を私もやってみようと思います。
ああ、それと、一つだけ貴神には褒美を与えましょう」
「……何をくれると?」
彼が返答を返せたこと自体に私は息を呑む。
「もう、マルドゥクに叱られる事はありませんよ」
その意味は、いい意味ではない。
「願い下げていいか?」
「ええ、良いですよ。その代わりにと言っては何ですが、私にもう少し貴神の手の内を見せて頂けますか? 全て見せて頂いた上で褒美を差し上げるとしましょう」
そう言ったティアマトは散歩をするかのように、じゃない、モデルがファッションショーに出るような美しさを保ってギルガメッシュ様に歩み寄る。
「しばしの間、咆哮は使わないと約束しましょう。代わりに貴神の間合いで戦ってみる事にします。
先ほども言いましたが、心の臓にある私の本体を貫けば貴方の勝ちです。
さぁ、私は利点も潰し、弱点も晒して不利な状況です。
この状況で、貴神はどうしますか?」
……挑発なのか、何なのか。ティアマトの言葉で彼の行動は制限された。
そして、母神の思い通りに事は進み、ギルガメッシュ様はその心の臓を打ちに出る。




