5-16 飛翔
全てがおあつらえ向きになっていた。
防弾仕様のコートに食料と水の入ったリュックサック、さらに私のよく知るこの槍。
制服の上にコートを羽織ってリュックを背負う。
これで箒に跨れば、ほとんど登校する学生の姿と変わらなかった。でも、それは私にとっての臨戦態勢に他ならない。
槍の真ん中付近に袋を巻き付けて即席の座席にする。
穂先を前に向ければ箒の代わりに出来るとイナンナ様は言ったから、それに従ってなんだけれども。
(ほ、ほ、ほ、本当に大丈夫なんですよね?)
二、三分前に決意したは良いけれど、槍で飛ぶと聞いて早速足はガタガタと震えていた。
”大丈夫よ。安心しなさい。
そこの石突には一般的な魔法の構成要素と組み合わせパターンが入っているわ。
飛行に関するものもあるはずよ、調べて見なさい?”
斜めに持ち上げて、やや天井に穂先を当てながら私は石突をよく見る。
”魔力を通した方が早いわ”
それを聞いたのと同じタイミングで石突に魔力の光が灯った。
飛行にかかわる風の魔法だけでなく、水、炎、土、雷の基礎。
どうも旧来じみた魔法の要素がそこには収められている。
(って、魔力を通しただけでどうしてわかるんですかそんな事まで?)
”単純に書いてあるのを読み取っただけよ”
ある事は理解できても原理までは理解できなかった。
”それよりも、旧来じみたってどういう事?”
(ああ、ええと、昔の魔法は五大元素とか四大元素とかを基準にして、事象を主題にしたものが主流だったんです。実際、魔法を使う分には、その方が分かりやすくていいんですけれど。
今の現代魔術だと魔力は原子に対して作用するって解明されてるんで、特定の原子に対して直接魔力を作用させる方法も取れるんですよね。
物によっては複雑になったりしますし、大体の場合では最終的に起こる事象はどちらもほとんど変わらなくなるんですけれど)
ここら辺の知識は、魔法工学の基礎研究を専攻しようと考えていた時に色々と調べた物だった。
ちょっと誇らしげにうんちく言ってみた所だけれど、イナンナ様には”ふぅん”とだけで流される。
”現象が変わらないなら特に気にする必要はないわね。
さ、用意して、時間が無いしそろそろ行くわよ”
(……はい)
リュックがしっかり閉じているか再確認したうえで私は槍に跨る。180cmはあろうかという槍は、乗る分には十分な長さがあった。
尻当てに巻いた袋も確認して、丁度おさまりのいい位置を捉える。
”最初に魔力を充てんするわ。しっかり出していいわよ、これなら十分に耐えられる筈だから”
思考速度は高速化されていないようだったけれど、彼女と繋がる為にか、おぼろに色が付いていた視界から完全に色が抜ける。
もはやその世界にも驚くことは無かった。意識を体の中に集中させて、プチプチと弾ける感触と共に言葉を紡ぐ。
《湧き出して》
それは滅多にというか、殆どした事のない全開での魔力の励起。
私の体の中から溢れ出る光が、腕を通してそのまま槍に吸い取られていく。
その魔力の光は槍の中でほとんど色を失うけれど、私には感じられる、見える。消失したわけじゃなくて単に凝縮されているだけだと。
”もう十分よ”
と、そこで私は励起を止めた。最近行っていた急激な励起ではない分、沢山出した感覚はあれども余力的には全く問題なく残っている。
”これから飛ぶけれど、準備は良い?”
槍を掴む手に力が入る。
でも、あれ? ちょっと待って……?
(いいですけれど、ところで何処から出るんですか? ここ、私の部屋ですし窓ははめごろしで開かないですよ?)
そう彼女に伝えてから私は気づいた。というか、否が応でもそれしか思いつかないよねこの先の展開。
”浮きなさい”
私の後ろで石突が反応した。次の瞬間、重力を振り切ってふわりと私の足が床から浮く。
”風防の展開はちゃんと出来てるわね?”
(いや、イナンナ様? だからここ、私の部屋で窓開いてませんよ!?)
”大丈夫よ、ちゃんと風防があるから”
(何が大丈夫かわかりたくないです!
確かに体と槍全体を薄い皮膜が覆っているんですけれど!!)
”ちゃんと手は掴んでてね? 掴まなくても私が掴むようにするけれど”
私の心づもりなんて完全に置いてきぼりだった。
そして、思考は加速し、時はゆっくりと過ぎる世界へと移行する。
ああもう、心のカウントダウンぐらいさせて!
そんな私の心の叫びは通じる事なく、彼女は言った。
”行くわよ!!”
減速した時間の流れの中でさえ早く見えるその速度で、私は窓ガラスを突き破り外に飛び出す。
ぃひぎっ!?
口で言えたのか心で言えたのかわからないけれど、漏れた言葉はこれだった。
昔々、箒の練習をした時にロケットになって箒を吹っ飛ばしたことがあるけれど、それの再演……よりも酷い。
全ての物が後ろに飛び去るような感覚。というか現実もそのままで、魔力で紡がれた風防は窓ガラスを千々の粉に吹き飛ばし、槍乗った私は空へと飛翔していた。
手綱なんて握っているようでほとんど握っていなくて、私は一旦上昇するような角度を取って上空を目指していたが、ある程度の高度で水平飛行に移行する。
この速度だと、目的地まではあっという間だった。
一瞬毎に路地を一つ過ぎ、二つ過ぎ、点灯していない信号は後ろに流れて過ぎていく。
ようやくその速度に慣れたタイミングで、私に初飛行の感動をくれる事無くイナンナ様は言った。
”迎撃されるのは最小限にしないとね”
瞬間、視界が左に回転し天地が逆になった後、速度を落とさずに同じ方向に半回転して水平に戻る。
それをもう二回、ただしそれらは高度を急激に下げつつ。
”気にしなくていいわよ? 感覚なんてすぐに元に戻してあげるから”
イナンナ様が何かを私にしたのか、胃が口から出てきそうな気分はすぐに収まっていく。
一体何が起こったかはなんとなくでしかわからない。
”地上からの対空砲火。人間の武器ね”
そんな事を言われても、私からするとそれは夢で見た放射を避ける彼女の光景に等しかった。
”高度を下げたし射角外に逃れたから安心して、まぁもう終点だけれどね”
対空砲火って何ですか!
そう聞く時間すらも与えられなかった。
私の初めての空の旅は殆ど減速されないまま到着し、魔力の風防が割れる事と槍の穂先を地面に突き立てる事でブレーキを成し、前転宙返りをしながら私は無事に着地を果たす。
”おめでとう、ナナエ。初飛行のお祝いに特大のプレゼントよ”
広い広い龍神教施設の敷地に降り立った私の目の前にあったのは、折り重なった何かの山と、燃え盛るもう一つの山。
そして、全身に薄く魔力のきらめきが走る二足歩行機械の姿だった。




