か
私は“か”である。
ひらがなの“か”である。
日常会話においては、「君がやるといったじゃない“か”!」とか、誰かが何かを強調する場面で多用される“か”である。
間違っても、「かあさん」や「かわいい」などで使われる“か”でないことを留意していただきたい。
奴らは出自を『加』という万葉仮名に持ち、いわば現行の『か』の親玉的存在のエリート集団である。そのため、「かあさん」や「かわいい」などの日常会話で登場頻度の高い単語でよく見かけられる。
それに対して、私は出自を『歌』という字に持つ。
『歌』とは古くは天徳内裏歌合が示すように、華々しいものであり、それが世界の中心であったのだが、現代においては娯楽の一つに過ぎないのだから、時の流れは無常である。学術的に定義される国風暗黒時代など、暗黒にひず、現代がまさに国風暗黒時代そのものであることを忘れてはならない。
なにはともあれ、『歌』を出自に持つ私は落ちこぼれなのである。そのため、文章中にただ一つの文字として、音としてささやかに登場するに過ぎないのだ。
同期の『我』を出自に持つ彼女は、今では立派に蚊のひらがな表記の際に利用されているというのに、私はいったい、いつまで強調の“か”でいなければならないのだろうか。
それでも、役割があるだけ喜ばなければいけないのも事実である。
同期の『香』や『何』を出自に持つ彼奴等は『か』の仕事にあぶれて、今では漢字の『何』や『香』に化けて仕事をしているという。
私は彼奴等に侮蔑にも似た感情を抱かずにはいられない。
彼らには”か”としての誇りがなかったのだ。たとえ、”か”として望まれていなくても、望まれるべく努力をして、消しゴムで消されるその時まで”か”でありつづけること。それこそが“か”のあるべき姿である。出自がどうの、落ちこぼれがどうのと散々喚き散らしてきたが、それでも私は”か”であることに誇りを抱いていた。
それはそうと、さきほど、どこかで言い争いをする幼子たちがいた。
彼らはそこで「お前がやった!」とか「やってない!」とかで、実に見事な水掛け論を展開しており、いつまでたってもその会話は終わらず、最後には喧嘩別れをした。
私が思うに、その原因は“か”を使わなかったためである。
仮に「お前がやったんじゃないか!」と前者が語気強くいっていたのなら、後者の子供は“か”に恐れをなして速やかな謝罪にまで発展し、仲直りが出来ていたはずである。
私は今か今かと喉奥で出番を待機していたのだが、ついぞ子供たちは私に出番を与えてくれなかった。
そんな私であるが、最近、新たな役職に就くことになった。
子供用ひらがな表の“か”である。
子供用ひらがな表は、文化庁が出す当用漢字表、常用漢字表の次に由緒正しきものであり、それに選抜されるというのは、ひらがなにとって大変な誉れである。
子供用ということで、いささか装飾的かつ本来の姿とは変わったようなものになってしまうが、世間様の目に付くということで、ひらがなにとっては一つの目標である。
――ついに、雑用係から卒業して、出世街道をひた走る時が来たのだ!
それからはとんとん拍子に電光石火の早業でひらがな表が大量生産されていった。
『歌』を出自に持つ“か”である私の分身を大量に生み出し、装飾的な絵柄に変換していき、紙面に封じ込める。
私は心を躍らせ、いったいどのような家庭に張られるのかと、期待から“か”のちょんとした棒のところを長く伸ばしていた。
くるくると巻かれたひらがな表のなかで、これから先の苦楽を共にする四十五字たちと、子供たちの輝かしい将来の一助となるための努力を怠らないことを誓いあった。
しかしながら、世界は無常である。
あの輝かしい時間が今では遠い昔のようである。
我々は決して、幼稚園などの公的な場所に張られようなどとは思ってもいなかった。いずれは、そこにあってもいいかなとは余白部分で考えてもいたが、しかし、最初は一般家庭で役割を果たそうと確たる信念を持っていた。
我々は結局のところ、一般家庭に持ち帰られた。
子供部屋に張られることを、はやる鼓動で待ち望んでいたが、我々が張られたのはトイレのドアであった。
我々は絶望した。
我々は子供たちの豊かな将来の一助となるために、ひらがな表などという、本来のカタチとはかけ離れた存在になったのに、なぜ、このような仕打ちを受けなければならないのだろうか。
トイレには、我々の他に、小さなカレンダーと、読み込まれた当日の新聞があり、ここはさながら、活字の死に場所であった。
我々はただ、あるべき場所に、あることを望んだだけなのに、どうしてこのようなことになってしまったのだろうか。
子供部屋には、別のひらがな表が飾られていることを知ったのは、それから、しばらく経ってのことだった。
着想はいいと思いました。
良くないです?
空気を読まずにあらすじにも書きましたが、もう少し設定を練れば、
面白くなると思いました。
おやすみなさい。