18歳
サンダルを引っ掛けたオレが庭に出ると、相棒が濡れた鼻先を擦り寄せてくる。大きな口に咥えられたリードを受け取って首輪に繋ぎ、勝手口から畦道へ。
裏の田圃に水が張られて、今年もカエル達が夕暮れの背景音楽を奏でる。サンダルの裏に、自由奔放な雑草の感触。
古ぼけた駄菓子屋の前を通り掛かる。
店先には、年季の入った冷凍ケース。その扉をカラリと開いて、取り出したるはスイカアイス。パリッと袋を破ると、赤と緑のツートン二等辺三角形が姿を現した。赤い果肉には、スイカの種を模した黒いチョコチップが埋まっている。
ポケットを探って小銭を何枚かつまみ出し、冷凍ケースの上に置かれた空き缶にチャリリと落とす。店内を覗くと、駄菓子屋のバァちゃんの小さな背中が見えた。テレビの相撲中継に見入っていて、こちらに気付く様子はない。
リードを持つ手が、不意に伸びる。ピンと張ったその先で、こちらをチラと振り返る相棒。フッと短く鼻息を漏らして、散歩の続きを催促している。
「わかったよ。そんなに急かすなって」
子供の頃から通い慣れた小道は、月が細い夜でも迷わない。誰も住まなくなった廃屋をぐるりと回り込んで、広葉樹のトンネルを抜けた先。
唐突に開けた視界一面に広がる、遠浅のなだらかな砂浜。さらにその向こうには、仄かな碧に揺れる夕刻の海。頭上を仰げば薄紫の空に早くも一番星が在って、そこから水平線を染める琥珀に向かって階調が滲んでいく。
オレが腰に差しているのは、木製のブーメラン。高卒で就職した地元の工務店の社長が、オーストラリア土産にくれた。観光客向けの土産のせいか手元には戻って来ないけれど、練習の甲斐あって大体狙った場所に落とせるようになってきた。
右手に握って重みを確かめると、おもむろに本日の一投目。うん、悪くない。その軌跡を追って一直線に駆け出した白い毛足の相棒。
オレが投げて、相棒が取ってくる。その単純な動作を何度か繰り返した頃。
斜め後ろから、不意に声がした。
「ねぇ、私にも投げさせて」
振り返ると、若い女が立っていた。
明るい色調の髪が肩の辺りで海風に揺れて、三日月の形のピアスが耳に光っている。この辺りでは見掛けない人だった。シンプルなカットソーから伸びた白い腕をデニムのポケットに突っ込んでいる。
「え…… でも、これ、ちょっと練習いるから……」
たどたどしく答えながら、手元のブーメランと女の間を行き来するオレの視線。そんな様子にクスッと微笑んで、再び口を開く女。夕暮れの微風に乗せて歌う様な、ゆったりとした口調。
「静かな海ね。いつもこんな感じなの?」
辛うじて首を横に振るオレの腰の辺りを、相棒の濡れた鼻が突っつく。
「はやく投げて」と訴える視線。いったん女に背を向けて、ブーメランを投げた。出来るだけ遠くへ。
「いま夕凪だからだよ」
「ゆーなぎ? なにそれ」
「えっと、夕方にさ、陸と海の風が交代するんだよ。ちょうど打ち消し合うってゆーか、その間だけ風がなくなる」
「へー 知らなかった。都会育ちだから、私」
「む。悪かったな、田舎で」
「フフッ。気に入ったわ、この場所」
それきり会話は途切れたのに、女はオレの横から離れない。仕方なく相棒と遊び続けるオレ。何も言わずに、それをただ見ている女。
いつもの倍近い回数、ブーメランを投げただろうか。
ついに相棒が根を上げて、オレの足下に座り込んだ。舌を長く伸ばして荒く呼吸しているその頭をガシガシと撫でて、オレも腰を下ろす。
彼女はしゃがみ込んで小さな握り拳を作ると、犬が驚かないように下からゆっくりと鼻先に近付ける。犬の扱いに慣れているらしい。嬉しそうにその匂いに鼻を鳴らす相棒。
「ね、なんて言う名前なの、この子」
「あぁ、こいつ? チビ」
「……全然小さくないよ。立ったら私と変わらなくない?」
「これでも昔は小さかったんだよ」
そう言ってる間にも彼女は握り拳を広げて、チビの首下をさすり始めている。気持ちよさそうに目を細める相棒。早くも陥落寸前だ。なぜだかちょっと、いや、かなり悔しい。
「ねぇ、この子、いつもここで遊ばせてるの?」
「ん、そうだよ」
「じゃ、明日もここで会おうよ。夕方ね」
「……え、なんで」
「私さ、春から実家を離れて、近くに下宿してるの。女子大生」
「はぁ、だから?」
「こんな綺麗な女の子が一人暮らししてるのよ? 心配するでしょ、フツー」
「いや、別に」
「うわ、冷たい! モテないでしょ、アンタ」
「な…… 関係ないだろ」
「まぁ、いいわ。私、この子と遊びたいから。とにかく、明日も連れて来てよね」