俺の希望も生きざまもすべては、夢だったんだ、、、、、、、そうだろ?
俺の希望も生きざまもすべては、夢だったんだ、、、、、、、そうだろ?
俺のすべては、たぶん、、、夢だったんだよ、、、、、、、そうだろ?
雨のそぼ降る昼日中。
人生にはどう問いかけても答えが得られないことがあることを
思って蕭然とすることがある。
なぜ?それは私でなければいけなかったのか?
なぜ、かかる事態が私に起こらざるを得なかったのか?
なぜ?私なのか?
いくら問い詰めても答えは得られない、、。
だがやがては、そんな懊悩の夢も終わるときも来るのだろう。
その終焉も意外と早かったりして、
ある日、ある朝。おきてこないので家人が2階の寝室に行って見たら、死んでいた、
というケースも結構多いのである。
振り返れば、、
長いようで、、終わってしまえばあっけない人の一生。
走馬灯のようにくるくる回る人生のかざぐるま。
かしこでは、、かの両親のもとに生まれ、生い、育てられ、
ふるさとを出奔して異郷をさまよい、
今、60年以上もの時が過ぎ去ろうとしている。
その60年とはまさに生老病死、四苦八苦の人生夢双紙だった。
早暁に見た、春の夢はたちまち掻き消えて、
いつか真夏の照りつける荒地に、むなしくほっつき歩く自分がいた。
秋はあまりにも突然で、実りも何の喜びも私にはもたらさなかった。
そうしていつか冷たい氷雨が降り注ぎ、それはたちまち雪へと変わって行った。
気がつけば、、、かるく半世紀が、そうしてむなしく過ぎていった。
それは今、振り返ればまさに、それは、作者のいない夢幻劇だったとしか思えないのである。
人生の夢、いや、夢の人生。
人の一生はおそらく3幕の、あやつり人形芝居劇に過ぎないのではなかろうか?
そうして、人は何か知らない作者の台本にしたがって、滑稽な、あるいは悲惨な人生劇を演じさせられているだけではないだろうか?
劇が終われば人形はゴミ箱行き。
夢の劇もこうして終わるのだろう。
あなたの人生は夢だったんだよ。
え?まさか?
私はこうして確かに存在しているよ。
夢なんかじゃないよ。
そうだね、確かに存在もしているし、考えてもいるだろう。
でも、もし、それさえ、夢の中だとしたら。
いったい、いつ私たちは目覚めるのだろうか?
生の夢、そして死も夢だったとしたら。
夢見続けて、決して醒めないならそれが無上の幸せだろう。
そうだ、だからずっと夢見続けていこうよ。
夢の中で息を続けていこうよ。
無理して水の中から飛び出たら魚は死んでしまう。
そうだ、無理して夢から飛び出る必要なんて無いのだ。
夢の中で生き、そうして死んでいけばそれでいいんだよ。
おそらく、、、、、、
生きてみる夢もあれば死んで見る夢もある。
私の半生を振り返ってみても、そのこまごました思い出もすべては夢だったんだろうか?
私は両親から生まれた。
しかし今その両親はどこに居る?
今、両親の影も形もない。むなしく名前だけが仏壇の過去帳に残るのみとは無常を痛感せざるを得ない。
遺品すらもうない。実家は解体されて更地となり整地されて、そこにはやがて分譲住宅が建つだろう。
両親の家も、もうないのである。すべてはやがて消え行く道理であるが、
古代の大王の巨大墳墓ですら、今、野鼠が宿として使うのみである。
草木が生い茂り、誰もその墳墓を崇め、遥拝することもないだろう。
そこにどこのだれそれがなんと言う大王が葬られたのかすらいまでは不明だ。
まして我が庶民の草屋など風に飛んで消えても当然だろう。
人の一生って、何か大きな力から呼ばれて、来て、見て、去っていくだけのものなのだろうか?
風来たりて、花開き、風去りて、花凋む。
その風とは、すなわち、神の意 (おもい) であろうか?
すべては神の思し召しのままに
来たり、巻き起こり、そして消えていくしかあるまい。
人は生まれ、生き、そして死んでいく。
必然の定め。
誰もそれに逆らえぬ。
そうして過ぎ去ってしまえば人生なんて、ただ、もう、夢のまた夢に過ぎない。
振り返り見ればきりのかなたに、黄金、玉殿、傾城の美女、名誉や、恋もかすんで見える。
一代で財を成し、百億の富を積み上げられたとしても、
死ぬときその中より、たとえ、1円ですら冥土まで持っていくことも出来ない。
黄金も美女も豪邸も名声も権力も何一つとして持ってはいけない。
裸で閻魔大王の前に引きずり出されるだけなのである。
生きていればこそ入用なれども、
死んでしまえば無用の金銀財宝。美女、権力、豪邸。
父母に呼ばれて、私はこの世とやらに生まれてきた。
そして、何かから呼ばれて縁あって、こうして見ず知らずの地で、31年も働き続けた来た。
そして、すっかり老い果てた自分が今ここにいる。、
やがて、ある日何かが私を呼ばわって、
冥土へと旅立っていくのであろう。
すべては神がしつらえた、夢芝居だったのだろうか?
それとも生きてみる幻燈劇だったのだろうか?
あるいは神が見させた、浮世草子のからくり芝居だったのだろうか?
夢に生き夢の中で時を送り、夢の中に死ぬ。
所詮人生なんてそんなモノではないだろうか、?
果たして確実なものなんてあるのだろうか?
とらえどころのないというのが私たちの人生絵図ではなかろうか?
もし人生が確実な実体なら、なぜ、栄枯盛衰がある?生老病死がある?
所詮、この私がかく生き、かく死んだなど、まさに芥子粒のようなもの、
どうでもいいことであろう。
若さに任せて無茶もした、
人知れず懊悩したこともあった。
親との悲しい別れも会った。
しかし、それもすべてが夢だった。
今、我が人生を振り返ればびょうびょうたる、風景が広がるのみ、
しかし其の思い出も私がやがて死ぬときすべて失われる。
生の夢を見終わって私は今度は死の夢を見に冥府に赴くのだから。
私は今思う。
この人生に、重要なことなんて、実は何一つなかったということを。
なぜって、すべては死で終わる生の夢だったのだから。
人生は夢と、人は言う。
今私はまさにその通りだと思う。
この人生に何一つ確かなものなどない。
この人生、とらえどころのない、人生の実像、
まさに手探りの人生行路、しかし決してとらえられはしないその本体
操り操られ。いったいそれは誰?
踊り踊らされ、いったい誰に?
ふと気が付けばこんなところまで来てしまった自分がいる。
いったいなぜ私はこんなところにいるんだろう?
決して私はこんなところまで来ることを望みもしなかったのに。
思えば、人生って不思議な事ばかり。
別に来ようと思いもしなかったのに、気がつけばここに自分がいる。
そうして年月はあっという間に過ぎ去って老いぼれ果てた自分がここにいるばかり、
私は何者かに騙されていたのだろうか?
それとも自分でこんな夢をつむぎだして、からめ取られていたとでもいうのだろうか?
それにしても不可解な事ばかり。
私はいったい今まで何をしてたのだろうか?
そう、つぶやくと、遠くのほうでこんな声がする。
「お前の人生は、実はすべて夢だったんだよ」
『え?そんなはずないだろう?私はこうして生きてるし、意識もはっきりしてるぞ』
すると遠くの声がまた、言う。
「目覚めの時も近いぞ、心して準備しろよ、
そうして目覚めてみればお前の全人生が
はかない束の間の夢だったと知るだろうよ」
人生は夢といにしえの賢者たちは言う。
私も今では本当にそう思う。
なぜならこの世に確かなものなど何一つ、ただの一つもないのだから、
あなたが真の実在であるとするならば、住むこの世界もあなたの死とともに終わるのだろうか?
それとも世界は実在してあなた自身がまぼろしであり、カゲロウなのだろうか?
否。私こそ実在だ。
なぜなら私が無ければ世界もないからだ。
実在である魂はたぶん目くらましされて
幻想現実の夢を見させられているだけなんだろう。
そうして、いつか、、。
それはそう遠い先のことでもない、
いつかあなたにも真の覚醒が来るのだろう。
その時あなたは今いる世界が消失して全く別次元の中で目覚めるのでしょう。
昔から賢者たちはこう戒めてきました。
『この世は幻だ。だから、いたずらのこの世に執着してはいけないよ。永遠の世界に目覚めなさい、
そうして、つかの間のこの人生では、ただ許し、ただ愛し、ただ奉仕しなさいよ」と。
だが真の覚醒とは何だろうか?
そして、それはいつ来るというのだろうか?
でも、、それは、真の覚醒は必ず来るのだろう。
そうだ。
その覚せいの時が近づいているのが私にはわかる。
私にはわかる、その予感もある。
もうすぐだ、
こころして待つがよい。
真の目覚めはもうそこまで来ている。
もうすぐだ。
そういえば、、、
ふと、、、こんなむかしの例え話を思い出した。
中国のその昔、片田舎に立身出世を抱く血気あふれる青年が居た。
ある日、青雲の志を抱いて一躍、都へと、向かってふるさとを後にしたという。
途中、ある宿場に差し掛かったとき、ふと茶屋の店先に、老人が座って、ひょうたんを磨いている。
何だろうと思って立ち寄ると、
ひょうたんの中に全宇宙があるという。
覗いてみると何も見えない。
心が曇って折るから何も見えんのじゃよ。
と、老人は呵呵大笑した。
そして青年は自分の野望を熱っぽく老人に語ったのである。
これから都に上り、どこかの大官に仕官し、そこで忠節を尽くして
大出世したいのだと。
「出世かね?わしも若い頃は憧れたもんじゃよ。
でもこれこの通り。今は田舎のじじいじゃよ。
若い衆、ここに陶の枕がある。
これで一眠りしてみなされ。
これで夢を見るとそなたの将来が全部透けて見えるというのじゃ。
どうかな?」
青年は長道中で疲れていたし、ここらで一休みもよいかなと考え其の枕を借りて
店先で休むこととした。
老人は其のときまさに、
庭先のかまどで黄粱を釜に入れて、むしはじめていたところだった。
さて枕を借りて横になるとたちまち青年は深い眠りに落ちた、
というか、青年は其の茶店を出立して都に登ったと信じきっていたのだ。
都に上ると青年はさる武官に仕官して
各地の戦争に参加し武勲を挙げてたちまち、大将になった。
そしてさる大家の姫さまと婚約し、
其の国の列候にまで上り詰めたのであった。
しかし、やがて、其の実力を王にねたまれ王位を取られるのではないかと疑われ、
官位は没収たちまち俘囚の憂き目になったのである。
妻子は匈奴の地に追放され生死も不明となり、
自分は獄中に虜である、
ところが折から黄巾族の反乱が巻き起こり、王は家臣も捨てて華南に逃れて無政府状態。
其のとき獄にあったこの男に国を指揮してほしいとの
民草の嘱望がもたらされた、
一躍、其の国の王位に就いたこの男は
それまでの武勲に、もとらない功績を挙げて、みごと、黄巾族の反乱を鎮圧したのであった。
そして国民から押されて新しい王に推挙されたのである。
さらに嬉しいことに匈奴の元で行方不明だった妻子も無事と分かり、王の下に返り
久方ぶりの対面に手に手を取り合って、
喜んだのである。
こうして新しく王になった治世は徳政の誉れ高く続けられ、
王は栄耀栄華の限りを尽くしたのであった。
宮中には大楼がそびえたち、
金蔵には
金銀宝石は山のように収蔵されて。
家臣数千人が衛視として警護し、
きらびやかな宮廷婦人が舞を舞い
後宮の美女3000人、
酒はあふれ、肉は盛られ
この国は栄えたのであった。
しかし、
やがて王にも、老衰の影が訪れていた。
国内はもとより遠く蓬莱国まで使者を使わして不老不死の妙薬を求めさせたが
どれもこれも効果はなかった。
すべての甲斐もなく、
気力の衰えた老王は立派に成長した息子たちに
王位を譲ると、ほどなくして、妻妾の涙に囲まれてこの世を去ったのである。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
すると、「こけっこっここう」と鶏の声がして青年はふと目が覚めた。
なんと、、見回せば、あの茶店の前の縁台で寝ていたのである。
何だ、、すべて夢だったのか、と、
ふと眼をやると、
確か自分が寝入る前に炊き始めた黄粱の飯はまだ湯気が噴き出しながら炊けている途中だったのである。
青年は、ふと悟るところがあった。
俺の全人生なんて何だったんだろう?、
黄粱飯の炊ける間の一瞬よりも短いものですらなかったのかと。
夢のごとき人生、
出世も、名利も、王の位も、美女も、金銀財宝も
なんとむなしいことか、
そしてそれを求める自分もまたなんとむなしいのだろうか。
茶店の老人は
「どうじゃな?
いい夢が見られましたかな?
人生なんて、どうでしょう?
この黄粱飯の炊ける間の
一瞬の夢のごときものでしょうかのう?」
といって青年に語りかける。
青年は深く悟るところがあり、、それから都へ行くことを取りやめて、
田舎に帰り、
先祖伝来の痩せ畑をひたすら耕して、
貧しい一百姓として一生を終えたという。
富貴を極めるも一生
貧賤にまみれるのも一生。
富貴即貧賤。
煩悩即菩提
生死即無常
江は緑に
山青くして
花、将に燃えんとす。
鳥は空飛び
魚は波にもぐる。
朝が来て
また夜となる、
生まれ、生まれ
生きて、生きて
死んで、死んでゆく、
そう言う繰り返しそのものが人生というものの全部なのだろう。
そういう「生の夢」に乗っかって、この夢劇場を、ただ流されてゆけばそれで人生って、たぶん、いいのだろう?
いつまで?
そう、、たぶん、、、、
あなたの覚醒の時がくるまでかな?
廻れ
廻れ
どんどんまわれ
人生の夢のかざぐるま
廻って
廻って
目がまわって
それで
ほうら
もう
オシマイなのさ、、。
え?
もうおわり?
そうだよ、
もう終わりだよ、
操り人形さん。
でも、、、
きっと、、、、
それでいいんだろうね?
ね
たぶん
人生なんて、
たぶん
そうだろ?
ね
神様?
そうですよね?
神さま、、、、、。