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第2色目「よろしくおねがいします」

「あの、まだ難しいようでしたら後日改めて登校していただいても結構ですので…。」


一時間目の授業が始まり、静まり返った校舎に中林先生の小さく低い声が響き渡っています。

朝の光に照らされて大きく伸びた影と小さな影。

中林先生に何度も頭を下げているお婆ちゃんが、俯きながら何かを話していました。

渡り廊下まで伸びた影がゆらりと揺れたかと思うと、小さい影はもうそこにはありません。

中林先生の影だけが深く深く頭を下げたままの形で動かなかったのです。


――昼休みの開始を告げるチャイムというものを僕は最後まで聞いたことがない。

昼休み5分前になると教室がザワザワと鳴りはじめ、3分前になると既に教科書を片付け始めるやつが現れる。1分前にはもう立ち上がってるやつも現れ、この教室には少し早い昼休みが訪れる。

教室は一気に盛り上がりを取り戻し、食堂に限定パンや、1日数食限定定食を狙うやつらの『食堂ダッシュ』を見届けてから僕もえっちらおっちら食堂に向かうのが日常だ。

限定物よりボリューム勝負の丼物さえ確保できれば腹八分で五時間目に良い具合の睡魔を誘発することができる。


「おいおい、なぜ俺を置いていく?」


そー太がニヤニヤしながら僕のお尻をギュッと掴む。机にうつ伏せて完全睡眠状態のそー太をわざわざ起こしてしっかり目を覚まさせてやってから一緒に食堂へ向かうより、さっさと食堂で丼物を確保して野球部連中と合流したほうが賢いに決まっている。


「今日はカツ丼と味噌汁だなー。」


そー太君よ。

今日は。じゃない。

今日も。だ。

一体何日そのセットを続ければ天丼へと移行するのだろうか。


混雑した食堂で席を探しているとタカさんが一人端っこの席を陣取って黙々と限定定食を頬張っていた。


「タカさーん、ちょっと僕らの席を作りたまえ。」


タカさんは野球部のキャプテン。面倒見がよく誰にでも優しい。そー太のイラッとくるファーストコンタクトにも顔色一つ変えず僕らの椅子を用意してくれた。


「お前のクラス、四時間目終わるのいつも早いのに何で来るのが遅いねん。」


タカさんがニコニコしている。


「いや、こいつが俺を起こしてくれないんですよ。」


たまに惣太を殴りたくなる。


「そういえば、お前らのクラス転校生が来たんやって?」


もう他のクラスにも噂が広がっていた。


「んー、昼から来るらしいよー。」


「昼から?へぇ。」


「んー、昼からー。」


「そいつ前の学校で野球部だったらしいやん?」


「あーそう。」


タカさんが言うには転校生は野球経験者だという。どこからそんな詳細情報が流れるのか。


「惣太、そいつと仲良くなって野球部に引き込め。」


「うん。」


「わかってんのか?」


「はいはい。」


そー太の空返事が妙に深刻そうであった。

早々に昼飯を食べおわり中庭でそー太とジュースを飲む。朝に感じた爽やかな風はどこへ行ったのか、外は真夏並みに暑かった。


「転校生男かよー。」


おそらくこいつは転校生が可憐な女の子だと思い込み、勝手な期待を膨らませていたがタカさんに辛い現実を告げられ落ち込んだんだろうな。と思っていたらまさにその通りだった。


「俺の転校生とのラブロマンスを返せよー。」


もう昼休み終了のチャイムが鳴り始めていたので僕はそー太を適当に慰めてやってから教室に引っ張っていった。

五時間目は中林先生の社会科であったが朝の時点で五時間目はホームルームになることが明らかになっていたので教室はガヤガヤと騒々しく、後ろに陣取る不良連中は既に寝る準備を始めていた。

席につくと右斜め前の女の子が彼氏との夏の思い出をまだ友達と共有しているようで僕はいよいよ今日最低のバイオリズムをむかえようとしていた。あと一ヵ月は女子たちによる夏の輝かしい思い出日記を聞かされるのだろう。

サッカー部のイケメン集団は、じゃんけんに勝ったら相手の肩を思いっきりパンチできるというなんとも痛そうなゲームを教壇前で披露しており、いかにも俺ら腕力あるんだぜ、と言いたげな表情で次々と肩にパンチを浴びせ、ついには文化系男子たちにも被害は拡大していった。


いつも遠くからこうやって傍観している自分がちらちら視界に入ってまるで他人事のように嫌な気持ちになった。僕もこの騒ぎに加わってしまえば同じ色になって溶けてしまえるのに。

委員長が静かにしなさいよ!と一喝するのと同時に中林先生が教室に入ってきた。白い画用紙に絵の具をぶちまけたような教室が一気に真っ白になった。


「今日の朝言ってたように転校生を紹介するからな。」


静まり返った教室が僅かに騒つきだした。


「じゃ、入って。」


小さい歩幅でゆっくり教壇に向かってくるのは。


女の子だった。


中林先生が黒板に彼女の名前を書くと自己紹介をするように、と彼女に言った。


「はい!水嶋といいます!」


転校生は男の子。

どこから流れたのかわからない噂を信じ込んでいた僕達は一瞬この出来事を理解できず、時間が5秒ほど止まってしまったような感覚に襲われた。

彼女のえらく短い自己紹介と、えらく大きな声で僕はやっと、あの噂はデマだったのか、と理解することができた。


「あの、できれば名前も教えてあげてくれへんか。」


苦笑いの中林先生の言葉に教室は小さなクスクス笑いに包まれる。

彼女は更に俯いて体を小さくしながら、えへへと笑った。

…と思う。

長い前髪が目を隠して表情がわからなかったからだ。


「水嶋里乃です。これからよろしくお願いします。」

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