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「最近どう?」


「まぁ、ぼちぼちかな。」


――僕が18歳になった夏。この部屋にエアコンが付いた。毎年開けっ放しの窓を今年は開け放ったことがない。

愛用の扇風機は押し入れに封印され、もう使うこともなかった。部屋に入ると同時にエアコンのスイッチを入れる。

そー太が懐かしそうに辺りを見回していた。


「一年振りくらい?」


「もうそれくらいになるか。」


「ほら、去年練習試合で対戦した時だよ。その時に一回来た以来。お前全然連絡してこないんだもん。」


そー太は僕と違う高校に進んでいた。私立の男子校。スポーツが盛んで、そー太もスポーツ推薦で入学。在籍する野球部は二年前、甲子園出場も果たしていた。

川村はというと、女子校の美術学科に進学。まだ二人は仲良くやっているみたいだった。

そー太が寝転がりながら言う。


「公立はなかなか難しいよなー。予選で勝ち進むの。」


「そうだな。やっぱりスポーツクラスのある私立には勝てないわ。」


「お前もよくやったよー。高校からピッチャーに転向なんてさ。」


「まぁな。それよりどうなんだよ。予選勝てそうなのか?」


「わっかんないねー。甲子園行きたいけどね。」


そー太が机の上にあったスナック菓子の封を開け、コンビニ袋からジュースを取り出す。


「タカさんとこは強いからなー。ダメブランカに可愛い女の子でも呼んでもらって応援に来させようかなー。」


地元で有名な進学校に進んだタカさんは野球と勉強を両立させ、相変わらず真面目に頑張っているそうだ。夏の地区大会予選決勝はタカさんの学校とそー太の学校が対決する。

そうそう、ブランカはそー太と同じ高校に進んだのだが、野球もやらず、毎日不良仲間と夜な夜な街に繰り出しているらしい。

それらしいと言えばそれらしいのだが。


「そー太、お前ちゃんと進路は考えてんのか?」


それを聞くな、と言いたげな顔をして苦笑いで答える。


「スポーツ推薦もらえたら大学かな。まだ何も考えてませーん。お前は?」


「俺はもう予備校行って勉強してる。大学に行くつもり。」


「ほぉ、よくやりますわねーほんと。」


エアコンがだんだん効いてきた。少し寒いくらいだった。

それから二人でテレビを眺め、ゲームをした。こうしていると中学生の頃を思い出す。よくこうやって二人で時間を潰してたっけ。

みんな、進路は別々になったけど何も変わってない。僕もこいつも。あの時のままだ。


「お。中学の時の卒業アルバム発見ー。見ていい?俺失くしちゃってさー。」


「お前、卒アルなんて失くすなよ…。」


そー太とアルバムを覗き込む。こうしてアルバムは開いたのもいつ振りだろうか。

随分長い間、僕は過去との接触を避けていたような気がする。


「あ、中2の文化祭かー!なつかしー!覚えてるよー。お前がさー…」


そー太はそれだけ言って、再びアルバムに目を落とした。さっきまでの満面の笑みが少し曇っている。

なんだよ気持ち悪い、そう言うと、そー太は遠慮しがちに笑った。


「やっぱ、まだ水嶋のこと…忘れられない?」


「…うん。もう一回会えるんなら、やっぱり会いたいかな。」


本棚の隅に、まるで時間が止まったかのようにあの時の感情が残っている。

東京までの路線図、周辺地図、雨に濡れてくしゃくしゃになったメモ書き。

最後に里乃から預かった幸せの鈴。ずっと身につけていたせいで輝きが無くなり、そこに書かれた二人の名前も消えかけている。

たった一つの希望を失った東京駅の夜。僕は涙が枯れるまで泣いた。心が軋むほど強く祈り続けた。

もう会えなくても、里乃が元気でいてくれれば。それだけで。

そう思っていたはずなのに。里乃のことを想うたび、会いたくなる。どうしても会いたくなる。


(水嶋里乃です。これからよろしくおねがいします。)


忘れられるはずがない。忘れられるはずなんてないよ。

チリンチリン、と小さな鈴の音が聴こえた。

そー太がいつの間にか鈴を手に持って興味深そうに眺めている。


「なんだ、まだ鳴るじゃん。…水嶋もさ、きっと同じだよ。」


「え?」


「お前が願い続ければ、きっと叶うって。この鈴でベスト8まで行ったんだろ?」


そー太はいつもの満面の笑みを浮かべた。


「会えるさ、絶対に。」


その言葉にどれだけ救われただろう。

やっぱりそー太は、そー太のまま。

僕の一番の親友だった。


――玄関に散らばる靴の中。

僕はランニングシューズの紐を締めなおした。


「ちょっと川原走ってくる。」


「あら、こんな時間に?明日にしたら?」


「明日はずっと予備校だよ。」


たまにこうして夜になると川原を走ることにしている。時々無性に体を動かしたくなるんだ。予選にあっさり負けて、野球部はもう引退だというのに。

特に今日は、走りたくてたまらない気分だった。

川原に出て、橋を五つ越えたところで折り返し、元の場所に戻る。


(25分か。まだまだいけるな。)


首に巻いたタオルをギュッと締め直し、ベンチに腰掛けた。

さらさらと川の流れる音、虫の声。向こう岸の道路を走る車の音。

今思えば、あっと言う間だった。中学を卒業して、なんとか地元の公立高校に入ることができ、野球部にも入った。変わった環境、そう言えるものはそれほどない。

新しい友達ができた。初めて告白されて、付き合いはじめた女の子がいた。

野球の練習は中学の頃と比べると楽なものだった。

勉強はやはり上手に理解できず、苦手のままだった。

高校に入学すれば当たり前のこと。みんな同じ新しいが待っている。

それからはやっぱり日常になって、僕らは毎日を過ごしていくのだろう。

どんどん僕達には、新しいが入ってきて思い出になっていく。それはいつの間にか脚色され、心地の良いものへと形を変えて、心の中で生き続ける。

できれば思い出なんかにしたくはない。ずっとそのまま。そのままの形で覚えていたい。そー太達とバカやった毎日も、中学校でのことも。

里乃と過ごした一年間も。


この手にある時間は、とても巨大な時間は、誰もが同じだけ握っている。

これからも僕達が生きていくために。

この空に下で生きている限り。

きっと僕は、僕達は、明日からもそうなのだろう。


――柔らかい風が吹いてきた。とても優しくて、懐かしい夏の風。

このベンチで、野球をしている小学生達を二人で眺めていたことを思い出す。

美味しいと有名なアイスクリーム屋で買ったアイスを食べながら。

夏の終わり、一人の転校生がやってきた。男の子だと聞いていたのに、そこに立っていたのは地味でおとなしい女の子だった。

とても優しい子だった。笑顔が可愛い子だった。でも、クラスに上手く溶け込めず、少しずつ孤立していった。

一人でいることが多くなり、時々寂しそうな顔をしていた。

それでも彼女は、一生懸命文化祭の出し物を完成させた。

最初は可哀想だった、からかもしれない。僕は彼女と一緒に文化祭を回った。一緒に映画を観た。初めて彼女の本音を聞いた。

あの時見せた涙が、それからの彼女を強くさせた。美術部に入って、友達もできて。

二人で駅前のクリスマスツリーも観に行った。初めてプレゼントをもらって、僕も初めて誰かにプレゼントをした。

彼女はとても絵が上手だった。まるで写真のよう。僕たちが見た風景そのままを残すことができた。

この川原で、二人でゆっくり話せたのは夏の始まり。少し肌寒い日のことだった。

堅く結んだ小指と小指。もう明日なんて来なければいい。そう思った。


彼女はいつも笑っていた。いつも僕に笑顔をくれた。

もらった分は返さなくちゃいけない。たくさんたくさん、もらったものが溢れている。


里乃。里乃は今何してる?何を想ってる?

ちゃんと元気でやってるか?風邪ひいてないだろうな。

友達と上手くやれてるか?相変わらず絵は描いてるのか?

心配だよ。やっぱりお前が心配だよ。

きっとお前は大丈夫って笑うんだろうな。わかってる。それがお前の良いところだもんな。

花火大会、行けなくてごめんな。楽しみにしてたよな?

結局、お前に何もしてあげられなかったよ。すぐに会いに行けばよかった。すぐに言えばよかった。

相変わらずバカだろ?お前に勉強教えてもらってもバカのままだよ。

後悔ばっかりしてる。お前のことばっかり考えてる。どうしようもない馬鹿野郎だよ。

話したいこと、伝えたいこと。まだまだある。とても一日じゃ伝えきれないと思う。

でも一番にお前に伝えなくちゃいけないことがあるんだ。今までずっと言えなかった。

俺はお前のことが…。


(会えてよかった。ありがとう。)


里乃の声が聞こえたような気がして顔をあげた。

遠くのほうで救急車のサイレンが鳴っている。

向こう岸に立ち並ぶ店の電気が消え始めていた。


今まで気付かなかった。

河川敷に一つの影があったことを。

淡い光に照らされたその影は、風に吹かれて長い髪を揺らし、夏の夜空を見つめている。

その人は、見覚えのあるスケッチブックを抱えていた。


鼓動が早くなるのをはっきりと感じた。


僕の良く知る面影を残した後姿。

ずっと探していた、ずっと焦がれていたものに似ている。


僕がベンチから立ち上がると同時に、その人は振り返る。


――夏が嫌いだった。同じ毎日が嫌だった。周りと同じがつまらなく感じていた。

でも、自分からは何も変えようとしなかった。


ずっと。


ずっと僕はそうしてきた。


いつもと同じ夏。


嫌いだった夏。


あと少ししかない夏だけど、これからきっと好きになれる。


今なら、そんな気がするよ。


それは僕の、初恋だったんだから。

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