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第16色目「想い」

「地図とお金と。あとは…。」


通学用カバンに必要最低限の荷物が入っているか、再度確認する。入れ忘れは厳禁だ。今回はちょっとした旅になる。


「あとはこのメモ書きを持って。よし。」


まだ辺りが薄暗い早朝4時。車通りの少ない道でようやくタクシーを拾った。

カバンを抱えながら体が暖まるのを待つ。3月といっても、朝方の冷え込みは厳しい。

川村から告げられたあの日から、時間は急速に僕らを運んでいったように感じる。それでも季節は規則正しくやってきて、この街に雪を降らせ、桜を咲かせた。

地元の公立高校に進学が決まった僕は、短い春休みを利用して東京に行くことにした。

今日から野球部連中も隣県にある遊園地へと二泊三日で遊びに行っている。

そー太やタカさんから何度も誘われたが、どうしてもと言う僕に渋々納得してくれたようだった。

ようやく体が暖まってきて、僕はカバンからメモ書きを取り出した。住所だけが書かれたその紙には、僕の不安と希望が全て詰まっている。

里乃は今何をしているのだろうか。何を思っているのだろう。

心が溢れて、歯を食い縛った。


「一番ホーム到着の列車は、東京行き…」


まだ人の少ない新幹線のホームで朝ご飯にさっき買ったおにぎりを頬張る。

もう6時を過ぎているはずなのに空は暗く、重たい雲が覆っていた。

新幹線に乗るのも、東京に行くのも初めてのことだ。何もかもが初めてですごく心細かった。

新幹線に乗り込み、何度も何度も乗り換えの路線図を確認した。蜘蛛の巣みたいに張り巡った東京の地下鉄は、まるで別の世界のことのように感じる。

窓の外は、すぐに知らない風景に変わった。

上手く行けるといいんだけど。

切符を握り締め、目を閉じる。列車が走る音を聞きながら、僕は眠った。


――昼前になり、東京駅に到着した僕は改札を出て立ち尽くした。人の大群に飲み込まれそうになり、慌てて改札を離れた。

人がどんどんと出口に吸い込まれていく。途切れることのない人、そして声。

ここが、東京か。

電光掲示板に次々と情報が流れる。乗り換え、遅延…ここではこんなにも色んなことが起きて、そして消えていく。

一つ深呼吸してから人波に飛び込んだ。早く乗り換えの地下鉄を探さないと。

駅の迷路は複雑で、たくさんの矢印を何度も通り過ぎた。

やっとのことで券売機まで辿り着き、切符を買った。

ここから二駅乗って、また乗り換える。それからしばらく行ったところがメモに書いてある住所の最寄り駅だ。地図を指でなぞりながらはるか遠くに位置する駅を確認した。

電車が到着する音がして、僕はホームに走った。

どれくらい電車に揺られていたのだろう。空のてっぺんまで昇っていた太陽が沈みはじめている。地下から地上に出た電車はいくつもの駅に停車し、いくつもの駅を通り過ぎた。

建物ばかりだった景色が、どんどん何もない景色に変わった。

全く読めない駅名をみて、僕の知る場所からとても遠いところまで来たことを実感していた。

くしゃくしゃになったメモ書きを再び握り締める。不安だけがどんどん大きくなっていく。

すごく恐かった。


――目的の駅に到着したのは家を出てから10時間後のことだった。静かな場所で緑がたくさんある。小さくてきれいな店が立ち並んでおり、僕の街と少し似ていた。

タクシーの運転手が駅前で談笑しているのを見ながら地図を確認。


(こっちでいいんだよな。)


何度も確認した地図なのに、いざ到着してみるとどこへ向かえばいいのかさっぱりわからなかった。

地図をくるくる回しながら歩く。今の僕の位置を把握しながら、周りの建物と照合しながら。

やがて小さな神社が見えてきて、桜がたくさん咲いている坂道に出た。大きな家が上の方まで並んでいる。そこに書かれていた住所とメモ書きの住所が近くなってきているのを確認して、少し嬉しくなった。


(じゃあ、この坂道をのぼれば…。)


里乃のことが浮かぶ。

突然行ったらどんな顔するだろう。なんて言うだろう。怒るかな、笑うかな。

話したいことがたくさんある。伝えたいことがたくさんある。

でもまずは、謝りたい。

僕は走った。


その家は街を一望でき、桜の坂道を見下ろすことのできる場所に建っていた。ここからの眺めは素晴らしいものがあって、さっき乗ってきた電車があんなに小さく見えている。

電柱に書いてある住所とメモ書きの住所がぴったり一致した。

ここだ。ここが里乃の家だ。

一回、二回。深呼吸をしてからインターホンを押してみる。

胸が高鳴って、呼吸が早くなっているのが自分でもわかる。

…。

もう一度押してみた。

……。

誰も出ない。

おかしいな、留守なのだろうか。

表札には『水嶋』とある。間違いないはずなのだが…。


「あら、水嶋さんのとこですか?」


後ろから声がした。びっくりして振り返る。買い物袋をぶら下げたおばさんがこっちを見ていた。


「あ、はい。でもお留守みたいで…。」


「水嶋さん、もうこの家を出ていかれたわよ?あれはいつだったかしらねぇ…。」


おばさんの話によると、今年に入ってすぐこの家から引っ越していったようだった。子供のいないこの家に、中学生の娘が秋頃から出入りするようになったと言っていた。

里乃は確かに、ここにいたんだ。

しかし、どこに引っ越していったのかわからず、どうして引っ越したのかもわからないようだった。

さっきまで空を厚く覆っていた雲から雨粒が落ちてきた。

やがて勢いを増した雨は、その場で立ち尽くす僕を濡らしていく。

半年間、ずっと大切に持っていたメモ書き。

僕と里乃を結んだ、たった一本の細い線がプツリと音をたてて切れた。


――東京駅に戻ったのは深夜になってからだ。最終電車のランプがちょうど消えて、雨に濡れた傘をトンと叩きながら構内の待ち合い室に入った。酔っ払って眠ってしまっているサラリーマン。新聞を黙々と読む中年風の人。ラジオに耳を傾けるお爺さん。近くの喫茶店や立ち飲み屋はまだ営業していて、明かりが消えることはなかった。

みんなこうして始発を待つのだろうか。

雨足がどんどん強くなっていっているようだ。今夜はもう止まないらしい。


あの時、最後におばさんが言っていた言葉がずっと胸に引っ掛かって僕の心を揺らしていた。


(そういえば、娘さんが体調を悪くしたみたいで。一度救急車が来たのよ。)


堅く握り合わせた両手はまるで祈りに似た感情と隣り合わせだった。

神様。神様がもし存在するのなら…。

お願いします。

もう会えなくてもいい。

僕なんてどうなったっていい。

どうか…どうか里乃が元気でいてくれれば…。

それだけで…。


堪えきれなくなった涙が両手の上に落ちた。

返そうと思って持ってきた幸せの鈴を握り締めて、ただ震えることしかできなかったんだ。


――高校の入学式を翌日に控えていたその日、僕は中林先生に挨拶をしておこうと中学校を訪れた。

高校で野球をやろうかどうか迷っていること、今までお世話になったこと。

どうしてもこの日に伝えておきたかった。

いつも怒鳴っていた中林先生は今まで見せたことのない笑顔で僕を職員室に招き入れ、話を聞いてくれた。

人生はまだまだこれから。自分の思ったことを大いにすればいい。何かあったらいつでも俺のところへ来い。いつまでも、お前には俺と仲間達がいることを忘れるな。

とても暖かい言葉だった。この学校で三年間を過ごせたことを誇りに思う。出会えた人達のことを絶対に忘れない。

また、僕には毎日がやってきて、季節は巡っていくのだろう。でも、これからは大切に日々を生きていこうと思う。二度とこない日を、二度とこない時間を。

かけがえのない人達が、僕にはあるから。

桜が咲き乱れる中庭に出て、たくさんの思い出を歩きながら拾っていった。

野球部での辛かった練習、そー太達とバカやった毎日、里乃が転校してきた時のこと、大きな貼り絵を作った文化祭、クリスマス、夏の大会…。

パズルを組み立てていくよう、心を繋ぎ合わせた。

気がつくと、僕は美術室の前まで来ていた。もう部活も終わってみんな帰ってしまったのだろうか。

扉は開いていて、静まり返った校舎に扉を開く音だけが響いた。


(ここが里乃の過ごした部室か…。)


授業で使う美術室は新しい校舎にあり、ここに入ったのは今日が初めてだった。夕日が射し込む美術室には椅子が無造作に並べられ、描きかけの絵が置かれている。筆や絵の具が散らばっていて、奥にはカメラや彫刻、誰かの絵が飾られていた。

ふと、一つのスケッチブックが目に留まった。

水嶋と書かれたそのスケッチブック。

描かれていたのは全て白黒で知らない街の風景だった。ページをめくっていくと、やがて見慣れた場所がスケッチされるようになり、近くの川や山、中学校の校舎が描かれている。


(里乃は、こういう風にいろんなものを見てきたんだな…。)


里乃のお婆さんが優しく微笑んでいる絵、文化祭のくんくん探偵。

グラウンドで白球を追い掛けるユニフォームを着た少年。

どうしてだろう。涙が止まらない。里乃の残した思い出達がとても懐かしく、とても恋しいものだった。

駅前のクリスマスツリーのスケッチでページは途切れ、後は白紙のままだった。


スケッチブックをそっと閉じた時、一枚の絵が床に落ちた。


その時僕は、落ちる涙を拭い切れずに、その場に伏せて泣いた。


鮮やかな色のついた、一輪の花が夜空に浮かんでいた。


手を繋いでいる二つの影が、その花を見上げている。


あの時約束した、夏の花火大会。僕が守れなかった約束を、里乃はここに残していた。


裏には『8/17』と日付がうってあり、里乃の字でメッセージが書かれていた。


『きっと会っても言えなかったと思う。思い出をもらった。幸せをもらった。明日をもらった。だから次は、あなたが幸せになってほしい。どうか夢が叶いますように。会えてよかった。ありがとう。』


溢れ出る里乃への想いが僕を満たしていく。どうすることもできない。どうすることもできないよ。

里乃に会いたい。今すぐ、里乃に会いたい…。

桜の花びらがヒラリとスケッチブックの上に落ちた。とても綺麗で、透き通った桜色をした花びらだった。

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