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第11色目「ココロの情景」

よく夢を見ているようだった。

内容を説明できるほど記憶には残ってない。でも起きた時、ここにいる自分は夢のなかの自分なのか、本当にこの現実に存在している自分なのかわからなくなる。今日学校へ行けば、三年生が引退したばかりの9月1日かもしれない。そんな不透明な事を時々考える。

枕元で激しく鳴る目覚まし時計を毛布のなかで確認した。

――7時15分。

いつものように学校へ行き、いつものように下駄箱に靴を入れ、いつものように教室に入る。

二学期の初めにやってきた転校生も、いつの間にか僕のなかの『いつも』になりつつあった。

ただ、少し違っていることが一つ。

僕の横の席に誰も座らない日が増えていた。

里乃が学校を休んで今日で二日目。部活用にいつも持っている大きなカバンだけが机に掛けてある。長いときで三日間、学校を休む時もあった。里乃は、軽い風邪、と言っていたが。


「水嶋、風邪こじらせちゃってるみたいだなー。」


そー太が里乃の席に座った。


「寒いからな。風邪も流行るだろうよ。」


「大丈夫なのか?」


「川村や委員長が様子見に行ったりしてるみたいだし、大丈夫だろ。」


僕の口から出た根拠のない大丈夫。全然心配していないと言えば嘘になる。しかし、前にも三日間休んだ後、元気な顔をして教室に現れた里乃は昼休みに僕達と普通に喋っていたし、放課後にはちゃんと部活にも出ていた。案外明日になったら元気に学校にやってくるのではないか。心のどこかでそう思ってる自分がいた。


「そういや、前から気になってたんだけど。お前マフラーなんていつ買ったんだ?」


そー太が微妙に鋭い質問をぶつけてきた。自分でもよく覚えている。防寒具といえる防寒具をあまり持っていなかった僕は、マフラーをぐるぐるに巻いたそー太を見て散々バカにした記憶がある。練習サボってるから寒いんだろ。子供は風の子だろ。寒さなど気合いで乗り越えろ、と。


「お前、マフラーなんか冬に負けたやつらがするものだって言ってたよなぁー?」


里乃にもらいました。

なんて堂々と言えるわけがない。里乃も恐らくその辺を配慮して色を黒にしたんだろう。いきなりお揃いのマフラーをした二人が入ってきたら、それこそ祭りになるぞ。もう朝からわっしょいわっしょいだ。


「これは。ほら、あれだよ…。」


「なに?」


「…冬に負けたんだよ。」


そー太がニヤリと不気味に笑って自分の席に戻っていった。なんだかよくわからない。わからないんだけど腹が立つ。


――次の日、思った通りに里乃が元気な顔をして学校に来ていた。


「おはよ。」


「おう、おはよう。」


大丈夫か?と聞くと決まって、大丈夫、ただの風邪だから、と答える。

だからもう、病み上がりでも心配せず普通に接していくことにした。

誰かが心配すれば、心配させまいと里乃が心配する。そういう性格なのだ、こいつは。

体力がないと自分でも言っていたし、体育の時間の里乃は驚愕するほどの運動音痴だった。体が強いほうではなく、やはり風邪をひきやすい体質なのだろう。

一時間目の授業が始まり、中林先生が延々と歴史年表を板書している。みんな必死にノートに書き写していて、僕も最初の方は真面目に書き写していたのだが、窓の外が気になったり、閉店セールのバルーンを眺めたりと、既に一時間目に捧げるやる気を失っていた。

里乃が僕をツンツン突いてヒソヒソと呟く。


「もうすぐテストだよ。また赤点取っちゃうよ。」


「わかってるよ。」


「中林先生怒るよ。」


「わかってるって。」


「また勉強会やる?」


「いいよ、自分でやるから。」


そっか。と里乃は呟いて前を向いた。

窓から坊主になった街路樹を見ていると冬の寒さと寂しさをしみじみと実感する。

もうすぐテストか。勉強したくないな。

今日も練習か。こんな寒いのに。行きたくないな。

気分が落ち込んで頭がモヤモヤした。もうなんでもいいや、寝よう。僕はゆっくり目を閉じた。


――あっという間にテスト期間がやってきて、更に気分は急降下。前回の反省を踏まえ、少しだけ勉強してテストに望んだ。結果、両手を挙げて喜べないものの、頭を抱えるほどの絶望感もなかった。俗に言う、まぁまぁってやつだ。

すぐにテストは返却され、一番良くて55点、一番悪くて49点。自慢できる点数ではないが、赤点は回避できた。

三学期は早いもので。春休みがやってきた。春休みといっても、春季大会が控えているのでほとんど練習なわけだが。

少し早めにグラウンドに出て練習の準備をしていると、そー太が制服のまま駆け寄ってきた。


「春休みさ、二日間だけ休みがあるだろ?お前どっちが暇?」


「ああ、二日目は家の手伝いがある。一日目は暇。」


「じゃ、これ行こうぜ。」


そー太の手にはチケットが二枚。お洒落なデザインでこいつが持ってると妙な違和感を感じる代物であった。


「なに?美術館?」


「うん。川村にもらった。」


「行かないよ。興味ない。」


「なんだよー。行こうよー。俺暇なんだよー。」


チケットを見る限り、この辺りの中学、高校の美術部が合同で行う展示会のようなものらしい。なんでそー太がこんなものを。と思ったが、裏を見たらなんとなくわかった。

『おしるこ全員サービス』

これか。


「わかったよ行くよ。どうせ川村と水嶋も来るんだろ?」


「来ないよ。俺とお前のふたりっきり。」


「!?」


かくして僕達腐れ縁の、貴重な春休みを利用した美術館デートが堂々決定したのであった。


――白い息を吐きながら両手をすり合わせる。

待ち合わせ時間をちょうど10分過ぎた頃だった。


「お待たせーダーリン!腹減ったよー!」


「お前完全におしるこメインだろ。あとその呼び方はやめてくれ。」


昼過ぎ。美術館の近くに集合した僕らは今から赴く未開の地へと足を踏み入れようとしていた。ここは国立図書館やコンサートホールが立ち並ぶ文化街であって、野球ばかりしてきた野郎二人にとって明らかに場違いな所だった。美術館なんて行ったこともないし見たこともない。一体どういう風に振る舞えばいいのだろうか。正装してないと追い出されるんじゃないか。何か特別な挨拶があるのでは…。

色々考えている間に美術館に到着し、そー太は足早に入場していった。


「おい、待てよ!」


僕もそー太に続いて入場した。

中はとにかく広くて、驚くほど天井が高い。両側の壁に絵が飾られていて、なんだか高級そうな匂いまでする。僕は、あまりの新鮮さと迫力で少し動揺した。これが美術館か。


「えーと、中庭だな。よーし!」


そー太がパンフレットを見ながら真っすぐに中庭の方へ行ってしまった。芸術よりも餅。それがあいつのプライオリティ。

せっかくだから、少し見て回ってから中庭に行こう。僕は順路へ向かって歩き出した。

美しい風景画、今にも動きだしそうな人物画。中には小難しい絵もあったが、どれもこれもすごいと思った。悲しきかな僕は単純にすごいとしか思えず、今感想を求められたら、絵が上手いです、としか答えられないだろう。自分の感性の貧困さに涙が出そうだ。

奥の方に行くと大きな絵が何枚か飾られていた。


(あ、うちの美術部の作品だ。)


部長の絵は山に向かって飛んでいく鳥の絵と夕焼けが沈んでいく様子を描いた風景画だった。部長とは面識があまりないけど、すごく印象深い色を使って描く人なんだな。題名は『私の住む場所』なんかかっこいい。

その横にある川村の絵には、野球のユニフォームを着た少年が描かれていた。

ん?こいつ、どっかで見たことがあるような、ないような。色がついてなくて、帽子の影で目もとが見えなくなっているのでよくわからないけど。題名は『恋』恋?

そういえば、さっきから里乃の絵が見当たらない。

たしかここにあるはずなんだけど。

辺りを見回し、振り返った時、僕は思わず声を上げてその絵を見上げた。

頭の中にあった記憶が急速に、そして色鮮やかに蘇って僕をあの時のあの場所に引き戻した。


大きなクリスマスツリー。七色に輝き、無数の星の光に照らされた、駅前のクリスマスツリーだ。


僕はしばらくその場から動けなかった。あの時見たツリーがそのまま目の前に現れたからだ。

絵の下には大きな花飾りがついていて『審査員特別賞』とあった。


(特別賞…すごいな。)


題名『幸せをもらった日』水嶋里乃。

季節外れのクリスマスツリーが、再び僕を七色に染めていった。


――短い春休みも終わり、まだ寒さの名残を感じながら学校へと急いだ。少し遅めの登校時間に油断した僕は寝坊してしまい、予定時刻より約10分遅れて校門をくぐった。

桜がもう満開になっていて、花びらが舞散る中庭へと足を運ぶ。

今日から中学三年生。

クラスが変わるのだ。


(えーと、俺は…。)


あった。三年三組。また三組か。

そー太とブランカ、タカさんまで一緒だ。中林先生が裏で仕組んでいるのがバレバレだった。

なるほど。あいつは一組で。あいつは四組か。あれ、タカさんの彼女は二組ではないか。タカさん可哀想に。


(あっ……。)


里乃は五組だった。

三組と五組。その距離は何故かとても遠く感じて、見えない壁がその空間ごと引き裂いてしまったような、そんな感覚に襲われた。

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